春灯りの日に捧ぐ

三谷一葉

吟遊詩人の物語

 北の大陸、グラスノルドは一年の半分以上が雪で覆われている。

 グラスノルドの民は雪と氷に慣れてはいるが、だからこそ春の暖かさを何よりも待ちわびていた。

 故に、北の大陸の行事は春に集中している。それを目当てに、吟遊詩人や旅人達がやって来る。

「ねえねえギーゼラ、お話聞かせてよ。面白いやつ!」

「俺、戦いの歌が聞きたい!」

「お、お姫様のお話、知りませんか?」

 昼の終わり。太陽が西へと傾き始めた頃。

 ネージュ村の外れにある森の中で、切り株を背もたれ代わりに座った吟遊詩人の女の周りに、目を輝かせた村の子供達が集まっていた。

 子供達は、まだ十歳になるかならないかというところだ。一人だけ、彼らのお目付け役を命じられたらしい青年が、一歩離れたところで見守っている。

 大人達は祭りの準備に忙しい。今日は、春の訪れを祝う「春灯はるあかりの日」だ。

 邪魔な子供達は、吟遊詩人さんに遊んでもらいなさいと追い払われてしまった。

(まあ、追い払われたのは私も一緒なんだけど)

 口元に苦笑を浮かべて、ギーゼラはちらりと青年の方を見た。青年が申し訳なさそうに頭を下げる。

 気にしてないよと片手を振って、膝に抱えた竪琴を持ち直した。日程をうっかり間違えて、大事な祭りの前日に到着したこちらにも落ち度がある。

「ギーゼラってどこから来たの?」

「赤い髪の人って初めて見たー!」

「ねえねえ、旅って一人でしてるの? 女の人なのに? 危なくない?」

 ギーゼラは炎のような赤い髪と赤い瞳を持っている。年齢は二十代半ば。

 北の大陸の人々の大半は金髪碧眼だ。子供達や、後ろで見守っている青年も同じである。

 女の一人旅というのも珍しいのだろう。まだたった一日しか滞在していないのに、すっかり注目の的になっていた。

「流れてきたのは東から。私の故郷じゃこれが普通さ。一人旅は気楽で良いよ。さて、じゃあお近づきの印に、一曲聴いてもらおうか」

 流れるようにそう言って、ギーゼラは竪琴の弦を弾いた。

 好き勝手に喋っていた子供達がいっせいに口を閉じ、座り直した。

 子供達の目が、期待に輝いている。

「むかしむかし、まだこの世界に魔王が居た時代。大地は荒れ、魔物が増えて、人々は飢えと病に苦しんだ。そんな絶望の時代に、神聖教会は一人の若者を、魔王を倒す勇者に指名した。このネージュの村の若者を」

「この村の人なの!?」

「あ、それ知ってるー!」

「そうだよ。この村の人が、世界を救ったんだ」

 歓声を上げた子供に微笑みかけて、ギーゼラは竪琴の弦に指を掛けた。


 その少年の名前は、ルネという。

 彼には両親がいなかった。

 母はルネを産むのと同時に死に、父はルネが三つの時に雪山の中に消え、そのまま戻って来なかった。

 父にも母にも縁者はいない。

 ルネを育てたのは、隣に住んでいた赤の他人だった。

 けれど、その育ての親も、ルネが十五の時に病で亡くなった。

 残ったのは、ルネと、ルネより二つ年下のシモンだけだ。

 兄弟同然に育った幼なじみを、ルネは何よりも大事にしていた。

 だから、教会から使者がやって来て、「魔王を倒して欲しい」と言われても、ルネは首を縦には振らなかった。


「ええーっ!」

「なんでー!?」

「弱虫だ! 弱虫なんだ!」

 少女達が首を傾げ、少年達が拳を突き上げる。子供達の後ろに立つ青年は、困ったように笑っていた。

 竪琴を奏でる手は止めず、ギーゼラは言う。

「ルネはシモンが何よりも大切だった。だから、自分が離れている間にシモンに何かあったら大変だって心配で仕方なかったんだよ」


 大人達に懇願され、

 村長に頭を下げられて、

 ルネは勇者になることを承知した。

 勇者となり、魔王を倒す報酬に望んだことは二つだけ。

 シモンの病気が治ることと。

 彼が何不自由なく暮らせること。

 シモンは教会に預けられ、そこで最高の治療を受けることになった。

 こうしてルネは勇者となり、仲間と共に旅立った。

 いつ終わるのかもわからない、魔王を倒すための旅。


 騒がしかった子供達が口を閉じ、大きな瞳でギーゼラを見つめていた。

 少し離れた場所にいる青年は目を閉じて、竪琴の旋律に耳を傾けていた。

 吟遊詩人は、幼い勇者の冒険譚を朗々と奏でている。


 短気だが情に厚い戦士。

 皮肉屋の魔法使い。

 物静かで毒舌な巫女。

 三人の仲間と共に、ルネは魔王を探して旅をする。

 魔物の被害に怯えている村に立ち寄っては魔物を倒し、

 怪我や病に苦しむ者のために薬草を探して渡してやり、

 いがみあう国の間に入って、戦争の調停をすることもあった。


 ギーゼラは、そこで三つの歌を披露した。

 どちらが多くの魔物を倒せるか競い合う、戦士の陽気で激しい歌。

 口では皮肉を言いながら、傷や病が癒えるまで付きっきりで看病をする、魔法使いの穏やかな歌。

 大国の王相手に一歩も引かず、戦争を止めよと諭す、巫女の神秘的な歌。

 年上の頼れる仲間に助けられ、ルネは成長していった。

 もちろん、シモンのことは忘れていない。

 僅かな暇を見つけては手紙を書き、今どこにいるのか、どんなことをやったのか、次はどうするつもりなのかを、教会にいるシモンへ送っていた。

 シモンも返事を書いた。行き違いになってしまうことも多かったが、お互いの手紙は何よりの楽しみだった。

 そして、ルネが勇者になって、三年が経った頃。

 シモンを預けた教会に立ち寄って、久しぶりに幼馴染の顔を見ようとした時に。

 ルネは、シモンの死を告げられる。


「そんなはずはないと、ルネはとても驚いた」

 哀しげな旋律が流れていた。

 子供達は静かだった。その後ろにいる青年は、どこか遠くを見るような目をしている。


 そんなはずはない。シモンが死ぬはずがない。

 ルネは幼馴染の死を受け入れられなかった。

 離れていたが、行き違いになることも多かったが、それでもずっと手紙のやり取りをしてきたのだ。

 つい先日、シモンからの手紙を受け取ったばかりだった。

 取り乱すルネに、シモンの世話係だった教会の使者は淡々と告げた。

 シモンが死んだのは、ルネが旅立ってから半年後のことだった。

 できる限りの治療はした。

 けれど、シモンの病は重かった。

 既に遺体はネージュ村に戻されて、葬儀も終わっている。

 呆然とするルネに、使者は大量の手紙を手渡した。

 全てシモンが書いたものだ。

 シモンが息を引き取った後、古い物から順番に、世話係だった使者がルネに送ったのだという。

 ルネはシモンを守るために勇者になった。

 けれど、シモンはもういない。


 哀しげな旋律は、細く頼りなく、だが消えることなく続いている。


 ルネは、遺された手紙を貪るように読んだ。

 宿の部屋に閉じこもり、食事を忘れ、眠ることもなく、心配する仲間の声すら届かない。

 シモンの手紙はいつも楽しげだった。

 教会の中で見聞きした面白いことや、医師の顔が怖いこと。

 薬はとても苦いけれど、それさえ飲めば今までにないくらい元気でいられること。

 何度も何度も繰り返し読むうちに、ルネは、シモンが未来について書いていることに気がついた。

 いつか病が治ったら、ルネと一緒に旅がしたい。

 ルネと一緒に旅をしている人達に会いたい。

 剣の鍛錬をして、魔法の勉強をして、ルネのような勇者になりたい。

 ルネの手紙にあったあの街へ行ってみたい。あの食べ物を食べてみたい。

 ルネが魔王を倒したら、また二人でネージュ村に戻り、春灯はるあかりの日の祭りに行きたい。

 シモンの手紙には、希望が満ちていた。

 病の苦痛や死の恐怖は、どこにもなかった。


 細く頼りない旋律が、徐々に力を取り戻す。

 そして、哀しげなものから穏やかなものへと変化していった。

「シモンはこの世界を愛していた。魔王を倒さなければ、あの子が行きたかった街や会いたかった人が消えてしまう。だから」

 ギーゼラは、竪琴の弦を力強く弾いた。

「シモンが愛した世界を守るために、必ず魔王を倒すとルネは決意した」

 じっと耳をすませていた子供達が、ほっとため息のようなものを吐く。

 旋律は激しく力強く、楽しげなものに変わっていた。

「そして、ついに北の果てに魔王の城を見つけて────ルネは、見事に魔王を討ち果たした」

 最後に竪琴を掻き鳴らし、吟遊詩人は物語の幕を下ろした。

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