パパと日葵のヒミツの場所

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ヒミツの場所に、連れてって

 初夏の東京は、朝から汗ばむ陽気に見舞われていた。

 東京駅を行き交う人の波を避けながら、星村俊一ほしむらしゅんいちは娘の日葵ひまり、妻の佳苗かなえとともに、東京駅のコンコースをひたすら歩いていた。

 俊一は、久しぶりに取れた仕事の休暇を利用して、自宅のある福島から2泊3日の日程で千葉県にあるテーマパークに遊びに来ていた。

 最終日はホテルから自宅へ直帰する予定で、このまま帰りの新幹線に乗るだけだったが、その前に、俊一はどうしても行きたいところがあった。


 テーマパークは時間を忘れて楽しめる、思い出に残る場所だった。

 しかし、楽しんでいる最中も、俊一の頭の片隅から、あの場所のことが離れなかった。

 仕事が忙しく、なかなか上京する時間も取れない中、ようやく来ることができた東京。自宅に帰る前に、行って、この目で確かめたいことがある……しかし、家族だけ置いてけぼりにして、自分だけ楽しんできていいのだろうか?

 俊一が思い悩んでいる顔をしているのを、娘の日葵が心配そうに見つめていた。


「パパ、どうしたの?体の調子が悪いの?」


 俊一は日葵の問いかけを聞いて、ようやく自分の胸の内を離す決意がついた。


「みんな、突然の話で済まないけど、俺、帰る前にどうしても行きたい場所があるんだ。ちょっと、行ってきていいかな?」


「え?どこ?パパが行きたいところって?」

 日葵が、頬杖を付きながらニヤニヤとした表情で俊一の顔を見つめた。


「パパだけのヒミツの場所だよ。パパの若い頃の思い出が、いーっぱい詰まってるんだ。夕方までにはここ東京駅に戻ってくるから、みんなはそれまで銀座とかで買い物したり、上野の動物園に行ってきてもいいよ」


 すると、日葵が突然目を大きく見開き、俊一の肩を叩いた。


「え、ヒミツってどこなの?行きたい!連れてって」

「ここから電車を乗り継がなくちゃならないし、結構長く歩くからね。昨日までさんざん遊んで疲れてたけど、大丈夫かい?」

「うん!だって、パパだけのヒミツの場所なんでしょ?ずるいよ、パパばっかり。日葵にも教えてよ~」


 俊一と日葵の会話を聞き、佳苗は、嘲笑しながら、俊一の顔を横目で睨んだ。

「ヒミツって、あの場所のことでしょ?じゃあ、行っておいで。せっかくの機会だし、日葵にも見せてあげたら?」

「いいのか?」

「いいわよ。私は2日間遊んで疲れちゃった。銀座で買い物しながらゆっくり体を休めてるから、行っておいで~」

そういうと、佳苗はニッコリ笑いながら軽く手を振った。


「ったく。一人でゆっくり見に行きたかったのに…じゃあ来いよ、日葵」

「やったあ!パパのヒミツって、どんな場所なのかなあ?楽しみだなあ」


日葵は嬉しさのあまり、奇声を上げて飛び跳ねながら、俊一とともに中央線のホームへと続く階段を昇っていった。


 東京を縦横に貫くように走る中央線は、吉祥寺を過ぎると窓の外の景色がビル群から住宅街になり、やがて所々畑が見え始めた。

 二人は武蔵境駅で西武多摩川線に乗り換え、2駅目の「多磨駅」で下車した。


「え?パパ、ここ……どこ?」

 日葵は、ぽかんとした表情で周りを見渡した。


「ここは府中市。この辺りを『武蔵野』っていうんだ」

「むさしの……?」

「パパはね、学生の頃にこの辺りに住んでたんだよ。今日は久しぶりに、パパが学校に通う時に辿った道を、もう一度歩いてみたいって思ったんだ」


多磨駅の駅舎は改築中であり、シートに覆われ、工事が進行中であった。

駅の近くに大学が出来た影響か、以前は無かったコンビニエンスストア、居酒屋などが出店していた。

その時、俊一の足はピタッと止まった。


「あれ……無くなってる!どういうことだ!?」


 慌てふためく俊一を、日葵はどうしたの?と言いたげな様子で見ていた。

 ちょうど通りかかった地元の人らしき老婆に、俊一は声をかけた。

「すみません……ここの通りにあった肉屋さんはもう閉店したんですか?」

「ああ、もう5年位前に閉めちゃったよ」

「そうですか……ありがとうございました」


 俊一はがっくりと肩を落とした。

 学生時代、俊一は駅前にある肉屋で惣菜を買っていたが、店の主人と奥さんが、右も左も分からない土地で暮らす俊一を、まるで息子のように心配してくれていた記憶があった。

 家族同然の世話を受けたからこそ、結婚の報告、そして愛娘の姿を見せてあげたかった。


俊一は気を取り直して駅から少し歩き、西武線の線路沿いに密集している住宅街の一角に入ると、満面の笑みを浮かべ、古びた2階建ての木造アパートを指さした。


「ここだよ、パパが昔住んでいたのは」

「え?こ、こんな狭い所に住んでいたの?」

日葵は、驚きの表情でアパートに目を遣った。


「お金が無かったからね。エアコン無かったから、夏は大変だったよ。今はさすがにエアコンも入れたようだけど、建物自体は変わってないなあ」


 そういうと、俊一はアパートの姿を見届けながら、歩みを進めていった。

 都立野川公園の入口に差し掛かると、英語らしき言葉を話しながら、クラブ活動中と思しき数人の生徒たちが、公園の傍を走り去って行った。


「パパ、外人さんがいっぱいいる……」

「ああ、アメリカンスクールの子ども達かな?この公園の隣にあるんだよ」


 すると、ランニング中の生徒のうちの1人が、突然、俊一達の前で立ち止まった。

 生徒はブロンドの髪をなびかせ、日葵の前でしゃがみこむと、ニコッと笑って手を振った。


「Hi!」

「え?」


 日葵は、突然話しかけられ、あまりの衝撃に動けなくなってしまった。


「日葵、ハローって言え、ハローって」

「は、はは、はろ~……」


 すると、少女は微笑みながら掌を広げ、「Good!」 とだけ言って、日葵の掌を軽く叩いた。

 俊一は苦笑いしながら

「I'm sorry, my daughter can't speak English well.(ごめんね、うちの娘、全然英語しゃべれなくてさ)」と伝えた。


 少女は「I don't care. (気にしてないわよ)」 と言うと、手を振って再び走り出していった。


「すごい!パパ、今、英語しゃべってたよね?」

「うん…この場所で生徒さんに挨拶するうちに、少しだけ覚えたかな?」


 野川公園に入ると、そのあまりの広大さに日葵は驚いていた。

 どこまでも広がる緑の芝生の上に俊一は腰を下ろすと、大きな伸びをした。


「ふぁ~…昔はよく、授業をサボってここで漫画とか読んでたな」

「え、パパ……勉強、サボってたんだ?」

 日葵は、俊一にふと冷たい視線を投げかけた。


「まあ、た、たまに、ね」


 すると、木々の隙間から、轟音を立てながらセスナ機が俊一たちの真上に現れ、徐々にスピードを上げて空の彼方へと飛び立っていった。


「わあ!飛行機が飛んでる!すご~い!すぐ真上を飛んでる!」

「アハハ、調布飛行場が近いからね。昔、芝生の上で昼寝してた時に、この音でよくたたき起こされたよ」


 そういうと、俊一は高笑いし、ポケットから昨日テーマパークから貰ったチラシを取り出し、紙飛行機を折ると、思い切り青空に向かって放り投げた。


「すごい!飛んでる~!日葵もやりたい!」


 俊一は、日葵に地面に落ちた紙飛行機を拾い、手渡すと、日葵は全身を投げ打つかのような姿勢で、飛行機を飛ばした。


「わあ~!日葵、上手いじゃん!」

「ヘヘヘ、ちょっと自信あったんだ~」

「え?日葵、パパの真似しただけだろ?本当にやったことあるのかよ」

「えへへ、バレたか」


公園を通り抜け、野川を渡ると、二人の前には歩道専用の急坂が姿を現した。

自転車を降りて歩く学生や、散歩中の老夫婦とすれ違いながら、二人は疲れた体に鞭打って、前を向きながら坂を登り切った。

すると、真下には緑に覆われた野川公園が広がり、正面には遠く丹沢の山々を眺めることができた。


「パパね、昔、ここでママに告白したんだ。大好きですって」

「ええ?こ、ここで?」

「そうだよ。冬になるとここから富士山が見渡せるんだけど、夕焼けに染まる富士山を見ながら……ね。そしてパパとママは福島に戻って結婚して、日葵が生まれたんだ」

「そうだったんだ…」


日葵はしばらく黙っていたが、やがて何かを思い立ったのか、俊一の手をしっかりと握った。

手を繋いだまま住宅街の中を歩いた二人は、やがて多摩川線の新小金井駅にたどり着いた。


「はい、パパのヒミツの場所はここでおしまい。結構疲れただろ?」


すると日葵は、歩き続けて疲れ果てたせいか、駅舎の前にしゃがみ込んでしまったが、息を切らしながらも、笑みを浮かべていた。


「パパ、日葵にパパのヒミツ、教えてくれてありがとう。乗り物や美味しい食べ物はないけど、すごく楽しかったよ」

「日葵、お前……」

「ねえパパ、今度日葵に、英語教えて。あ、そうそう、紙飛行機も一緒に作ってよ」


そういうと日葵は、めいっぱいの笑顔で俊一に微笑んだ。


俊一と日葵が東京駅にたどり着いた時は、すでに夕焼けがビルの谷間から見える空を染め上げていた。

待ち合わせの場所で、佳苗が手を振って出迎えてくれた。

買い物を楽しんでいたようで、片手には有名デパートの紙袋を提げていた。


「おかえり。日葵、どうだった?パパのヒミツの場所」

「うん、すっごく楽しかった」

「どこが?」

「パパが若い時に住んでた武蔵野って所に行ったんだ。あ、それから……」

「それから?」

「ナ・イ・ショ」


そういうと、日葵は俊一と佳苗をニヤニヤしながら見つめていた。


「な、何よ、ママにも教えてよ~!」


俊一は苦笑いしながら、佳苗の耳元で

「あの場所のことだよ。俺がお前に…」

と囁くと、日葵は口に人差し指を立てて、「シーッ」と言った。


「ダメよ。パパと日葵の、ヒミツなんだから!」

「は、は~い」

 

 帰りの電車の中で、日葵は俊一の膝の上ですっかり熟睡していた。

 今回は日葵と一緒に訪れた、思い出の土地・武蔵野……変らないもの、変わってしまったもの、色々あったけれど、いつかまたこの場所に戻ってこよう。

 もう、俊一だけのヒミツの場所ではなくなってしまったけれど。

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