僕らが異世界転生できないワケ

酒井カサ

第『転』話:政府、『異世界転生』現象を認める


 PCのモニターには、WEB小説が表示されている。

 交通事故より落命したはずの少年が神と邂逅している場面だ。

 続く会話から、本来は事故にあうはずのなかった少年が、神の不手際により死亡したとわかる。

 損失の補填として、少年を異なる世界に転生させ、新しく人生をやり直させると神はいった。

 ――異世界転生モノの導入部である。


「これが絵空事ならば、面白いのだけど……」


 小さくため息を吐いて、ブラウザを閉じた。今日のインタビューに関する事前調査はもう十分だろう。メモ書きの付箋を取材ノートに張り付ける。

 出来の悪いフィクションが現実になるなんて。

 苛立ちを覚えながらブラウザに表示されているニュースを見つめた。

 一面トップの見出しは【政府、『異世界転生』現象を認める】であった。



 東京都千代田区霞が関。

 ここに、日本で最も進んだ異世界転生・転移現象の研究を行っている国立異世界転生・転移研究所(National Institute for Reincarnation and Metastasis,NIRM)の本部がある。

 以前は非公開組織であったが、文部科学副大臣の異世界転生に伴う政府方針の転換により、その存在が知られる事となった。

 全国紙の記者である私、柿本はありとあらゆるツテを使い、NIRMの本部を訪れ、上級研究員である岡崎天彦おかざきあまひこ教授へ話を伺った。


 岡崎教授はかつて某出版社のもつライトノベルレーベルの編集長だった。退職後は都内の私立大学に勤務する傍ら、NIRMの研究員として、異世界転生・転移現象を研究してきたという。いま最も異世界転生・転移現象について詳しい人物である。

 そんな彼は私のほうを向いて、こんな質問を投げかけてきた。


「柿本さんは、異世界転生についてはご存知です?」

「主人公が元の世界で一度死亡して、異なる人物として『異世界』への生まれ変わりを果たすこと。あるいはそれを題材にした創作物のこと、でしょうか?」

「その通りです。ですが、それだけではありません」


 教授は白衣のポケットからメモ帳を取り出して、その一枚を私に差し伸べた。メモ帳を小脇に挟んで受け取る。異世界転生・転移の観測例が箇条書きで並んでいた。


 その種類は想像よりも遥かに多い。

 空間異常により生じたゲートに入った際に転生するケースや、オンラインゲームをプレイしていた際に転生するケース、はたまた、精神だけが異世界の住人に定着してしまうケースなど。例を挙げるときりがない。


「つまるところ、『異世界転生』はあくまで便宜上の区分に過ぎないのです。実際は事例の数だけ別の異世界転生・転移現象が発生しているわけで」

「対策は容易ではないと?」

「ええ、ゆえに異世界転生・転移現象の専門家である我々が、文科副大臣のキャバクラでの転生を阻止できなかったわけです」


 私は驚くと同時に不安に駆られる。

 我々は異世界転生・転移現象に対してあまりにも無力なのではないか、と。


「さらに悪いことに、この国の青少年における異世界転生・転移率は他の先進諸国に比べて著しく高いのです」

「そ、そんな。どうして我が国が?」

「日本列島中のマナが特殊であることや、青少年が抱く夢と妄想が異世界に作用しやすいことなどが学会では挙げられていますが、はっきりしたことは……」


「それじゃあ、我々、日本国民は異世界転生・転移現象への恐怖を抱えながら生きないといけないのですか、教授っ!」

「いえ、その必要はないですよ。我々にも対抗策があるので」


 教授は微笑を浮かべて答えた。

 まるで玩具を自慢したい子供のように、瞳を輝かせながら。


「――ここから先はオフレコでお願いします」



 エレベーターは降下を続ける。

 乗り込んでかれこれ五分以上は経過したが、目的地まではまだ距離があるようだ。

 教授いわく、異世界転生・転移現象に対抗する切り札が眠っているそうだが。

 しかし、これほど大掛かりな施設を秘密裏に建設しているとは驚いた。

 その資金が血税から出ていると思うと苦々しくもあるが。


「そういえば、衆院を通過しましたね」

「トラック増税法、ですか?」

「ええ。緑色ナンバーの税率を三倍にするなんて。これじゃ、国内の流通業はおしまいですよ。政府も何を考えてこんな悪法をつくるのか。理解に苦しみますよ、まったく」


 政権が長期化したことによる慢心だろうか。

 それとも野党の求心力が著しく衰えている影響だろうか。

 なんにせよ、よい状態とは言えない。

 しかし、初の女性首相を支持する者は多く、支持率も安定して推移している。

 そんな私の毒づきに、教授は淡々と返した。


「理由ならありますよ。異世界転生・転移現象を防ぐという」

「――は?」

「ご存じないですか? 異世界転生現象において、最も多いのは事業用貨物自動車による人身事故である、と」

「そんな、バカな……」


 異世界転生小説の導入において、トラックによる死亡事故はポピュラーな演出である。トラック転生というジャンルすらあるように。

 それは実世界においても同じであるらしい。

 つまり、トラックのせいで異世界転生現象が起きているというわけだ。

 それゆえに政府は異世界転生現象を防ぐために、トラックを狙い撃ちする形で増税に踏み切ったのだと、教授は語った。


「柿本さんの指摘の通り、政府はトラックを消滅させたいのです。青少年がトラックに轢かれた場合、およそ九割が異世界転生してしまうのですから」

「で、ですけど、トラックを打ち滅ぼしたら、この国の物流もまた消滅します。それに伴って失業者が溢れるんですよ。経済損失だって計り知れない……」

「しかし、日本国の将来を担う青少年が異世界に流出することを防がなければ、未来はない。そのためには時に犠牲が必要なのです」


 教授はメガネを拭きながら、そういった。

 彼の言い分は理解できるが……。私個人としてはどうにも納得しかねる。

 しかし、NIRMが将来を担う青少年を保護することを目的に、国家予算の5%にあたる資金を投じて設立された経緯を踏まえると当然といえる。

 それが正しいかどうかは別であるが。



 晴れぬ気持ちで考え事をしていると、ズンと衝撃が走り、エレベーターが止まった。どうやら目的地に到着したらしい。先行する教授を追う。


「到着しましたぞ。地下五十階に」

「それで、ここには何があるんですか?」

「神と戦うための、機械仕掛けの神デウスエクスマキナが在ります」


 ライトノベルの口上みたいに説明をしてくれる教授。

 しかし、如何せん分かりづらい。小首を傾げながら、ペンを手に取る。


「神っていうのは、異世界に住まうとされる高次元生命体のことですか?」

「おおよそは。神は単体ではなく複数存在し、なおかつこの世界にも存在することが確認されていますけど」


 教授はサラッと実世界の法則が乱れかねないことを述べる。

 神の存在証明がもたらす影響はそれこそトラック税の比ではない。

 人類史は神を信仰する宗教によって発展してきたわけで、その中心に座する存在が実在するとなると……。その件に関して、深掘りしたいがぐっと我慢する。


「しかし、神といっても有益な存在ばかりではない。異世界にも祟り神や邪神の類は多い。そういった神々は特にちょっとした手違いや気まぐれで、青少年を異世界転生・転移させてしまうのです」

「そんな超次元的存在には手も足も出ないのでは?」

「いえ、それがそうでも。いつだって人は小賢しいものです。それこそ、神の想定以上に」


 ご覧ください、と教授は暗闇を指さした。その瞬間、光が灯されて辺りが明るくなった。そこには無数の箱状の物体が陳列されていた。

 どこまでも、どこまでも。視界いっぱいに広がるそれは兵馬俑を彷彿させる。あるいは異世界と戦うための先兵のようにも見えるけれど。しかし、これはいったい?


「これこそ、ヒトが神を出し抜くために作り上げた希望。対異世界用シン型血戦兵器。『電脳偽神でんのうぎしんツクモ☆マギカ』です」

「電脳偽神ツクモ☆マギカとは、つまり?」

「現在、理化学研究所に設置されているスーパーコンピュータ『刹那アト』の九十九倍の性能を誇る自律思考型スーパーコンピュータといえばわかります?」

「世界一のスパコンの九十九倍っ!? まさか存在しているとは……」

「神と対等に戦うには、この程度のスペックがないと厳しいですから」

「それで、電脳偽神ツクモ☆マギカはどうやって異世界転生を防ぐのですか?」

「ツクモ☆マギカの計算能力をもって、全世界をエミュレートして、神々のやらかしを察知。青少年を誘導して、異世界転生・転移を退けるわけです」

「なるほど」


 まるですべてを理解したように頷いてみせるも、岡崎教授が何を言っているのか、理解できずにいた。

 電脳偽神ツクモ☆マギカの性能然り。

 神々の干渉然り。

 どれもこれもライトノベル的で現実味を帯びていない。

 しかし、異世界転生を防ぐ方法はこれだけにとどまらないようで。


「しかし、ツクモ☆マギカでは異世界からの召喚サモンを防げないのが難点なのです」

「あ~、そうなんですか」露骨にテンションが上がっている教授に生返事で答える。

「そうなんですっ! 大気中のマナ濃度が低い地球に干渉し、青少年を転生召喚リンカーネーション・サモンができるほどの召喚士サモナーは我々にとっては神をも超越する強敵なのです」

「なるほど」


 異界の召喚士サモナーのほうが神々よりも強いとは……。

 もはやよくわからなくなってきた。しかし、今更引き下がることもできないので、適当に相槌を打つ。岡崎教授は元気ハツラツとしていた。若干げんなりしながら、疑問点を訊ねる。


「では、召喚に対して、我々は無力だと?」

「まさか、そんなことはありません。我が国には『竜姫巫女タツノヒメミコ』がいるではないですか!!」

「あの、『竜姫巫女タツノヒメミコ』というのは?」

「神代よりまじないを司る氏族です。異世界の召喚士と対等に戦えるほどの霊力を持っています。彼女たちに協力してもらい、大型召喚魔術を破壊することで転移現象を防いでいます」

「いや、そんな一族、聞いたことがないんですけど」

「そんなはずはありません。日本の歴史において彼女たちの存在の影響は計り知れないのですから。……ああ、『表』の歴史では『藤原』姓を与えられた『男性』となっているのか」


 ついには歴史観までラノベっぽくなってきた。

 藤原の一族が本来はみんな女性で竜の血を継ぐ巫女だなんて。

 しかも、現在なお政治を動かしているなんて。にわかに信じがたい。

 そうしたことを岡崎教授に伝えると、こう言った。


「時に柿本さん、藤原の摂家はご存知です?」

近衛このえ鷹司たかつかさ一条いちじょう二条にじょう九条くじょう千条ちじょうの六家であってますよね?」

「もちろんです。それでは今の内閣総理大臣ってご存知です?」

千条千歳ちじょうちとせ……ってまさか」

「その通り。『竜姫巫女タツノヒメミコ』たる彼女が内閣総理大臣となったことで、異世界転生を防ぐ秘密組織、NIRMが設立されたのです」


 なるほど。そういった経緯があったから、被選挙権を有する年齢にない美少女が内閣総理大臣になったのか。すっきり解決。

 それと同時に記事にもできないと思った。大逆罪が適用されかねないし、そんな魔女を敵に回したくない。ジャーナリスト魂はそこら辺に投げ捨てた。


「最後に時空間のねじれにも対策があるんですよ」

「というと?」

「これは電脳偽神ツクモ☆マギカを制御するAIが獲得した、『アカシックレコード』を使用するんですよ。これによって、今後百年間の正史を決定することで、時空間のねじれをねじりきるわけです。宇宙ひも理論的に」

「すごいですね」

「こうした我々の努力によって、青少年の異世界転生・転移現象は未然に防がれているんです」


 岡崎教授は意気揚々と語り、インタビューは終了した。

 今回の取材は私が長年追い求めてきた特ダネに値するほどのスクープだった。しかし、どうにもやるせない思いを抱えていた。

 これらの一切は新聞に掲載されることはないだろう。編集長に「こんなラノベ、うちで載せられるかよ」と突っぱねられるが目に見える。

 だが、ここで何もせずに帰ることほど情けないことはない。

 私はカバンからメモ帳を取り出して、教授に質問をした。


「近頃、『高齢者の連続失踪事件』が繰り返されていますが、この事件は異世界転生・転移現象とはどのような関係があると思いますか?」

「おそらくは異世界転生・転移の影響でしょう。組織として確認しているわけではありませんが」

「そんな。NIRMは異世界転生・転移現象から国民を保護するための組織でしょう。なぜ、高齢者の異世界転生・転移現象の予防や対策をしないのですかっ!」


 私が問い詰めると、岡崎教授は無表情でこう返した。

 

「国立異世界転生・転移研究所は『日本の将来を担う青少年の保護』を目的とする組織ゆえ、その件に関するコメントは差し控えさせていただく」



 その後、大手新聞社を辞めた私は、異世界より帰還した元文部科学副大臣(TS転生の影響で現在は十七歳の美少女)が『異世界の解放と、連れさらわれた地球市民の奪還』を掲げて創設した国際組織、異世界解放戦線(Different World Liberation Front,D.W.L.F)の構成員として、携帯型電磁投射砲ポータブル・レールガンを片手に政府と戦っている。


 ――老人やニートが異世界転生・転移しなくてよい社会を目指して。

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