終わりのない旅路
らいす
終わりのない旅路
高校3年生の夏。
いつものように図書館へ向かう。
決まって彼女は挨拶をしてくる。
いつも同じ格好だ。
白いカバー付きのヘチマ襟に、
膝丈まである紺のスカートを履いている。
何処の学校かも分からない、セーラー服。
「おはよー!」
こちらへ駆けてくる。
「また勉強?」
「受験生やからな。」
「ふぅん。大変?」
「そらそうやろ。」
「そうなんや。」
「受験、したことないん?歳、近いと思ってたけど、何歳なん?」
妙に大人びた彼女は、
年下に見えるし、年上にも見える。
「教えへん!」
「なんやねん。」
僕達はまだ、お互いの名前も知らない。
彼女は、僕が図書館へ行くようになった時
偶然出会った。
道中では他愛の無い話をして、
図書館では勉強をしている僕の前で、
いつも本を読んでいる。
ただ、それだけの関係。
「あれ」
図書館の前で立ち止まる。
「閉まっとる。」
ーーーーーーーーーお盆休みのおしらせーーーーーーーーー
8月10日〜15日の5日間、
当図書館はお休みさせていただきます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「しもた。お盆やったか。」
「折角来たのに。」
「どうしようかな…」
日焼けた肌がじりじりと痛み、 頬に汗が伝う。
思考を止めろと言わんばかりに、蝉の声は
「そうや!」
「…なに?」
「いいとこ連れてってあげる!」
「え、ちょっと待って…」
全く耳を傾けない彼女は
僕の腕を引っ張って行く。
彼女の云う、いいところへ。
雑木林を通り抜け、目を見開く。
と同時に景色もひらけて見えた。
青々とした田んぼの間を駆け抜ける。
前を走っている彼女の髪が靡く。
茶色がかったその髪は、陽に照らされて、
ワイシャツに汗が染み込み、肌にベッタリと張り付いている。なのに何故だろう。
とても清々しい気持ちだった。
胸が高鳴った。
こうして走るのはいつぶりだろう。
やっと、僕の手を離す。
目的地に着いたらしい。
前屈みになり、膝に手をつく。
汗を拭っている彼女を、
僕は
呼吸を整えて訊ねる
「ここは?」
「駅のホーム。」
「なんとなくわかるけど…」
確かに駅のホームだった。元、ではあるが。
「こんなとこに駅なんてあったんや。」
かつて、線路があったであろう場所には
緑が生い茂っている。
使われなくなって随分経つ様だ。
見て呉れも、だいぶ古い。
「ここに来るとな?何もかも、ぜーーーんぶ忘れて、休んじゃおって思えんねん。」
「へえ…」
彼女がそう云うのも分かる。
周りに家は無く、木々が生い茂っている。
在るのは、廃墟と化した駅ひとつ。
まるで、違う世界に来た様な気持ちになる。
「…綺麗やな。」
「せやろ。私、ここ大好きやねん。」
彼女は懐かしむように笑った。
彼女が此処へ連れて来てくれたのは、
勉強をしてばかりの僕に、
休息を取らせる為かもしれない。
さっきまでの暑さが嘘のように無くなった。
木々が揺らめき、風が頬を掠める。
「涼しいな…」
腕まくりをして、ホームに腰を掛けた。
駅の屋根はもうないが、コンクリートを突き破って生えている木々のおかげで日に照らされることは無い。
とても心地が良かった。
思わず鼻歌を歌ってしまうほどに。
「なんの歌?」
「題名忘れた。」
「なあんや。聴いてみたかったのに。」
「歌、好き?」
「好きやった。」
「過去形?」
「だって。もう、ずっと歌ってないもん。」
「なんで?」
「皆、国の為に戦ってんのに、呑気に歌うなって。」
「ん?」
国の為、なんておかしな事を言うな…。
「戦時中の人みたいなこと言うねんな。」
彼女は、ハッとしたような顔をしていた。
「え、どうしたん…………あれ?」
昔、祖母に聞いた話を思い出した。
『ワタシが子供ン頃、空から爆弾がようさん降ってきてねえ。』
『ええ!』
『家も交番も駅も、ぜーんぶ無くなってしもたんよ。』
『せんそう、こわい…。ぼくしにたない!』
『心配せんでも、もう、あないな事きっと起こらんから。』
『うん…』
この町は、空襲の影響で焼け野原になってしまう。
人口は減り、新しく建てるお金もないせいで
駅は隣町にしかつくられなかったそうだ。
じゃあ、今僕達が居る此処はなんなんだ?
「ごめんなさい。こんな形で伝えるつもりはなかってん。」
ハッとする。
彼女は頭を下げていた。
「頭上げてぇや。…どういうことなん?」
「……私、15歳ン時に死んだんよ。」
「え」
あまりにも突拍子のない話だった。
「ここは実際にあったんやけどなあ…。
今あるんは、たぶん私の思い出が創り出したもんやねん。」
「…。」
「私と出会った頃の君は、生きてんのに死んでいるような顔をしてた。
私と同じようになあ。」
戦争が身近で起きていたんだ。
それは仕方ないものだったのかもしれない。
僕も苦しい事は多い。
「私、辛い時はいつもここに来てん。」
「…いい場所やもんな。」
「うん。辛い事なんて忘れられたからね。」
彼女はパッと顔をあげ、僕を見た。
「でも、君はもう大丈夫。ここに来んでも。
私に、逢わんでも。私はたぶん、君を救う為にこっち来たんちゃうかな。」
微笑んだ彼女の顔は、とても綺麗だった。
「これから先どんな辛い事があっても、きっと乗り越えられる。」
目頭が熱くなる。
「…何も言わずに、ずっと僕の傍に居てくれた。それが、どんだけ僕の助けになったことか。君のお陰やな。」
「そうやで。だからもっと私を褒めるべきや!」
自慢げに彼女は言う。
僕はクスクスと笑った。
「せやな。」
彼女はムッとして、それから安堵の表情を浮かべた。
「…最期にお願いがあんねん。」
「なに。」
「さよならは言わんといて。」
「わかった。」
「私達きっとまた逢えるよね?」
「当たり前やろ。逢われへんほうがおかしいって!」
彼女は笑った。零れそうな涙を堪えながら。
「ありがとう。」
目を覚ますと病院に居た。
いつもの景色だ。
「あっ清水さん!目を覚まされましたよ!!」
看護師の声を聞くや否や、
母さんが慌てて駆けつけてきた。
「心配したんよ!!」
母さんは涙ぐんでいた。
どうやら僕は、
図書館の前で倒れていたみたいだ。
だとしたら、
これまでの出来事は夢だったのか?
いや、そんなはずない。
間違いなく彼女は居た。
「聞いたで!まさか、病院を抜け出して図書館に行ってたなんて!わざわざ制服なんて着て!」
「…。」
「なんでそんな事したんよ…」
「普通の高校生になりたかってん。」
少なくとも、
彼女と居る時はそうだっただろう。
「お話の所申し訳ないのですが…」
医師が入ってきた。
看護師が呼んできたようだ。
これから何を言われるのか、
容易に想像がついた。
「…今は1人にして欲しい。」
「わかったわ。」
母さんの声は掠れていた。
「…我々も失礼しますね。」
医師も看護師も出ていく。
カラカラ……
窓を開ける。
もう夕方だ。
彼女は大丈夫と言った。
それでも、どうしても抗えない事が在る。
持病が悪化した。
僕はもうすぐ死ぬ。
己の行動が仇となったのだ。
手の甲が濡れる。
瞬きをする度、視界がぼやけていく。
「普通に生きたかったな。」
涙がボロボロと溢れ出す。
「普通に勉強したり、友達と遊んだりしたかったなあ…」
目を擦っても擦っても溢れてくる。
「死にたくないなぁ………」
涙が止まらない。
少女に僕の心は救われた。
余命宣告を受け入れられず
病院を抜け出して、彼女に出会って、
彼女と過ごしていくうちに、やっと僕は、
こんなにも、生きたいと思うだなんて。
その日、
僕は声が枯れ果てるまで、泣き続けた。
あれからどれくらい経っただろう。
もう、身体を動かすことすら出来ない。
名前くらい、聞いとけばよかった。
これだと彼女を見つけるのは大変だ。
「今から逢いに行く。」
掠れた、小さな声で呟いて、
彼女の元へ旅立つ。
きっと誰にも聞こえない。
きっと誰も気づかない。
これは僕と彼女だけが知る、
ひと夏の思い出。
終わりのない旅路 らいす @naakin
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