第49話

 夜半過ぎ。

 日ごとに近付く冬の足音が聞こえてきそうな、そんな夜に、エイジはもうすっかり慣れてしまったヴァネッサの魔法道具店までの道のりを歩いている。

 今は討伐クエストを終え、ギルドへ報告した後、トレジャーバイツの面々に捕まり軽く飲んできた帰り道だ。

 ボッツから教えてもらった安らぎの止まり木亭はとうに引き上げて、今はヴァネッサの店のソファを貸してもらってそこで睡眠をとっている。

 今日は日が昇る少し前に出発したので何とか日帰りで戻る事が出来た、農村区の一部でハイスラッグという大型のナメクジ型モンスターが越冬のために作物を荒らしているというのでそれを討伐する依頼だったのだが、食害を起こす以外には動きも散漫で大した戦闘力も持っていないモンスターだ、風の刃練習ついでに計十五匹程のナメクジを仕留めてきた。


「ふぅ」


 この時間になると息もやや白くなってくる、早く帰ってコーヒーでも飲もうと、路地の一角を曲がる。

 そこは最初キャロルに連れられて歩いた人を迷わせる魔術が施されているという道なのだが、そこに差し掛かる一歩前で一呼吸、集中し魔力を練る、そうするとエイジの周囲に風が生まれた、その風はエイジの身体を中心の吹いており、まるで風を纏っているかのようだ。


 準備が完了し、一つ歩を進める。

 その瞬間、なだらかに吹いていた風が揺れる、まるでその空間に不可視の何かが満ちていたかのようだ、エイジは続くもう一歩を進める前に、揺れた風の膜を安定させるためにさらに魔力を注ぎ込む。

 そうして何度かの調整補強を繰り返し、一歩一歩真っ直ぐにその路地を進んでゆけば。


「よし!着いた」


 ヴァネッサの店の前の少し開けた空間にいつの間にか到着していた。

 そう、最初ここに来るまで何度も道を曲がったりしたような気がするが、それはヴァネッサが施したまやかしで、実際にはただ何の変哲も無い、真っ直ぐの通路、ただの路地だというのだ。

 誇らしい上機嫌な表情でエイジは店のドアを開けた。


「やぁ来たね、今日は迷わずに来れたみたいだじゃないか」


 そしていつも通りカウンターの後ろに腰かけ、今日は怪しげな液体を混ぜているヴァネッサ、こんな時間だというのにエイジは彼女が眠っているというところを見たことが無い。


「はい、もうだいぶコツが掴めてきましたよ」

「ふむ、確かに呪いの影響が少ない日は殆ど魔術をレジストされているな、よし、いいだろう褒めてあげよう」


 そしてエイジに頭を下げる様に促し、優しい手つきで撫でてくれる。

 実に恥ずかしいのだが、断るとヴァネッサは露骨に悲しそうになるので、今ではなされるがままだ。

 そうしていると店の奥から物を掻き分ける音がしてくる、暗がりから顔を出したのはキャロルだ、彼女はそろそろ休む気だったのかいつもの魔術師の服装では無く薄紫色で暖かそうな生地の寝巻に着替えている。


「帰ったのね、大丈夫だった?」

「たかがハイスラッグの討伐だよ、心配する事は無いよ」


 ただの挨拶ですらない会話を、ヴァネッサは長い前髪の奥で笑いながら眺めている、何が面白いのかとも思うが、触れるとこっちが不利になりそうなのであえて振らない。


「こんな遅くまで起きてたのか、こないだは美貌の敵が何とか言ってたくせに」

「師匠から話があるんですって、君がもっと早く帰ってくれば良かったのよ、なにやってたのよ」

「ダンとトーラが離してくれなくって、ごめんね……そうならもっと早く抜けてくればよかったな」

「まぁいいじゃないか可愛いキャロル、別に浮気していたわけではなさそうだし、人付き合いも男にとっては仕事の内なのさ」

「なんですかそれは」


 そう言っている間にキャロルはエイジが寝具として使っているソファに腰かけた、エイジもカウンターの前に置かれている高椅子に座る。


「ふむ、では始めようか」



 ※※※



 スキッド・ヘルフラワー討伐後、この三人の内で進められていた計画がある。

 それはグランシャウール大陸東部、ジパング帝国へ向かうというものだ。

 ジパング帝国は大陸の東端の海沿いにその国土を広く展開させており、漁業や塩畑など海ならではの産業が盛んで独自の工芸品等が有名な国だ、大陸部だけでは無く近海の大小様々な島にも力が及んでおり、エルドレッド王国やダバーサと比べれば狭い国のように思われがちだが、その影響力は大国に負けない所がある。

 そしてどの国よりも北と南に長く版図を広げているため、国内でも地方によっては生活の様が大きく変わる、珍しい特徴がある。


「キャロル、エイジ、二人には癒しの泉と呼ばれる場所へ行ってもらう」

「癒しの泉……ですか」

「そうだよ、以前も話したがその名称で呼ばれる、所謂回復や浄化作用のある泉や湖は世界各地にある、ありふれた名前だが、私が言っているのはその原型、オリジナルの『癒しの泉』だ」


 そこに行けばキャロルの腕も以前のように動かせるようになるのか、そう思ってキャロルと目が合う、彼女はその泉があればエイジの呪いも緩和される、もしくは解呪の手立てになるかもしれない、そう思ってエイジを見ていたわけだが、互いにそれを知る由は無い。


「だが問題は山積みだ」

「単純に場所が遠い、という事ね」

「そう、ルートに関しては後でまた詳しくまとめたものを二人に渡そう、そしてもう一つ大きな問題があるね」

「なんでしょうか?」

「あの帝国は外部からの人間に対して閉鎖的なのさ、聞いた事は無いかな、過去に何度も南北の戦争に巻き込まれた歴史があるから、自国の民以外の入国に凄く厳しいんだよ、輸出や輸入に関しては完全な等価でないと受け付けないし、外交にも殆ど応じない……まぁそれも私が以前に行った時の話だが、今でも同じような物かは分からん」

「あぁ……聞いたことは有りますけど、そんなに厳しいんですか」


 ヴァネッサがカウンターの上に大陸の地図を広げる。


「こう見ると……こんなに縦に長いならば幾らでも密入国も出来そうですけどね」

「気持ちはわかるよ、でもそれは止めた方がいいね」

「?」

「もし向こうの貴族にでも見つかってしまえばね、なんの弁解も聞かれないままに打ち首よ、それに地図だと分かりにくいけど幾つかの山脈に沿って国境を引いているわ」

「打ち首って、えぇ!?首を斬られるって事!?」


 キャロルが手振りで首を切断される事を表現している、戦時中ならともかくただ国土に侵入しただけで打ち首と言うのはあまりに容赦ない、ヴァネッサの方を見ても静かに頷いている。


「それならどうやって、その癒しの泉とやらに近付けばいいんです?ヴァネッサさんも正確な場所は分からないんでしょう」

「この『陸獅』という街にあるというのは分かっているんだが………」


 ヴァネッサが地図の一ヶ所を指さす、そこはジパングでも北の方二方向を山で囲まれた場所だ、国境線からは離れた場所にある。


「正確な場所までは分からない、見ての通り国の内側にあるためいくら魔術師二人と言っても侵入は得策ではない、不可能だろう」

「情報収集も難しいでしょうね……」

「そこでだ」


 次に指したのは陸獅という街から南の方向、地図上ではこのブレンドからほぼ真東に行った場所にある街『四舞』だ。


「二人はまずこの四舞を目指してもらいたい」

「そこには何が?」

「私が昔世話してやった人物が此処に住んでいる、四舞は先も言った入国の管理等と一手に担っている、関所のような役割もあってね、奴に私の名前を出して頼めば入国も楽だろうし、紹介状くらいは書いてくれるだろう」


 なんでもヴァネッサがブレンドに店を構える前、放浪の旅まがいな事をしていたことがあるらしく、ジパングにも足を運んだことがあるとの事だ、当時は南からの移民問題で国が荒れていたため入国審査が通らず、四舞までしか行けなかったそうだ。


「師匠、その人、偉い方なんですか?」

「あぁ、何とか管理局の局長だそうだ」

「…………そんな人に恩を売っているなんて、一体何をしたんです?」

「ふっふっふ、女には秘密が付き物なのさ」


 と、適当にはぐらかされてしまった、どうやら余り言いたいことでは無いらしい。


「ここまでは良いな?そしてもう一つ残念な事に、今は時期が悪い……恐らくあと一月と少しで本格的な寒さが来るだろう、しかし今のタイミングを逃せば次の春まで時期を待たねばならん」

「キャロルの治療は、出来るだけ早い方が回復する確立も高まる」

「エイジ君の呪紋がどれくらいの速度で進行するか、分からない以上ただ待つのは愚策ね」


 二人の言葉にヴァネッサは深く頷く。


「その通りだ、本来ならもっと安ませてやりたかったのだが、致し方あるまい。二人共遠征の準備は進めてきたな?」

「はい」

「勿論です」


 エイジがまともに動けるようになってからまだ二週間程だが、その辺りから癒しの泉、東方遠征の話は進められていた、その間で装備品の新調や野営等で使える道具の数々を購入し、現在はマジックバックの中に収納してある、バッグの中も丸一日かけて整理し、今では完全にエイジが使い易いように模様替え済みだ。


 加えてエイジ本人の能力強化、付け焼刃だろうが剣術も学び、新しく魔術も習得した、ヴァネッサにも教えを乞い、店に来るまでの魔術に対する防衛、レジストや障壁の修業を筆頭に、漸く素人魔術師から一般魔術師の位を名乗れるくらいには成長できたのではないかと自負している。

 キャロルもただ寝て養生していただけでは無いらしい、今は秘密との事だが、新しい魔術を習得するべく頑張っている。


 それと重要な事がもう一つ。


「そうだ、二人共……風の噂で聞いたぞ、パーティを組んだそうじゃないか」


 二日前、エイジのアイアンランク昇格を祝いキャロルと二人でギルドで、小さな食事会を開いた、その時ついでにヨッタさんにパーティ結成の申請を出してきたのだ。


「えぇ、そうですけど……キャロル言ってなかったの?」

「………何よ」

「フフ、まぁいいさ、可愛いキャロルったらパーティ名を教えてくれないんだよ、二人で話し合って決めたんだろ?是非教えてくれ」


 キャロルは何を思っているのかそっぽを向いてエイジの顔を見ようとしない、どうしたものか、別に師匠にパーティ名を教えるくらいは構わない事だと思うが。


「はい……まぁ魔術師二人って事で…『マギア・ハート』に決めました」






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黒剣伝説ファーヴニル 〜呪紋勇者の世界放浪記〜 超絶お父さん @Daddy_GX

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