弟からがん再発の連絡を受けた兄の、おそらくはそれから数十分(長くとも数時間)の一幕。
ある日突然訪れる、身近な人の死のお話です。いえ作中では死どころか本当にがんであるかどうかさえ明言されていないのですが、ここでは(物語世界内部における事実はどうあれ、読んでいる人間の解釈としては)その前提で受け止めて間違いないものと思います。
通常、難病やそれによる死を扱った作品というのは、どうしても切なかったり悲しかったり重かったりするもの(あるいはしてしまうもの)だと思うのですけれど、この作品はまったくそう感じさせないところが魅力的です。難病や死を真ん中に据えているのに〝泣かせ〟の話にならない。いえ状況が状況ですのでまったくそういう感情をかき立てられないわけではないのですが、でもそれはあくまで結果的にという話であって、つまり文章で露骨に煽ってくるようなところがない。それどころか演出の面においてさえ、実は直接的な煽りはないように思えます。
本当にただそのまま、状況そのものを切り取ったような書き方。個人的に気にしたのは時間の流れ方で、リアルタイムといっては意味が違ってしまうのですが、端折られたり飛ばされたりすることのない時間。ずっと一定のペースを保っていて、つまりそれは目の前の状況、主人公の体験している現実をそのまま同時に味わっているような感覚。
効きました。突然の出来事に対する混乱と、どうにか冷静であろうとする心の動きと、実際妙なところで冷静だったりするところ、そして現実を噛み砕くのに目一杯でなかなかついて来られない情動の部分。
中でも特筆すべきはやはり終盤、「削除しますか?」の連打とその合間の「あるのだろうか」です。繰り返しの単純作業にはありがちな、〝あ、今そっち考えたら絶対まずい〟とわかる方に思考が傾きかけちゃう、この感じ。心の奈落の縁をふらふら歩いてるみたいなあの心許なさ。いやこの辺をどう読むか、何を読み取るかは人によって差がありそうですが(むしろそうあって欲しい)、少なくとも自分はそういうものを感じました。裏を返せばもう完全に個人的な感想で、レビューとしては少々申し訳ないのですけれど。
主人公とその弟のみならず、家族全体に触れているところが好きです。父や母や姉のいる、家族の中でのこの兄弟、という感覚。自らをあまり立派ではない兄と思いながらも、でもどうあれ兄は兄という現実から生まれ出る見栄や意地。それを松葉杖代わりにどうにか立ってるような、瀬戸際の歩みが胸を打つ見事な物語でした。
川系企画参加の小説は文章力の水準が高く、いつも勉強になるなと思いながら読んでいます。その中でも、この作品は特に素晴らしく感じたので感想を書かせていただきます。私が思うこの作品の良いところは、文章の立体感です。私は小説を読むときに、頭の中に映像が浮かぶタイプの人間なのですが、これを読んだときにはめっちゃ高画質でしたね。口語体調の地の文、人物の何気ない動作、着信音までが私たちが普段経験するようなリアルさを持っていることが要因でしょうか。これが言葉にならない一般感を生み出しているように思います。あと、個人的にうまいと感じたのが行間の取り方です。文脈的な言葉のまとまりを意識して、より自然に読者が没入できるような配慮が心地よいほどきれいに整頓されていました。これを素でなさっているのなら才能ですが、心がけていらっしゃるのであれば結構な手間をかけられていることと思います。そういった細かい工夫はぜひ見習わせていただきたいものです。