始まらない億万坂

河原田詩央

始まらない億万坂


 旧市街の片隅に壊れかけの小さな祠がある。

 ここは文字通りに街の隅っこで、人が栄えるに充分な平地はここで果てている。祠の脇の急坂を上り切れば物見が丘である。南北西と山に囲まれ、東の海に開けた街を南から睥睨するこの丘は、大昔、豪族の居館があったところで、いまは役場が建っている。

 いまから四十年と少し前まで、この高校の校舎は物見が丘の、ちょうどいまの役場の辺りに建っていた。足腰強靭なる四十年前の高校生はバスなど使わない。来る朝来る夕、駅から国道の旧道沿いに見事な黒山を為して歩き、祠の脇の急坂を上り下りしていたという。

「って感じの書き始めになるぞ」

「あァ、悪くないと思う」

「ッたくよお」

 なんであたしが郷土研の原稿なんて書かなきゃいけないんだよ、と舌打ち混じりに私は答えた。目の前の樹信太郎は困ったように細い眉をハの字に寄せて微笑んでいる。

「頼むよ。田澤は、だって、散文書けんじゃん。おれ、詩は書くけど文章になると、ちょっと」

 言葉を選びながら、こっちを刺激しないように、ヘタなこと言って断られないようにしながら、って感じの、区切りながらの口調。却ってムカ付くんだよバカ野郎。

「ふざけんなよ。こっちも部誌の原稿があンだから。だいたい……」

 見事に刈り揃えられた綺麗な坊主頭が、公家か歌舞伎役者みてェな細面の顔の上にバランス悪く乗ってんのを眺めながら、私は、

「なんで郷土研でも何でもないあんたがそんなこと頼んで来んの。野球部でしょうが? 樹大先生よォ」

「ちょっとな、あそこの片倉さんにはさ、借りがあんだよな……だから」

「その、そう、その片倉さん。だいたい、あたしなんかじゃなくって片倉さんに頼めばいいじゃんよ。いい論文書くんだら? あの人」

「片倉さんは卒業するよ」

「そうだった」

 私はまた舌を打った。あの人の論文は堅苦しいが価値のないものではないから、地元の調べ事なんかもしながら書く身としては重宝していたのに。樹が苦笑しながら声を掛けて来た。

「しっかりしろよ、新三年生」

「うるせえよ」

 と言いながら、私は、片倉さんが論考という形で執拗に描こうとしていたこの街の、時間がゆっくりと流れる、まるで現実味のない澱みきった有様を思い出していた。あの鉄道オタクが三年生であることと卒業式が近いことを忘れていたのは、何も私だけの問題ではないと思いたかった。すべては時間が悪いしそれを規定する地理的条件だって悪く、つまりは時空が悪いのだと目の前の樹に怒鳴り付けたい気持ちに駆られたが、昂ぶる気分を宥めすかそうという一片の理性がすんでのところで働きを見せた。

「新歓か、……」

 目の前のノートPCに開かれたMicrosoft Wordのタイトルを、誰にともなく呟く。いまの我が身の状況を落ち着いて確認するということのほかは、ほとんど意味のない呟き。樹は顔を此方に向けたまま、何も答えない。そうだ。それでいい。少しばかり胸のうちのムカ付きが抜けたように思えた。

 うちの高校の部活の新歓は、入学直後のオリエンテーションでまとめて行われる。体育館に居並ぶ全新入生を前に、運動部に文化部が順番に壇上で説明を行うという程度のものだが、年を追うごと新入生の数が減る中で、各部、それぞれの場が埋れ潰れないよう血眼になって目立とうとする。去年の茶道部の連中などは凄かったというか酷かったというか、湯呑の着ぐるみを着て登壇した部長が新入生たちに留まらず全校生徒の度肝を抜いた。してやられたという気がした。お茶ドン君だよー! とどうやらその着ぐるみのマスコットキャラクターであるらしい名前を連呼するだけのもので内容にさしたる見どころはなかったがインパクトは十分で、そのお茶ドン君へ会いに物好きな新入生が校舎一階の和室に詰め寄り、果してその相当数が入部と相成ったという。あれはどうやら部長がアイディアを出したうえで家政部の連中に頼み込んで作らせたものらしい。その家政部はと言えば自分たちの作った裁縫の作品を手元に横一列に並び、細々とした声の部長が被服調理をやっていますと言うばかりで、例のお茶ドン君については思い出したかのようにドモりながら、そういえば、さっきの、あの、茶道の着ぐるみは、私たちが、ハイ、と言うに留まった。何とかしてやれよ副部長! しかし助け舟は出なかった。呆れていたのかも知れない。けっきょくほかの部も工夫するにはしていたもののあそこで大々的に名を売ることに成功したのは茶道部だけであり、家政部の連中は協力しておけば自分たちの名前が売れるかも知れないという目論みもあるにはあったのだろうが骨折り損に終ったというわけであり、しかしそこは文化部同士の腐れ縁という奴で、一人勝ちの旨みを心ゆくまで味わった茶道部に対して怨みの感情はあっても顔には出さないし、今後もほかの部でもこういうことはあるだろう。センセイ方の言うことにゃ兼部は御法度のはずだがこうした場でのサクラや作業人員の駆り出しは決って平然と部を跨いで行われ、何も新歓だけのことではない。行事の際の協力関係というか互助関係はどうもせいぜいここ二十年にも満たないうちに始まったもののようで――過去の部誌を見ればわかる――この辺りの機微は貧弱な文化部同士では持ちつ持たれつと言えば聞こえはよいが身も蓋もないことを言えば慣れ合いと化し、習慣という名の既成事実と化している。弱いところが生き延びるには厭でもそれなりに助け合わにゃならず、そうしなければ存在感も発揮できず、文化部の削減と減り続ける生徒数に見合った部活動のスリム化という先公どもの都合に合わせた脅威からは逃れられないというわけだ。別に多くたっていいじゃん。撰択肢が用意されてんのはいいことだ。だいたいそんなことしたら高校進学の時点でこの街から出て行く若い衆の数はいまよりもっと、それこそウナギ上りに増えるだろうし、主に体育会のノリが厭な頭脳連中の流出を招くのは少子高齢過疎化という大三元をセッセと進めることにほかならず、ぶっちゃけ私としてはどうでもいいが連中は自分たちのやってることが逆効果だとわかってないので生徒たちから舐められる理由もそれじゃァわかりませんよねって感じがする。いずれにせよ救いがたい。さっさと卒業してどこへなりとも行きたいもんですよ。しかしかく言う私もこうして二人所帯の文芸部を、仮にも部長として守りたいという気分はあるし、いつ潰されてもおかしくはないという感覚だってある。風の噂じゃ文芸、郷土研、パソ部、科学部をブッ潰して総合文化部とかいうクッソダサい名前の新部活を立ち上げようという動きも出てるようで、そんなことしたらそれはあんたオタクがそれぞれに才能を見付けたり活かしたりできず何やっていいのかわからないまま取り敢えず来て駄弁るってだけの、社会不適合を社会不適合のままにして温存しとくだけの、溜り場になりまっせ、ということを思いもするし友達に話しもするが、実際はそこまで切迫した危機感というほどのものではなく、何かこう死角に見えない脅威が潜んでいて、それがどういう姿形をしているのかわからない、みたいな不気味さがあったし、いつどうやって攻めて来るかもわからなかったが、とりあえず措いておこうみたいな漫然とした怠惰さがあった。

 と言っても野球部員の樹信太郎がこうして私にメッセンジャーをやっているのはわからない。奴に郷土研とのコネがあるなんて聞いたことがないが、ひょっとしたら奴がだいちゅきでよく従ってたあのタカラベとかいう人との繋がりなんではないかと一瞬思ったりした。タカラベさんが前の図書委員長ってのは知ってるが、郷土研が新歓で朗読劇をやるって新機軸も、それを文芸部に書かせようってのも、ひょっとしたら彼の入れ知恵なのかしらん。それで自分の影響力を卒業したあとも……流石に邪推が過ぎるか。しかし善意でアドヴァイスしただけとしてもハタ迷惑が過ぎる。完全にとばっちりだもんな。

 樹がまた申し訳なさそうに口を歪めながら開いた。

「今度購買のパン奢るからさ……」

「バカにしてるら、あんた。二千字の文章の借しがパン一個? ふざけてんなよ。それにあたしが今言ったのだってほんの書き出しだかんな。これからもう二千五百字って思うと」

「え、ちょ、と、待って」

「何だよ」

「できてないの? それ以外のとこ」

「できてねェに決ってんだろ。いや筋は頭ン中にあるけどさ、裏付けになる史料がねェんだよ」

「え?」

「史料だって」

 私は樹の鈍い返事に収まったはずの苛立ちが再燃するのを覚え、また余計に苛立つのを感じていた。

 あそこの坂はちょっとこの高校になかなかゆかりが深いだけでなく由緒のあるところだとも言えるのは、樹に見せた朗読劇の書き出しの通りで、何なら旧市街に住むここの生徒はいまも通学にあの坂を使うことがある。坂を上り、むかし校舎があったいまの役場の脇をすり抜けて国道に出て、更に山の中の坂を上るとこの校舎に辿り着き、ってことはあの坂の意義がこの高校にとって死んでるわけじゃない。由緒というのはずいぶん前から坂は億万坂と呼ばれていたというほどのことだが、どうやらそれもあのボロい祠に関係するところというわけらしい。あの祠も気付いたときには街のあそこにあったらしいが、それでもなんで億万坂と呼ばれているのかはよくわかっていない。もっと風雅な名前があっただろうにと思われるだろうがそんなことは知ったことではないし、そんな文学的表現は文学的でも何でもないと思うからな。そもそもあんな小さな祠であれば家内社ということで街のちょっと旧い家なら庭先か玄関先に置いてある。漁師町のならいと言えないこともない。宗教が傍らにあるってのは殺生を稼業にする連中の業みたいなものだ。な祟りそ。な怨みそ。やがてはそれが道の、ということは土地の名になる。それは何も物語というものではない。生活に浸り切った中でそんなことができるものか。物語するには物語される側の身にもなってみてやれってこと。それは書く側が避けて通れない倫理というべきもので、事実をそのまま書こうとしても組み替えて書こうとしても書かれたその時点で、いや何ならそれよりもっと前、見られたその瞬間、像を通して何事かを認識するその瞬間で既に事実はフィクションになってるからいずれにせよ同じことだし、そもそも何も見ないで完全な想像でものごとを造形するなんてことは誰もできない。どこかで折り合いってのを付けなきゃならない。現実に対して不誠実な奴がフィクションをとやかく言う権利なんざどこにもないと思いたい。私は私で真面目にやってるつもりなんだ。いまの私には史料が必要なんだよ!

 中には現実に見たままの光景でないと信じないという輩がいて、ある時図書委員長、当時はまだヒラか副委員長だった気がするが、とにかくその福間がこの部室を訪ねて私の小説を読ませて貰いたいと言って来たんだった。こいつは少なくとも賢い人間とは言えない。私にそんなこと思われてんだからお慰みだ。燃えよアラゴンかバリは燃えているかのどっちだったか知らないが、とにかく読ませたが失望していたのをよく覚えている。私が旅行書を読んで書いたことに失望したらしかった。こいつのアタマの感度はさほどいいものとは言えないんじゃないか。何度も言うが見たままの現実ってのは有り得ない。個別の人間は見ることも触れることもできないし近付くことしかできない。肉体の器官が情報として受け取ってる前の段階があるってこと。私たちが接するものは悉くありのままじゃないってのを前提にしながらそれでもどこまで近付けるのか、そのうえでわからないのはどこまでか、妄想で現実をわかった気にして誤魔化してやしないかってのをちゃんと自分にぶつけてるかどうか、どこからが創造の産物なのかをきちんと把握してるかどうか、その態度は実際に見てようが旅行書であろうが変りないし、少なくとも物書きが誠実であるかどうか一番試されるのはそういう時なんじゃないのか。私は何かを書いている時はいつだって真面目なつもりなんだよ。

 そう思って目の前の坊主頭を見てみると、付き合ってた女にTwitterで蔭口叩かれて破局した挙句文学に救いを求めるようになった奴で、樹信太郎にとっての俳句は言うなれば治療のための手段にすぎない。こいつはその意味でバカ野郎だしどうせ手段でしかない俳句にそれそのものとして惹かれる、言い換えれば本気になって俳句そのものが目的になり生き甲斐になり打ち込むようになることなんてあるかどうかも判ったもんじゃないヘナチョコではあるが、同情できないこともない。それが証拠にこいつの俳句は最近キレが増して来てる。女への怨嗟が消えたのかどうか。却ってそこに火が付いたのか、それで恨みを隠すのが巧くなったのか、あるいは私の見込み違いで俳句って沼にマジになり始めたのかどうか、判断が付かない。こいつの呑気そうな具合からするとそんなことはないという気もするけれど。

 そこまで思うと不意に腰の辺りに何か詰っているような鈍い痛みがして、つい顔をしかめた。原稿の忙しさにかまけて身体の具合を黙殺しているのを忘れていた。

「ヘンな時に話持って来やがって」

 私はまた恨み節を吐き出した。

「腹の具合が悪いンだよ、最近」

「そりゃ、大丈夫か?」

 本気で大丈夫かどうかと心配しているでもなさそうないかにも呑気な口振りに腹を立てながら、こんなことで苛立ったところで気力の無駄だという思いもあって、また、とにかく思ったことを垂れ流しに呟いた。

「イルカの肉でも食べりゃ治るかな……」

 樹がヘンな眼をしてこっちを見た。

「イルカ?」

「あァ、イルカだよ」

「イルカ食うの? お前ん家」

「は? 食うでしょ、イルカ」

 樹はあからさまに戸惑っていた。私はこいつの困り果てた弱々しげな表情にまた神経を逆撫でされる思いがした。

「いや食えるってのは聞いたことあるけど」

「何? 食わないの? 樹ん家」

「食わない、けどさ」

「樹さ、家どこ?」

「川奈だけど……」

「川奈っつってもどうせ山の方でしょ」

「うん、まあ」

 川奈の部落の上の方には、昭和になってから耕作放棄の田畑を切り拓いた新興住宅地が見事に展がっている。あそこに棲んでるのは仕事でこの街に来た連中か出戻って来た連中、あるいは何かの事情で実家に住みたくない連中が大半で、地域のコミュニティなんてのはあってないようなものだ。

「祖父ちゃんか祖母ちゃん、一緒に住んでる?」

「いやお袋と親父の実家は別んとこで……」

「そんなこったろうと思ったよ」

 ヘッ! と鼻息を吐き出すと、

「かわいいフリッパーちゃん食べるなんてのは残酷だってこう言いたいわけだろ? でもね、あたしからすりゃ牛や豚の肉のほうが野蛮で残酷だね。かわいい牛さん豚さん囲って飼うのはいいさ。でもそりゃ殺すために逃げられないようにして育てるわけだろ?」

 イルカ漁の視覚的な残酷さは確かにあるがそりゃ家畜家禽の屠殺だって同じことだ。食べ頃んなったら集団で工場に送って、ご丁寧に一頭一頭気絶させてとは言え頸動脈を掻っ切って血液ブシャー。最大限苦痛を伴わない方法だっていうがそれでも奴らの運命とされるものがそうされるためにあるってことは誰も否定できないし、むしろそっちの方がイルカ漁なんかより比べようもなく惨いなって思う。野生のイルカはあの大海原の中で逃げるチャンスが用意されてる。食物連鎖という自然のいとなみとして割り切ることもできるかも知れない。しかし牛や豚はどうだ。制度としての屠殺。自然の野蛮を隠蔽しちまうことは、知る側にとっちゃなくもがなのショックと陰惨の度合いを深めることにしかならない。でも食う。どっちもな。ただしいただきますを忘れるな。それが偽善だと言われようが、一抹の痛みを忘れず食い物を前にした時は漏れなくそう思って肝に銘じながら手を合わせろ。食肉を捨てるなんてのは論外だ。政治的活動って大義名分のもとに売られることなく捨てられてゆく食品廃棄に肩を貸す菜食主義の連中は例外なくクソだ。それ以前に売り切れない量を仕入れるスーパーマーケットもクソかな。しかしベジタリアンは輪を掛けてクソだ。ただの純粋バカならまだいい。食肉に反対するのがその倫理的な残酷さゆえってのもわかる。しかしそれでイルカ漁にまで反対するのはダブスタもいいとこだ。どっちも飲み込んで残酷さを乗り越えやがれ。私はイルカの肉は好んで喰うがより残酷な畜産の肉の方に肩入れしたいってこう思ってんだよ。食って供養が使い古された偽善の類型って言うなら言え。肉喰って生き抜いて偽を真にしてやるよ。それでも残酷だからってイルカ漁に反対すんならイルカの血に染まったあの海の浅瀬に突き落としてやりたくなるがそれでいいのか。

 もちろん私だってイルカ漁のあの絵面にグロさを覚えないわけじゃないし、そのせいで心が痛むのは確かだが、だからってそこで起きてる悲惨とその原因――食欲――を乗り越えないでメソメソオギャアと泣いても何も始まらない。喰えよ。喰われるためにフリッパーちゃんたちは狩られるんだからせめて喰ってやれ。店で切り身を見掛けたら買って根生姜と牛蒡と人参と味噌でじっくりコトコト煮込んでやれ。

「うめェぞ」

 それができないならお前らはベ平連だ。ベ平連と同じだ。歴史に名を遺しはしたがとどのつまり勢いと存在感しかなかった寄せ集めの烏合の衆。ベトナム戦争でなんであんなに市民が怒り狂ったか知ってるか? テレビのせいだ。あッ、人が殺されてるゥ! 視覚的イメージに簡単に左右されやがる能天気ども。その奥に何があるか、更に言えば誰がどう切り取って発信してるのかなんて考えもしない有象無象ども。その気持ちがお前だけのものだと思って特権化するのは大間違いだ。お前が思っていることなんか誰かがとっくに思っている。そんなお目出度さをソ連に利用されるんだよ。だったら大人しくイルカ食ってた方が遥かにマシだ。しかし露助はこの二十一世紀に至っても不凍港を求めて已まない可哀想な連中だから仕方ないっちゃ仕方ない。連中にイルカは喰えないってのもついでに可哀想だ。

「イルカって美味いんだ……」

「そうだよ。牛なんかよりずっと血腥くてな、あれがいいんだよ。鉄分っていうか肉そのもの食ってる感じが凄くってな。脂もまた美味いんだ」

 しかし地元の、それこそ川奈や富戸の漁師連中が漁をやったって話は最近じゃとんと聞かない。いったいいつ頃までやってたのかはよく知らないが、平成に入ってからもしばらくはやってた気がする。つっても利権に味を占めた白人のチンピラ環境活動家と、洗脳されてヘイコラするバナナ……もとい余所者の日本人活動家がやかましく、地元のスーパーに出回ってるイルカ肉はぜんぶ岩手産とか和歌山産だ。どういう事情にせよ余所者が街や部落のハラワタにまで来るとロクなことがない、ってのは何も私たちにとってってことだけじゃなく、相手にもまるで利益がないどころか損失にすらなりますよということを私は余所者と呼ばれる皆様方に伏して申し上げたい次第でござりまするハイ。それってのはイルカ漁がされないでマイナー文化に転落してるってことに私が苛立って罵詈雑言吐き出したい気分で出任せ言ってるからってわけじゃァ決してなく先例があるからだ。いまからだいたい五十年前の学生運動華やかなりしころにASPAC反対闘争でこの温泉街が受けた経済的打撃は計り知れんものがあったとは当時の伊豆新聞の記事による。ASPACってのは「アジア太平洋協議会」の英語名の略らしく何してたのかはよく知らなかったが、西側資本主義陣営のアジア諸国が寄り集まって何かこう色々やるって感じのアレみたいだった。要は冷戦の産物ってことはわかるし主眼はアメリカの奴隷諸国の皆様方は仲良くしませうねってことらしい。問題はそのASPACの会合がこんなクソ田舎のホテルで開催される運びになったってことで、川奈の部落から外れた海沿いに、伊豆が東京の奥座敷だった戦前の遺産みてェな格式お高い川奈ホテルがあるが、あそこで各国首脳を招いてワチャワチャ話そうとしたらしい。いやそういうのは箱根でやれよ、箱根で。まァそれで話題ができて観光特需になりゃよかったが結果は真反対で、何かってこれが活動家連中に目を付けられた。アジア帝国主義の復活を目論む佐藤首相を叩き潰そう! 誇大妄想もいいとこだしふざけてるったらない。おふざけで済めばよかったが方々の活動家連中がヘルメット被ってゲバ棒抱えて火炎瓶ブラ提げて、伊東に来る! 街が叩き潰される! 連中は電車に乗って叩き潰しに来た。一九六九年六月八日、日曜日、天気予報によれば伊東は快晴なり。旧市街の喫茶店に土産物屋の親父さんたちはいつ客を追い出してシャッターを閉めようかと朝から様子を伺いっ放しの有様で商売どころじゃなく、旅館の番頭さんたちは玄関先で右往左往。連中の計画では伊東で決起集会、しかるのち電車で川奈へ移動のうえ別働隊と合流しひと暴れ、という具合だったらしいが、移動がうまく行かなかった場合は伊東でのひと暴れに全力を傾注するつもりだったらしく、公然と伊東で暴れられれば最悪川奈へは行かなくてもよかったらしい。だが伊東の市街地と川奈とはいまでこそ同じ行政区分でも元はと言えば別の部落で、歴史的に繫がりがあるっつってもとんだトバッチリと言うほかはなかった。更に言えばこの計画はサツに漏れていた、と言うよりかは公然の秘密みたいなもんで、身も蓋もないことを言えばこの時期のサヨクの集会はほぼほぼそんなもんだったし、示威行動のうえサツと対決して存在感を示すのが目的みたいなところがあったから、本気で国家の転覆を最終目標にしてたのかどうか、考えれば考えるほどわからなくなってくる。そんなことはどうでもいい。いまはその学生運動家連中の垂れ流した事前情報のせいで伊東の街どころか川奈へ到るまでの五キロの道程が七千の機動隊の紺色の制服で埋まった、ってことについて書いときゃそれでいい。それにしても政治史については知識しかない私でも、あの時代のデモと機動隊の激突の映像にはちょっとこう集団行動の異様な昂奮が伝わって来るようでシビレますな、と思うと、急に、


(効果音:地鳴りの音が響いて来る)


 アンポ!(ピッピ)ハンタイ!(ピッピ)

 アンポ!(ピッピ)フンサイ!(ピッピ)


(効果音:地鳴りのような掛け声と鋭いホイッスルの音とが無限に繰り返されるかのごとくに止め処もなく鳴り響く。ジグザグデモが洪水のように街の道路を満たす様が、シルエットで舞台背景に映写される)


 アスパック、ふんさーい!(アスパック、ふんさーい!)

 アンポを、フンサイするぞー!(アンポを、フンサイするぞー!)


(効果音:適当な反戦フォークを入れる)


 冒頭の演出の有様が頭に降って湧いたように浮び、目の前のWordにスラスラ書き込むことができるじゃありませんか、ねェ。机の向うの樹が首を微妙に曲げて様子を伺ってる気がするがどうでもいい。筆は更に滑る。ノコノコダラダラこの街にやって来た奴等の数は二千人。連中は三々五々駅近くの湯川の浜辺に集い、色とりどりのヘルメットをひしめき合せて決起集会を開いた。


 全国のッ! 反戦労仂者ッ! 学生の皆さんッ!!

 心からのッ! 連帯○×△◆□●☆と考えますッ!!

 我々はッ!! △◎Ю▼В◎£★Й〇ならぬと考えますッ!!!

 ●▽Ω▲$☆БДΨ◆〇×И〒Θではありませんかッ!!?


 当時の学園紛争の映像とかに触れるたび思うがサヨクの演説はどうしてあんな早口で切り上げるような口調でムツカシイ用語を使いまくるのが多いんだろう。ほんとうに聞かせる気があるのかどうかわかったもんじゃないし、もし感情を煽って場を盛り上げて活動家どもの士気を上げるためだってンならプロレスのMCの方がもう少しマシな語り口でやるだろう。それが様式だと言うんなら連中の行為は連中の中で心情的には完結してて、わが伊東の市民は埒外に置かれながらその好き放題に巻き込まれたってわけでいよいよ災難と言うほかない。まァ語彙は豊かだから執筆の参考にさせて戴くのでありますッ! ともかくものんびりボヨヨンとしたこの街にそんなのが響き渡る様子は異様と言えばあんまりに異様だってのは現場の映像を見てなくてもだいたい想像が付く。

 そんな具合に集会が終ってさあ行こう! つっても、さっきも言ったが連中が目指す川奈ホテルは市街地から五キロも南にあって、行くには山越えもしなきゃならない。奴等の計画では呑気に電車で行く予定だったらしいが、何だこの野郎! てめェ! 入るなこの野郎! 角材置いてけバカ野郎! とまァ伊東駅の改札で入場させまいとする鉄道公安官とモミクチャになったらしい。ダラダラそんなことしてたら国家の犬が来るだろうが。果せるかなお巡りどもは来た。警視庁やら静岡県警やらから応援に来た機動隊の連中が伊東駅に迫る。駅のロータリーの向う側、観光客相手の店が立ち並ぶ商店街の隅から隅までを、それどころか山を越えた向うの川奈までの道すべてを機動隊の壁と言うより山が阻んでて、バラけて行くならともかくとして集団で突っ切るのが無理だなんてのは考えなくてもわかる。が、連中は突っ切ろうとした。川奈に行けなくても伊東でガンガン暴れて存在感示せりゃ最悪それでよかったはずだから、ご挨拶代りに機動隊へケンカ売っとこうって感じだったんだろう。


(効果音:叫び声、石が機動隊の楯にぶつかる音、爆発音、足音、入り乱れ重なる)


 かくして騒ぎの火蓋は切られた。市街はグッチャグチャの大混乱。爆ぜる火炎瓶、飛び交う石。カラフルメットと紺のメットが一進一退に大暴れ。やがて連中は旧市街の中心部にまで食い込んで来た。市街地の真ん中を流れて伊東の市街を市街たらしむる平らな地形に作り替えた松川を渡るいでゆ橋、大川橋、渚橋は、小さいながら街の交通の要衝とも言えなくもない地味に重要なところで、いずれも狩野川台風のとき一度流されて街の交通が麻痺したことがあった。架け直されたこれらの橋の上なんかはそりゃもう酷かったらしく、押し通ろうとする活動家連中と通すまいとする機動隊の犬どもとが火炎瓶に催涙弾の応酬で激しくやり合ったらしい。いまは二、三軒が残るに過ぎないが当時はこの川沿いに旅館がひしめき合ってて、窓から様子がよく見えたと思うが、伊豆に来てまで活動家の騒ぎを見せ付けられるとかとんだ災難だな。もっともほとんどの旅館は鎧戸を閉めて隙間から外を伺うだけだったらしいけど。投石もそうだが火炎瓶の火の粉が来たらとんでもないことになる。

 連中は気が済むまで暴れたあと殆んど済し崩し的に、しかしどこか満足げに、駅前のロータリーを占領して解散集会と相成った、らしいが、散々暴れられた意趣返しにか知らないが、にじり寄って様子を眺めてたお巡りどもが挑発に出た。おもむろにメガフォンを取り出した指揮官が叫ぶ。


 こちらは伊東警察署である! 駅前で集会を行っている労働者学生諸君に警告する! 解散しない者は全員、凶器準備集合罪、並びに公務執行妨害罪で現行犯逮捕する!


 色とりどりのヘルメット野郎どもがブチ切れダーッと立ち上がり走ってゆくと紺色に揃えられた国家の犬たちがバーッと襲い掛り入り乱れる。機動隊どもが備えを固めて活動家どもが街にやって来てからここまでせいぜい四、五時間といったところで、まさしく嵐のように来て去った災難と言うわけだったが、そう言えば私がいままでやかましいデモの音に乗せてまで話して来た内容には抜けてることがあると思わないか。こんなことのためにダラダラ話して来たわけじゃァ決してない。

 そう、もう一つ。この高校の連中が迎え撃ったらしいぜ。

 さてその様子がどんなもんだったかと試しにその頃の校内新聞を引っ張って来ようかと思ったが、その辺りの妙な号だけ散逸していて図書室にも市立図書館にもない。前後の号を見る限りだと通し番号にトビがあるし本文でもほかの号の記事に言及してるから、発行されなかったってことはないと思うんだが。何かのドサクサに紛れて散逸したのかも知れない。新聞部はとうの昔に廃部になって当時の部員名簿も見当らない。記念品だろうが。しかし廃部の時に処分されたのかも知れない。個人情報の宝庫だからな。当時の部員がどこにいるかわかれば助かるが。生徒会の書類もこの頃のはろくに残ってない。ないない尽しのない尽し。幸いにしてわが文芸部の部室にはやはり所々のヌケこそあるが、その頃の部誌で肝心な記録となり得る号がそれなりに残ってる。史料として使えそうなものとしてはほかに伊豆新聞と全国紙の縮刷版も社会科教室にあるが、全国紙はともかくとして伊豆新聞の方は腫れ物に触るような扱いで、学生運動、労働運動がほとんど存在感だけで世を席巻してたはずなのにあんまりじゃないかと思わなくはないが、ともかく地元から、もっと言えばこの高校から見たあの騒ぎの記録でアテになりそうなのはこの部誌と消えてしまった校内新聞くらいのもんだという予感がしている。年度末の号にはその年度の活動記録と校内情勢みたいなのが載るのがいまに到るまでの通例だが、ASPAC闘争の前の年度の記録も幸いにして残ってるからちょっと引っ張り出してみよう。

「1969.1 世情に影響された生徒会役員の勢いだけで伊東高校全学共闘協議会が結成されるも、全校集会で主張が一致を見ず、一月足らずで空中分解的に自然消滅する。実質的には活動のための活動だったことに加え、大半の生徒が、生徒会主流派が手本としようとした反代々木派系学生団体の活動趣旨を理解できなかったことが原因と見られる。なお、半ば担ぎ上げられる形で会長に就任した生徒会長、安立敏雄(3年12R)はノンポリでこの運動にさほど好意的ではなく、トロツキーどころかマルクスすら読んだことがなかったが、教養の程度で言えば他の生徒会役員も同じようなものだったらしい。(下略)」

 とまァこうだよ。だがそれでいい。その下には誰がどの作品をどの号に発表した云々、それがどういう内容と性質でかんぬん、なんてことが書かれているが社会的世相的政治的な評では決してないし、それを自然に書いている節がある。一度見えてしまったものを受け流そうとする態度が自然であろうはずはないが、どうも見えたものは見えたものとして見て見ぬ振りせず容れたうえで自分なりに胸の裡で処している、という当時の部員の気風が見えてなかなか頼もしい。連帯と言い団結と言うが誰かと同じ風景を見るなんてそりゃ誰一人として無理っすよねって話である。いま何時代だと思ってんだ。そんな大きな物語は明治にでもお帰りください。そういう気分が当時のこの高校の生徒を、革命とかいう大標語に浮れた余所者どもを追い帰したくさせたのかもわからんがそれは私の想像にして創造に過ぎない。それにしても中でバラバラだったパイセン方がいざこうした外からのハタ迷惑に当っては一致団結を見せた、ってのもなかなか興味深くはある。機動隊の壁を擦り抜けて来た学生どもはもうひとつの軍勢に――この高校の連中にぶっつかった。


(音響:ワッショイ、ワッショイと低い掛け声が轟く。舞台背景には学ランの黒山が降りて来るシルエット)


 我らがOBOGが迎え撃った場所こそあの億万坂だったそうだ。肩いからせてバット担いで下って来るこの高校の生徒の隊列に過激派学生どもはタジタジになる。後ろからは機動隊が追って来て、挟み撃ちの格好になった。同じような具合で、ドサクサに紛れて電車でかバスでか歩きでか知らないが這う這うの体で川奈へ辿り着いた連中、ハナから真っ直ぐ川奈へ行ってた別働隊の連中は、機動隊と川奈の荒くれの漁師連中が叩き出したらしい。迎え撃たれた側には掛川西高校の生徒がいて、可哀想なことに機動隊から逃げ切れずパクられたそうな。それは掛西の校内新聞に残ってる。お巡りどもに加勢したように思われないこともないだろうが狙いはそうじゃなかったらしく、しかし何もひと勝負打って出るとか県西部の連中に伊東を味わわせてやるよとかそういう誇らしいもんでもない。物語されては困るのだ、こんな静かな街で。申し訳ないがお帰り頂く。地元(とは言え道なりにして百二十キロも離れてて令制国をひとつ跨いだ向う側の街を同じ県内と言うだけの話で地元扱いされては堪ったものではないし、どうしてもこの騒動に参加したいバカが無理矢理にか無神経にか知らないがこじ付けに理屈を付けたとしか思えない)にデモがやってくる! 静岡にはおれたちもいるってことを見せ付けよう! そういうの別にいいんでその気持ちは掛川に仕舞っといてください。


(効果音:デモの地鳴り、掛け声、叫び声、投石の音、駈足の音、すべて途切れる)


 しかし私が話せる、と言うよりかは語れるのはここまでである。

 繰返しになるが史料がない。ないというのは言い過ぎたかもわからんが、肝心の校内新聞がないことにはどう仕様もない。史料はどこだ、史料はどこにある、史料はどこかにあるんだ、私は文芸部の部長だぞ、物書きのために必要なものだぞ、しっかりしろ、私ならきっと見付けられる、という気分で、「諸君、わしは伊東博士じゃ……」と口の中で呟きながら図書館の資料を漁ってみても、たまに目に留るのはウヤムヤのうちに立ち消えた伊全共のことだけで、どうもこの高校がASPAC反対闘争に関った辺りのもっとも重要な史料は、目ぼしい公的な場にはほとんどどこにも残っていないらしい。探し当てられないなんて伊東博士失格だな! そして茫然とする。この高校の軍勢は何処へ行ってしまったのか。

 部誌も貴重でないことはないが私がかくも血眼になって新聞を探しているのはほとんど純然たる記録を旨として書かれたものだからだ。更に言えばここに書かれていることも貴重でないことはないがどちらかと言えば私がほんとうのほんとうに探しているものは、記録ってのを前提としたうえで本文の論旨が伝えようとしていることの、奥の側にある。万が一幸いにして私の手元に史料が、当時の校内新聞が転がり込んで来たところでそれは手懸りの初歩でしかなく、もちろん重要ではあるし渇望もしてはいるが鵜呑みにするわけには行かないのだ。そうした意味では、街の老人たちが一刻も早く忘れたがっている過去の苦い記憶を忌々しげに遠慮がちに語る時、その中身と意図とをそのまま飲み下してしまうのと大差はないかに見えるが、何せあれもまた物語だ。人の記憶が像を受け取った傍から時間の開きに伴ってポヤポヤ消えたり変ったりし始める信用の置けないものだからってのはその通りだが、そういうことじゃない。単にそんなことだってんなら始めっから史料なんか探さない。真実らしいものとして書かれたもの。言葉の中でも無限の不特定多数に向けて残されうる言葉。絶えず視線にさらされ続けるであろう言葉。見られている時、人はもれなくどこかでふるまいを捏造している。書き言葉はその最たるものなんじゃないのか。ほんとうのことだという顔をしたものが窮極にはフィクションだという、矛盾。その位相が知りたい。紙に書かれた言葉は同じ言葉であっても、いずれ他ならぬ人によって歴史の審判に曝される。神サマは人をしてその言葉を裁くってわけで、言うなりゃ私は書きながら、裁かれる時を待つ身でありながら、そのために裁かねばならない身に置かれているわけだが、とすると実に神サマってのは書く人間にも書かれるものごとにも容赦がない。私じしん徒労に思えて来る。しかしもし人の語ったり書いたり、時に見付けたりする何事かがすべて信用置けないものだって言うんなら、いったい私たちはどこで、信用を置ける何事かの手懸りを得られるって言うんだ?

「とにかくわかったよ、もう、とにかく、書いてやるよ」

「ありがとう!」

 樹が心底安堵したような、緩んだ笑みを見せて明るく言った。私は溜息を吐いた。

「私ん中のプロットじゃひとまずこんなもんでいいだろって思ってるんだがな。どうだろうな。いずれにせよ書き終ったあとは、演出とか足りない役とかは演劇部の人間の力量に任せろよ。だいたい連中でやってくれるだろうからな」

「大丈夫、それは、もう」

「あと、それからひとつ」

「うん?」

 私は画面から顔を離して樹に向けた。安堵に緩んだ表情が見えた。

「あたしはこんな感じで文学文学言っちゃいるが文学なんてなァウソでウソに対抗するための手段だ。忘れんなよ」

「はァ」

 変な顔になった。

「そう言うと、顔真っ赤にして喚き始める連中もいるけどな、そりゃ手前ェを否定された気がしたか、それか図星を衝かれたか、いやどっちも根は同じか……まァ、そういうこったろ。相手にするこたァない」

 そういう連中は、相手が一言も口にしてないことまで妄想で並べ立てるからお里が知れる――とまで言おうとして、やめた。樹は、何を言っているのかよくわからないという顔をしてみせたあとで、

「そういや田澤は、東京って」

 と、不意に訊いた。

「あァ? 行ったこともねェよ」

 樹は心なしかほっとしたような顔を見せた。

「何だよ、東京って」

「東京、知らないの?」

「バカ。東京は知ってるよ。なんでいま東京の話を出したのかどうかって話だよ」

「いや、何でも、……ありがと」

 樹はそれだけ言うと扉を開けてさっさと出て行ってしまった。ヘンな奴。それだけ呟いて画面を顔に戻すと、私は樹が一見何気なしに、しかし何かしら意味深長げに口に出した東京という単語を口の中で反芻した。東京? 行きたきゃ勝手に行け。あそこに集っているのは大半の連中が農家の二男坊か三男坊辺りだ。江戸から今に到るまで変らない。そんなことは日本史を勉強しさえすればわかる。あいつが最近「いや日本の詩歌だけじゃなくて外国の文学も読もうかって思って」って図書館でいろいろ借りてんのをいつだか、とにかく最近になって話していたが、何でもかんでも借りて濫読しているようで、確かに外に目を向けたくなったりいろいろ手を出してみたりとそういう時期があってもいいことはいいと思うがまず地に足を付けたらどうなんだと私は思った。トリスタン・イズー物語がいまのところすこぶる面白いと聞いて思わず吹き出しそうになった。馬鹿馬鹿しくもなるほどのことじゃないか。だいたいトリスタン・イズー物語とは円卓の騎士トリスタンが伊豆に流れ着いた顛末かその先の冒険の物語なのだと聞いたことがある。誰から聞いたかは記憶が定かじゃないがおおかたあの絵の教室の下田先生辺りが教えてくれたんだと思う。たといアーサー王を知らずとも円卓の騎士と言えば誰もが知っている。常識というほどのものですらない気がする。ってことは普遍である。その一人がこの伊豆を冒険している! そんなことがあたかどうかは実のところ知らない。だってこんな、それこそ物語じみたことがあるだろうか。こんな辺境に。辺境は誰からも知られず誰からも物語られないからこそ辺境なのであって、誰かに知られた時点でその価値は腐敗する。物語じみたと言えば次郎入道河津祐親、いや伊東祐親と呼ぶのがこの地の一般らしいし私だって実際その名で親しんできたのだが、伊東に棲む誰もが知っていながらその彼の生と存在ほどそこから外れたものはない。私は説教くさいことは言いたくない。これまでだってあえて語ってきて書いてきたことはといえば自分で見知って思ったことだけのつもりでいるしひそかに自負だってしている。誰もが知っていることを誰もがわかる言葉で言い聞かせることに一体何の値打ちがある?


 と言いながら私の原稿はここで終いになった。部室のドアを叩く音が聞えるのだが、肝心の例の坂についてこれ以上語ることはできない。知りたいなら部室に来てくれ。以上だ。

(部長、仰々しく本を閉じて組んでいた脚を払うと、おもむろに立ち上がる・暗転)

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始まらない億万坂 河原田詩央 @kawarada514

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