勇者の物語

 気がつけば、太陽はすっかり西へと傾いていた。

 空が赤く染まり、ネージュ村の家の窓に、ぽつぽつと明かりが灯る。

「おーい! そろそろ祭りが始まるぞー!」

 森の入口で、若者が大きく手を振っていた。

「兄ちゃん!」

 一人の少年が歓声を上げ、若者の方へと駆けていった。それにつられるように、子供達がぞろぞろと村へと戻っていく。

 ませた少女がギーゼラに向かって、律儀にぺこりと頭を下げた。

「素敵なお歌をありがとうございました」

 挨拶も完璧だ。こちらこそ聴いてくれてありがとうと手を振った。

 子供達の頭を、青年がぽんぽんと撫でていく。何人かは頭を抑えて不思議そうな顔をしたが、大半の子は気にせず森の入口へと向かって行った。

 子供達を待っていた若者が、小さく会釈する。同じように返して、ギーゼラは若者と子供達の背中を見送った。

 その場には、吟遊詩人と青年だけが残る。

「さて、じゃあ感想とかあったら聞かせて欲しいな」

 青年に声を掛けると、その目が大きく見開かれた。

「え!? 嘘、俺の事見えてる!? いつから!?」

「そういう体質なんだ。最初から見えてたよ。というか、何度か目が合ったし手を振っただろう?」

「そっかあ、見えてたのかあ」

 照れたように頭を掻く青年の身体の向こうに、森の木々が透けて見えていた。

 彼はもう死んでいる。亡霊だ。だが、恐ろしくはなかった。

「せっかく本人が聴きに来てくれたんだ、気合い入れてやらなきゃなって思ってたんだけど、どうだったかな」

「いやいや凄かったよ。竪琴であんな音初めて聴いた。ただ」

「ただ?」

「最後までは演奏しないんだな」

「…………あの子達には、まだ早いかと思ってさ」



 勇者ルネの物語は、悲劇である。

 幼馴染の死から立ち直り、ルネは仲間と共に魔王の城へと向かった。

 だが、生還したのは三人だけ。ルネはその中にいなかった。

 勇者に追い詰められた魔王は、背中から翼を生やし、窓を突き破って逃げようとした。

 ルネは迷わずその後を追い、空中の魔王に飛びついた。そして、そのまま魔王の胸に剣を突き立てた。

 魔王と共に、ルネは地の底へと墜落した。

 仲間達は半狂乱になってルネを探し、魔王の死体の下敷きになっていた彼を発見する。

 既に息を引き取っていたルネに、魔法使いは何度も回復魔法を掛けたという。彼の遺体には傷一つ残らず、遠目では眠っているようにしか見えなかった。

 戦士はルネの遺体を宝物のように抱えて、彼の故郷まで歩いたという。棺には入れなかった。誰かが運ぶのを代わろうとしても、決してルネから手を離さなかった。

 三人の仲間に護られて、ルネは故郷に帰還した。

 その日、ネージュは春灯はるあかりの日を迎えていた。

 村の人々は勇者の死に驚き戸惑い、不幸があったならと祭りを取りやめようとしたが、

「やめないで」

 目を真っ赤にした巫女が言う。

「ルネは春灯はるあかりの日が好きだった。だから、続けて。よくやった、よく頑張ったって褒めてあげて」

 ネージュの勇者、ルネは春灯はるあかりの日に帰還して、今ではシモンと同じ墓で眠っている。



「どうしてここにいるのか、聞いても良いかい?」

「どうしてって言われてもなあ…………信じてもらえるかどうか」

「その辺は大丈夫だ。ほら、私、数百年前の勇者様の幽霊が見えてるし」

 しばらくうんうんと唸った後、青年────ルネは、照れたように言った。

「色々終わった後にさ、俺、神様に会ったんだよね」

「神様?」

「魔王を倒したご褒美に、何でもひとつだけ願いを叶えてくれるってさ」

 風が吹いた。ギーゼラとルネの間に、夕暮れの風に舞い上がった木の葉が通り過ぎていく。

「あの後世界がどうなったのか、魔王をちゃんと倒せたのか気になったからさ────年に一度だけ、春灯りの日だけで良いから、こっちの世界に戻れるようにお願いした」

「…………生き返りたい、とは思わなかったのかい?」

「それも考えたんだけどさ、生き返れるのは、一人だけなんだって」

 ルネはへにゃりと困ったように眉を下げた。

「生き返って欲しい人は、たくさんいたからさ。誰か一人なんて選べなかった」

「…………なるほどな」

 勇者としての旅の合間に、ルネは数多くの人の死を見てきている。自分だけ生き返ろうとは思わなかったのだろう。

 ルネの身体の向こうに、ネージュの村の様子が見える。こころなしか、昼間よりも村が明るくなったような気がした。

「おっ、始まった始まった」

 村の方を振り返り、ルネが楽しげに言う。

 春灯はるあかりの日には、紙で作ったランプに火を灯して、それを村中に吊るす。昼間のように明るくなった村の中で、春が来たことを喜び、酒を飲み、歌を歌い、美味しいものを食べて祝うのだ。

「綺麗だろう。早くあっちに行こうぜ。俺、この日が大好きなんだ!」

 数百年前の幼い勇者は、実に無邪気に、誇らしげに笑っていた。

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春灯りの日に捧ぐ 三谷一葉 @iciyo

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