二章 賢才開花
七話 都政官に入る
阿羅々木が呆気にとられていると、関馮がその男を口早に罵るには、
「まったく
敬長と呼ばれたこの男は大声でからからと打ち笑うと、
「この女子が客人なのかね、それは失敬したが、おまえとおれの仲故、それくらい許せ」
そう言って阿羅々木に向き直り、
「もしやそなたが例の女文官か。朝廷ではこのところ噂になっておったぞ、李鮮様が今度は変な女を官吏になさったと」
苦笑する阿羅々木にその男は続けて曰く、
「嗚呼、それがし、
阿羅々木、手を組み軽く頭を下げ、揖礼をしたのちに答えて曰く
「如何にも。私は名を阿羅々木と申し、今日より従書令の職を拝すものにて、以後お見知り置きを」
関馮、劉翊はともに齢二十九、同郷の生まれで、馮は商人、翊は郡の衛兵の子、古くより同じ学舎で学問を修め、共に野山を駆け廻る竹馬の友であった。同年に都へ上り、官挙を受けたのち馮は文官として都政官の従書令に、翊は武官として禁中衛府の北門将曹に封ぜられた。
こう両人の関係を聞いた阿羅々木は大いにうち頷いて、
「まったく子凱どの、敬長どのの間柄、羨ましい限りにござる。私などは若き日より廓に閉じ籠り、左様な程に親しい友を持たぬ故」
先ほどより阿羅々木という女の人となりに触れていた関馮は、この気性なら、もし廓に居らなんでもそれは仕方あるまいとて軽く苦笑をしたがこう言ってみせた。
「阿羅々木どののように聡明な方なれば、学友の一人や二人いてもおかしくはありますまい」
すると劉翊も大いに同調して
「まったくだ。そなたもこの度より官吏と相成ったのでれば様々な人と関わる事も多くなる故、気の合う友の一人などすぐにできる。万一に高官の面々に気に入られた時分には、大出世とて容易かろう」
阿羅々木はそれを聞いてからからとうち笑う。
「それもまた無きにしも非ず、ですなあ」
そなたと今日ここで出会ったのも天の宿命、我ら二人ももはや良き友であろうなどと上きげんに宣う劉翊に対して、関馮はその阿羅々木の笑みの裏に漠然と野望の影を見出していた。その本心を確かめんとして言うには、
「左様じゃ、張宰相を筆頭とする三公大臣がたは皆そなたを気に入っておられるご様子故、四品三品の官位とてそう遠くはなかろう。否、阿羅々木どのは比類のなきほどに聡明、後々に彼らを退けてその位につく事さえも可能と見た」
阿羅々木はそれを聞いて軽く関馮を瞥見すると、盃に残りの酒を全て注ぎ、侍女に命じて空の酒器を片付けさせ、身支度をしながら答えた。
「お二方とも過ぎた冗談はお控えになられよ。私などはかような不才の身、官吏として朝に仕えられる事さえも稀な幸運だと申すに、この先左様に取り立てられることなど有りましょうか。もうそれ以上は仰らるるな」
そうして残った酒をあおると、
「もう夜も遅い故、阿羅々木はこれにて失敬致す。子凱どの、かように愉しき酒宴をご用意頂いて誠にかたじけのうござった」
と言い残し、早々に屋敷を出て行ってしまった。
そののち、劉翊が罵るようにして関馮に問うには、
「貴様が余計なことを申す故、機嫌を損ねて帰ってしまったではないか。何故あってああ言ったのか、ひとつ訳を聞かせてみろ」
関馮は大息をついて友に酒を勧めたのち、声色を落として話すよう、
「お前にはわからぬか、あの女の腹の奥で煮えたぎる野望が。おれは三公大臣を退けてその位につく事さえもできようと言ったな。何故あれほどまで礼を欠いたことを言い出したわかるか」
「いや、知らぬ」
「おれはあれで阿羅々木の本心を質そうとしたが、それを聞いたのちすぐに帰ってしまっただろう」
その一段の話に身を乗り出して聞き入る劉翊を関馮は暫時諫め、
「今日一日あの女と共に雑務を致した故わかるが、あれの本性は傲慢至極、然るに大胆不敵にして龍の気迫を持つ。三公を退けるとまで申したのは、あの女なら真にやり兼ねまいと踏んだからじゃ」
劉翊はその論にひどく驚嘆して、
「左様に恐ろしき奴とは知らなんだ、我らも用心せねばなるまい」
「やっと勘付いたか。敬長よ、阿羅々木は瞬く間に出世する。今は官位七品にて我々と同輩、然るに数年後、おれが思うに参議か省次官には成っておろう。親交を深めるなら今のうちぞ、あの女が我らの上官となった時には共に仕える事も厭うてはなるまい」
劉翊、その説にも大いに賛同した様子で、その夜は間も無くして散会した。
はたして関馮の予見は見事に的中し、三年ののちに阿羅々木はその才を買われて太史、于州刺史を経て参議の職を拝命し、官位は四品、天子より上等の筆と深緋色の帯を賜い、威儀をととのえて他の文武百官に居混じり、三寸不爛の舌をふるって論戦を交わすようになっていたのである。
朝議の最中、関馮は阿羅々木の言葉を記しながら、やはりおれの見立ては間違っておらなんだ、頃合いを見て臣に下るのもよかろうかとあれこれ思案していた。
その頃には阿羅々木も玄武大路の外れに己の邸宅を構え、使用人も多く従えていた。
ある日の暮れ頃、馬を走らせその邸を訪ねる者らがあったが、使用人が門を開け顔を見やれば、これぞ関・劉の二名であった。阿羅々木が何故参られたと問うと先に劉翊が答えるには、
「それがしと関馮、この度参議と相成られました結城どのの類まれなる才華に深く感じ入り、不才ながらおん身の出世の手助けをすべく是非ともお力添えを致したい所存にござる」
「畢竟、我が家臣になりたいと仰せか」
両人大いにうち頷き、阿羅々木の色を伺うと、暫時思案の末にこう言う。
「しからば劉翊よ、そなたは武勇に長けしつわもの、じきにこの阿羅々木を恨んでよからぬ事を謀る輩も現れるから、我が身辺の警護をせよ。関馮、そなたはその学才を以って、左様な時には策を献ずるがよい。足下らが功を成した時分には必ず天子に上奏し奉り、相応の官爵を与えると誓おう」
これを聞いた二人はいたく喜び、犬馬の労をも厭わぬと誓いを立て、その日は各々の屋敷へ引き返していった。
さて、この女が参議となる日をいかに待ち望んでいたかは思い巡らすに難くない。ある朝議の中で、阿羅々木は天子の御前に謹んで進み出、遊女の頃より胸に蔵していた三策を群臣らに再び示すよう、
「百官の方々、思いますに、先程より足下らが言い争って居られるのは全くの机上空論。かように議論が空回り致すのは、ひとえに文官と武官、互いが互いを知らぬゆえでござる。それから嵐や豪雪、飛蝗により民草が安らがぬのは近頃の我が朝が占術師を重く用いらぬ故。更に申せば、恐れながら真を申し上げるが、これだけの高官が一堂に介してもまともな案が挙がらぬのも、まさしく官挙にて愚を用い賢を捨てておる故にござろう。前に私が申し上げた三つの政策、足下らが未だ追懐に及ぶかは存ぜぬが、もし今ここで陛下のご一声と玉璽の押印を賜れば、すぐにでも取りつけ、北船南馬、東奔西走ののち、三年で全ての制度を整えられよう」
それを聞いた群臣ら、口ぐちに阿羅々木を罵るよう、
「貴様のような新参の官吏が、易々と天下を語るでない。豪語はすれど、実際は何もできまいて」
「左様じゃ、つい数年前娼婦として身体を売っておったのを忘れたか」
「そなたにこの朝廷の何が解ろうや」
すると遥か上座の右大臣韓景、彼らを慌て諫めて曰く、
「各々、さっきの話に思う所があるかも分からぬが、くれぐれも天子の御前であること、かならずお忘れ召さるな。結城参議は我らと同じ出自に非ず、官挙を受けずして陛下おん自らが詔を持って登用したもうた御仁故に、これをなじるはすなわち陛下のご見識を否定致すと同義ゆえ、言葉を慎むが宜しかろう」
阿羅々木はそれらの罵倒などに構うこと無く平然と座していたが、ふと座中のひとりが己に尺を差し向け言葉を投げ掛ければ、一転して再び満足げな色を見せる。あらましには、
「して結城参議の申される三策においては、それがしもいましがた想起いたした所。我が主君李左大臣よりたびたび聞き申して、貴殿の敏腕にはいやはや感嘆せられまする」
言う方を見れば、これぞ李鮮配下の陳遼であった。かれは犬仁門を出たのち、李家に仕えること二十年ほど、その博識と武芸の才を認められ、久しい間殿中校尉に封ぜられ、帝や皇族を警護し奉るようになっていたのである。
「風貌は獅子にして勢いは虎と噂に聞く、陳校尉直々のご嘉賞にあずかり、この阿羅々木恐悦に存じます」
阿羅々木がこう礼を申し述べれば、陳遼も続けて言う、
「然るにその左大臣が申すには、先程の百官らと案ずる所同じくして、恐れながら申し上げるが、やはり貴殿は齢三十にも満たず、官吏としての歴も三年と少し。それ故、阿羅々木どの一人が全てを指揮し事を推し進めるというのは些か荷が重過ぎるのでは無かろうかと」
するとはるか上座、左大臣の席からも声が飛ぶ。
「いまの陳遼の申した通りじゃ。阿羅々木よ、そなたの賦した策は全く妙々たるものだが、先程の話にあったように、そなた自らがはたじるしとなりこれを執り行うのは幾分無理があろう。己でそうは思わぬか」
それを聞いた阿羅々木、些か顔色を変えて李鮮に問い返して曰く、
「しからば李左大臣は何びとにその職を与うるおつもりにござりまするか」
「心配には及ばぬ。我が配下、
群臣たち、異口同音にそれがよいと言う。その李鮮の言葉に阿羅々木はたいそう驚きあきれ、朝議はようように閉会した。
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