第17話 自殺に逃げる唯一の生物



 九十九つくもじんさんは、過去を語らない人だった。


 『ブルームーン』それが九十九さんが一人で切り盛りしている店の名前で、俺と夕夏が、開業以来お世話になっているアルバイト先でもある。

 カフェとバーを融合させたような、知り合いには一言に説明し辛い、和風でも洋風でもなく、オーセンティックとも程遠い。つまり、九十九さんが好き勝手やっているお店だ。

 メニューにはコーヒーの類も並んでいるが、なによりもノンアルコールカクテルに対する拘りを感じる羅列。見たことも聞いたこともないような横文字が綴られており、ほとんどが九十九さんの創作カクテルらしい。俺も、一通りの名前を覚えるまで数か月は要した。

 毎週月曜日が休みで、営業時間は昼過ぎから夜更けまで。軒下のボードには ラストオーダーは月が寝静まるまで。なんて小洒落ているようで、よくわからない一文で閉じられている。実際、初めて訪れるお客さんには、よく確認された。

 物珍しさと九十九さんの人柄故か、日中の客層は随分と若年に偏っていた。俺や夕夏が学校で話題になるとしたら、大体が『ブルームーン』関連であることからも察して貰いたい。


 俺は、あの少女の面影を街中に追い求めている間、学校だけではなく、バイトの方も無断欠勤していた。

 だから、夕夏から執拗にメールと電話の波状攻撃を受けており、遂には観念して着信に応じたのだが、想像していたよりも彼女は怒っていなかった。むしろ、電話の向こう側から聞こえてくる彼女の声は、なんか、夕夏らしくない震えを帯びていた。

 そんなバイト仲間の懇願を無下にできるほど俺は冷酷になりきれず、およそ二週間ぶりに、九十九さんの元へ顔を出す経緯になっていたのだ。


 夕夏とは押切駅の改札口前で待ち合せ。五分前に着くと、彼女の不機嫌さを露わにした横顔が出迎えてくれた。

 コスプレっぽい。黒と赤の二色だけで染められた出で立ち。ゴシックドレスって言うのかな。あまり詳しくないが、とにかくフリフリしてる衣装は、別の次元でよく目にする系統だ。

 黒髪ときつめの目元が、服装の趣向とよく調和しており、近寄りがたい雰囲気を纏っていた。

 普段、学校で接する茨野夕夏とは別人にさえ思えてくる。


「おっす」と、俺の姿に気付いた彼女が、気さくに声を掛けてくる。右手にはなぜか豆大福。こっちは服装とミスマッチだが、あえて突っ込むまい。


「……久しぶり」


  他に言うべき言葉が見つからなかった。いや、絞り出せなかった。


「ふ、ふもっふっ!」


 豆大福を口一杯に詰めて、なにやら主張する彼女。指差す先は『ブルームーン』の方角であり、そのまま歩き出す彼女の背中に、俺は無言で付き従った。


 『ブルームーン』は駅からそう遠くない。方角は少し違うが、駅との距離は、あのゲームセンターとも然程変わらない。

 道中、無意識に少女の幻を追う自分に気付いた。諦めたくない。でも、俺はあまりに無力だった。当てもなく、悪戯に日々を費やす日々。きっと明日は。そう呪文のように言い続けて、得られたものは、虚しい疲労感だけだった。


「理由、話してくれないの?」


 夕夏は、唐突に、背中を向けたまま、足を止めて、か細い声を出した。 


「ブルームーンに着いたら話すよ」初めからその覚悟で来てるから。声にもならない弁解。夕夏は「そっか」とだけ呟いて、再び黙然と歩を進めていく。


 九十九さんに相談してみようと思い立った。そして、夕夏には謝らなきゃと感じていた。

 どうしてこんなにも、あの少女に固執しているのか。自分でもよく分からない。分からないけど、俺は、ただもう一度、あの少女に会って、それで、名前だけでも聞かせて欲しかった。


「九十九さん。プレート裏返すの忘れてるし」さっきから声調に不機嫌さが滲んでいるのは、きのせいだろうか。ちょっとだけ、いつもの夕夏が恋しいです。

「そういえば、今日は月曜日か……」社会的な繋がりを絶っていたから、すっかり曜日感覚も失われてしまっていた。ってことは、ブルームーンもお休みだよな。正しく憂鬱な月曜日 (ブルーマンデー)。


 扉に掛かるプレートをcloseに裏返して、足早に店内へ消えていく夕夏。九十九さんが「closeじゃなくてclosedが正しい表記だったと思うんだけど、失敗したなぁ」と買い出し後に嘆いていたのを、ふと思い出した。


「おはよう」

「おはようございます」


 店内は、休みにも関わらず、珈琲豆を挽いた後に残る、独特な香ばしさに満ちていた。扉に括りつけられたベルが、頭上に音符を落とす。聴覚と嗅覚へ同時に訴えかける感覚がどこか懐かしくて、自然と口元が緩んだ。

 入口から右側にカウンターが伸びており、左側には丸い木造りのテーブルがぽつぽつと点在していた。なにも変わっていない。それもそうだ。たった二週間ぐらいで劇的な変化が起きている筈がない。……と、心情とは異なる感想が、小さな溜息をもらした。

 挨拶を交わし、一番奥のカウンター席へ腰を落ち着ける夕夏。俺も倣うように、彼女の隣に座る。


 カウンターの向こう側の壁は、一面が棚の形に改装されており、酒瓶や、綺麗に磨かれたグラスなどが整然と並べてある。やや異様だとするなら、右端に漫画本が詰め込まれてあることだ。発案元は夕夏であり、ちゃっかり彼女の父親の漫画も見受けられた。

 また酒瓶に紛れて、置き物として、朱色の鮮やかな細い筒状のポッドや、地球儀に似た鈍色の手動ミルなど、コーヒー関連の器具も飾られており、申し訳程度にはカフェとしての在り方も汲んでいた。


「真君もおはよう。よかった。思っていたより元気そうだ」 


 にこやかに優しい声音で迎えてくれる九十九さん。とても三十歳間近には見えない若々しい顔立ち。髭の剃り跡も薄く、皺もほとんど見当たらない。黒縁の眼鏡は、九十九さんの落ち着いた振舞いと相俟って知的な印象を強めている。清潔の範疇に留まる長さの髪は、自然な黒さの中に、室内の照明を投影する光の輪が浮かんでいた。


「その、すみませんでした」


 もっと正しい謝り方がある筈なのに……かろうじて絞り出せた一言は、あまりにも情けないものだった。


「ブラックでいいかな? それとも、たまには夕夏ちゃんみたいにシナモンシュガーとか入れてみる?」

「あ、いえ……いつも通りで、いいです」

「りょーかい」


 いつもと変わらない九十九さんの応対が、なぜか、少しだけ居た堪れない気持ちに繋がる。


「夕夏ちゃん、今日はまた、珍しい格好だね」

「学校をさぼった自分自身に対しての戒め、もとい、反社会的態度の表面化、あるいは、非日常間の演出です」


 日本語でお願いします状態の夕夏の発言を、微笑でやり過ごす九十九さん。隣に座る夕夏を一瞥すると、どこから取り出したのか、角型のきんつばの包みを破り始めていた。しかし、コーヒーのお供に和菓子か。俺にはちょっと無理だな。


「お待たせ」

「ありがとうございます」


 店員専用の陶器のマグカップに注がれた真っ黒な液体。その表面を見つめながら、俺は口を開く。


「二人とも、本当にごめん……ご迷惑をお掛けしました」

「現在進行形だし、掛けてるのは心配だよ。まこちん」


 すぐさま訂正と補足を買って出る夕夏。


「そうだね。僕達は君を心配していて、それでいて、なにか手伝えるのなら手伝ってあげたいとも思っている。。真君……君はなにをしているんだい?」


 九十九さんの諭すような口調。何をしているのか。俺は、何をしたいのか?


「もう一度、会いたい人が……居るんです。九十九さん、前に言ってたじゃないですか。人が消えてるって噂。なんていうか、たぶん、杞憂なんだろうけど、それでも、心の片隅に引っ掛かっているっていうか、もしかしたら……って、そう思ったら、学校とか通うのも馬鹿馬鹿しくなって、彼女の姿を探さなきゃって、そう思ったんです」


 我ながら要領を得ない話し方だと思った。続けて、彼女とは誰か? について経緯を含めつつかいつまんで話した。二人は、終始無言で俺の吐露に耳を傾けていた。


「まこちん。私に内緒にしてたんだ?」 


 冷め切ったコーヒーに口をつけて、舌の上に苦みを染み込ませる。


「悪い」

「つーん」


 擬音と同時にそっぽを向かれた。


「どうしても会いたいのかい?」


 今度は九十九さんによる質問。


「俺、せめて名前ぐらい知りたかったんです。このまま元の生活に戻っても、きっと、ずっと後悔したままいるんじゃないかって、それが嫌っていうか……」


「要は自己満足でしょ?」隣から放たれる辛辣なお言葉。

「好きなんだ?」正面から穿たれる不意を突く一言。


「い、いや。そういうのじゃ……そもそも、見た感じ、かなり幼かったし」

「ロリコンめ」

「ロリコンなんだね」

「どうしてそうなるの!? さっき否定したじゃん!!」

「まぁ真君の性癖について、今は触れないでおくとして……それで、その少女と、人が消える噂との関連性の有無を懸念している訳だね?」


 半ば建前ではあったが、肯定の意味で頷いておく。


「古い知人にね、そういう分野に詳しい人が居るんだ。最近、こっちに滞在しているらしいから、ちょっと連絡を取ってみるよ」


 言うなり、九十九さんは店の奥へと消えていった。


「九十九さんの知人って、初めてじゃないか?」

「じょ、じょう」


 きんつばをもぐもぐと頬張りながら、なぞの鳴き声を発する夕夏。もはや肯定か否定かも伝わらないんですが。

 九十九さんの口から直接、過去について聞いた覚えは一度もない。稀にお客さんから質問攻めにあっている光景を見るが、そういう状況であっても、決して口を割ろうとはしなかった。

 しばらくして、やや疲れの滲んだ表情で戻ってくる九十九さん。


「彼女、これから来るってさ」

「彼女……さんですか?」

「あぁ、いや。単に女性という意味だよ」

「九十九さんは彼女とかつくらないんですか?」

「うん、僕はもういいんだ」

「もったいないですよ。九十九さん。うちのクラスの女子にも大人気なのに」

「ははっ、高校生と交際したら犯罪だよ」

「恋は盲目なりといいます。時と場合によっては犯罪をも躊躇しない勢いが大事ですよ」

「そうそう」

「ロリコンは黙ってて」

「えぇっ!?」

「九十九さんには、支えてくれる人が居た方がいいんじゃないかって思いますよ。私達が手伝うにしても、ほとんどを一人で賄うのは大変じゃないですか?」

「一人で賄えるほどに暇だからね。僕はそんなに苦労してないよ」

「……ならいいんですけど」


 なんて他愛もない会話を続けていると、唐突に、殴りつけるような叩きつけるような乱暴な音を扉に立てて、客人は訪れを告げた。


「よぉ、邪魔するぜ」


 煤けた赤煉瓦のような色合いの頭髪は、さっくばらんに首周りで切り揃えられている。

 紺色のタイトなジーンズに、緋色の緩やかなチュニックという装い。言動は男勝りだが、豊かに膨らむ胸元からも、相手が女性だと判断できた。 

 表に掲げてあるcloseのプレートには気付かなかったのか、それとも、知ってての態度なのか。彼女は物怖じしない様子で、不敵な笑みを携えている。


 九十九さんの古い知人だと言うから、もっと年配の……厳とした大人像をイメージしていたのだが、現実、眼前に立つ彼女は、俺達よりも長生きしていて、私は社会の荒波を知っているぞ。とでも言いたげな風格を漂わせつつも、鋭く突き出た八重歯や、丸っこい瞳から構成される表情には、九十九さんとは違う意味での幼稚さが覗いていた。


「久しぶりだね。アリス」

「その名で私を呼ぶんじゃねーよ」


 それは既に幾度となく交わされたやり取りなのか、アリスと呼ばれた女性の声色は、どこか嬉しそうにも聞こえる。


「ふぅん。壬……こうして見ると、お前もなんとか立ち直れたんだって実感できて、感慨深いものがあるな」


 彼女は店内を見回しつつ呟き、次いで、俺の方へと視線を投げた。真っ直ぐに見つめ合ってしまう。あっちは「お前が目を逸らすまで負けねーから」とでも言いたげに、どこぞの不良よろしく睨みを利かせている。気恥かしさと気遅れとが半々ぐらいの心情になり、こちらから視線を外した。勝利を主張したいのか、彼女は短く鼻を鳴らす。

 背後から、夕夏が「珍しい髪色だね。外国の人かな?」と耳打ちしてくる。なにか答えようと、口を開きかけたが、アリスさんが先を制する。


「で、壬の話してた少年ってのはお前か」


 果たしてその少年とやらは俺の事でいいのかと、判断に迷っていると、九十九さんが代わりに答えてくれた。


「そう。彼がさっき話してた真君だよ。アリス、君の話してた『戒牢』の一件について知りたいみたいなんだ」

「だからさー。私をアリスって呼ぶな」

「今更変えろって言うのかい?」

「もうアリスなんて歳でもねーだろ」

「そうかな? まだまだ通用すると思うけど」

「うっせーよ。まぁいい。それよりもだ……」


 アリスさんは大股でこちらに近付くと、空いていた右隣に座った。急接近に伴って心拍数が跳ね上がる。なんというか……彼女からは、あの少女に近い、世界の隔たりのようなものを感じた。人生で一度あるかないかの接触。偶発的に起きる……いわば隠しルートのような。


「どんな奴かと楽しみにしてたんだが、思っていた以上に平凡というか、その、なんだ。個性がないな」


 初対面でいきなりそれは失礼過ぎるでしょう。心の中で叫ぶ。


「つまるところ、その平凡こそが……あいつにとっての魅力になるんだろうな。ないものねだりっていうか」

「あいつって……」

「ん、心当たりでもあるか? けど残念ながら、紹介はできないぞ。私も追い掛けている最中だからな」


 九十九さんから無言で差し出されたカップを覗き込むアリスさん。

 注がれているのがコーヒーだと分かり、微かに眉をしかめたように見えたが、にこにこと朗らかな笑顔をたたえている九十九さんに気付くと、彼女は押し黙ったまま、ぐいっと勢い良く流し込んだ。そして、ぶはぁっと派手に吹き出した。汚い……というよりもすごく残念な光景である。夕夏が慌てておしぼりを取りに行く。


「あついだろうがっ!!」涙目になりつつ九十九さんを怒鳴るアリスさん。そりゃそうだ。


 理不尽な叱咤にも笑みを崩さない九十九さん。もしかして狙っていたのだろうか? 九十九さん、昔の知り合いにはサド説浮上。

 おしぼりを握ってぎゃあぎゃあと喚き散らすアリスさん。そんな彼女をよしよしと宥める九十九さん。汚れたカウンター周りをきゅっきゅっと口ずさみながら拭く夕夏。

 ぼんやりと成り行きを静観していたら、アリスさんの矛先がこちらに向いた。


「真、だったか? それでお前は、私達側に干渉して……どうしたいんだ?」


 あまりにも唐突な問い掛け。問うアリスさんの眼差しは、俺の胸中を見透かすような輝きを秘めていた。


「アリス。もうちょっと言い方があっても。それに、ろくな説明もしないで、一方的に問うのはずるいと思うよ」

「説明しちまったら、もう無関係じゃなくなるだろうが。私はな、後々なじられたくないから、先に確かめてるんだよ。誓約書でも契約書でもいいけどよ、今の時代、なにかに踏み込む時は段取りが必要なんだろ?」

「それは……そうかもしれないけど」

「あと、そっちの彼女は席を外せ」

「……私ですか?」


 夕夏は作業を中断して、自分の鼻頭を指差した。


「他に誰がいるんだよ」

「でも……」と、なにやら言い掛けて口を噤む夕夏。

「真君。夕夏ちゃん。アリスはね、こんな見た目だけど、とても危ない仕事を請け負っているんだ。非合法とでも言えばイメージしやすいかな? でも誤解しないでほしい。彼女の行いは、どちらかといえば、人を救うものだ」

「見た目は余計だ」

「ごめんごめん。僕もさ、彼女に救われたんだよ……昔ね」

「壬っ!!」


 九十九さんの語りは、アリスさんの張り上げた一声によって阻まれてしまう。


「アリス。二人は僕にとって大切な人達なんだ……話すなら、今だと思うんだよ」

「……なら好きにしろ」 

「ありがとう。僕はね、過去に自殺を試みた経験があるんだ。いや、正しくは自殺を成し遂げたになるのかな。でも、君達の目の前に立つ僕はこうして生きている。これも全てアリスのおかげなんだ」

「ふんっ、私はただ、自殺に逃げるような奴が許せないだけだ。生物が自ら命を絶つ行為自体を否定はしない。けどな、生きることから逃げるように自殺するのは人間だけだ。私はそれが許せない」

「彼女の言い分はきっと正しい。だから、僕はこうして彼女を慕っているし、感謝もしている」

「だったら、もうコーヒーは出すな」

「ここは喫茶店だよ?」

「メニューの大半がカクテルで埋め尽くされてる様式を喫茶店と呼ぶなら、な」

「それもそうだね」


 深刻味を帯び始めていた筈の九十九さんの自白が、いつのまにか談笑へとすりかわっていた。

 のらりくらりと会話を続けている二人を余所に、夕夏は唖然としており、返すべき言葉を失っているようだった。無論、俺だって、非合法だとか自殺だとか物騒な言葉の列挙に戸惑いを隠せなかった。が、かろうじて、とりあえずはこう尋ねることにした。


「あなたは一体……」

「なに、哲学と魔術を鍋に放り込んでぐつぐつと煮込んだような概念を研究している。しがない魔術師だ」


 したり顔で言い終えた彼女は、すぐに「あ、やべ、言っちまった」と呟いていた。

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廃人魔女はバッドエンドが許せない えんじゅ @enju299n

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