八話 功前にして計を巡らす
その晩、阿羅々木は自らの邸宅に関馮・劉翊を呼び、眉根にしわを寄せつつ話を切り出すには、
「つまり李左大臣の仰せには、我が手腕では事を為せぬと」
それに劉翊、大声で李鮮を罵るよう、
「李仲然は我が君の示された三策を気に入った故、それを己の手柄にしてしまいたいのじゃ。かならずそうに違いはあるまい」
関馮は劉翊を諫めつつも言うには、
「劉翊の見立てには、それがしも全く同感いたす。主君の官職は参議、あの馬襄とか申すものは祭事次官。官位四品にして地位は同じなれど、専ら一つの事務に打ち込む省の官人よりも、国全体を臨みて執政を致す都政官の参議の方が適役である事、火を見るより明らかにござります」
両人の言い分を一聴した阿羅々木、溜息をひとつ吐きこう洩らす。
「それ以上申すな、左大臣が左様な人柄なのは承知しておる、しかるに仮にでも我が恩人じゃ。もし三公大臣方の推薦なければ、私はいまだ廓の中であろうて」
「然りとて我が君が朝に仕え給う以前より胸の内に秘めておられた妙策、みすみす赤の他人に渡す事などできましょうや。ここは如何にかして、李左大臣を説得なさるが宜しゅうござりましょう」
阿羅々木は暫時考えを巡らせたのち、関・劉に問うことは次のように、
「つい今さっき思起したのだが、その左大臣たる人は、ことに色を好む方であると以前子凱から聞いたことがある」
関馮大いにうち頷き、劉翊も
「まったく左様でござりまする。あの者の側室の数と言えば四十を超えるとの噂、それがしも昔小耳に挟んでおります故に」
阿羅々木はそれを聞くと二人の顔を交互に見、笑いを含んだ顔で言うよう、
「されば私に些かの心当たりがある。明日の朝、両人とも再び我が邸宅へ参るがよかろう」
翌日、二人が馬を率いて阿羅々木をの屋敷を訪ねると、姿かたち堂々たる一頭の黒馬、丹塗りの
馮翊の驚き呆れるよう甚だしく、思わずも口から漏れる言葉に、
「何となさる気じゃ。我が君は今から鈞天楼にでも赴くおつもりか」
「いいや、仙界の名士かもわからぬぞ」
それを聞いた阿羅々木、からからと大笑して二人に向き直ると言う。
「子凱も敬長もわからぬか。李左大臣をなだめるに天子の尺も仙人の言葉も、左様な程にやんごとなき物など何も要らぬ」
二人の首の傾げるのをよそに、勿体ぶって輅に乗る阿羅々木、御者に命じてようよう戯楽亭へと馬を走らせた。
かくして戯楽亭に降りたつと、阿羅々木は服の乱れを整え、威儀をただして門前に進み出る。眼光鋭くして勢威は昂然、その風貌はまさしく帝に仕える官吏の一であった。
関馮が廓の中に朗々と呼ばわるよう、
「急ぎ門を開けよ。都政官参議、結城阿羅々木様のお出ましであるぞ」
程なくして門が開き、侍女が一人姿を現すと、阿羅々木はそれを見下ろして大仰に宣う、
「私は参議の結城と申す者。この廓に些かの縁ありて、今日再び訪れたのだが、政を執る上で一つ頼みたき事がある。故に花魁の者らに会わせよ」
侍女はこの官人の格好をした女の顔とその姓に何か既視感を覚えつつも、その圧倒たる勢いに押されて、渋々中へと通せば、その後ろを関馮、剣を履いた劉翊も後へ続く。
入り組んだ遊郭の最奥、華の間と呼ぶ部屋に、絢爛に着飾った十ほどの遊女たちが戯れていた。
襖が開き、阿羅々木らが姿を表せば皆みな奇異の目でその方を向く。うちの一人、阿羅々木を突如起想し、そなたはもしやと言いかければ、劉翊いきり立ち、剣を抜きかけ罵るよう、
「参議たるお方に向かってそなたとは、貴様どういう口をきくものだ」
女ども、一斉にふるいおそれれば、阿羅々木は劉翊を制してから静かに語りかける。
「安心せよ。我々、汝らを斬りに来た訳ではない。此度は縁談話を一つ携えて参ったのだ」
すると座中の一人、怪訝な色をしてそれは何処のどなたでしょうと問えば、関馮答えるには、
「左大臣の李鮮様のもとぞ」
遊女らはその姓名を聴けば一斉にどよめいて、ひそひそと何か言葉を交わす。
「左大臣の愛妾じゃ、何も悪き話ではなかろうて。あの方は汝らの如き艶色の美女が好みゆえ、娶ったのちはさぞや大切にしてくれようぞ。私のような醜女では目を合わせただけで眉を潜められたがのう」
阿羅々木は笑いながらそういって遊女らを詳しく見ると、一人、肌は雪のように白く、唇は燃える紅、瞳の玲瓏たること翠玉のよう、眉目秀麗にして姿かたち群を逸し優れる者がある。その白藍の着物を着た女の前に跪き、その手をとって問いかけるよう、
「そなた、名を何と申す」
「
「この話、そなたは如何に思う」
朧は参議がそうなさりたいのならお計らいの通りに致しますと小さく言う。阿羅々木は満足げにうちうなづき、朧を自分の乗っていた輅に乗せて、自らは黒馬の上に騎乗すると、その日は早々に屋敷へ帰っていってしまった。
数日の後のことである。日も傾き始めた頃、李鮮は一通りの政務を終え帰途につくと、屋敷の門前に女の人影を認めた。従者はすぐさま叱り付けそれを追い払わせたが、輅の中から事の仔細をを見ていた李鮮、その横を通り過ぎた時に、その人の姿かたち、優艶端麗たる美貌を一目見、はっとして呼び戻そうとするも、女は小走りで過ぎ去ってしまい、もはや声の届く所にいない。すると李鮮は急ぎ輅から降りて、無我夢中でその背中を追いかける。
女は李鮮が己にようよう追いつくのを見受けると、突然ぱったりと地面に倒れ込んだ。李鮮がそれを慌て抱き留め、腕中のその人を見れば、白い
「そなた、名をなんと申す」
すると女は答えて、
「
「ああ許すとも、何でも許す。さすれば何故我が邸宅へ参った」
「畏れ多くも、李鮮様に一つお願いがあって今日は参りました」
李鮮は朧を抱えたまま申せと言えば、白い手で鮮の胸元に触れ、上目遣いに顔を見ながら語りだす。その話に、
「その実、わたくしは戯楽亭と申す遊郭の女郎にござりまして、かの結城参議と古きより親しい友として交わっておりました。先日もあの者の邸宅にて、酒を酌み交わし語ろうたのでござりまするが、話のなかに参議が漏らすには、『私が兼ねてより構想していた政の策が幾つかある。自ら指揮を執ってそれを推し進めたいと思うのだが、李左大臣という方がそれを許してくれぬ。これまで非才の身ながら朝廷の恩に報いんと奔走して参ったというに、あの方は私の事をお疑いなのだろうか』と。わたくしは以前よりあの人の卓越した才能を知っておりますので、左大臣の御心を確かめたく、礼を欠くことは承知の上で直々にお願いに参った次第にござりまする」
李鮮がそれをうち頷きつつ聴いていると、ふいに前の方から鋭い女の声が飛ぶ。
「朧よ、そなたここで何をしておるのだ」
李鮮がはたと声の方を見やれば、これぞ阿羅々木であった。阿羅々木は道の真中で抱き合う両人に急ぎ駆け寄り、朧を叱りつけて曰く、
「左大臣ともあらせられるお方を跪かせて、罪にならぬと思うてか。見よ、着物の裾が土で汚れてしまっておられるではないか」
朧は慌てふためいて立ち上がり、地に伏し頓首を以って詫びようとすれば、李鮮それを制し
「良いのじゃ。そなたの衣まで汚れてしまうであろう」
そして阿羅々木に向き直りお前は何故来たと問うと、答えには、
「この近くで些かの用有りて、やっと帰路に着くところでござりましたが、偶然にも李左大臣をお見かけいたした故、声をかけました次第」
「実は今この朧と申す女からそなたの話を聴いた所なのじゃ。ちょうど当人も参ったゆえ、二人とも我が屋敷へ入るが良い」
かくして李家の邸内へ案内されると、陳遼が奥の部屋で書物の整理をして主君の帰りを待ち侘びていたが、李鮮が
「して左大臣、朧が私の話を口にしたと言うのはこれ如何なることでござりまするか」
阿羅々木はまんざらでもなさそうな李鮮を一瞥しつつ、盃を口に運んで問う。
「そなたの三策の件じゃ。はじめに申すが、わしはそなたを疑ったことなどただの一度もない。ただ案ずるのは若年ゆえぞ」
すると阿羅々木は驚きあきれたようにはたと立ち上がり、罵るようにして朧に説きつける。
「貴様、我がくだらぬ小言を気にかけてくれるは良いが、何の官爵も持たぬ平民が政に介入するのは真に悪しき事。余計なことをして李左大臣を惑わさんと企んでいるのかもわからぬが、もうそれ以上は何も申すな。重き罰が下るであろうぞ」
すると朧が声に応じるに、
「わたしの胸中に決して邪な考えなどはのうて。ただ娼婦という卑しい身ながら、竹馬の友たるそなたの手助けが少しでもできればと思うてのこと。たとい我が身が滅ぼされようとも、阿羅々木、そなたの大望が叶えばわたしはそれで満足ぞ」
そう言って李鮮の膝に伏してさめざめと涙に咽ぶこと一時、李鮮はすっかり困り果てて、阿羅々木に告げるには
「阿羅々木よ。お前、何も朧をそこまで責め立てずとも良かろう。この女の此度の一件はそなたのためを
すると朧はさらに李鮮に言う、
「李鮮さま、わたくし、この親友たる阿羅々木が大事を成す日が来るのなら、それだけで満足ですゆえ、その後はこの身を殺されようとも煮て食われようとも結構でございます。この婢女の今生の願いとてお聞き入れくださりませ」
そうして李鮮の側に擦り寄り、その盃に酒を注ぎ入れ、絶えず目元に媚をたたえて気を引くものだから、この男はすっかりそれに魅せられてしまってついにこう言い放った。
「そこまで懇願されては仕方が無い故、此度の大役については、阿羅々木に軍扇を授けようぞ。後日上奏文を記すゆえ、天子から詔を賜った時分には速やかに取り掛かれ」
阿羅々木は深々と礼を言う。朧も甘い声で李鮮の裁量を褒め称えると、鮮は得意げにその女を抱き寄せて酒を勧める。両者微笑み合うこと多々、李鮮はすっかりその色香に迷い、今さっき軍扇を授けると約した者のことなど目もくれず、朧の白く美しい手を取ったり首筋に触れたりしている。
阿羅々木はその光景に些か顔を顰めつつもさらに問う、
「さすれば此度の件について、李鮮様の配下に控えられる、馬襄どのと陳遼どのを些かお借りしてもよろしゅうござるか」
李鮮は何でもよい、あれは好きなだけこき使ってくれと適当に言い流し、また朧の方に戯れ嬌笑する。それを聞いた阿羅々木はこの男の女好きに心底呆れ返り、
「しからば私はこれにて失敬いたしまする、後はお二方とも存分にお愉しみになられよ」
と一つ嫌味を残して、さっさと邸宅に引き返して行ってしまった。
夜半、結城の屋敷にいた関馮・劉翊は二人で阿羅々木を出迎えたが、そのぞんがいに不機嫌な様子を怪しんで問う。
「主君の巡らされた美人計、もしや上手く行きませなんだか」
すると阿羅々木その方を顧みることなく、
「否、大成功じゃ。まさか私もあれほどまでに上手くいくとは思わなんだ」
劉翊、しからば何故喜ばれませぬかと言いかければ、勃然として大声で怒鳴り立てるよう、
「もう何も申すな。汝らに我が心中などがどうして解りえようか、早く宅に帰って床に就くが良い」
二人があきれ閉口するのをよそに、阿羅々木は足早に部屋へ向かい、着物を脱いで寝床へ篭ってしまった。
蒼鷹記 敦煌 @tonkoooooou
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。蒼鷹記の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
記録帳/敦煌
★0 エッセイ・ノンフィクション 連載中 2話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます