夜話
夜半、ジリジリと耳奥を擦るような虫の声にまぎれ寝息が四つ。ひとつは満腹ののち呑気に、ひとつは高らかに喉を鳴らし、ひとつは狸寝入りを決め込んでいる。
アヅマはひとり刀を肩に立てかけ壁を背に座る形で目を閉じている。
彼の分の寝具も用意されていたが、厚手の竹ラグと柔らかくした竹布団では使う気になれなかった。山間は夜風も冷たく竹の寝具も暖を取るには不向きだ。それならば、ほんの少しの寝心地を引き換えに、備えておきたい。
「……アヅマ、起きてるかい?」
プティーの囁くような問いかけに、アヅマは目を閉じたまま応じる。
「いま起きた。寝ておけ。明日も早い――はずだ」
「はずって」
苦笑しつつ手枕になり、ビスキーとメリアの様子を窺う。
「ふたりはもう寝てるかねえ?」
ビスキーの鼾が夢見に悪く作用しているのか、メリアは激しく歯ぎしりしている。
「……これで起きているなら見抜けなかった俺の負けだろう。要件は?」
「勝ち負けなんかね? まあいいけど。――ちょいと風呂じゃ聞きにくい話があってね」
「なんだ? 浅くでも寝ておきたい。手短に頼み」
言いつつ、アヅマ自身、この機に尋ねておくべきか迷っていた。
「もし竹の花とかいうのが咲いて、竹が枯れたとしたら、私らはどうなっちまうのかと思ってね」
煩わしい音はすべて消え、プティーの声だけがはっきりと聞こえた。
考えたこともない、と言うと嘘になるだろう。
だが私たちはと問われると答えに詰まる。
「分からん。――が、
「じゃあ廃業するとして、その先はどうするね」
答えを知っていたような質問だった。
竹に覆われた世界に生きてきた。理不尽と思ったことは無数にある。捨念とは即ち諦めなのではないかと問い直したこともある。答えはない。
そうなったことがないのだから、どうなるか分からない。
「どうしたいのかよりも、どうなるかが気になる」
「じゃあ、どうなると思う?」
竹がなくなる。いまある世界は滅びる。
オークスによる治世は緩やかに崩れていくのか。一瞬で潰えてしまうのか。
竹と向き合うために生み出された剣を継ぐ俺の役割も終わる。
――そうだろうか。
プティーが闇に呑まれた天井を見つめて言う。
「私は、その方が世の中よくなるんじゃないかと思ったりする。あのフォルナックの手下どもを見たろ? あんな奴ら、この世に必要かね?」
「要不要を俺たちが決めるのか?」
「じゃあフォルナックに限ったらどうさね。あんな奴いなくなっちまったほうが世のため人のためって奴じゃないかね?」
「竹が花開くのを待てば、そうなると思うのか?」
「見たろ? あいつはデビル・バンブーを使って私らの
列島のオークスたちの、事実上の王――フォルナックは死ぬ。そうかもしれない。
しかし、死んだからといって、どうなるというのか。
すぐに次の王が現れる。たとえばそう――ジャック・王のような野心家が。混乱が起きる。見ようによっては虐げられてきたバンブーズが尊厳を取り戻す絶好の機となるが。
「プティーの言う、同胞も大勢死ぬぞ」
「必要な犠牲ってのもあるんじゃないかね」
活人剣の本懐か、とアヅマは顎をあげた。暗闇と淡い緑光を介し向き合う。
守るために剣を振る。
「……いつ刀を手に取るかだな」
「その心は」
「この刀は竹切り庖丁。人は斬らない」
アヅマは肩に立て掛けた刀の鞘を撫でた。理念の奥に光明が見えた気がした。
「竹を枯らせばオークスとバンブーズで争いになる。そのとき俺は、人を守るために剣を振るう。そのとき斬るのは竹ではない。人だ。そうするくらいなら俺は刀を折る」
「臆病者」
冷え冷えとした語気。だが、すぐに和らいだ。
「――って言ったら怒るかい?」
思わず、自らを嘲るような笑みが溢れた。
「プティーの言う通りだ。怒れない。俺は人を斬ることをまず恐れた」
父を失ったとき、母を奪われたとき、刀を手にすることも出来た。すべて斬り捨てて溜飲を下げる手もあっただろう。それをなす腕もあった。自信があった。けれど、
「斬って終わりにしようというのも情けなく思えた」
「アヅマは耐え忍ぶのを美徳と思ってそうだね」
穿つ言葉。アヅマは穏やかに首肯する。
「
数え切れない命を犠牲に、数え切れない命を救う。
どちらが得かと比べるのは性に合わない。
「プティー。ありがとう」
「……なんだい、突然」
「礼だけは言っておきたかった。迷いは増えたが、迷えたからこそ、本性が見えた」
「ちょいと。何をひとりで悟ってんのさ。そういうのやめてくんないかね」
プティーはムッとしながら言い、手枕をして仰向けに寝転び直した。
「なんか、ちょいと寂しくなる」
「……寂しく?」
「いや、悲しく、かな? 自分のことなのに分かんないもんだね」
「俺も同じだ。誰が言ったか、彼を知り己を知れば百戦、危うからずと――」
「ソンシだよ。
アヅマは口元を緩め顔を伏せた。
「――つまり、殆どの人間は彼のことも己のこともよく分からんということだ」
プティーが吹き出すように笑った。
「私の知ってるのとは意味が違うらしいねえ。――けど、アヅマならどっちも分かってそうなもんだと思ってたよ」
「教えてくれ。プティーはどうしたい」
「私かい? 私は――そうだねえ」
細く、長く息をつき、微笑みながら瞼を落とした。
「もうちょい洒落た
「……そうか。考えておく」
アヅマは至極マジメに返し、少し寝ようと姿勢を正した。
「おやすみ。プティー」
気づけば寝息も鼾も静まっていた。実は聞かれていたかと少し思う。途端にビスキーが打った派手な寝返りにそれはないかと微苦笑する。ではメリアはどうか。起きていたかもしれない。聞いていたかもしれない。そこまで考え、また笑う。
だからどうだというのか。
メリアには――いや、ビスキーであっても、アヅマとプティーは止められない。どちらか片方が相手でも不可能だろう。選びさえすれば、意志を貫くのは赤子の手を捻るよりも容易い。尤も、あどけない赤子の手を捻るなど俺には到底――
アヅマの思考は取り留めも失く広がりはじめ、やがて夜闇に溶けていった。
バンブーパンク λμ @ramdomyu
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