ほんのり怪異ばなし

ミトガワ トウジ

転び坂

 夏が近付くにつれ、怪談や心霊体験といった類の話題が目に付くようになるたび、私は鬱蒼とした気分になる。

 かつては人並みにそういったものに興味を抱いていた私ではあるが、ああいう出来事は一度でも体験してしまうと、むしろ遠ざかりたいと思うようになるものではないだろうか。耳で音として理解する分には些末に過ぎないと鼻で笑われる話であっても、いざ己の五感で以て味わってしまえば、見え方が変わらざるを得ない場合も多いはずだ。

 現に私がそうであった。

 仕事終わりの飲み会で同僚たちが学生時代の肝試しを肴に盛り上がる姿を横目に、時に何か打って付けはないのかと話題を振られるのをどうにかやり過ごし、ここ何年かはそうやって凌いではいるものの、いざ夏を迎えると毎年の事ながら憂鬱は更に深みを増し、眠りに逃れられない夜も出てくる始末だ。

 いっそ、誰かに話してしまえば多少の安堵を得られるのかもしれない、と口下手ながら語った事もあるにはあるのだが、肝心の部分に至る前に聞き手は席を離れ、以後、興味を持たれはしなかった。



 私の故郷は地方にある内陸の小さな町で、郊外に向かえば田畑が目に付く良くも悪くも特徴の薄い土地だ。

 そんな田舎と言っても差支えの無い町にも、地元民からは怪談スポットだと囁かれる場所が幾つかありはしたが、それには含まれない不思議な場所も一つ存在した。

 特に呼び名は無い、ただの坂だ。

 町の郊外に広がる山々に向かう幾つかの道の一つであるこの坂は、急勾配で長さは百メートルに満たない。アスファルトで舗装された一車線で、坂の脇は片方が山の斜面、もう片方が放棄された田んぼとなっている特に珍しくもない作りで、町の住民はわざわざこの急な坂を徒歩だろうが車だろうが通らずとも目的の場所に行けるようになっている。今思えば舗装する必要があったのだろうかと疑問に思える場所だ。

 ただ、この坂は十六時前になると近所の大人がやって来て、上り口を赤いコーンと虎模様のバーによって封鎖してしまう。ご丁寧に手書きで通行禁止と書かれた張り紙までされる始末で、確か小学三年か四年の頃、友人らと遊んでいる際にたまたまその現場に出くわした私は、ろくに人が通らない道で何をやっているのだろうかと首を傾げ、コーンとバーを設置し終えた大人に理由を尋ねた事があった。

 曰く、昔から夕暮れ時にこの坂で転んで怪我をする子供が多いため、自治体の取り決めで通ってはいけないと分かるようにしているのだという。大人の足でも上りたくはないであろう急勾配の坂、ましてや通る必要の無い場所をわざわざ封鎖しに来なければいけないとは大人も大変なのだなと、当時の私は友人らと納得していた。

 後に家族や親戚、近所の大人にこの坂について尋ねる機会があり、封鎖は十七時半頃には解除される事、コーンとバーは坂の登り口一か所にしか設置されず、徒歩や自転車で坂を下る住民はたまに存在していた事、封鎖は人が出歩けるような天気になっていない限りは坂の近所の住民が持ち回りで確実に行っている事、封鎖がいつから行われているのか正確な時期は分かっていない事を私は知った。

 人によっては今挙げた情報だけで不気味に思うのかもしれないが、当時の私を含む地元住民は不思議だな程度の関心しか抱いておらず、封鎖されている時間帯に粗末で簡易なバリケートを無視して件の坂を上る猛者が居たという話も聞いた事は無い。更に言えば、件の坂にまつわる陰惨な伝説や事件も、地元では噂すらされた事が無い。

これは、あの頃から数十年経った今になっても変わっていない。

時が経ち、不思議な坂への興味が頭からすっかり抜け落ちた私は隣の〇〇市に在る高校へと進学し、地元よりも少しだけ発展した都市の恩恵を受けつつ、新たに出来た級友たちと日々を楽しんでいた。思い返せば、ふとした瞬間に影が差しこまれずに日常を過ごせたのは、この頃までだったように感じる。



 発端は、夏休みを迎えた八月の初頭。

 クラスの連絡網で、配られた課題の一部が間違っているから学校まで各々取りに来るようにとの連絡を受け、面倒臭いなと愚痴りながらバスに揺られて高校に向かった私は、職員室で何枚かのプリントを受け取った帰り、クラスは違うがゲーム仲間であり同じ帰宅部同士である友人のケイに出くわした。

 令和の世では珍しいと笑われるだろうが、当時は高校生になってようやく携帯電話を持たせて貰えた青少年が多く、ご多分に漏れずその内の一人だった私はこれ幸いと先んじて携帯電話を入手していたケイと電話番号・メールアドレスを交換し、そのままの流れで体育館と格技場の間にあるちょっとした広場のようなスペースで雑談に興じた。

 他愛もない内容で二時間は話し込んだと記憶しているが、時刻が正午を半ば過ぎた頃、腹が減ったとケイが訴えるので、ついでに高校近くのラーメン屋にでも寄ってからゲームショップに行こうかと午後の予定が決まりかけていた時だったか。練習が午前中で終わりだった様子の柔道部の、ぞろぞろと帰路に着く集団の中から、一人が野太い声を上げつつ私たちの元に駆け寄って来た。

 猫背気味で細身のケイと低身長で小太りだった私とは違い、百八十は超えているだろう長身で、体操着とジャージを筋肉で膨らませたがっしり体系の男の登場に私は動揺したが、男と談笑を始めたケイから彼は幼馴染で三年の先輩だとの説明を受けた。圧倒されながらも二人の会話に混じってみれば、先輩はよく笑う賑やかで話し易い人物であった。

 若干の人見知りだった私も先輩と無事意気投合した結果、お近づきの印だと冗談めかしながら先輩は私とケイにラーメンを奢ってくれ、食後に高校近くの小さな公園でこれまた先輩が奢ってくれた缶のサイダーを飲みながら、追加の雑談に興じた。どんな内容を話したのかまでは覚えていないのだが、しばらくして、雑談を切り上げて三人でゲームショップに向かおうという流れになり、私が地元に新作ゲームソフトを買える店が無い事を愚痴ると、先輩に何処から通っているのかを聞かれた。

「〇〇町って隣だろ? そんなに店少ないのか?」

「はい、買い物をする時は車とかで〇〇市まで出ちゃった方が楽だって人が多いです。なんで、こっちの商店街もパッとしない感じで。先輩はうちの町には来た事あります?」

「考えてみりゃ、小学校の遠足ん時と・・・あー、全然行った事ねえわ。ウチの高校に〇〇町から通ってる奴は何人かいるけど柔道部にはいねえし、連れにもいねえなあ。ケイは花見とかで行ってなかったか?」

「毎年、〇〇町の△△山には家族と近所の人と一緒に行ってるよ。そう言えば、××くんに聞こうと聞こうと思ってた事があったんだ! 忘れてたのを思い出したよ!」

「ん? 課題の事? ケイのクラスは僕のクラスと教科担任が全員違わなかった?」

「違うよ! 坂だよ坂! △△山の近くにさ、めっちゃ急で変な坂があるじゃん!」

 細かな部分までは思い出せないが、大体、このような感じのやり取りだったと思う。ケイが、私はすっかり忘れていたあの坂を話題に持ち出したのだ。

 私は夏休みにテレビでやっている心霊番組や芸能人が語る怪談を見る程度で、取り分けオカルトに興味があった訳ではなかったが、ケイは結構なオカルト好きで、テレビ番組や小説、漫画やゲームにとどまらず、携帯電話で閲覧可能なウェブサイトを巡って色々な人が投稿した体験談を読み漁るほどだった。私もこれはお奨めだよとケイから携帯電話を渡されて、その体験談とやらを幾つか読んだが、高校に上がった事で妙な対抗意識が芽生えていたのだろうか、出来の悪い作り話だとしか思えず、簡単な感想でお茶を濁していた覚えがある。

 ただ、現在の私は成人を過ぎて久しく、相応にオカルト好きを自称する人間を何人も見てきたが、ケイの場合は彼らとは少し違っていて、幽霊やら呪いと言った類をファンタジーに重ねて認識し、一種の憧れを抱いていたようだった。

 交友が始まったばかりの頃だったか、都市伝説を信じて騒いでいた女生徒たちを見掛けた時に、ゲームの雑魚敵で何度も出てくる幽霊とホラー映画に出てくる幽霊の差について真剣に自問し始めたケイの姿は未だに印象深い。

「変で急な坂・・・ああ、夕方に通行禁止になるあそこか。〇〇市の方だと、変な噂話でも出てんの? あそこは子供がよく転んで危ないからって、夕方だけ封鎖してるだけみたいだけど」

「ええ! 何だよそれ! 俺の知ってる話と全然違うじゃん!」

 諺にも、幽霊の正体見たり枯れ尾花とあるのだ。

 私は何かに落胆してオーバーリアクションを取るケイの姿に、いつものオカルト癖が出たなと苦笑するだけで、それ以上、話題を掘り下げる気は全く無かった。いつも通りであれば、私もケイも次の話題に興味が移ってお終い、となるはずだった。

「お、××。やっぱお前もそう答えるんだな」

 鶴の一声。その日に限って私とケイだけでなく、会話の中に先輩は居た。

 意外な人物の反応に、私は妙な表情を浮かべていたはずだ。

「オレもケイが言い始めたんで思い出したけどよ。ウチの方だと△△山の急な坂って、悪い言い方かもしんねーけど、しょぼい怪談があるんだよ。何だっけ、引っ掛け坂だっけか」

「違う違う! 転び坂だよ、転び坂。うちの大きい爺ちゃんも知ってる怪談で〇〇市だと結構有名なんだよ!」

「・・・えーっと、転び坂? 聞いた事無いよ。△△山なら町三つ跨いでるし、〇〇町の話じゃ無いと思う」

「そんなはず無いよ! だってお花見で〇〇町に行くと、車で通り過ぎる時に『あの坂が転び坂なのか』ってお父さんと話したりするもん!」

「落ち着けケイ。オレも坂の話を〇〇市から来てる奴に聞いた事があんだけど、××みてえな反応しか返って来なかったわ。そりゃあそれで変な話なんだけどよ、考えてみろよ。怪談なんざ、ちょっとした事故なんかの噂が変わっちまって、大げさになっちまった結果みてえな所があるじゃねえか」

 当初は幼馴染のコンビネーションで、ケイと先輩が私を作り話でからかおうとしているのかと勘繰りもしたのだが、少なくともケイは本気で転び坂なる怪談の現場があの坂だと思っている様子、先輩は怪談を知ってはいるが全く信じていない様子で二人の足並みが揃っていない事もあり、私は少なくとも〇〇市にはあの坂にまつわる怪談が昔から存在すると判断し、ならば試しにと二人から怪談の内容について大人しく聞いてみる事にした。

 謂れについては〇〇市の住民の間でも諸説あるようだったので割愛させて頂くが、肝心の坂で何が起きるのかは全く同じだった。

 何でも、夕刻に転び坂を上っていると誰かに肩を叩かれる事があるそうだ。

 肩を叩かれた者は二日後、ちょうど転び坂で肩を叩かれたのと同じ時間になると、今度は背中を突き飛ばされて必ず転んでしまう。

「二人以上の時は一人だけ肩を叩かれたり、全員肩を叩かれたり、何にも無かったりと色々みたい。自転車に乗ってても車を運転してても叩かれたって話があるよ」

「後はそうだな、二人以上叩かれる場合は回数が違うって話だ。例えばよ、オレたちが三人とも叩かれたとして、一人目は一回、二人目は二回、三人目は三回って感じらしいわ」

「その場合、一人目は二日後、二人目は四日後って具合に突き飛ばされて転んじゃうんだって」

 いやに具体的だなと私は思いつつも聞いていたが、ケイと先輩はそれぞれ実際に体験したらしい人から話を聞いた事があるらしく、幾つもそれっぽい体験談を例として挙げていった。確かに〇〇市では有名なようだと、流石の私も素直に納得した。

「へえ、そんな話になってるんだ。前にあの坂を封鎖作業中のおじさんに話を聞いた事があるけど、封鎖中に坂を上っても怒られたりしないみたいだったし、たまに下る人も居たみたいだったから、何て言うか・・・意外」

「そもそもが転ばされるだけで、しょぼいもんな。〇〇町だと大した事がねえってのが常識になっちまってて、気にする人がいねえとか? あと、坂道を下る分には何にもねえらしいわ」

「調べた人がいるんですかねえ。それにこっちの方だと気にするしない以前の問題で、夕方にあんなとこを通る必要がまず無いですから」

「近所に観光スポットがあると、かえって行かなくなるみてえな? 違うか」

「でもさ! 体験した人の中には転ばされた時に側溝に落ちて、頭を縫う怪我をしたって人も居るんだよ? 俺は普通に怖くて危ない怪談だと思うよ!」

「アホ臭え。いつ転ばされるか分かってんだから、コケても大丈夫な場所に居なかったそいつが悪いだけじゃねえか。オレなら余裕で受け身をバーンよ。いや待てよ、柔道の練習に使えるかもしんねえな」

「えっと、柔道で相手を突き飛ばすのって有りなんですか?」

「無えよ、子供の喧嘩じゃねえんだし。ほら、いつ襲われても反撃出来るようにさ。仕掛けてくるタイミングが分かってんだから、突き飛ばされた瞬間に向こうの腕を掴んでこう・・・一本! って具合よ」

「来るのが分かっていると練習にならない気がしますし、掴めますかね。相手は幽霊? とか何かそういう感じのでしょ?」

「こっちに触れるんだから、逆もいけるんじゃね? でもアレか、投げたせいで怒らせちまったら呪われそうだし、その方が怖えよな」

 我が町の坂に纏わる小さな怪談の話から私と先輩は次第に会話が脱線していき、茶化されてむくれるケイを他所に、どうやったら柔道で鬼を投げられるかなどの馬鹿話で盛り上がった。

「二人とも馬鹿にして! そんなに余裕なんだったら、今から転び坂まで行って実際に体験してみようよ!」

 だから、オカルト好きなケイが向きになってそう提案し、私と先輩も特に嫌がらずに承諾したのは自然な流れだったのだろう。

 高校近くのバス停からバスに乗って〇〇町まで移動し、件の坂まで徒歩で向かうとして片道一時間は掛からない。坂の上り口が封鎖される時間を考えても現時刻から大分猶予があったため、私たちはハンバーガーショップで時間を潰しながらバスを待つ事にした。

 ポテトを摘まみつつの雑談は、先輩がバイクを持って来るから本当に徒歩以外でも肩を叩かれるのかどうか試してやろうかと言い始め、事故が怖いと慌ててケイが止める一幕があったり。ケイが一度自宅に帰り、父親の所有するビデオカメラを持ち出して撮影すれば、誰かが肩を叩かれた時に何かが移り込むかもしれないと興奮し始め、先輩が幽霊が映ってしまったら怖いから嫌だと説得を始めたり。非常に楽しいものだったと記憶している。

 賑やかな待ち時間はあっさりと過ぎ、結局、余計な真似はせずに坂を上るだけにしようと決めた私たちは、予定通りバスに乗って〇〇町の郊外に向かい、坂の近所のおじさんらしき人物が簡易なバリケードを設置し終えて去っていくのを遠目に確認して十数分待機した後、怪談の検証をするべく件の坂を目指した。

「うわ、近くで見ると思ってたのより急だなあ。上るのはちょっとしんどそう」

「雨の日とか絶対滑るだろ、コレ。心霊スポットって言うよりか、ただの危険スポットじゃねえの?」

 私がまともにこの坂に来たのは何年振りだろうか。

 ガードレールも歩道も無く、少しひび割れたアスファルトに覆われた急勾配の坂道は、不気味さの欠片もなくそこに存在した。

 坂の上り口を正面に、左手側に広がる山の斜面は最近草刈りをしたばかりなのか雑草の青臭さを漂わせながら整えられており、反対に車道を挟んで右手側の放棄された田んぼは草が伸び放題にされている。天候は雲の少ない晴れで、夏真っ盛りとあって日はまだ高く、黄昏色に染まらない景色は情緒の欠片も無かった。蝉の鳴き声は辺りにけたたましく響き、こまめに襲ってくる藪蚊が鬱陶しい。

「まあ、折角ここまで来たんだし、暑いからさっさと上っちまおうや」

 坂の上り口で何となく足が止まっていた私たちは、先輩の号令でゆっくりと坂を進み始めた。

 今しがた特に異常の無い坂だと目で確認したはずの私たちだったが、この時は怪談の存在が効いていたのだろうか、言葉を交わす事無く黙々と足を動かしていた。

 坂を半分は上った頃だろうか。

 不意に、私の肩が何かに一度叩かれた。正確に言えば、平べったい棒のような硬い物が、軽く私の右肩に当たったのだ。

 私は驚く事も無く、降ってきた小枝が肩に当たったのだなくらいに思っただけでリアクションを取る必要さえ感じず、そうこうしている内に坂を上り切ってしまった。

 誰かが提案したわけでもなく、無言のまま歩みを止めずに坂から離れて行った私たちは、やがてバス停に辿り着くと、示し合わせたかのように同時に口を開いて肩を叩かれたかどうかの確認を始めた。

 しかし、私もそうだがケイも先輩もいまいち肩を叩かれたという印象が無い様子。

「肩を叩かれるってくらいだから、手でポンッっと来るかと思ってたんだけどよお。何か、枝みてえのが右肩に当たっただけだったわ。数は二回、バウンドした感じ」

「僕も右肩に何かが一回当たっただけでした。叩かれたって言うより、上から降ってきたみたいな。あの坂の脇は杉が多く生えているんで、葉っぱが抜けて落ちて来て当たったんですかね。ケイはどうだった?」

「うーん、俺も似た感じだったけど、三回当たったんだよね。二人とも、タイミングは? 僕は転び坂を上り始めてすぐにだったよ」

「オレは上り終わるちょっと前だったな」

「僕は真ん中に来たかどうかなって所だった」

 私たちはそんな会話を続けたが、半信半疑なものの三人の右肩に都合良く何かが当たるのも妙だとなり、あれが転び坂で肩を叩かれるという現象なのだろうと思う事にした。

「・・・言い出しっぺの俺が言うのもどうかと思うけど、ガッカリだったなあ」

「はは、元気出して。そうだ、肩を叩かれると二日後の同じ時間に突き飛ばされて転ぶんでしょ? そっちを本命にすればどう?」

「そりゃイイな。確か叩かれた回数で順番が決まるって話だったから、最初が××で明後日、次がオレで最後がケイだな」

「あー、それを忘れる所だったよ。じゃあ××くんには悪いけど、明後日の夕方四時半に高校近くの公園で集まろうよ。転んでも大丈夫な格好をしてきて貰ってさ、危なくないように砂場で時間が来るまで待機しよう」

「何時何分に叩かれたかイマイチ覚えてねえけど、その時間なら突き飛ばされるまで余裕があるな。××、もっと早めに来てくれりゃオレが格技場で受け身の仕方を教えるぞ?」

 結局この日は、三人一致で二日後の検証結果に期待しようとの結論でお開きとなり、ケイと先輩を見送って私は帰路に着いた。

 夕食時、もののついでで転び坂の怪談と実際の体験を家族に話してみたが反応は非常に薄く、姉には「本当に明後日突き飛ばされてもさ、地味過ぎて全く怖くないよ」とばっさり切り捨てられ、両親も祖父母も封鎖時間に坂を上った事を咎めはしなかった。

 二日後。

 予定通り高校近くの小さな公園に集合した私たちは、軽く雑談をした後に怪談の後半部分を検証するべく配置に着いた。

 私は高校のジャージ姿で砂場の真ん中に陣取り、砂場から離れた場所でケイは携帯電話を見ながら私が何時何分に転ぶかの確認を、先輩はケイの隣で突き飛ばされた瞬間の私を観察するべく待機した。

 各々が配置に着いたのは十六時四十五分。長いような短いような時間を待っている私の耳に、ケイの「もう五時を過ぎちゃったよ」とのぼやきが聞こえた時だった。

 私は背中を叩かれた。いや、平べったくて硬い何か、例えるなら物差しのような物でもって、随分と軽い調子でふわっと押されたのだ。

 そして、来た! と脳が反応した頃には視界がぐるりと巡り、私の体は正面から砂場に突っ伏していた。

 ただ、受け身を取る暇も無かったはずの私の体は何の衝撃も感じておらず、突き飛ばされて転んだと表現するよりは、背中を押されたら砂場の上で寝ていたと表現した方がしっくりくる、そんな状態だったと記憶している。

 そのまま寝ているわけにもいかない私は急いで立ち上がると、顔や服に着いた砂を払いつつ一部始終を見ていたであろうケイと先輩に目をやったが、二人の表情は、僅かな困惑と明らかな失望に染まってた。

「えっと、顔から行ったけど大丈夫? どんな感じだった?」

「全然痛くないし、大丈夫。よく分かんない内に砂場に倒れたけど、背中は確かに押された。突き飛ばされたんじゃなくて、物差しみたいなので優しく押し出された感じ。二人にはどういう感じに見えてたの?」

「・・・うーん、僕はちょっと携帯見てたからさ、いつの間にか××くんが倒れてた感じなんだよね」

「オレはしっかり見てたぞ。つっても、どう説明したらイイんだろな・・・」

 生憎と決定的瞬間を見逃したケイとは違い、怪奇現象に見舞われた私の姿を見届けた先輩はそう前置きすると、適切な表現を探しつつも私がどうなっていたのかを教えてくれた。

 私はぼんやりと遠くを眺めながら直立していたのだが、突然、重さを失ったかのようにふんわりと前方に体を傾けると、先輩が一度瞬きをした時には砂場の上に倒れていたらしい。

 先輩曰く、砂場に倒れている私の姿は、うつ伏せになった状態で置かれているように見えたとの事だった。

「お前がわざと転んだって感じには絶対に見えなかったし、妙な現象が起きたって言えばそうなるんだけどよ。肩を叩かれた時と同じで、何つーか、地味でソフトだったわ」

「実際に体験した僕もそんな印象でした。これ、転ばされるって言うのかな・・・」

「むしろ、寝かされた、だな。ケイ、お前が言ってた突き飛ばされてケガしたって奴、多分、嘘吐いてるぞ」

「言い返したい所だけど、そうなるよね。ぜーんぜん音がしないで、気が付いたら××くんは倒れてたし。突き飛ばされたって人の話は信憑性が薄そうだなあ。まあ、怪奇現象が起きたって点については確かなんだけど」

 微妙な空気になってしまったが、結果を見れば私たちは怪奇現象を体験した。差異はあれども、〇〇市で噂されてきた転び坂の怪談は現実のもので、しっかりと存在したのだ。



 現実なんてそんなものだ。私がこの話をすると、そう締めくくって他人は興味を他の話題に移してしまう。或いは、怖くない、聞いて損したなどと言って。

 押しが弱い私はいつもここで話を終えてしまうのだが、違うのだ。私が吐き出したくて、誰かに聞いて欲しいのは、その先なのだ。

 私が体を張った検証の結果を受けて、ケイも先輩も、自分たちの番が来てもちょっとした不思議体験をするだけだろうと結論付けていた。当時の私も同じ意見だった。

 下手な所で寝かされたら危ないから、当日の十七時前には自室で待機していれば大丈夫か。いっそ、ベットで寝転がっていれば背中を軽く押されるだけか、何も起こらないかもしれない。

 そんな事を言い合って、ケイなんかは他にも本当に怪奇現象が起こる場所が〇〇市にもあるかもしれない、改めて地元の怪談を洗い直すぞ、と気持ちを切り替えて興奮していた。

 私が転ばされた、もとい砂場に寝かされた日から四日後。

 暑さに抗うべく扇風機の前でアイスを食べていた私の携帯電話に、ケイから着信があった。

 時刻は十六時前。

 砂場の一件以降、特に妙な現象に見舞われはしなかった私は呑気なもので、遊びの誘いか、八月中旬に発売される新作ゲームを一緒に買いに行こうとの誘いだろうと電話に出た。

「××くん、大変だ! ヨウ兄ちゃんが行方不明になっちゃった! ほら、一緒に転び坂に行った、柔道部の!」

 思わず携帯電話から耳を話したくなる大声でケイはそう切り出すと、私の返事を待たず、まくし立てるように話し始めた。

 ケイは随分と慌てており、説明が前後したり、舌が上手く回らずに何度か聞き返さなければ理解出来ない単語があったりしたが、彼の話をまとめるとこうだ。

 一昨日の昼過ぎ、ケイの元に先輩から電話連絡があった。

 今日は自分が転ばされる日なので、試しにベッドで寝ながら待ってみようと思う。

 わざわざ寄こさなくても良さそうな連絡だったが、意外と怖がりな先輩は大丈夫だと分かっていても不安だったので電話を掛けて来たのだろうとケイは思い、いつでも通話出来るようにしておくから結果が分かったら連絡を寄こすように伝えた。

 時刻は十七時を過ぎ、十八時を迎え、いくら待てども先輩からの連絡は無い。

 どうせ横になったまま寝てしまったのだろうと思いつつも、ケイは先輩に電話を掛けた。

 だが、先輩は電話に出なかった。発信音はしっかりと鳴っているから、携帯電話の電源が落ちていたりはしないし、電波の届かない所に居るわけでもなさそうだった。

 さては自分をからかおうと、わざと電話に出ないようにしているな。昼間に電話を掛けて来たのも仕込みに違いない。先輩とは幼少期からの付き合いのケイはそう判断し、今日の所は何度電話を掛け直しても無駄だろうと放っておく事にした。

 そして昨日の朝。ケイは携帯電話を確認したが先輩からの着信は無い。オレの事が心配じゃないのかよと先輩が拗ねている可能性も考え、メールの一つでも送っておけば良かったかもと後悔しつつ、ケイは昼ご飯を食べた後くらいにでも電話をすれば先輩の機嫌も直るだろうと二度寝を決め込んだ。

「でさ、寝てたら十時くらいにお母さんに起こされて、聞かれたんだよ」

 先ほど先輩の母親から連絡があって、息子の姿が見えないのだがそちらにお邪魔していないか、と聞かれたが何か知らないか。

 ケイは母親に、昨日の昼には通話した事や、夕方に先輩から連絡を貰う予定だったが連絡は来ず、折り返しても電話に出なかった事を伝えた。

「その日は柔道部の練習があったみたいで、ヨウ兄ちゃんが来ないから心配した顧問の先生が家に電話したんだって。それで、おばさんはヨウ兄ちゃんが寝坊したと思って起こしに行ったんだけど、部屋にはいなかったって・・・」

「ちょっと待って。家族の人は夜になっても息子がいないのをおかしいと思わなかったの?」

「ヨウ兄ちゃんとこはおじさんが夜勤で、おばさんも仕事で帰ってくるのが夜遅いから。ヨウ兄ちゃんはお兄さんが一人居るんだけど、三個上で県外に住んでて・・・」

 つまり、一昨日の昼過ぎにケイと通話したっきり、先輩は行方不明になってしまったのだ。

 先輩の家族は既に警察に捜索願を出しているが、消息は未だ掴めず。

「ねえ、これってさ、もしかしたら転び坂に行った所為かな?」

「どうだろう。僕はただ砂場に寝かされただけだったけど・・・他に何か起きるって噂があったりするの?」

「・・・うーん、無いね。転び坂は肩を叩かれて、その二日後に転ばされるって話だけ。実際はもっと地味だったって違いはあったけどね」

「じゃあ、関係無いのかも。ケイは先輩が怖がりな人だって言ってたけどさ、逆に怖がらせるのとか悪戯するのは好きな人なの?」

「あー、悪戯は昔から好きな人だね。後、運動神経が良いから結構わんぱく」

「そうなると、先輩は転び坂の怪奇現象が終わった後、ケイを驚かせにこっそりそっちに向かったとか? 暗くなってからさ、電話が繋がらないって不安がってるケイの部屋にいきなり入って来て驚かせたり、部屋の窓から登場したりとか」

「うちはマンションの六階だから部屋の窓からは無いと思うよ? でも、うちに来ようとしてたのはありそう。で、その道中で事故か事件に巻き込まれちゃってたり。すぐにお母さんに説明して、うちまでの道を探してみて欲しいってヨウ兄ちゃんの家に伝えて貰った方がいいかなあ」

「そうだね。もう警察の人が調べてるかもしれないけど、言ってみるのは有りじゃないかな」

 話している内にケイの様子も大分落ち着いてきた。

 私はそろそろ通話を終わろうかと、何気なくベット脇の目覚まし時計に目を向けた。時刻は十六時五十分に迫っており、あの坂で私たちが肩を叩かれた時間が近付いていた。

 確かケイは、坂を上り始めて早々に肩を叩かれたと言っていたのではなかったか。

「・・・転び坂の怪談、順番通りなら今日はケイの番じゃなかった?」

「えーっと・・・あー、そうだね。時間は・・・って、もうすぐじゃん。今すぐにでもお母さんに話そうと思ってたのに、面倒だなあ」

「話してる最中に目の前で突然ケイが寝かされたら、おばさんはびっくりして騒ぎになりそうだね。ケイは今、何処から電話してるの?」

「自分の部屋。あー、普通ならこういうのってドキドキするはずなのに、内容がしょうもなさ過ぎて鬱陶しいよ! もういいや、お母さんの前で一回寝かされておくよ。××くんは自分が寝かされる所を見てたわけじゃないから分からないと思うけど、あれさ、君は何を馬鹿やってるんだって言いたくなる感じだから、きっとお母さんは驚かないはず!」

「なら良いんだけど。じゃあ、もう電話切るね? 変な所で寝かされて怪我しないように気を付けてよ?」

「うん、分かった。後、俺は俺でヨウ兄ちゃんを探してみようと思ってるから、しばらくは遊んだり出来ないかも」

「仕方ないよ、非常事態だしさ。先輩が見つかったら三人で遊ぼう」

「だね! 今度はちゃんと怖い心霊スポットに連れて行くからね!」

「心霊スポットは勘弁して欲しいかな。じゃあ、ケイ、無理しないようにね」

 待たね、とお互いに言い合って、私は通話を切った。

 短い付き合いとはいえ、見知った人間が行方不明になったと聞かされた私は、多かれ少なかれ動揺していたのだと思う。ケイと通話している間は何とか彼を落ち着かせようと必死だったので気付いていなかったが、一人になると疲労感がどっと押し寄せて来て、その日は夕食もろくに喉を通らず早々に就寝した。

 それから私は、先輩の安否が気掛かりで何度かケイへ電話を掛けようとして思いとどまったり、テレビのニュースでキャスターの口から高校生という単語が出ると敏感に反応したりと、落ち着かない日々を過ごした。

 なるべく先輩について考えないようにとは思っていても、床に就けば無駄に色々と考えてしまい、もしかしたら、ケイと先輩は私が砂場に寝かされたあの日の後に別の心霊スポットに赴いており、結果、そこに起因する怪異に襲われて先輩は消えてしまったのではないか、と妄想染みた答えを出しそうになったりもした。眠れぬ晩に、思わず携帯電話のウェブで〇〇市の怪談について調べてしまい、その中に、何処かへ連れて行かれるといった内容の怪談があったのだ。うろ覚えだが、路地裏だか小学校の校庭で白いワンピースの女の子と遊んでしまうと「今度、お家まで遊びに行くね」と言われ、自宅まで来られると「もっと楽しい所に行かない?」と誘われる。そこで返答を間違えてしまうと・・・という、今となってはありきたりな類の話だったはずだ。

 閑話休題。とにかく私はそんな状態で、人生の中で最もオカルトに触れた時間を送っていた。

 事態が動いたのは、ケイから電話を貰って一週間ちょっと経った頃だった。

 自室で気を紛らわせるために漫画を読んでいた私は、警察の人が話を聞きたいと連絡を寄こしたので予定を開けておけ、と母に言われたのだ。

「ほら、あんた高校でケイくんって子と友達になったでしょ? その子の事で話を聞きたいってさ。うちの息子なら暇してるから、すぐにいらっしゃっても大丈夫ですよってお伝えしたら、午後一にはご自宅にお伺いします、だって。あんた、他所で悪い事したんじゃないでしょうね?」

 私は妙な勘繰りをしている母に弁解しつつも、そう言えば先輩が行方不明になっている事を家族の前で話題にしていなかった事に気付き、その辺りの事情や関係を伝えた。すると、息子が非行に走っているわけではなさそうだと判断したのか、母は警察への応対を祖父に任せると、姉を連れて買い物に出掛けてしまった。

 おかげで私は、事情を全く把握していない祖父に、昼食を取りながら一から十まで説明する羽目になってしまい、そうこうしている内に我が家のインターホンが鳴らされた。

「お、もう来たか。はーい、今行きますー! おれは警察の人を出迎えとくから、××は麦茶を準備して居間まで来い。あの人らもこの暑さで喉が渇いているだろうしな。茶菓子はいらないだろ」

 そう指示して玄関に小走りで向かっていく祖父を見送りながら、この時の私は不思議と、ケイが先輩を探す内に不法侵入でもやらかしたのかな程度の軽い気持ちでいた。祖父と警察の人らしき男女の話し声を耳に麦茶を準備し終え、どのタイミングで持って行こうか悩んでいると祖父から声が掛かり、私は麦茶が入ったボトルと幾つかのコップをお盆に乗せて居間に向かった。そこに待っていたのはワイシャツ姿の両親と似た世代の男性と女性で、詳しい容姿までは覚えていないが、穏やかそうな雰囲気をした人たちだった。挨拶もそこそこに自己紹介を受け、男性が捜査一課の刑事さん、女性が少年課の刑事さんだったはずだ。

「せっかくの夏休みなのに、お邪魔しちゃって悪いね。××君は〇〇高校の一年生で合ってるよね。同級生の△△△△(ケイの本名)君と君は、お友達で間違いないかい?」

 私に気を遣ってか、祖父を交えた簡単な世間話の後に、男性の刑事さんは改めてそう切り出した。私が肯定すると、二人の刑事さんは何やら祖父と頷き合い、なるべく落ち着いて聞いて欲しいと前置きをした上で、言った。

「八月〇日の夕方、△△△△(ケイの本名)君が亡くなられたんだ」

 私は、刑事さんのこの言葉の後のやり取りを、未だにはっきり思い出せないでいる。後に祖父に確認した所、私は動揺を表に出さず、しっかりと刑事さんたちの質問に受け答えしていたらしいが。

 ともあれ、ケイは私と通話した後に死んでいた。

 刑事さんたちとのやり取りではそれだけしか教えて貰えず、ケイとの最後になってしまった電話での会話やケイと先輩の三人で転び坂に行った時の話、その後の公園での怪談検証について私が説明すると、刑事さんたちと祖父に慰められた事はぼんやりと覚えている。ただ、ケイが何故死んだのか、どういう状況だったのか、はっきりした事が分からないまま終わった。

 私の家に刑事さんたちがやってきた日から、何日か過ぎた八月半ば。

 その日は登校日で、私は学校に向かったのだが、待っていたのは緊急の全校集会だった。恐らくはケイの死についてだろうと思っていた私は、そこで既に先輩も死んでいた事を知る。二人の死因は事故だと説明され、校長からは痛ましい事だが長期休みだからと言って気が緩んでいると事故に遭う云々の説教が飛び出していたが、割愛させて頂こう。

 学校側は事故だと発表したものの、その後、先輩とケイの葬儀は行われず、それぞれの遺族たちは年末になるとひっそりと〇〇市から引っ越していった。

 校内では様々な憶測が飛び交い、ケイと仲が良かった私は級友に色々と尋ねられ、私も二人の死ついて尋ね返して情報収集を試みたりと、二年生に上がるまで忙しなく様々な人たちとやりとりをした。

 この辺りのくだりを長々と書いても仕方が無いので、私が年月を掛けて知り得た二人の死について、判明した事だけを書いていこう。情報源については伏せさせて頂くが、限りなく事実に近いものであるとは断言しておく。

 まず、ケイの死について。

 ケイは私との通話を終えてすぐに母親と会話をしていたが、会話の途中で何かに押されたかのようにバランスを崩すと、母親の目の前で姿を消した。

 先輩とは違い、ケイは早々に発見された。

 ケイが住んでいたのは八階建てマンションの六階で、マンションの一階部分が全て駐車場になっている当時の〇〇市では珍しい造りをしており、同じ作りのマンションが何棟も集まる団地と言うやつだが、彼はそのアパート一階部分の駐車場で遺体となって発見された。

 遺体はまるで高い所から落ちたかのように潰れており、飛び散った肉片や広がった血の海から発見者の主婦は失神し掛けたらしい。

 明らかなケイの変死に警察は不審死として捜査したそうだが、遺体の状況から墜死不可能な場所で墜死したと結論付ける他なかったようで、やむを得ず事故として処理された。私の元に二人の刑事がやってきたのも、ケイの遺体の不自然さに少しでも情報を集めようと警察が努力した結果だというわけだ。

 次に、先輩について。

 先輩の自宅は当時築五年の洋風の一戸建てで、家の基礎部分には水道管やガス管などが通っている、所謂、縁の下と呼べる部分が存在していた。これは家の間取りに合わせて幾つかの小部屋に分けられたコンクリート製のものなのだが、ウェブで検索を掛ければ理解して頂けるはずだ。

 先輩が発見されたのは、この縁の下の一室だった。

 ケイが命を落とした三日後に先輩の家で異臭騒ぎがあり、家主に依頼された点検業者が縁の下で遺体を発見したという。遺体の発見場所の異様さから、通報を受けた警察は他殺の可能性を考えて捜査をしたそうだが、近隣住民の証言や先輩の家族のアリバイ、遺体の状態からこちらも事故死として処理された。

 先輩の遺体は気候の所為か腐敗が激しかったらしく、正確な死亡日時は分からずじまいだったが、恐らく行方不明になった翌日の日中に、熱中症が原因で命を落としたとの事だった。

 また、先輩の遺体は頸椎や腰骨などに損傷が見られ、落下由来のような衝撃を背中から受けて自力移動が出来ない状態に陥ったと推測されており、自力では脱出不可能な状況下に置かれた不運が死に繋がったと言えよう。

 尚、失踪当時の状況や遺体の損傷具合から、先輩は自室である屋根裏(ロフト)のベッドに横たわっていた状態で、縁の下まで落下したのではないかとされている。

 以上の情報を集め終えた頃には、私は二十代後半を迎えており、故郷を離れた他県で所帯を持つ身になっていた。

 ひとまずの区切りに至った私は、集めた情報と己の記憶を元に転び坂に関する一連の出来事を脳内で整理し、友人を失った悲しみに一応の別れを告げるつもりでいた。

 その日は出産に備えて妻が里帰りしたばかりの休日で、このタイミングが最良なのだろうと、私は処分出来ずに実家から持ち出してきていた当時使っていた携帯電話を手に、無念の死を迎えた二人の魂が少しでも安らぐようにと改めて冥福を祈った。

 ケイとの思い出。先輩との出会い。転び坂に向かい、そして公園での検証。

 思考がぐるぐると巡れば、やがてあの時ケイを止めていればとの後悔がにじみ、ふと、何故自分は転び坂に向かった事を後悔しているのだろうか疑問に思った。

 二人の死は異質なものだったが、我が身を以て体感した転び坂の怪異は、人を死に至らしめる凶暴さを持ち合わせていなかったはずだ。

 いや、違う。ずっと違和感があった。

 故郷を離れ、青春時代の悲劇が脳裏に蘇るたびに、記憶に掛かっていたモヤのようなものが徐々に薄れていき、違和感は増していったはずだ。

 私は必死に考えた。

 ケイはマンションの六階に居ながら母親の目の前で姿を消し、一階の駐車場にて墜死した。

 先輩は屋根裏部屋のベッドに寝転んでいながら、縁の下に落ちて動けなくなった。

 私は公園の砂場の上に立ち、気が付けば足元の砂場で俯せになっていた。

 転び坂で肩を叩かれると二日後に突き飛ばされて転んでしまう、わけではない。

 どうして今まで気付かなかったと思えるほど、簡単な答えだった。


 転び坂の怪異は、夕方に坂を上った者の肩を叩き、二日後の同じ時刻に、そっと肩を叩かれた者の背中を押し出して、落とすのだ。押し出された者は、その時に居た場所から怪異が地面だと判断した地点まで、物理原則を無視して落ちるしかないのだ。だから、地面に立っていた私は寝転がるだけで済み、ケイと先輩は高さに応じた結果をその身に受けてしまった。


 きっと私は、当時も薄々勘付いていたに違いない。自分が二人に対して、転び坂の怪異は大したものではないと誤解させるきっかけになってしまったから、無意識に分からない振りを続けたに違いない。もし、もっと早く怪異の真実に勘付いていたら、私は最後になってしまったケイとの通話で、彼を助けられたかもしれないというのに。

 この後悔は、所詮、結果論だ。人が二人死んだ事で得られた情報があって初めて、答えに行き着く手掛かりを得た愚鈍な私には、あの検証結果だけで転び坂の危険性を見抜くなんて真似は到底無理だ。だがそれでも、私は私を責めずにはいられない。

 ああ、こうやって自分の告白をまとめていたら、新たに気付いた事がある。

 今思えば、あの時の刑事さんたちも、新学期が始まってからの級友たちも教師も、老若男女問わずに〇〇市の人たちは私が転び坂の話をすると決まって言っていた。

「あれはただ転ぶだけだから、絶対に二人の死とは関係無い」

 

 だから、転び坂の怪異はあの地域にだけ伝わっているのだろう。

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ほんのり怪異ばなし ミトガワ トウジ @ochamelon-konnyaku32

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