第16話 きっと明日は。と言い続けて

「お師匠様はなんで魔術師をしてるの?」

『別に魔術師だなんて名に固執はしてねぇよ。私としては詐欺師でも、手品師でも、陰陽師でも、名探偵でも、殺人鬼でも……正義の味方ってのもいいな。んとな、その名称自体に然したる意味なんてないんだ』

「でも……なら、どうして?」

『大人になるとな、嫌でも何かに属さなきゃならない。私の組織……協会は自分達を魔術師と名乗る。だから、私も倣う。ってだけの話だ。いいか? 言語ってのは、人間がお互いを理解する為に都合良く押し並べるだけの手段に過ぎない。そりゃあ、名前があれば、呼ぶのに困らない。名前があれば、その存在を分かりやすく共有できる。けど、なくちゃならないものでもない。私達が魔術と称するものはな、ただ単に……他の言葉では説明できない現象の総称でしかないんだ。世の中、知り得ないことなんて溢れ過ぎてる。お前の呪いも、私の魔術も、《心中愛》も。それ自体を的確に表す言葉を持ち得ていない。だから、便宜上、魔術と置き換えてるだけだ。一々、周囲の言動を真に受けるな━━信じるべきは自分自身。もしくは、最低限譲歩して好いた奴ぐらいだ。もう一度言うが、言語ってのは、実像を歪ませる方便でしかない。まぁ、逆を言えば、虚像を正しめる謀略にも成り得るが……あーそのなんだ。単刀直入に言えばな、言葉自体が、もう既に魔術の域なんだよ。惑わしまやかしまおとすってな。そういう意味で言えば、お前ぐらい無口な方が利口ってことだよ』

「でもお師匠様は、すごくお喋りだけど」

『そりゃあ、私は魔術師だからな。喋ってなんぼだ』

「うーん。なんだか良い様に言い包められてる気がする」

『それこそが魔術なんだって。だからよ、他人の言葉なんて一々真に受けんな?』

「むー」

『無理に納得する必要なんてない。大人の戯言だ。お前はお前の納得できる方法を見つけろ』

「……うん」



 名前を知らない。たったそれだけの不確かさが、こんなにも不便だとは思いもしなかった。ふらふらとあっちへこっちへ、飽きることもなく、クレーンゲームやプリクラ、或いはレースゲームや音楽ゲーム。所狭しと詰め込まれた遊戯設備の迷宮を這うように、縦横無尽に、天真爛漫に走り回る少女。そんな真っ白な背中を呼び止めることもできず、餌に群がる鯉の様に唇をぱくぱくとさせながら、必死に追い掛ける俺。


「あれも二人で遊べる」


 あの日のファイナルファイト以来、俺達の関係はファイナルどころか、むしろ、始まってしまっていた。元々、ゲームセンターに寄る比率は高めで、週七回ぐらいは通っているのだが、必ず、彼女は俺よりも先に来ていて、いつも、一人でなにかしら遊んでいた。昨日は二丁拳銃で素振りしていたし、今日は太鼓の胴体に狙いを定めて、鉢を突き出していた。牙突の練習ですか? 根本的に遊び方が違う。バイトのお兄さんは、彼女が俺に懐いていると知るや否や保護観察役に任命してきた。「僕が近付くと逃げちゃうんだよねー」とはにかむお兄さんは心なしか哀しい目をしていた。問題児の世話役の代価はメダルだった。日給5枚。ブラックすぎる。一定数貯まったら、なにかと交換してくれんのかな。

 ただの白いワンピースも、彼女が着れば清楚を通り越して神秘の域に達しつつあった。後頭部にはお祭りでよく見かけるお面を装着しており、肌の色はアタックも驚きの白さである。

 ちなみに今日のお面は、三分間は変身できる銀色のヒーローのものだ。離れてみると、小判を貼り付けただけにも見える黄色い両目が妖しく光っていた。毎度毎度、どこから調達してくるのやら。 


「ねぇ、あれ」


 こちらの苦労など露知らずか、彼女は今日も今日とて二人で遊べるゲームを目敏くロックオンし、俺の手首の皮をぎゅぎゅっとつまんで引っ張っていた。

 少女が指差す先には、卓球台に近い大きさで、中間の位置に網が張られた、俗に言うエアホッケーなる設備が置かれていた。


「これ、どうやって遊ぶの?」

「ん、エアホッケー知らないのか?」


 こくこく。と頷き、興味深そうに卓上の表面を指でなぞる少女。やれやれ。俺は付き合わされてるだけだぜ。迷惑だぜって感じを醸し出しつつ、財布を手に取る。無論、バイトのお兄さんに限らず、俺と彼女を見守る目は、全然温かくない。どちらかといえば殺気を帯びている。他人事っぽく斜めに構えてますが、今まで仲良かった連中も「知らんなぁ。俺達に、美少女を引き連れるような仲間が居ただろうか? いいや居なかった」などと口を揃えるもので、俺の人間関係は着実と崩壊しつつあった。俺も大概だが、あいつらもまともな思考力を失っているのは明らかであり、きっと一過性の毒だろうと思うようにしている。寂しくなんてない。


 なんだかんだと冗長に言い並べてみたが、実際問題。俺は、この女の子と会うのが楽しみになりつつあった。だから、まだ夕夏にも話せていない。あいつが介入してくると、この甘酸っぱい一時も終わってしまうんじゃないかって、俺は童心に返る思いで、妄想の夕夏に言い訳していた。うん、だってこの子めちゃくちゃ可愛いもん。もう週七じゃなくて週十四回ぐらいゲームセンターに通ってもいいぐらいだもん。この語尾はもうやめよう。我ながら不愉快だ。 

 硬貨を飲み込んだエアホッケーが、どことなく昭和臭の漂うアンニュイな音楽を鳴らし始める。


「ほら、下から薄い円盤みたいなのが出てきたろ? その円盤と、あとは、これ使って遊ぶんだよ」


 誰かの悪戯か、隅にまとめて寄せられていた……なんだっけ。名前わかんないけど、ホッケーするやつを彼女に向かって、卓上を滑らせるように、緩やかに送ってやった。


「わかった」


 すすーっと、彼女の手元付近で止まるホッケーするやつ。カーリングだったらもう俺の勝ちだったな。なんてジョークを口にしようか迷っていた刹那。

 彼女は俺のゴール目掛けて、円盤と、あっちのホーケーするやつとを重ねた状態で持つと大きく振り被った。えっ、「ちょまっ!!」俺の言葉を掻き消す爆撃。もうわけがわからないよ。

 鋭い角度で降下し、強過ぎる勢いで卓上を跳ねるホッケーするやつ。まさに爆ぜるような軌道で俺の頬をかすめていった。背後で野太い悲鳴が上がる。なんかガラスが割れるような音もしたけど、キノセイデスヨネ。


 奇跡的に円盤だけゴールにシュートされたので、安っぽいメロディーが得点を告げる。


「……やった」


 小さくガッツポーズする少女。うん、俺が悪かったんだ。もっと丁寧に説明しておけばこんな悲劇は起こらなかった。っと、回想を締めるかのような独自に逃げている場合じゃない。俺達が逃げるべきは――。


「真っち。ちょっ!! ど、どういうことやねん!!」


 あーあ。バイトのお兄さん、東北人なのに関西弁になってるじゃん。終いには、天井見上げて拳を握り締めて「なんじゃこりゃぁぁぁ!!」とか絶叫してる。けっこうやばいよ。あーあ、俺のメダル。


「おい、逃げるぞ」

「えっ」


 やや強引に手首を掴まれた少女は、少しだけたじろぐ様子を見せたが、これといった抵抗もせず、されるがまま、俺についてきた。


「勝ち逃げ? でも、勝ったのは私。あれ?」


 突然の展開に思考が追い付かないのか、少女の言動には混乱が生じていた。大丈夫、俺も混乱してる。


「お前なぁ、俺が滑らせるの見てただろ? ああやって滑らせて遊ぶんだよ」

「でも、網が張ってあったから……セパタクローみたいなのかと」


 比喩表現にテニスでもバレーでもなく、セパタクローが飛び出したことは感服致しますが、その前にもっと常識を学びましょう。

 外は、柑子色も沈みつつあって、押切駅の近くは、夜の表情を浮かべていた。純白の少女に絡みつく大人達の視線がどことなく嫌らしい感じがして、俺は、すごく居心地が悪かった。


「真、ありがと。今日も、すごく楽しかった」


 訥々と喋り、屈託のない笑みをこちらに向ける少女。反則技である。それに、


「どうして俺の名前を?」

「店員さんが呼んでた」


 あぁ、そりゃそうだ。

 脳内に一つの選択肢が浮出する。聞け。聞くんだ。彼女の名前を。さぁ勇ある兵隊達よ。今こそ進撃の時だ。


「ばいばい」


 己を奮い立たせんと、喝を入れる。が、そんな俺の躊躇などお構いなしに、彼女は夜の街中へ……見紛う事無き『白』が、薄暗い路地の『黒』へ、飲まれていく様に消えていった。


「あの、名前を……」


 酷くかすれた声は、誰にも届くことなく、その場で飛散してしまう。

 遅すぎる進撃だった。


「ただいま」


 返事はない。けど、靴は無造作に散らばっているから、家には居る。たぶん、出掛ける準備をしてるのだろう。


 実母である遠野眞代は結婚前から水商売を営んでいた。単身赴任している父は、そんな母を許していた。或いは、もう関心すらないのか。一方で俺は……なんて言えばいいのかわからないけど、たぶん、受け止めようとは頑張ってるつもりだった。

 母も生活費の為に嫌々続けてるというよりは、昔馴染の常連の為に今もお店を開いているといった趣向なので、印象はそれほど悪くない。けど、やっぱり辞めて欲しいと思う所もある。

 それこそ、もっと幼かった頃や、高校受験のストレス故か荒んでいた時期には、わりと酷いことを言っていた気がする。ほとんど八つ当たりだ。

 だから、まぁ、今でも充分幼いんだけど、それでも。俺は母の仕事を認める方向性で、それでいて家族として真摯に歩み寄ろうとしていた。

 水商売してるわりに料理は下手だ。だから、リビングのテーブルに晩御飯はなく、代わりに紙幣が置かれてる場合が多かった。或いは、日中どこかへ出かけたついでのファストフードだったり、お弁当だったり。


「あら、おかえりー」


 間延びした声と一緒に洗面台から飛び出してきたのは、既に母親ではなく女としての仮面を整え終えた、俺の知らない世界の遠野眞代の姿。

 人間らしさとはあまりにもかけ離れた香水の漂着に、鼻がひんまがりそうだった。

 俺から見ると、ひどく違和感のある……普段とは別人のように化粧で塗り固められた面貌。


「ん、ただいま」


 俺はそんなけばい母親をあまり視界に納めたくなくて、すぐに視線を逸らす。


「真ー、今日は九十九さんとこ?」

「いや、寄り道してきただけ」

「あんま夜遊びすんなよー」


 あんたにだけは言われたくない。と思わず口走りそうになるが、ぐっと堪えた。逃げるように居間へ進む。そんな俺の後を追いつつ、母は追及を緩めない。


「またゲーセン?」

「いいだろ。バイトして貰った金で遊んでるんだし」

「そうねー。最近、ちょっと楽しそうだし。夕夏ちゃんと一緒に行ってるのかな?」


 にしし。と口端に小皺を刻む母。残念だが、その狙いは的外れも甚だしい。


「なぁ、母さん」

「なに?」

「まえに九十九さんが言ってたんだけど、最近、押切駅の近くで人が消えてるって本当?」

「常連さんがそんなこと言ってたわねー。でも、ニュースとかにもなってないし、都市伝説みたいなものでしょ」

「都市伝説か」

「もしかして心配してくれてるの?」

「……それもあるけど」

「なんだか含んだ言い方ね。なにか知ってるの?」


 消えた筈の『母親』の顔が覗く。


「いや、別に」

「真」


 不意に、俺の名前が呼ばれる。その響きは、普段と違って、脳髄に沁み込むような粘着力を伴っていた。


「自分の信じる事をしなさい。大人の理屈なんて、子供はまだ聞かなくてもいいのよ。思うままに突き進んで、それで失敗しても、後悔しても、決して諦めちゃだめよ。子供には可能性があるんだから」

「どうしたんだよ、いきなり」

「べつに。ただ、言わないで後悔するよりは言っちゃった方がすっきりするかなーって」

「父さんの所にでも行くつもりなのか?」

「ふふっ、そんなんじゃないわよ」

「……母さん」

「なに?」

「いってらっしゃい」

「はい。いってきます」


 母親を見送った後に訪れる静寂は、一抹の息苦しさを残していた。



 次の日も、そのまた次の日も。いつもの場所に、彼女の姿は見つからなかった。不意に、忽然と、跡形もなく、消えてしまった少女。

 きっと明日は居るだろう。そう言い続けて、瞬く間に一週間が過ぎ去っていた。

 氾濫する雑踏の中に、光線を振り撒く彼女の白い髪を探し求めても、決して見つからない。

 淡い夢の挟間に溺れていたかのように、元通りに褪めていく現実。

 一時の夢心地は終わりを告げて、否が応でも、目覚める事を強要されていくような気分だった。


 もう一度、彼女に会いたい。今度こそ、彼女の名前を知りたい。募る想いは、学校を休ませてまで、俺の足をゲームセンターへ運び続けていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る