なんらかの『皮』を被り人間に擬態する人ならざる何者かと、その友人との対話劇。
すごいものを見ました。タグの「言葉遊び」というのはまさにその通りなのですが、でも「言葉遊び」という語の持つ軽いイメージとは全然かけ離れているというか、遊んでません。ガチです。
といっても、序盤から終盤手前までにかけてはまだまだそんなでもないというか、しっかり物語しながらの(した上での)それであって、実はまだ本気の半分も出してません。例えば主人公は生来音のない世界に生きており、ゆえにその語彙には擬音語と擬声語が存在せず、代わりに擬態語のみがあるという、その設定がそのまま本文に影響する(一人称体で書かれているため)という制約。加えてそもそもこの擬態語というのが、このお話のテーマである『擬態』から来ている、というところ。こうして説明してしまうとなんだか凄みが霞んで見えてしまいますが、でもこれが流れるストーリーの中で自然にこなされているという、その独特の迫力はどうにも伝えようがないのでぜひとも本文で味わってもらいたいです。
が、先述の通りこのあたりは所詮前座のようなもの、本当の「言葉遊び」の恐ろしさはやはり最終盤です。
堰を切ったか、あるいは容量の限界を超えて一気に溢れ出したかのような、その瞬間の強烈な爽快感。作品そのもののプライオリティが逆転し、言葉遊びが物語を上から支配してしまうようになる、その転回とその先の振り切り具合。文字通りの飛躍が、決してあり得るはずのない主客の転倒が、でも理屈でなく脳の芯の方で納得できてしまう、その恐ろしいまでの酩酊感。すごいです。なにがなんだかわからないというか、こんな読書体験は初めてでした。