第四話 フェイスオフ

「おう鍵開いてんじゃねえか、相変わらず不用心だなこのクソ田舎はよ」

 

 ドスドスと如何にも「やんちゃ」を誇りに思っていそうな人間特有の荒々しさで正継が居間まで上がり込んできた。


「ちょっと、何勝手に上がってきてるんですか警察呼びますよ!」

「……誰やねアンタ、上がってええなんて言うとらんよ」


 家族が突然の闖入者に色めき立つ中、私は一人冷静に諦観していた。

 5年か。いや長く保った方だよ。十分に幸せだった。


「誰ってことねえだろ実の息子によ。おう未沙、流石に老けたが相変わらず美人だな、そっちは娘か?未沙の若い時を思い出すぜ、将来が楽しみだな」


「え……?でも兄さんはもう帰って、え?」

「うわちょっとこのおっさんマジ無理なんだけど、早く追い出してよママ!」

「正継。あんた自分が正継だって言うのかい」

「さっきからそう言ってんだろ、親父はどうした?仕事一筋で死にかけのカマキリみてえだったあの情けねえ親父はよ」


 ああ、そうだ。5年前の事だが私ははっきり覚えている。

 私の脇腹に気持ちよく蹴りを入れていたあの男だ。

 いや、5年前より少し太ったな。髪も薄くなっている。

 

「あんたが正継だったとして、ここに何のようだね」

「あ?ああ俺よお今度結婚すんだよ飲み屋で知り合った女とよ。んで戸籍がどうたら言われたからこっちの役所行くついでに顔出しに来てやったんだよ。ここも将来は俺の家になる訳だしな」

 

 あの時は酔って気が大きなっていると思っていたが、どうやら素も対して変わらないようだ。観察眼が聞いて呆れる。あの生活もどのみち長くはなかったな。

 

「さっきから黙って聞いていたら、いい加減にしてください!兄さんなら5年前に帰ってきています!」

「そうよ、アンタみたいなおっさんが私の正ニィな訳ないじゃない!正ニィならここにちゃんといるんだからさっさと帰んなさいよ!」

「ああ?さっきから黙って聞いてりゃこのガキ、ナマこきやがって……いや待て。お前らの言う正ニィってそいつか。誰だテメェ」


 さて、なんと切り出そうか。

 家を追い出されるだけで済めばよいが、恐らく警察に逮捕されるだろう。

 いやホームレスに戻るくらいなら刑務所に入ったほうが良いのか?


「わ……俺は」

「正継だよ。5年前にこの家に帰ってきた、私の可愛い息子だ」


 名乗ろうとして踏み出した足が止まる。

 いつのまにか良縁さんが私を庇うように前に立っていた。

 。通るのか、それが。


「母さん」

「ああ?ついにボケたかババア!自分の息子と他所のおっさんの区別もつかねえのかよ!」

「あんたこそ家を間違えとるんじゃないかい。私の息子があんたみたいなロクデナシな訳なかろうが。さっさと出ていきな」

「そうだ。母さんの言う通りだ」

「父さん」


 いつの間にか玄関から道直さんが帰ってきていた。手にクワを持ったままである。


「お、親父。アンタ親父かよ、なんか、随分」


 道直さんは地道に続けた農業ですっかり逞しくなり、定年前よりずっと健康になっている。私もこの前腕相撲で負けた。


「誰だか知らんが、お前に親父などと呼ばれる筋合いはない。儂の立派な息子は随分前に帰ってきてこの家で暮らしとる。儂の家族だ。さあ出ていけ。さもなくば」


 道直さんが堂に入った構えでクワを振りかぶるのを見て、途端に正継は腰が引けだした。どうやら臆病を虚勢で繕うタイプの男らしい。


「あ、ああそうかよ!分かったよ誰がこんなボロ屋に帰ってくるもんか!もう一生こねえよクソッタレ共が!」


 捨て台詞を残し、正継は来た時と同じようにドスドス帰っていった。

 助かった、のか。


「皆、大丈夫だったか」

「はい父さん、助かりました」

「も~マジキモかったし!ママ一応警察呼んどこうよ!」

「そうね、何かあってからでは遅いもの」

「先に昼飯にするよ。警察が来ると色々聞かれるからね。正継、手伝っておくれ」

「はい母さん」


 危機は去った。酒匂家が再び日常に回帰してゆく。

 その中で、私は一人腑に落ちないものを感じていた。



 その日の夜。

 昼間に色々あったからか、珍しく皆早く床についている。

 私は一人、縁側で夜空を見上げていた。奇しくも今日は満月だ。


「眠れないのかい」

「母さんこそ」


 気がつけば、良縁さんが音もなくやってきて私の横に立った。

 良縁さんは基本無音移動である。


「無理もないがの。まさかこうなるとは思うとらんかったじゃろ」

「……いつから、気付いていたんですか」

「そんなもん、最初ひと目見た時に決まっとろうがね。誰が実の息子の顔を見間違えるもんかね」


 予想はしていた。やはりそれでも驚いてしまう。


「あの子は暇さえあれば外に出て要らんことする子での、未沙は元から正継を嫌っておったから殆ど顔を合わせとらんし、あの人も若い頃は仕事一筋での。子供が生まれてからも禄に構いやせんかった。顔が分かるのは私だけだということよ」

「だったら、何故ですか。何故どこの誰ともしれぬ私を家に」

「聞きたいかい」

「そりゃあ、勿論……」


 言い掛けて、良縁さんの方を見上げる。

 満月が、良縁さんの顔と並ぶように輝いている。


「あの子が、あの人との子供じゃないからだよ」


 顔が見えない。さっきまで見えていた良縁さんの顔が。


「それは、つまり、連れ子」

「いやあ?道直さんは自分の子だと思うとるよ。あの時は私もあの人に構ってもらえなくて荒れとったからねえ。けど誰とも知れぬ子が欲しい訳じゃなかった。だからああ育てたんよ。さっさと出ていってくれるように。けど、世の中には切っても切れぬ縁というものがある。いずれ今日のような事が起こるのは分かっとった。そこにあんたが転がり込んできたのさ。丁度いい身代わりになると思ってね」


 思考が止まる。手足が痺れる。


「何故、それを私に」

「聞いても、あんたはバラしやせんだろ?アンタが始めたことなんだから。元の暮らしに戻りたくはなかろ?」


 ああ、そうか。ようやく思い出せた。

 あの時も母はこんな風に。


「これでお互い一生安泰だ。そうじゃろ、

「はい、母さん」


 笑っていたのか。



「正ニィ、早く早くー!モール連れて行ってくれるんでしょー?」

「ああ、今車を出すよ。外で待っていてくれ」


 あれから一ヶ月。癇癪を起こした正継が何かして来るかと思ったが、何もない。

 酒匂家の平和な日常は続いている。


「やれやれ、今日も引っ張りだこだね。いつも済まないね本当に」

「良いんだよ、俺だって頼られて嬉しいから」


 そうだ、俺は幸せだ。こんな毎日が送れるなんて思ってもみなかった。

 俺はこの幸せを守りたい。そのためなら、何を犠牲にしても良い。


「それじゃあ今日もお願いね、正継」

「ああ、分かったよ。母さん」


 俺の名前は酒匂正継。


 私は、もうどこにもいない。

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蝕む月 不死身バンシィ @f-tantei

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