第16話 第一章 風薫る⑯

「ヨーコ!」

 高い声に、振り向いてから意識せず笑った。

「リカちゃん」

 長い髪をポニーテールにしたリカちゃんが、胸の前でしっかりと本を抱えた姿で立っていた。私の姿を認めると、近くのテーブルに本を置いて駆け寄って、椅子に座っていた私の腰に抱き着いた。

「学校終わった?」

 そして顔を上げてにっこりとそう聞くリカちゃんに頷くと、とろけるように「やったあ」と言って更に笑みを深める。思わずその小さな体躯を引き寄せて、膝の上に乗せると「うわー!」と声をあげながら、するっと首に腕を回されて、正面から抱き着かれた。

「あ、ミズキくん!」

 ようやく、隣にいるミズキに気づいたリカちゃんは私に抱き着いたままミズキの方に手を伸ばした。小さな手がミズキの頭に一生懸命伸ばされているのを見て、ミズキは苦笑しながら頭を差し出した。

 色が抜けきった金色に近い髪に手を差し込むようにしてリカちゃんがその頭を撫でる。

「ねえ、あのね、見て」

 そして、『こんにちは』と手話で挨拶するリカちゃんは、こんなに可愛くて攫われたりしないかと心配になる。ミズキも同じように挨拶を返してリカちゃんが喜ぶのを優しい目で見つめていた。

「これこないだ、つくった」

 そして肩から斜めがけしていた誰かのお手製らしきポシェットから、四苦八苦しながら大きめのメモ帳のようなものを取り出した。

「これあげる」

 ミズキにそれを差し出してから、照れたように私の方に顔を埋めてしまった。なんだろう。ミズキと顔を見合わせる。

 それは文庫本サイズの筆談ノートだった。丁寧に可愛い布で装丁されていて、中は一面ホワイトボードになっている。折りたためて、ボード用のペンもついていた。

「リカちゃん」

「んー」

「これ、どうしたの?」

「こないだ、図工のときにねえ」

 先生が一緒に作ってくれたと照れながら言うリカちゃんは、「リカあんまりこれ出来ないから」と両手を動かす。手話のことだろうか。

「今度ヨーコにもあげる」

「……いいの?」

「いいよ! 何色がいい?」

 嬉しそうに笑うリカちゃんは聞きながらぎゅうっと私に抱き着いた。リカちゃんの年齢の割には幼い言葉は、その分ストレートに感情を伝えてくる。人のために何かが出来る子なのだと胸が締め付けられたような気がした。

「赤がいい」

 そう言って、小さな身体を抱きしめるとふふふとリカちゃんが笑う。顔を肩口に埋めながら、嬉しそうに笑うリカちゃんの頭を撫でた。

 リカちゃんはたぶん、自分ではなくミズキのためにさっきのノートを作ったのだ。ミズキが自分と話すとき、手話は簡単な挨拶程度に留めて、ほとんど筆談でやさしい単語を中心に話していたのに気付いていたのかもしれない。

 何回も書き直せるように、何度も使えるように作ったのかもしれない。

 ミズキと話すために。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る