やっぱりついてねえ

 何かが額に触れた気がした。頭の中はふわふわとして考えがまとまらない。そろそろ酸素も切れてきたのだろう。まぶたに強い光を感じて、濁った意識のまま嫌々ながらも目を開ける。やけに白い電灯の明かりが目に入った。ああ。夢を見ているのか。納得して目を閉じ、もう一度闇の中に戻っていった。


 ピッピッピ。シューコーという音で目が覚める。目を開けるとやはり白い明かりが降り注いでいた。口と鼻を何かが覆っており、新鮮な酸素が流れ込んできていた。急激に意識がはっきりし始める。ああ。どうやら、天国ではないらしい。まあ、俺は地獄行きかはともかく天国は迎え入れちゃくれないだろうな。


 何かのバイタルモニターだろう。俺の心音か、肺の動きに合わせて静かに音を刻んでいる。口の中がひどく乾いていた。

「……だ、誰かいないのか?」

 嗄れ声を出す。しばらくするとガチャっという音がする。


「あら。気が付いたのね」

 俺の頭上に影が差す。金色の髪の毛の誰かが俺を見下ろしていた。

「水をくれ」

 知らない誰かが頭の脇の方に腕を動かすと、口の端に何かが差し込まれる。


 吸うと生ぬるい水が口の中に溢れる。普段ならもっと冷えていて欲しいところだが、それでもめっぽう旨かった。ゆっくりと嚥下すると生きているという実感がわいてくる。数口飲むとストローが口から離れた。

「どれぐらい眠っていた?」


「そうね。地球標準時間で120時間というところかしら。まだ、完全には回復してないわ。もう少し眠った方がいいわね」

「あー。名前を聞いてもいいかな?」

「ナターシャよ。それじゃ、お休みなさい。キバヤシさん」

 

 ***


 主治医によれば、宇宙空間に漂う俺が発見されたときは、心肺停止しており、あの世まであと数センチというところまで行っていたらしい。そんなことを主治医と話していると、シュワルツ中尉が見舞いに来てくれた。ベッドに腰掛けた中尉から色々とその後の話を聞く。


 あの異星人の侵攻艦隊は無事撃破できたらしい。その活躍で昇進した中尉は複雑な表情だった。俺たちの小隊もかなりの損害を受けたそうだ。

「あなたまで死んでたら、寝覚めが悪かったわ。すっかり英雄にまつりあげられちゃって。それで本当はもっと早くに来たかったんだけど、見舞の時間も取れないぐらい」


「まあ、あのカタツムリ沈めたなら、英雄の資格はあるんじゃないすかね」

「それはあなたたちのアシストがあったからよ。それに見世物はもううんざり。あなたもいずれマスコミが押しかけてきて分かるわ。そうそう、これ返してもらうわね」

 中尉は枕元のテーブルから金貨を摘み上げる。

「中尉の言う通り、霊験あらたかなお守りでしたよ」


 さきほど医者から、捜索隊が俺が発見できたのは、金貨が反射する光を拾ったせいだということを聞いていた。

「それは良かったわ。ちゃんと返してくれたから、退院したら今度奢るわね」


 中尉が言う通り、人類を救った英雄として、病院での俺への待遇はかなり良かった。まあ、ナターシャといい仲になりつつあったのは、その点が効いていたのは間違いない。献身的な看護の甲斐もあってか俺はすぐに回復した。しかし、医者は慎重な性格でなかなか退院の許可が出ない。なんとかの検査がどうのと、らちがあかず、俺は無断で命の洗濯に出かけることにした。


 シャワールームにこっそり忍び込んでコックを捻る。やっぱり身ぎれいにしておかないとな。

「うお。あっつ!」

 思わず叫び声をあげてしまった。慣れない設備で熱冷を間違え熱湯を浴びてしまった。大事なところは無事だったが、すぐに冷やしたものの胸がヒリヒリと痛い。それにめげずに病院を抜け出す。


 マリアンと出会った店に行ってみると期待の相手はいなかったが、中尉が居るのを発見した。珍しく私服姿でサングラスをしている。すぐ横のスツールに腰掛けると驚いた声を出した。

「まだ退院許可は出てないって聞いてたけど」


「せっかく美人が酒おごってくれるってのにお預けが長いんで、抜け出してきちゃいました」

「ばかねえ」

 そういうが俺の分の酒も頼んでくれる。


 俺のパナシェが出されると中尉はマティーニのグラスを掲げた。

「いい軍人は……」

「生き延びた奴!」

 俺たちはグラスを空ける。


 もう1杯ずつ空けたところで、俺は切り出した。

「この店も悪くないですけど、もうすぐしたら混み始めますよ。どこか静かなところへどうです? ここのお返しってことで」

 中尉はじっと俺の方を見る。サングラスの向こうの目は見えなかった。


「それじゃあ、これで決めましょう」

 どこからか取り出した金貨を右の親指に乗せて弾く。反対の手の甲で受け右手をかぶせた。

「じゃあ、表で」


 そっと載せられた手をのけると女性の横顔が見える。

「いいわ。あなたの勝ち。ちょっと待ってて。化粧を直してくるから」

 ラッキー。中尉は2人分の代金をカウンターに置くと席を立つ。カウンターに寄りかかって待っていると俺の名を呼ぶ声がした。


「キバヤシさん」

 振り返った俺に体当たりするように誰かが抱きついてくる。ぽよんという柔らかな膨らみを感じた。俺を仰ぎ見るようにしているマリアンの目にはうっすらと涙が光っている。

「ああ。良かった。とっても心配したんですよ」


 俺の鼻をくすぐるいい香りと柔らかな感触は、こういうときでなければ最高だっただろう。俺は体を離そうとしてカウンターに背をぶつける。

「あ。落ち着いて。俺は無事だから」

 なんとか身を振りほどこうとマリアンの肩に手を置いたところに宇宙空間よりも冷たい声が響いた。


「あーら。ちょっと目を離したら、お忙しいことね」

「あの。その。これには訳があって」

「人を口説いておいて。へええ」

 つかつかと近寄ってきた中尉がヒールで俺の足を踏みつけ去っていった。いってえ。


 その様子を見ていたマリアンがあっけにとられながら問いただす。

「今の方は?」

「さあ。なんだろ。ははは」

 俺は気を取り直して、マリアンの腰に手を回す。

「それじゃあ。この間の店に行こうか。星がきれいに見える」


 ばん。と扉があいた。やべ、中尉が戻ってきたか。と思ったら別人だった。店の弱い照明でもきらきら光る金髪のナターシャが駆け込んでくる。

「キバヤシさん! 勝手に病院から抜け出して、もう……」

 俺はマリアンの腰から手を抜こうとしたが間に合わなかった。


 ナターシャの顔がみるみるうちに曇ってゆく。

「この浮気者っ!」

 来た時と同じ勢いでナターシャは出て行った。ああ、くそ。俺が抜け出したのに気が付いて追いかけてきたのか。こうなるくらいなら、最初からシフト明けにナターシャを誘うべきだったかもしれない。


 気が付けば、マリアンは俺への抱擁をやめて、厳しい目をしていた。ばちん。景気よくマリアンの平手打ちが俺の頬に炸裂する。

「じゃあねっ!」

 足早にマリアンも消え、俺は茫然と立ち尽くす。


 ドアが開いて、憲兵隊が4人入ってきた。

「キバヤシ曹長。同行願おうか」

 俺は四方を囲まれて店を出る。見上げれば、無窮の銀河があざ笑うように俺を見下ろしていた。


 おしまい

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第2次カリスト防衛戦 新巻へもん @shakesama

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