第15話 第一章 風薫る⑮

 冷たい机に片頬を押し付けたままの体制で隣に座っている顔を見上げる。端正な顔に、落ち着いた雰囲気のあるミズキは年下には見えない。上だと言われても違和感がないくらいなのに。

 意外そうな顔をしていたのか、苦笑された。

『ミズキは進学?』

 聞くと、少しも迷う素振りなく頷いた。きっとやりたい勉強や仕事があるのだろうとぼんやり考えた。いつも本を読んでいる様子や、気の使い方から頭がいい子なのだと思う。一般大学でも今は手話通訳やパソコンテイカーをつけてくれるところはある。

 そして告げられた大学名は馴染みのある名前だった。

『いいところだよね』

 知ったようなことを言う私にミズキは不思議そうな顔をしたが、深く聞くことなくそうだね、と言うように頷く。私立の偏差値高めのその大学は、ここからほど近い場所にひとつ校舎を持っている。うちの高校からも志望者が多い。

 大学進学を視野に入れているなら、特別支援学校ではなく一般高校に通った方が受験勉強の面ではよかったのかもしれないけど、うちの高校然り、一般高校では聾者への支援の体制は整っていないところが多い。勉強の面でミズキには物足りないだろうけど、福祉の面で見てこちらにしたのかもしれない。内情をよく知らないが、ミズキは図書館で勉強していることも多いので進学するのだろうと推測していた。

『ヨーコ』

 掌に、冷たい指先が滑っていく。

『今度勉強見て』

『もちろんだよ』

 私でよければ。ひとつ下だと思うと途端に可愛く見える。はにかむようにして笑うミズキに微笑んだ。

『私にも手話もっと、教えて』

『俺でよければ』

 言語というものは不思議で、一度覚えても一定期間使わなければ忘れてしまう。今こうやって定期的にミズキと話しているから少しずつ思い出しているけど、続けなければまた忘れるだろう。

 ミズキは気を遣って、手話だけではなくて唇の動きを読んでくれたり筆談してくれたりしてるけど、もっと私が手話を上達させれば、なめらかに会話できる。謙遜するミズキの手を下ろして、手の大きさを比べたりして遊ぶと、ミズキがふと笑ったような気配がした。

 ふと、こめかみに指先が触れて、体温を確かめるように撫でられる。

 その冷たさに目を閉じると、後頭部で絶え間なく続いていた頭痛が少し和らいだような気がした。最初ここに来た時に感じていた気持ち悪さもいつの間にか大分楽になっている。

 しばらくそのままでいると触れていた指先が、こめかみから髪の生え際を滑った。そして包み込むように机についていない方の頬に冷たい掌全体が触れる。それが不思議と落ち着いて、もっとその冷たさを欲しがるようにその手を上から押さえるように触れた。

 外で葉がざわめく。

 蝉の泣き声と葉が擦れる音以外ほとんどが静寂に包まれた空間で、夢みたいな金色を脳裏に浮かべた。きっと、広い世界で、両手でその可能性を押し広げるのだろう。沢山の音に囲まれた現実で、ミズキなりに。自分とは異なる未来を描く冷たい指先に、少し淋しさを感じた気がした。

 遠くからこちらに近づいてくるような足音が聞こえて、ふ、と目を開けたときミズキと目が合う。途端になぜか顔を赤くしたミズキに顔を上げたとき、ガラッと音を立てて図書室の扉が開いた。

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