今にも流されてしまいそうな橋の上で

君足巳足@kimiterary

今にも流されてしまいそうな橋の上で

 、ってわたしは言う。


 言うのだし、実際、そうする。今もそうしている。それには様々な擬態語が伴う。ぐにゃりと、ぴんと、ぎゅっと、ぐいぃと、ずぶずぶと、そんな風に幾つもの擬態語を経過し、最終的にはぴったりと、わたしは皮を被る。皮は少女であったり青年であったり老婆であったり、あるいは矮躯であったり痩躯であったり巨躯であったり、でっぷり肉がついていたのだろうと思わせたりする。しかし、いずれにせよ皮は皮であり、肉は付随しない。わたしは皮を被るのであって、肉を被ることはない。


 皮を被ることは言うまでもなく擬態である。


 そして、人間への擬態を行うのだから、わたしは人間ではないいきものだ。『人間の皮を被り人間に擬態する人間ではないいきもの』であり、人間の語彙の中にわたしを指す言葉が存在しないが故に、そのようにしか表現しえないいきものだ。


 人間は、外見から人間でないことが明らかないきものに対しては「人間」以外の語で名付けを行うだろうが、『人間のようにしか見えない、しかし人間ではないいきもの』に対してはどのような名付けも行えない。だから、わたしの被る皮の名ではなく、わたしそのものののことを指し示す語彙は存在しない。この先も、存在しないだろう。


 ところで、ここまでの言葉には嘘がじっている。わたしは、皮とは被るものだと「言う」ことができない。すなわち、「カワトハカブルモノダ」との発話をわたしは行えない。わたしは聾者ろうしゃであるから。何者の皮を被っているときでも変わらず、どころか、変わらず、わたしは音を聞くことができないから。「わたし耳が聞こえないの」とも「おれ耳聞こえなくて」とも「あたしは耳が聞こえなくてね」とも言えない。口を用いて、あるいは喉を用いて、そのような主張は行えない。


 ここから導き出せることが三つある。


 ひとつ。被っている「皮」はわたしの内面に、つまりこのような独白や記述に、一切の影響を与えないということ。


 たとえば少女の皮を被っていても、わたしは少女としての発話、少女のような言葉遣いを強いられることがないし、青年の、老婆の、矮躯の、痩躯の、巨躯の言葉遣いというものを強いられることもない。もし喉や口を用いて発話を行えば、それは肉体に相応の響きを持ちうるのだろうけれど、しかし実際にはわたしは発話をしないのだし、したとしても、わたし自身はその響きを聞くことが叶わないのだから、やはりわたしへの影響は「ない」と言っていい。わたしの内面は、皮とは独立して存在していると、そう言って差し支えない。


 ふたつ。わたしは擬態語のみを持ち、擬音語や擬声語を持たないということ。


 そのような表現の存在については知識として持つが、核となる「音」の経験を、あるいは実感を持ち得ないし、また、用いることもない。でも擬態語だったらわたしは積極的に用いる。わたしは擬態するいきものなのだから、やっぱり擬態語にはしっかり親近感を持つのだし、それらをばっちり自らのものとして、血肉のように(皮ではなく、血や、肉のように)自在に用いる。どのような皮でもぴったりと被ることができる、このわたしの血肉それのように。


 みっつ。わたしの人間への擬態は、常に不完全であるということ。


 音のない世界のいきものであるわたしの擬態は、常に聾者である人間への擬態にしかならない。ゆえに不完全なそれでしかない。ただ、わたしにはこのことを断言していいのかについて疑問がある。聾者は聾者であるだけで人間であることは間違いないのに、わたしはわたしの人間への擬態を、音を聞くことができないとの理由で「不完全」と断じて、いいの? よくないんじゃないの? それは、聾者に対して不当な断言ではないの? そんな風にわたしは悩んでいる。


 悩んでいるんだよ、と言う。いや、言わずして伝える。

 わたしにはその相手がいる。彼女は同類ではないが、わたしの正体を知っている。ここに二つ目の嘘が生じる。『わたしの被る皮の名ではなく、わたしそのものののことを指し示す語彙は存在しない』との言葉が、嘘になる。


 彼女は、わたしのことを『密』と呼ぶ。

 音はわたしにはわからないが、その文字でわたしを指し示す。


 そして、わたしもまた、彼女を名前で呼ぶ。

 ねえ、さや、あなたはどう思う?


 ■■


「そうだねー。不完全、ってことはないんじゃないの」


 莢が言う。正確には、それは発話ではなく筆談で、さらに正確にはそれは筆によるそれでも手書きによるそれでもなくスマートフォンの画面に表示された文字列での会話で、しかしそれを受け取るわたしは『莢が言った』んだと感じているから、やっぱり『莢が言う』でいいのかもしれない。

 いいということにして、わたしも『言う』。


「何その物言いは。はっきりしないな」


 メッセージアプリ上に生じた吹き出しに既読の二文字が付属するのを見届け、私は次の言葉を待つ間、窓の方を見遣る。窓の外は大雨だ。観測史上最大の、とそう評されるほどの荒天。わたしには聞こえない音で雨粒は無数に叩きつけられ、べしゃりと潰れては窓を滑り、洗っていく。何秒間か何分間か、そうして窓を眺めていると、手の中でスマートフォンが震動し、通知がポップアップする。吹き出しが連続する。


「難しい問題だよ、実際」「でも、そうだねー、補助線を引いて行こうか」「ひとつめ。そもそもさ、完全な擬態とは『完全な人間』への擬態を指すのかな?」「いや、ごめん、待ってね」「疑問符を打つにはまだ早いな。ひとまず断言したいね、こう、補助線を引くならすっとね、綺麗なやつを引かないとだし」


 だから、改めて、と莢。


「完全な擬態とは『完全な人間』への擬態である、とするね」


 莢は断言する。


「すると、必然的に次は『完全な人間』とは何か? っていう疑問が生じるよね。完全であるってことが、欠けていないってことであるとすれば、そのような人間は、人間のすべての要素を持っている必要があるよね。頭、四肢、五感、そこまではいいかもしれない」「でも、たとえば性別は?」


「少なくとも肉体を基準にして、二つ」と、わたしはアプリ上で返答する。


「そうだね。そして当人の認識のレベルにおいては、さらに複雑になるよね。男と女、だけじゃないよね」「男でもあり女でもある、とか、男でも女でもない、とかね」「論理だね。二つの事項について肯定と否定があれば、その組み合わせは四で、人間は論理の世界だけのいきものではないから」「更に増える。増えてもいい」「けれど、それらが全て単一ひとつの体に宿ることは?」


「ない」


「ないよね。であるならば、結論はこうだよ。ひとつめの補助線に対応する結論はすっと導かれたね」「一切の欠落が無い完全な人間は、もはや人間では無い」「これが結論」「言い方を変えるなら『人間は、どこか欠けていて、不完全なものである』ってことになるね」


「つまり、『完全な人間への擬態』はそもそも目指されるべきではない、と。完全な擬態のあり方は、それとは、また、別だと」


「そうそう。別なあり方で、次の、ぴっと引かれる補助線だね」「完全な擬態とは、果たしてどのようなものであるか?ってことに問題は移り、だから引かれるべき補助線はこうだね」「『完全とは何か』そして、『擬態とは何か』」「二本、引かれる。平行線かな。いや、違うね、これらはいずれ一つの言葉になるんだから、並行してはいけないね。むしろ交わらないとね」「ぐいっと曲がってでも、ばっちり交わってもらわなくちゃ、そうだね?」


「そうだよ、莢、でもね」


 わたしは言う。擬態語に溢れる莢の言葉を心地よく聞いて、わたしは莢に相談したことを間違っていなかったと感じる。

 でもね。


「莢は間違っていないけれど、その二本の線は要らない。わたしの疑問はひとつめの補助線の時点で解消されているよ」「わたしは自分の擬態を完全にしたいわけじゃない」「わたしの擬態を不完全だと断じることは、聾者にしかなれないこの擬態を不完全と断じることは、誤りではないのかって、そう悩んでいただけだから」


「なるほど。そっか。役に立てたならよかったよ」


 頷いている顔が見えるような、素早い理解で莢が言って、そして、続ける。


「じゃあ、今度はわたしから疑問を提出するね」「あなたは『皮とは被るものだ』って、そう考えている。」「でも、本当にそうかな?」「もちろん、わたしはあなたが『皮とは被るものだ』っていうのを否定はしない」「けれど、あなたがそうやってきっぱり断言することに、助詞を一つ、付け足して、そして助動詞を差し替えて、疑問を呈するね。つまり、こうだよ、『皮とは被るのものか?』ってね」


 わたしは莢の疑問に答えない。

 わたしにとって、皮は被るものでしかないから。擬態の道具でしかないから。けれど、それをわたしがきっぱり答えうるのは承知で、莢は疑問を呈しているのだから。

 代わりにわたしはこう尋ねた。


「莢、あなたは、わたしに何を教えようとしているの」


「そうだなあ、じゃあここからは、外を歩きながらにしようか。その必要があるから。ね、信じてね。きっと、最後はすっきりきっちりわかるからさ。ああ、だから莢はわたしを外に連れ出したのね、って。そういうところに、連れてくからさ」


 わたしはうなずきながら、同様のアクションのスタンプを送信する。

 窓の外は変わらずの豪雨だが、莢がそう言う以上、それは気になることではなかった。


 ■■


 莢が指定した待ち合わせ場所に向け、わたしは歩みを進めていた。傘を差すことがむしろ危険に思えるほどの風雨の中、レインコートのフードをかぶり、ずぶりと沈んでいきそうな感触を長靴の裏に覚えながら、わたしはゆっくり進んでいく。ぐいぐいと風に圧されるのを感じる。髪が濡れ、肌にぺたりと貼り付くのを感じる。不快ではない。髪にしろ肌にしろ、どちらも突き詰めれば自分のものではないからだ。


 スマートフォンが振動し、莢からのメッセージが届く。


「さて、少し話を変えようかな」「密はさ、革についてどう思う? 皮じゃなくて」


「何も思わない。けれど、皮革、って言葉なら好きじゃない」

 わたしは返事をし、続ける。

「皮と革は、ちっとも一緒じゃないでしょう」


「そうだねー。密には、なんて何も関係のない話だもんね」「皮と革は違う。密の言うとおりだよ」「でも、すっきりさっぱり無関係ってことはないね」「皮がなければ、革はないんだから。革は、皮を剥がして鞣して作られるものなんだから、きっちりばっちり関係がある」


「それで、莢、何が言いたいの?」


「そうだね-。ひとつはね、ってこと」「もうひとつあるんだけど、それは会ってからにしよう」「いい? ちゃんと覚えてね?皮はね、変身するの。それが革なの」


 莢が何を言おうとしているのか、わたしにはわからなかった。

 わからないけれど、わたしは歩みを止めることなく、待ち合わせ場所へと向かった。


 ■■


 雨が荒れていて、風が荒れている。

 目に映る限りの天が荒吹すさぶく中、莢は橋のちょうど真ん中にいた。


 そこが指定された場所だった。橋は川に架かっていて、川の名は去邑川こむらかわという。町境であり、市境でもあり、架かる橋は五つある。わたしたちがいるのは上流から数えても下流から数えても変わらず、三本目のそれだ。


 普段なら決して頼りないなどと思わない、十分な強度と高さを備えた鉄橋なのだが、天と同様に荒び、黒く濁った川の流れはこの橋でさえも圧し流してしまいそうに映る。


 莢は落下防止の柵の上に腰掛けた姿勢で、川の上流を見据えていた。両の足は道路側にあるとはいえ、もしそのまま背を反らしたら、風にあおられ川に転落してしまいかねない。危険なことを、と思ったが、わたしに気づいた莢が上機嫌そうな笑顔で手招きするのを見ると、注意するのは躊躇われた。


 ぽんぽん、と手に促されるがまま、わたしは莢の隣へ。

 柵には腰掛けない、少し仰ぎ見る形で、傍らに立つ。

 そして、スマートフォン越しの会話をする。


「わざわざありがとね」


「うん、それで、もう一つの言いたいことって?」


「それはねー、あれだよ、『皮とは被るのものか?』って疑問についてだよ」「わたしはこう言いたいんだよ。密にとって皮は被るだけのものであったとしても、皮の側から見たら、どうなんだろうね?」


「皮の側?」


「そう、皮から見たら、被るは被られるになるよね。そして皮は、剥がれ、鞣されもするよね」「さらに、はい」


 はい、と差し出されたそれを見る。

 焼き鳥だった。とりの皮の。なみなみの形にぐいと曲げられ、竹串にぎゅうぎゅうに刺され、たれをぺったり纏わされ、焦げ目のつくまでじりじりと炙られた皮の。流石にあつあつではなかったが、しかし冷え切ってもいない、美味しそうな。


「食べて」


 言われるがまま、受け取った焼き鳥を、鶏皮のそれを、口元に運ぶ。全体の四分の一ほどを軽く噛み、串から抜き去り、口に入れる。見た目から期待させるとおりの味が広がった。ぱりぱりとぐにぐにという食感に、歯が沈む感触と、耐えきれずぱちんと切れる感触。たれの甘みと塩気、脂の風味と焦げの香ばしさ。


「で、これはいったい?」

「言ってなかったっけ。うち、焼き鳥屋」

「や、そういうことではなく」

「あはは。そうだよ、それはどうでもいいよね」「そしてどうでもよくないことは、皮は被られるだけじゃなく、剥がされ、鞣されもするし、切られ、曲げられ、炙られ、食べられもするってことだね。そして、消化されもするよね」「


 その言葉にわたしは少なからず動揺する。ぶるぶる揺さぶられる感じがする。わたしは皮を被る。どのような皮でもわたしは被るのだし、わたしの血肉はそれを可能にする。けれど、皮を食べ、消化するとき、皮は血肉になるの?


「なるの。そして、プレゼントがもう一つ」「ねえ、密、わたしの正面に立って。背中を向けて。わたしに、背中を預けるように」「フードはとって」「そう、いいね、そのまま動かないで」「いま、被せてあげるから」


 そうして、莢はわたしに『プレゼント』を被せる。


 被せられたそれは、マスクだった。防疫用のそれではない。ぜんぜん真逆の、口も鼻も目も覆わないで、むしろそれ以外をすべて覆う、覆面マスクだった。レスラーマスク。それがわたしに被せられている。そして、覆面の後頭部、あわせの紐がぐいぐい結い上げられていく。莢の手で。それをわたしは鶏皮の焼き鳥を口に運んで待った。覆面の形状はその妨げにはならない。最後の一口までしっかり咀嚼し、味わい、嚥下する。そして、紐を結び終えた莢が言う。


「密、さあ、前を見て。川の、その中を、しっかりじっくり、見据えてみて」


 言われるがまま、わたしは荒れ狂う川の上流を見据える。両肩を莢の両手が掴んでいる。その手にぐっと力が篭もる。来るよ、とそう言いたそうに。よく見て、見据えて、と重ねて言うように。だからわたしは目を離さない。


 川の中で何かが光るのが見えた。

 光は丸い。

 そして、ひとつではない。

 光は対だ。

 わたしには、それが眼であるとわかる。


 そしてわかるのはそれだけではない。それが擬態であることもまた、わたしにはわかる。瞬間、わたしの脳に、ぴんと走るひらめきがある。もしかして、皮を被り擬態するいきものがいるように、も、いるの? それが、あれなの?


 わたしはそれを声にしていない、言葉にもしていない。

 けれど、すべて伝わっているかのように莢が頷く。

 スマートフォンが、振動する。


「密、その覆面はね、ヒーローマスクだよ」


 莢が言う。


「密、その覆面はね、革でできているよ、だからね」


 莢のぷっくりした唇が、ゆっくり動くと、わたしに聞こえない音で告げる。


 へ、と。

 ん、と。

 し、と。

 ん、と。


 変身できるよ、とそう告げている。

 瞬間、


 変身したから、飛び立っている。完全な擬態でもなく不完全な擬態でもなく。ヒーローだから。そして、対峙する。荒れ狂う川を被り、擬態しているいきものと。もしかしたら人の語彙では龍と呼ばれうるのかもしれないそれと。気づけば右手に重量がある。握ったままだった竹串が、一振りの刀に変じている。これも変身? とわたしは笑い、刀を両手で握り直して、切っ先をぎらぎら光る双眸へ向ける。じっと静かに、それを見据える。


 そして思う。

 莢、あなたはこれを伝えたかったのね。

 わたしがなぜここにいるのかを。

 もしかしたら、莢がなぜここにいるのかも。

 全部しっかりばっちりきっちりきっかり理解したよ、莢。


 そして戦いが始まって、わたしは荒ぶ天を飛翔する。

 きっと心臓が高鳴っている。

 わたしには聞こえない音で。




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