第17話 第一章 風薫る⑰
「いい子」
無意識に呟いた言葉に、リカちゃんは一瞬動きを止めた。顔を離してから、「ヨーコ」と言ってもう一度首に腕を回して、
「ヨーコ」
あのね、と続いた言葉は、それ以上発せられることなく溶けていく。
もどかしそうに抱き着きながら言葉を探す姿に、焦らせないように背中を撫でた。ミズキを見ると、既にさっきのノートを広げて何か書いていた。私が見ているのに気付くと、照れたように少し唇を引き結んでから、リカちゃんの肩をとんとんと叩く。
「……あ!」
小さなホワイトボードに、『リカ』『ありがとう』とリカちゃんが読みやすいように大きな字で書かれてあるのを見て、リカちゃんは声をあげる。
「ありがとうなの?」
えへへ、と笑う様子にミズキも頬を緩ませた。ミズキはペンのキャップについていた布で文字を消すと、今度は『どうやって作ったの?』と書いていく。リカちゃんも私の肩から身を乗り出すようにしてそれを受け取って、空白の部分に作り方を簡単に書いていく。
その様子を見て使いやすそうだなと感心した。でもリカちゃんの体制に書きにくそうだと思って、やりとりしやすいように膝から下ろそうとすると「だめ!」と首にしがみつかれた。
「でも書きにくいでしょ?」
「ここがいいのー!」
苦笑して抱えなおすと、無理のある体勢のまま一生懸命文字を書いていく。落ちないかと思っていると、ミズキが近くに椅子を引いて座りなおした。あまり身を乗り出さなくてもいいよう配慮したらしい。お礼を言おうとミズキの方を見ると、
「え」
頭を撫でられた。
なんで私? とぽかんとしているとノートに夢中なリカちゃんを落ちないか確かめるように見てから、私の顔を見た。その表情がなんだか、ひどく優しいような気がしてむず痒いような気持ちになる。
思わず目を逸らすと、書き終えたらしいリカちゃんが「はい!」とミズキにノートを渡していた。
「ヨーコ?」
「……ん?」
「顔赤い。暑い?」
リカちゃんにそう指摘されてさらに恥ずかしくなって首を振ることしか出来なかった。
「ねえ、夏休みも来る?」
「リカちゃんは?」
「えっとねえ」
ポシェットから丁寧に折りたたまれたプリントを取り出す。覗き込むと、毎日ではないが時折支援プログラムが組まれていたり、イベントがあるらしかった。ほとんどはまとまった休みなので、あまりここで会えることはないのかもしれない。
「夏祭り、ヨーコも来る?」
「あ」
さっき言われたやつかもしれない。リカちゃんの予定表には「おまつり」としか書かれていないので定かではないけど、日にちが被っている。多分これなんじゃないかと頷いた。
「行くと思う」
「ほんとに!?」
わー! と嬉しそうな歓声を上げたリカちゃんに、そんなに喜んでもらえるなら、ボランティアとしてじゃなくて普通に参加者として行きたかったと思った。なんか仕事ばっかだったら行ってもあんまり一緒にいられないんじゃないか。絶対担任に空き時間もらいに行こう。
「じゃあ、先生に言っていい?」
「なんて?」
「ヨーコも来るって! そしたら浴衣着れるの」
「そうなの?」
それは多分学校の子どもたち限定なんじゃないだろうかと思いつつ、否定せずに聞き返した。リカちゃんは本当に楽しみらしくて、予定表にシールが貼ってある。
「ミズキくんは?」
にこにこしながらミズキの前にプリントを出して、「おまつり」と書いてある部分を指さすリカちゃんに、ミズキは首を傾ける。まだ知らされていないのか、忘れているのか。行こう行こうとミズキの腕を引くリカちゃんに少し困ったような顔をしながら曖昧に頷いている。
あんまり行きたくなさそうだ、とその横顔を見て思った。こういうイベントは好まないのかもしれない。
「みんなで行けるといいなあ」
リカちゃんの言葉に、その小さな頭を撫でつつ「そうだね」と確約の言葉は避けて返事をしたけど、シールで彩られたプリントを見ながら、つられたように少しわくわくしている自分に気づく。
窓の外の陽がすこし傾きかけているのを見ながら、さっきまで少し憂鬱だった夏休みに色が加わったのを感じた。
~続きは書籍でお楽しみください~
【書籍版 試し読み】光合成理論 奈瀬セナ/角川ビーンズ文庫 @beans
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。【書籍版】光合成理論/奈瀬セナの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます