吸血族討伐軍第一隊予備学科-浅海潔と義弟と紅茶-

コトリノことり(旧こやま ことり)

吸血族討伐軍第一隊予備学科 浅海潔と弟と紅茶

 ナイトウォーカー。夜を歩くもの。

 ストリガ、ノスフェラトゥ、ブルコラカス。

 不死者、生きる屍、吸血鬼。

 人類と似た姿をしながら、人類の宿敵であるかの種族は恐怖と蔑視から様々な名前で呼ばれてきた。

 吸血族。

 人間の生き血を糧として、人間を『狩猟』する忌々しい種族。

 類まれな身体能力、知力、生命力を持つ。ただし日光のもとではその能力が激減する。

 人類が彼らと対抗する術を模索していく中で、吸血族も自分たちが日光による弱体化を防ぐ術を編み出した。


 擬態。


 擬態とは、他のものに様子を似せることを言う。

 彼らは人間に擬態する能力を得た。

 彼らの身体は日光に弱い。

 だから、彼らは「人間の皮」を自分たちの身体の上に被ることで、日光を遮断し、人間に擬態する。

 皮は比喩でもなんでもなく、彼らの犠牲となり、死した後もその姿を奪われる哀れな人のモノである。

 そうして擬態した彼らは日光は脅威ではなくなり、人間のフリをしながら人間社会に紛れて狩りを行う。

 擬態によって夜しか歩けない存在でなくなった彼らを、人々は揶揄して「ナイトウォーカー」と呼称する。

 昔のような全面戦争はなくなったが、彼らの脅威はなくなったわけではない。そのため、各国は人間に擬態したナイトウォーカーを討伐するための軍事組織を持つ。

 


 日本国、吸血族討伐軍第一隊予備学科。

 いずれは本科に入り、対吸血族の軍人を育成する学校である。

 その予備学科の学長室で、予備学科の103期学生会長の浅海潔あさみきよしは学長と向き合っていた。


「編入生にナイトウォーカーが紛れ込んでいる、と」


 青年と呼ぶにはまだ早い少年、浅海は端正な眉目を崩さないまま、学長の密命を聞いている。


「そうだ。先週、編入性として迎えいれたのは5人。編入生が入学した日に奴らの気配を検知した。それ以降は擬態化が進行したためか、特定はできない」

「編入生の中から侵入者を見つけろと」

「早急に。犠牲者が出る前にな」


 学長は浅海に淡々と命じた。

 浅海は表情を崩さぬまま、一応の確認をする。


「ちなみに、編入生を集め一定期間隔離し尋問するというのは」

「ならん。予備学科に生徒として潜り込まれたなど、学生はもちろん世間に知られたらどうなるか、優秀な学生会長ならわかるだろう」

「浅慮な発言、失礼いたしました」


 形式上謝罪をしながらも心の中で舌打ちをする。


(はっ、ようはテメエの面子のために外に知られねえように処理したいってことだろ。だから本科の隊員を使わずに、学科生の俺を使うんだろうが。これで俺が失敗したら責任は全部俺、か。しかも成功しても俺の功績にもならねえ。ふざけてやがる)


 しかもその秘匿性からして浅海も大げさに動けない。頭の痛い任務であるが、浅海の立場と目的から、受けないというわけにはいかない。何より、あの忌々しい種族を駆除することに否やはない。


「浅海潔、その任、謹んで承ります」

「期待している。浅海家のものに恥じない働きをするように」


 瞬間、浅海の眉に力が入りそうになるが静かに頭を下げる。

 しかし次の学長の発言に浅海は息をのむ。


「だが、本科とともに討伐実績がある君でも一人ではきつかろう。そのため、浅海創あさみはじめを補助としてつけることを許す」

「……創を、ですか」

「彼も学生会に所属しているだろう。君とともに行動をしても不思議はない。何より浅海家のものでもある」

「……承りました」

「彼にはすでに話をしてある。すぐに合流し侵入者を特定するように。退室を許可する」


 浅海より先に創に話していたのか、と胃の中がカッとなる。けれどつとめて優秀な学生会長の姿のまま、「失礼しました」と告げて浅海は学長室を出た。

 扉がしっかりと閉じられたのを確認してから、浅海は秀麗な顔を歪めて吐き捨てた。


「……クタバレ老害」

 


「お、会長! 先週の本科が五六区で吸血族を見つけて駆除したっての、会長も一緒だったんだろ? すげえな!」

「はは、先輩がたが優秀なだけで、僕は何もしてないよ」

「えー、私は浅海くんがめっちゃ重要な情報つかんだのが決め手になったって聞いたよ?」

「そんな話が流れてるの? ふふ、もしかして別の噂を流して、本当の機密事項を隠そうとしてるのかもね」

「相変わらず謙虚なやつ。もっと偉そうにしたっていいってのに。さすが会長だなあ」


 学生棟の廊下を歩くだけで、浅海を見つけた学生たちはわらわらと寄ってくる。

 彼らが浅海に捧げるのは称賛。浅海は笑顔で嫌味にならない程度に答える。その様子を見て彼らはまたも「さすが浅海だ」と褒めたたえる。

 浅海は一見して穏やかで、端正な顔に人当たりのいい笑顔を浮かべている。


(こんな無駄な時間をしている暇があるなら訓練所にでもいけよゴミども。だからテメエらはゴミなんだよ。まあ『優秀で人望のある会長』にはお前らみたいなゴミ信者が必要だからそこだけは感謝しているよ無能ども)


 なんてことを笑顔の裏で毒づきながら。

 浅海は近くの女生徒に目をのぞき込んで首を傾げた。


「ところで、創がどこにいるか知ってる?」

「えっ、あっ、は、創くんなら……さっき食堂にいました」

「そっか、教えてくれてありがとう」


 にっこりと微笑めば名前も知らない女生徒は顔を赤らめる。ちょろいな、と食堂へ向かうことにする。


「浅海、なに、創に用でもあんの? あんな落ちこぼれ……」

「はは、そんな言い方はしないでくれないかな? 創は、僕の義弟なんだから」


 少し困ったように笑うと、発言した男子生徒は黙り込む。

 入学してから何度も繰り返してきた、飽きるほどのやり取りだ。

 浅海家は吸血族討伐隊の中でも名家である。

 数多くの優秀な隊員を輩出し、現在の当主は本科第一隊の総監督官でもある。名誉ある討伐隊を目指すもので浅海の名を知らない人間はいないだろう。

 とりわけ今の予備学科では、別のことでも有名だった。

 現在、浅海家は二人の子供を養子としている。

 一人は浅海の親族から引き取られた子供。

 もう一人はどことも知れないところから引き取られた子供。

 片方は人望も厚い優秀な子。もう片方は家名に泥をぬる落ちこぼれの子。

 それが周りの浅海潔と浅海創に対する認識だ。


「創。探したよ。連絡したのに見てなかったの?」


 食堂の隅で人気を避けるように食事をとる創を見つけ、浅海は横に座る。

 創は「面倒だから」といって髪もろくに手入れせず前髪が長く、さらに野暮ったい眼鏡をかけているせいでその顔はよく見えない。華やかな浅海とは対照的に、地味を通り越して陰気な風に見えるだろう。

 成績もぱっとせず、たまに授業も出ていないことで、周りからは浅海家の恩を仇で返す落ちこぼれとして扱われている。

 その創に対して、純粋に弟を心配するような兄としてふるまう。


「しかもまたカレー? そればっかじゃ栄養が偏るって言ってるじゃないか」

「これが好きだから」

「まったく。サラダくらいつけたらどう?」

「野菜はとっている」


 そういって創は野菜ジュースが入ったコップを掲げる。それで十分、と言いたいらしい。


「まさか朝食もカレーと野菜ジュースで済ませてるわけじゃないよね?」

「……」

「……寮の一人部屋にいれたのは間違いだったかな。しばらく、僕の部屋に泊まりにくること」

「え」

「栄養満点の朝食を作ってあげるから。決まりね」


 笑顔で言い切る浅海に創は渋々とうなずく。周りからは弟思いの兄が少し過保護にしているように見えるだろう。

 けれど創も今回の任務を知っているはずである。そのため二人きりで部屋で過ごしてもおかしくないような言い訳を作っただけだ。それは創もわかっているだろう。

 その時、テーブルに浅海兄弟以外の人影がかかった。


「あっ! 創くん、さっきはチサのことありがと」

「あ、あの……ありがとう、ございました」


 近づいてきたのは二人。快活そうな少女と、チサと呼ばれた気弱そうな少女だ。

 浅海は二人の少女を見て、にっこりと笑う。


「こんにちは。創の友達?」

「浅海会長っ! あ、私は二年の京極冬美っていいます。この子は京極千里、私の従妹なんです。編入してきたばっかりなんですよ」

「は、はじめまして」

「放課後食堂で待ち合わせしようと思ってたんですけど、チサ、まだ慣れてなくて。迷子になりそうなとこを、創くんが案内してくれたんです」

「授業で隣の席だったから、たまたまだ」


 京極冬美とその従妹である京極千里のことは浅海は知っていた。

 京極本家は大企業をいくつも持つ、討伐隊にとっては大事なスポンサーのひとつだ。その本家のお嬢様が冬美である。

 そして冬美の従妹であり、観察対象である編入生の千里。


「創くん、それカレーだよねっ。おいしそー! でも食堂のカレーにこんなのあった?」

「これは食堂の裏メニュー。創はカレーばっかり食べるからね、わざわざ創用に裏メニューとして食堂が作ってくれたんだよ」

「えーすごい! そんなのあるんだ! 私もカレー好きなんだよね、食べていい?」

「あ」


 浅海も創も止める間もなく、テーブルに用意されていたスプーンをとると、冬美は創のカレーを一口すくった。


「おいひっ……ひいぃぃっ! か、からっ!! 辛ぁあああっ」

「ふ、ふゆちゃん!?」

「水……飲んだほうがいいよ、創のカレー、激辛中の激辛だから……」


 そもそも裏メニューになったのは、毎日のように辛子の瓶が空になくなるほどカレーを辛くする創に見かねたのがきっかけだ。普通の人であれば、この辛さはただの激痛に等しい。

 涙目になったまま、水でさえも刺激になるのかつらそうな冬美は千里に連れられて消えていった。

 


「それで、彼女と仲良くなったのはわざと?」

「別に。本当にたまたま隣の席だっただけだ」

「ふんっ、どうだか」


 夜、宣言通りに浅海は自室に創を呼んだ。

 手元には編入生たちの資料。そこには先ほど、影が薄かった京極千里の資料もある。


「元々は一般高校に在籍、従妹のすすめで編入、と。実技試験は低いけど、筆記試験は高い。研究系のほうを目指してるみたいだね」

「年が近いせいか従妹同士親しくしてるらしい。編入前の長期休みにも、京極冬美と本家で過ごしていたようだ」

「親しい、ね。本家のお嬢様がここでも便利な召使を欲しがったってだけだろ。もし京極から擬態者が出たなんてなったら、大事件だろうね」


 その場合のことを考えると浅海は頭が痛くなる。


「他の編入生たちの様子は?」

「一通り接触はしたがおかしな様子はない。在校生ともまだ距離がある。編入生は珍しいから、遠巻きに観察されてる感じだ。逆に言えば変なことをしたらすぐに誰か気づくだろう」

「まだ親しい人間付き合いがないから、君みたいなはぐれ者が声をかけやすい、っていうわけだ」

「違いない」


 浅海の皮肉を涼しく返す創に顔をしかめる。

 浅海がこの話を聞いたのは今日だ。それなのに創はすでに編入生と何かしら接触を持っている。もちろん学生会長として浅海も編入生を迎えいれるときに人となりを見ようと思っていたが、本科の討伐に加わったためできなかった。だが、創がここまで積極的に――周りには気づかれない程度に――動いているということは、創はいつこの話を知ったのか。

 創の役割を考えれば、それはおかしいことではない。むしろ学長よりも先に浅海家のほうから話があったかもしれない。

 だからこそ、浅海の胸の中の、ドロリとした汚い感情が波打つ。

 浅海家の養子の兄弟。片方は優秀で、もう片方は落ちこぼれ。

 どれだけ周りがそう思っていても、真実を知る浅海は。創に対して苛立ち、妬み、劣等感を感じざるを得ない。

 それは昔から浅海が持っているもので、ぐらぐらとマグマのように身体の中で煮立っている。必死にそれが外に出ないように浅海が律しているだけだ。

 優秀な会長。義弟に優しい義兄。浅海家に恥じない子供。

 全て、浅海がそうあるように演じて、ふるまっているだけ。


「……まあ、資料を見ているだけじゃわからないね」

「どうするつもりだ? 大げさに動けないだろう」

「そうだね、僕がわざわざ編入生のところへ行ったりしたら、それだけで目立つ。だけど、学生会長が、きたばかりの編入生を気遣って面談を行う、としたらおかしくはないだろう?」


 浅海はにっこりと、完璧な笑みを浮かべる。


「と、いうわけで。お茶会を開こうか」

 


 名目は、単純にいまだ馴染んでいない編入生を気遣い、会長と編入生の二人だけの懇親会。困っていることをヒアリングしたり、アドバイスをする。親切な会長がしそうなこと。

 場所は人払いをした学生会長室。

 編入生たちの入学理由はそれぞれ違う。諸々の都合で正規の入学に間に合わなかったもの。実力を本科にスカウトされたもの。身内を吸血族に襲われ、復讐心から討伐隊に目指すもの。

 それを考えると、目の前で縮こまっている京極千里は珍しいといえるだろう。本家のお嬢様の召使になるために入学を命じられたのだから。


「京極さん、気を楽にしてくれていいからね。といっても、ほとんど初対面の僕とじゃ難しいかな?」

「あ、いえ、そんなことは……ただ、わ、私、話すのが、あんまり得意ではなくって……その、会長に失礼を働かないかと……」

「ふふ、それならこのお茶会を練習とでも思ってくれたらいいよ。どんな失礼も失敗も大歓迎。ね、創」

「そうだな。会長なんてじゃがいもくらいに思えばいい。紅茶を用意したが、大丈夫か?」

「は、はいっ。あっ、今のは、紅茶にで、その、会長をじゃがいもにっていう、のではなくってっ」

「大丈夫、わかってるよ。創のいれてくれる紅茶はすごくおいしいんだ。僕がやるとうまくいかなくてね。だから創は横の給湯室に控えてもらってるんだけど、いいかな?」

「は、はいっ。あの、いただきます」


 差し出された紅茶を両手にもって、おそるおそる口に含んだ千里は「あ、おいしい」と緊張していた顔をほんの少し緩ませた。

 浅海も同様に出されたお茶を飲む。

 それからしばらくは他愛もない会話をした。創は隣の給湯室にいる。最初はぎこちなかった千里も緊張が抜けてきたのか、よく答えるようになってきた。

 けれど、入学の理由の話になると、途端に顔を曇らせる。


「その、在校生のみなさんは、強くて、使命感があって、すごいです。けど、だからこそ、私はほんとにここにいていいのかなって……」

「どういうことかな?」

「私は……誘われてここにきただけだし。みなさんみたいに、吸血族と向かい合って、戦う覚悟なんて、できそうにないです。だから、場違いなんじゃないかなって」


 そういってしゅんとする千里は本心から言っているようであった。


(あえて弱気な姿を見せることで、自分が擬態ではないとのアピールか。研究系を目指しているのも、こちらの手を読もうとする作戦か。といっても、編入は彼女自身の意思ではないし、戦闘向きの実力がないのも事実。編入が決まってから擬態となったとしたら、そこで判別することは難しい、か)


「前線で戦うことばかりが討伐隊の仕事じゃないよ。僕は本科の先輩がたとも交流があるけど、戦いが苦手で、支援に徹するっていう方もいらっしゃる。なんだって適材適所、というものがあるんだと思うよ」

「そう、なんでしょうか……」

「まあ、前線希望の学生が予備学科には多いからね。ちょっと困ることもあるかもしれない。だけど、戦闘職だけじゃ組織なんて成り立たない。君みたいな心優しい人も、絶対に必要なんだ」


 柔らかな微笑みを浮かべながら諭すと、千里は少しほっとしたような顔をする。


「ああ、もう紅茶がなくなるね。創、おかわりをもらえるかい?」

「ハイハイ、会長のお言葉のままに」


 呼べばすぐに現れた創は二杯目の紅茶をいれる。

 千里はそれを手に取って飲むと、眉根を寄せた。


「あ、あの……この、紅茶……」

「ん? どうかしたかい?」


 浅海も自分の紅茶を飲んで、何事もないように首をかしげると千里は戸惑った様子を見せる。

 と、その時、部屋の扉がたたかれた。


「すみません、京極冬美ですっ。チサのお迎えにきましたあ」

「ああ、もうそんな時間か……。京極さん、もし何かあったらいつでも相談してね」

「は、はい」


 創を呼んで冬美の入室を許可すると、明るい声で冬美がはいってきた。


「あのー、大丈夫でしたか? 私もうすこし待ってたほうがいいですか?」

「いいや、そんなことはないよ。ああ、せっかくだから紅茶を飲んでくかい?」

「わあ! いいんですか? 会長と一緒にお茶なんて、友達に自慢できちゃうっ」

「そんな大層なものじゃないよ。せっかくだから新しいお茶をいれなおそうか。創、よろしく」


 新しいポットで、冬美用のカップも準備した創は三人分の紅茶をいれる。

 千里はおそるおそる新しい紅茶を飲むと、少し安堵したような顔を浮かべる。それを見届けて浅海も自分のを飲み、冬美も紅茶を飲んだ。


「おいしいー! すごい、これ創くんがいれたの?」

「ああ」

「すごいよ、お店にだせるんじゃない? ね、チサっ」

「え、あ、うん、ほんとにおいしい」


 冬美の様子をうかがうようにしている千里を観察しつつ、当たり障りない話をはじめる。


「二人は本当に仲がいいね」

「えへへ、そう見えますか?」

「あの、私、どんくさいから……冬美ちゃんがいつも助けてくれて。方向音痴だから、今日も冬美ちゃんが迎えにきてくれて。ここに編入した時も、道に迷っちゃって冬美ちゃんにきてもらったりして……」

「ふふ、チサはほんとに迷子になりやすいからねー。子供のころもさ、うちでお泊りしたら、トイレ行っただけなのに戻れなくなったりしてさ」

「も、もう、恥ずかしいよ、冬美ちゃん」

「はは。まるで姉妹みたいだね。僕も創とそれくらい仲良くなりたいんだけど、弟っていうのは可愛げが足りなくて困るよ」

「俺が迷子になって、助けて兄さんって呼んだら嬉しいのか?」

「あ、いいねそれ。ちょっとやってみてよ」


 茶化しつつもわりと本気でいうと創は嫌そうに眉根を寄せる。京極の二人はそれを見ておかしそうにくすくすと笑った。


「ああそうだ。もし時間があるならケーキもどう? 創、持ってきてよ。それとおかわり」

「会長様のお好きなように。京極さ……ええっと、千里さん、皿とか持ってくるの手伝ってもらってもいいか?」

「う、うん」


 隣の給湯室に千里を案内すると、少しして紅茶のポットを持った創が先に戻ってくる。


「冷めないうちに、おかわりを」

「ありがとう、創くん」


 浅海も新しく注がれた紅茶を含むと、冬美も自分のお茶を飲んでにっこり笑った。


「やっぱりおいしいですね、創くんのお茶」

「そうかな? 僕はこんなもの、飲めたものじゃないと思うけど」

「え?」


 浅海が表情の微笑みに合わない言葉を告げると、冬美は動きを止めた。


「さっきのお茶は普通だったけど、今いれたお茶は海水と同じくらいの塩分濃度だよ? それを飲んでよく平気な顔でいられるね、京極冬美さん」


あーあ、しょっぱいの我慢するの大変だった。なんてわざとらしく言うと、段々と冬美は顔をこわばらせていく。


「な、何言って……」

「吸血族は人間の皮をかぶって擬態する。詳細は解明できてないけど、皮の遺伝情報からある程度、持ち主の人間の記憶も読み取れる。それが成り代わりを可能とさせる。見た目や話をしただけじゃ家族でも簡単に擬態かはわからない。だけど、ただ皮をかぶって外見を誤魔化すだけだからこそ、致命的な欠点がある」


 微笑を浮かべたまま浅海は続ける。


「それは味覚だ」


 これは極秘情報だから、世間にも知られてないし、本科の一部しか知らないことだけど、と付け加えながら。


「人間の舌には味蕾というものがあり、それで甘味、塩味、酸味、苦味を感じる。吸血族は人間の食事をとれるけれど、舌の発達構造は人間とは違う。人間と同じ味覚は持たない。まあ、味覚障害みたいな状態だ。だから擬態した吸血族は、だいたいが周りの人間が飲食した様子を見て、さも同じように感じている演技をする。それがおいしいのか、まずいのか、自分たちには判断できないから」


 先ほど、千里は浅海より先に紅茶に手を伸ばし、二杯目の塩分濃度が高い紅茶に気づいて眉をしかめた。これは正常な人間の反応だ。

 対して、冬美は絶対に自分から先に手をつけることはなかった。


「ただ、吸血族が毒に反応できるように、刺激物はきちんと感じられる。これは味覚障害の人間も同じでね、唯一『辛味』だけはわかるんだ。あれはただの痛みの刺激だからね。食堂で創のカレーを食べたのも、擬態と気づかれないために、食事に頓着していないっていうアピールのためだったんだろう? まあ、あの辛さは相当だから、本気で驚いただろうけど。まあ、何を言いたいかというと」


 可愛らしい顔をゆがめていく『京極冬美』を見ながら、浅海はカップをテーブルに置く。


「お前が侵入者だ、ナイトウォーカー」

「この小童があぁぁァァァァァ」


 およそ少女に似つかわしくない低い声で激高した『京極冬美』は立ち上がろうとする。が、それは叶わなかった。

 座っていた椅子から分厚い拘束ベルトが飛び出て、『京極冬美』の手足と腰を縛り付けている。


「な、んだコレは」

「その椅子はボタン一つで座った人間を即拘束できる特別性。しかも吸血族の力でも破れない耐久性。お前は拘束したまま学長に引き渡す。京極家に擬態したやつをただ始末しておしまい、じゃ政治的にちょっとね。まあ、お前自身はどうなるかな? 研究材料にでもなっちゃうかな? ふふ、人間に親しいフリをしてお茶会なんかに参加した間抜けな自分を恨むんだね」

「貴様のようなガキがっ、この私にっ」

「ああーもう、うるさいなあ。創、その口もふさいじゃって」


 すっと創が口用の拘束ベルトを持って『京極冬美』に近づくと、『京極冬美』は視認が難しいほどの速さで近寄った創の手首に牙を立てた。

 ほんの一噛み。力のある吸血族なら数秒で人間を死に至らしめることができる、人類の脅威。


「はっ、そんな簡単に近づくなど、阿呆のする、こ、と……」


 けれど噛まれた創のほうはその顔を一つも崩さない。

 むしろ『京極冬美』のほうがその顔を驚愕に染めていく。


「お、まえ……同じ吸血族だな! 擬態かァッ!」

「お前と同じにされたくないが、そうだな。俺は擬態した吸血族だ」


 淡々と創が応じると、『京極冬美』は茫然としている。


「誇り高き我が同族が、なぜ、人間に、家畜とともに」

「誇り、か。浅ましく自分の国から出て、『狩猟』なんて遊びをやってるお前らが言える言葉かよ」


 創は馬鹿にしたように笑い、もう片方の手で『京極冬美』の首に太い注射針を突き刺した。注射の中身は普通の毒は効かない吸血族の意識を奪う劇薬だ。

 拘束具に囚われている侵入者はなすすべもなく、がくりと頭を垂れて失神する。

 浅海が学長直下の部下に連絡すと、即座に黒服を着た男たちが学長室と繋がっている隠し通路から入ってきた。


「給湯室に京極千里を眠らせている。こいつの正体は聞いていない。その後のフォローを頼みたい」

「わかった。浅海創、浅海潔。二人とも任務ご苦労だった。学長も喜ばれるだろう」


 彼らは気絶した侵入者と、恐らく何も知らない、眠った千里を引き取り、隠し通路に戻っていく。

 残されたのは浅海と創。そしてまずい紅茶だけ。

 編入生たちの中に吸血族の気配を検知した、というのは迷子の千里を迎えに行った冬美からだったのだろう。編入前の休暇中、京極冬美は自分の家に帰っていた。おそらく、本物の冬美はそこで犠牲にあった。


「このクッソまずい茶、残さず捨てろよ。あいつらの味覚を利用して罠にするやり方は秘匿されてるんだからな」


 浅海は皮肉げに口角を上げる。


「お前とってはクソまずい紅茶も白湯と変わらないんだろけどな」


 片方は浅海の親族から引き取られた子供。

 片方はどこからか引き取られてきた子供。

 優秀な子と落ちこぼれの子。

 誰もが兄である浅海潔を親族から引き取られた優秀な子であり、創を孤児の落ちこぼれだと思っている。

 けれど、逆だ。

 浅海家の親族の子供の皮をかぶって『擬態』しているのが創。

 孤児として引き取られたのが浅海潔だ。

 浅海家当主、つまり義理の親が擬態した創とどんな取引をしたのかは、浅海は知らない。けれど創は浅海家に尽くし、擬態しながら吸血族としての知識と能力を発揮し、裏で吸血族討伐に力を貸している。

 これは予備学科では学長、本科でも一部の人間しか知らない。真実を知る上層部は人間に協力する吸血族の創を重用している。

 ただの孤児で、なんの血縁関係もない浅海よりも、創のほうが彼らにとっては重要だ。

 それが酷く、酷く、酷く、浅海には許せない。


「僕は、僕の家族を奪った吸血族を、根絶する。それはお前もだ」


 憎しみを込めて、浅海は義弟を睨みつける。


「お前は、僕の手で殺す」


 幾度も、憎悪と、妬みと、劣等感を混ぜて告げてきた言葉。

 創はそれに、ひどく、優しく笑った。


「その日を待ってるよ。兄さん」


 そういって新しい紅茶を創は差し出す。

 それを口にした浅海は悔し気に顔を歪めた。

 その紅茶は、どこまでも浅海好みの味だったから。

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