私の名前は

社 奈千穂

私の名前は


 私の名前は、岡田きようこ、という。

 そう、きょうこ、ではない。

 正真正銘の、きようこ、なのである。

 「きょうこ」と名付けるところを、申請の手違いで「きようこ」になったわけではない。両親は、私の性別を病院で告げられたその時からこの名前と決めていた。

 そう、私は生れる前から「きようこ」だった。

 呼びづらいとよく言われる。そんな時は、皆にはきまって「ようこ」と呼んでもらう事にしている。なので、病院や役所などで本名で呼ばれると、自身のことでは無いように感じて聞き逃してみたり、呼ばれた私ではなく、私の名前を呼んだ人が皆の視線を受ける時がある。

 呼び間違えている。そう思うらしい。

 珍妙な名前だとか、親の顔が見たいだとか言われても仕方がないと思う。ちなみに、父親は役所勤めで、専業主婦の母は元銀行員だった。世にいう堅物の部類に入り、また、まっとうな人生を歩んでいる代表的な人たちでもある。次いでいえば、両親はこの名前を付けたことを後悔はしていないし、なぜか妙な名前だとも思っていないらしい。

 こんな不思議な事が、この世の中にはあるのだ。

 いろいろな弊害があるこの名前だが、実は嫌いではない、むしろ私は気に入っている。勿論、俗にいう他に類をみない名前であるという矜持もその中に含まれている。

 岡田きようこ。

 その名前を持つ私の容姿を説明したい。

 私は幼い頃からおかっぱ頭という髪型を好んで続けている。もっと詳しく述べるとするならば、前髪は眉毛より上に一直線切りそろえられ、後ろ髪は耳たぶがちょうど隠れるくらいの長さ、また戦後の写真に乗っている女の子、といった方がより分かりやすいかもしれない。一直線に伸びた真っ直ぐな髪を鏡で見るたびに、自分の足が地に着き、今日も世界は変わらず平和であると感じられるのだ。

 中学校の時、どうしてそんな頭をしているのかと聞かれた時に、その理由を述べると、その友人は顔をしかめた。そしてその後、へぇ、という間延びした、全く納得がいっていないような返事がきた。

 ぱっつん、とした前髪の下にあるのは、緩やかなカーブを描いた眉がある。それは例えば、夏の日差しの中、突然降りだした雨の重みでしな垂れる稲に近い。間違っても稲穂ではない、あれでは垂れすぎている。

 稲のようにしな垂れる眉を、私は欠かさず、ほぼ毎日手入れする。例え口元の産毛が延びていようと、私は構わず眉を手入れする。なにせ、私は初めて会う人と話をする時、必ず眉を見る。その証拠に、私の鏡台の引き出しには、出会った中でより素敵だと思った人の眉をスケッチしたノートが入っている。

 その下にある眼は、アジアンビューティーと表現しても過言ではない切れ長で、エキゾチックな形をしている。けっして自画自賛ではない。小学校三年生の担任が、私のこの目をそう褒めたし、高校時代に一度だけ告白された相手もそう言っていた。

 それに加え、余計なことを言わない口元には、これといった特徴はないものの、唇に関しては元々色が濃いために、口紅というものをあまりつけたことがない。

 以前、新入社員研修で、お互いのいいところを見つけて褒め合いましょうということをさせられたことがある。

 そこには、“岡田さんは余計なことは言わない”と書かれていた。それの一体どこかいいところなのかわからないまま、その人は研修中にその会社を辞めてしまった。ちなみに、私が見つけたその人のいいところは“視線が合わない所”だった。

 余計なことを言わないという事は、他の人に賛同しないときは、特に反応しないという事にもつながるらしい。

 時には、「何か反応しなよ」と言われることもある。しかし、人のうわさ話というものが好きな女子の会話において、賛同する気持ちが一向にわかない私は、やはり相槌を打つ気にはなれない。

 ただし、食べ物の話の時は身を乗り出す勢いで賛同する。しかし、だ。それでも私は人から注意を度々受ける。

「もっと言葉に抑揚付けたら?」

 つまり、私の言語にはイントネーションというものが極端に少ないというのだ。例えば、「あめ」や「かき」などは聞き分けにくいらしい。それに加え、注意するようにしているのは、「へぇ」という言葉だ。

 感心した意味で「へぇ」と言うと、逆に嫌な雰囲気になることが度々起こった。そのため、「へぇ」という時には語尾を上げ、目を見開くことにしたし、できれば使わないようにもした。

 話がそれてしまったが、私の顔の中で、一番好まない所がある。

 それは耳だ。

 なぜか私の耳は異常に小さい。ウサギという名前がついているわりには、耳が小さなナキウサギを見た時、自分と同じだなと思った。

 そういうわけで、おかっぱ頭というものは耳を隠してくれるのでちょうどよかった。

 つまり、奥田きようこ。という名前は、こんな私にぴったりなのだ。他のどんな名前を目の前に置かれようとも、私ははやり、きようこでいようと思う。

 変わっているのは名前だけ、というわけではなかったようで、陰口を言われることはしょっちゅうあったし、あからさまに嫌なことをされたこともあった。

 その中でも中学時代は一番それがひどかった。流し目が得意なクラスの女子にまずは目を付けられてしまい、その後は、まるで流行を追う女子そのものの様に、私をいじめることに皆参加しはじめた。

「変な頭」「ブス」「変人」、そんな言葉は私の心を深く傷つけた。

 落ち込んだ私は、そっと鏡を覗き込む。すると、まっすぐに整えられていたおかっぱ頭が、使い古された箒の様に長さがまばらになっていた。そこに映っている自分に、私は恐怖を抱いた。心の状態が、どれほど髪の生育に影響するのかはわからないが、一緒に切ったはずの髪の毛の伸び方に大きな差が出たのだ。

 このままでは、自分が自分で無くなってしまう。

 私が私でなくなる、それは「ようこ」と呼ばせていたはずの私が、いつしか、本名である「きようこ」という名を忘れてしまうのではないかという危機感に似ている。

 きようこ、という名前を捨てるぐらいなら、他の道を通ればいい、ただそれだけだ。

 そう思った私は、学校に行くことを一旦止めることにした。

 中学校へ行かなくなってからすぐ、私は両親に家庭教師をつけてくれるように頼み込んだ。そこからは、勉強付けの二年間だった。出席日数が足りなかったとはいえ、入試問題は簡単だったし、面接での「自分の長所について」という質問に対しての解答が素晴らしいという評価をいただき、無事に高校へ進学することが出来た。

 久しぶりの学校のトイレの鏡で髪をとかした。その髪は、見事にぱっつんとしていた。その清々しいまでの存在感は、なぜか高校では受け入れられた。

「ヨーコキーはそのままでいいと思う」

 それが高校での私の評価だった。

 はじめに私をそう呼んだのは、クラスでも目立つ可愛い子で、名前はキョウコという。少し不良っぽい口調で、お前さぁ、と話始めるのがキョウコの口癖のようだった。

 笑いの混じる彼女の話し方に、顔をひそめて影で何かを言う人がいたが、私は特に何も感じなかったので話には入らなかった。

 そんな中、キョウコが、夜ご飯をみんなで一緒に食べないかと誘ってきたが、私は夕飯にはワカメを食べなくてはならないので行けない、という旨を伝えた。

「びっくりだな、お前」それがキョウコの返答だった。キョウコは信じてくれたのだ。私のこの真っ直ぐな黒いおかっぱ頭には、ワカメがどうしても欠かせないという事を。

 その翌日からだった。

 キョウコが私のことを、愛称として「ヨーコキー」と呼ぶようになったのは。

 ミヤビは六本木って感じでぇ、マキは銀座ぁ、ヒロッペは原宿でぇ、アキラは渋谷って感じ。

 ある日キョウコは、人の印象を街に例えて話していた。そしてついに私の番が来た。すぅっとルーレットの針のように私に向けられたキョウコの細い指に、期待と不安が入り混じる。

 ヨーコキーはぁ、武蔵野。

 私へと視線を向けていた女子たちが、一斉に視線を合わせたかと思うと、どっと笑い声を上げた。その中でも、キョウコだけは笑わずに、じっとこちらを向いたまま満足げに頷いていた。

 あれから何年も経ち、社会人となった今でも、時々キョウコが営むBARに立ち寄ることがある。

 紫煙を燻らし、肩の見える服を妖艶に着こなしたキョウコが、天上に吊り下げられた赤いガラスの異国のランタンを見ながら呟く。

「日本を彫刻で表したらさぁ、「きようこ」みたいな感じになるんじゃないかな。他人に余計な評価つけない寛大なところはほとけっちみたいだしさぁ,必ず本を持ち歩いてるところは、知的でぇ、誰にもおごらない所は職人って感じ」

 どこの場所にも、きっと染まらないキョウコが、上手く表現してやったけど、どうだ、といいたげに口元を捻りながら私を見る。

 余計なことを言わない私は、何も言わない代わりに自慢の両眉を軽く持ち上げた。


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私の名前は 社 奈千穂 @kurengsa_0913

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