第19話
集落を抜けて、粗くだが整備された道の上に至る。
するとどうしてか
「貴様、本気でこのまま付いてくる気か?」
「まあ、こっちにもそれだけの理由があるって事さ。ほらほら、そんな嫌な顔を見せなさんなって」
「物好きというよりは、イカレているな。好んで俺に関わろうとする人間など、今まで出会ったこともないというに」
「そうかい? 俺としちゃ、お前ほどのおもしろそうな輩に巡りあえる経験なんて、そうそうにはないと思うぜ」
この草原を波打つ風のように、さっぱりと乾いた顔で口の端を
「それにだ、さっきも言ったろ? 俺が旅に出た理由ってやつを」
「復讐か……」
「いいや――違うさ」
はっきりと否定の言葉を口にした。
カイルにとって、それらはもう然したる意味を持ち得ない事。
「そういう事じゃないんだ。……勿論、大事な仲間たちを……かけがえのない人を奪われたっていう事実を……吹っ切れたわけじゃない。たださ、それを理由にして、どうこうしたいわけじゃない」
「何が言いたいのか、はっきりしない奴だ」
「とっつくなよ。俺だって自分の思いをきっちり整理できてるわけじゃない。けれども……失ってしまったみんながさ、繋いでくれたみたいなんだ。俺みたいなちっぽけの奴のこれからってやつをさ」
確証も確信もなにもない、まるで夢幻のような経験と記憶を――
それでもカイルは固く信じていた。
そして、そこに注ぎ込まれたいくつのも思いを全て受けきれるだけの自分になれるようにと誓ったのだ。
「だから俺はそれに恥じないよう、今よりもっと大きなものを追いかけていたい。俺の旅の目的なんてさ、明確でもないし、道筋だってまだついてないのかもしれない。それでも俺は前へ進む事を選んだつもりだよ」
「まるで理解できん話だな」
「……ま、それに結果論だけども、俺は軍を辞めて正解だったよ。士官時代に俺がやってきた事は、もしかしたら全くの的外れだったかもしれないんだ。旅に出て、その事がようやく知れた。あのまま、俺の全てを魔物討伐に捧げて過ごしていたら、きっとそれには気づかなかったんだろうからさ」
「だから真の仇を討つ為、俺に同行するというのならばまだしも――お前は殺された仲間達の復讐を諦め、そんな事を求めるのか?」
「復讐か……。昔は俺も、その為に生きていたよ。この世界から、魔物という存在を一片も残さず駆逐する事が正しいと信じてさ。それでようやく、人間は本当に安心して暮らせる。そうして初めて、理不尽に悲しむ人間が居なくなると思っていた」
「実際に魔物は人間にとっての害であろう。それが間違いであるとは、俺には思えんが」
「そうかもな。確かに、それが正しくはあるのかもしれない。けど、本当にそれだけが答えなのかなって気がしちまってさ。……道は、一つしかないんだろうか……。俺が知らないだけで、世界にはもっと多くの事がある。俺が見えてるものなんて、そのごくごく一部でしかない。ならさ、それが答えだなんてどうして言える? それが正解だって胸を張るには、俺はまだまだ未熟なんだよ」
カイルは無意識の内に、握り締めていた自身のその拳を見つめた。
何かを掴み取る為、
その拳の中で、掴み取ってきたもの達は、強く力を加えられて歪に捻じ曲がってしまったものもあったろう。
けれども――
「この先、答えはきっと見つかると思う。でもな、それって簡単に手に入るものなのか? 誰かや何かから、ぽんっと与えられるようにして手にするものなのかな? ……俺は、きっとそうじゃないと思うんだ。遠回りして、迷って、途方に暮れて、それでも足掻いて――そういう積み重ねの上に見つかるものじゃないかって気がするんだ」
ゆっくりと、その掌を解く。
何も乗せられていないその手の上にも、見えないだけできっと何かが宿っている。
歪にカタチを変えようと、残っているものがある。
それを自分の胸へと当てる。
「だから俺は、遠いトコまで行くつもりさ。果てがなかろうが、どれだけ険しい道のりだろうが、――俺はその思いを
カイルは
その空の色を映したかのような瞳が、真っ直ぐに前へと向けられている。
始めの頃は、自分達の死を置き去りにして、そんな馬鹿げた空想をする自身を――仲間達はあの世で怨んでいたりしないかと不安がった事もある。
けれどあの時、黄金の獣はこう言った。
「お前を救うためにその存在を費やした彼らは、お前の死を望んでいるのか?」――と。
そうだった、その通りなのだ。
アッシュ、リース、カルム、ラッグス、ラズ、ウィンネル、そしてリュカ。
彼らならきっと、そんな馬鹿な事を言い出したカイルを笑ってくれる。
いつものようにからかい混じりに笑い飛ばして、そしてそっと背中を押し出してくれる。
そんな彼らが、カイルの目蓋の裏には焼きついているのだ。
だからカイルはその一歩を踏み出せた。
「本気で言っているようだな、魔物と共生だのなんだのと」
「そうそう。そうやって、誰かから呆れられるぐらいでちょうど良いんだ」
カイルは、自分の全てを懸けてでも実現させようとしている事柄を
そういう体でいられるカイルだからこその馬鹿げた夢なのかもしれない。だが、そこにはどこか頼もしさすら
「別に俺だって、奴ら全員と仲良し子良しで手を繋いで暮らしましょうなんて思っちゃいないさ。ただな、どっちかが滅びるまで殺し合いを繰り返す必要だって無いんじゃないかと思うんだ。
そりゃあこれまでの歴史を振り返ってみれば、憎しみの感情をぶつけるのは当然かもしれない。でも、いい加減そういった段階から抜け出てみてもいい筈なんだ。この世界でさ、両方の存在を認め合って――許しあってさ、そんでお互い相手の姿を遠くに確認しながら静かに暮らしていく。そういう世界だって、捨てたもんじゃないだろ?」
それは、第三者ではなくその殺し合いの当事者であったカイルだからこそ、意味を持つ言葉だった。
「生ぬるい理想論だな。種としての根源、生命という本質を鑑みれば、競い合って削り合い、より強く練磨されて残ったものだけが存在を許される。原始的なその法則を払い除けて、夢物語のような事を本当に確立できると思ってるのか?」
「ははは……いやまあ、何て言うか、半人前だって事は十分承知してるんだがなぁ」
「ただの道楽主義の酔狂か。よくもまあ貴様のような軟弱の能天気が、この俺と行動を共にするなどと考え至ったものだな」
「おいおい、俺は生物として根本的にも違えば言葉も通じない――そんな相手とうまくやっていこうとしてんだぜ? だからさ、ちぃっとばかしぶっきらぼうで、おまけにとんでもなく眼付きが悪くて、凶悪そのものの発言をかましてくれる危うげな雰囲気抜群のお前さんくらいと、上手くやってけずにどーしろってんだ?」
どこまでも軽妙に、カイルは相手への印象を一切隠そうともせず、そして何の飾り気もなく、果ては惜しげもなくぶつけてみせた。
しかし意外にも、そんな言葉の波にさらされた相手はそれまで
「……ほとんどの人間は、見掛けで俺を遠ざけるか、怯えた顔で自ら遠ざかっていく。それが普通なのだろうと思っていたが、どこの世界にも例外はいるものか」
「それってさ、まさにその通りなんだよ。今、そうやって自分の思考を言葉にしてくれたおかげで、お前さんが俺のことをどう捉えているかを少しだけ理解できたし、同じように俺の考えも伝えることができたわけだ。
つまりこれって、何よりも重要なことだと思うのよ。多くの人がお前を遠ざける理由には、得体のしれなさってのが大部分なんだろう。でもその得体の知れない恐怖なんざ、こうやって一個ずつでも潰していけるんだ。
相手が何を考えているのか、どうしてそう考えるのか、そういう事がわかり合えればさ、相手がどういう風だろうと、互いの存在に怯えあう必要なんてなくなると思わないか? 俺はさ、そういう部分に懸けてみたいんだよ」
また少しだけ真剣な顔つきになっていたカイル。
けれどもやはり言葉の最後で、恥ずかしさを紛らわすためにいつもの芝居じみた表情でおどけて見せる。
「馬鹿か貴様。それが言葉の通じない相手への対策だというのか。だがまあ……なるほどな、一理はあるか。つまり貴様が底の抜けた阿呆であると知っていれば、いちいちその発言に呆れる必要もなくなる訳か」
「おお! そういう事さ! お前さんの口が他人を
「腕の方は大したことない分際で、口だけはえらく達者だな? あいつら相手にもその口上が通じれば、無様な
「よーしよし、その意気だ。これでまた互いを知って、一歩近づくことができたわけだ。さあ、いこう! どんどんいってみようか!」
「
相手への訝しさは完全に取り払われた。
だが変わりにその眉間に不愉快という名の濃い皺を刻んで、黒尽くめは前を向き直り、歩みを再開したのだった。
「だーかーらー、もうちっとゆっくり歩いてくれよなあ。本来こっちは安静にしとかなきゃいけない怪我人なんだぜ。――って、聞いてんのかいシノン!?」
大声を張り上げて相手の名前を呼んでみるカイルだが、その声が届いた対象は、歩を緩めるどころかさらなる速度に上げて、それを返答とした。
そんな相手の後を困り果てたという笑みで追っている人物が、どこか嬉しそうなのは言うまでもない。
本当に可笑しな話、カイルは遠ざかるその男――シノンに対して、短い間に好感を持つにまで至った。
人が聞けば心底首を傾げる事だろう。
シノンという男は、好意や好感を寄せられる相手とは真逆の位置に立つ種類の人間なのだから。
だがカイルはあの最悪の窮地の折で、カイルが放った無闇な策としか言えないような一投――
絶望的な世界の中、か細い
あの時、もしもカイルが全てを諦めて何の動きも見せなければ、幼い少女の頭は醜い怪物により噛み砕かれていただろう。
いや、それはあまりにも都合の良い
シノンはあの女を追ってきただけでカイル達を救うべく到来したのではないと、そう本人の口から語られている。
多くの人間はそのシノンの言を事実と捉えるだろう。
他人を
けれどカイルはそうは思わない。
あの時、あのぎりぎりの場面で到着したシノンは、泥溜りか或いは血の池かで半身を汚していた。
それをカイルは知っているからだ。
それは、このシノンという男が、
シノンはそれまで同じような体験をして知っていたからこそ、あの女の凶行と怪物達の繁殖を防ぐ為に焦り逸って駆けつけてくれたのではないだろうか。
ほとんどの人間はそんなカイルの意見に異を唱える事だろう。
シノンという男の振る舞いをみれば、そんな殊勝な意志を持って行動する筈がないと断定されるものだ。
それでもそれが、人好きを
あの時――
悪あがきでしかなかったカイルの渾身の一撃をシノンは拾って繋げた。
少女のそのか弱い命を救う為の最後の抵抗を、人の身にどうする事も出来ぬ運命という底流に抗ったその
それがこの上なく嬉しかった。
どんなに強く願っても一人では成し得なかったそんな奇跡の類も、このシノンという男と肩を並べられるならば実現可能ではないのか。
そういった希望がカイルの胸の内を駆け巡っていた。
目の前に広がる多くの事がまるで解明されておらず、それは推論の域をでないものばかりだ。
それでもカイルの目的は変わらない。
無謀だ夢物語だと揶揄されようが、これまでに誓ってきた全てを投げ出したくはなかったから。
あまりにも多い過去の負債と、あまりにも途方もない未来への予定。
だが、今そこには確実な道が残されているように思える。
この
それでも、カイルはその陽気な顔を上げて前へと足を踏み出した。
痛みを背負った身でありながらまるで何処吹く風であるという様に、両の足は確りとその大地を踏みしめる。
不確かな目的にそれでも確かな決意を秘めて、旅は続いていく。
晴れ渡ったこの空を見上げ、遥かに願った理想をそこに重ね合わせてみた。
その
『碧落を往く』第一部 【完】
碧落を往く 猫熊太郎 @pandlanz
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