第18話


「これっぽちも面倒見る気が無さげなんだが……」


 痛む体を引きってその巨大な切り株の広場までやって来たカイル。

 その光景を見て発した第一声がそれだった。


 巨大な切り株の根元からその高くにまで伸びた先端に向かって、子供達は何やらぶーたれた喚きを散らしている。

 見ればその先端には、この陽気な昼下がりに似つかわしくない暗色の出で立ちの人影が在ったのだ。


 切り株といっても、その元の樹がかなりの大きさだ。

 それほどの幹が真ん中辺りでへし折れて出来た物なため、その高さは他の木々の背丈を遥かに凌駕していた。

 さすがにそんなものの天辺までは、木登りが得意な子供達でも至れないのだろう。


 現在の状況から察するに――

 子守を任された”黒き死の風”ことヴェヘイルモットは、何だかんだあって結局面倒臭くなったもんだから役柄を放りだそうとしたが、子供らがそんな彼に執拗なまでに追いすがってくるので登ってこれないあんな場所にまで避難しました。

 ――というのが正しい解釈だろう。



 そんなカイルの考察はさておくとして、鞘越しの剣を杖代わりによぼよぼの老人のように歩いてくるその姿を子供達の内の一人が目敏めざとく見つけた。


「ああっ! 兄ちゃんじゃねぇかよ、もう目ぇ覚ましたのかー!!」


 恐らくこの集団で一番年嵩としかさであるあふれんばかりの活力をみなぎらした男の子が、嬉々としてカイルの元へと走ってくる。

 それに続いて他の子供達も一斉に同じような表情で駆け寄ってくるのだ。


「よぉーしよぉし、お前ら相変わらず無駄に活力が満ち満ちてるなー。でもその勢いでいきなり飛びついてくるとかナシなー。ほんとにシャレにならんからなー」


 即座に取り囲まれたカイルが、その期待に満ち溢れた眼差しに苦笑いで応える。

 今のカイルが全力を出した子供達と相対した時の生存確率は、一割どころか一分にも満たない。

 彼らの期待するような遊び相手にはなってやれないというのを必死の思いで強調する。


 さすがにそこは判ってくれてるのか、子供達は無茶な絡みでカイルの息の根を止めるようなことはしなかった。

 しかしそれでも嬉しそうに、楽しそうに、カイルの手やら服の裾やらを引っ張っていく子供達。言うまでも無いが、そんな和やかに見える一連の動作全てにカイルのボロボロの体は悲鳴を上げている。


 と、そんな中――

 おずおずと遠慮がちに進み出て来たのは、淡いぐらいの細やかな栗色の髪をしたあの幼い少女だった。


 心配そうにこちらを見つめているが、少女のその何事もない無事な姿を目にし、まずは安堵を覚えたカイル。

 だが、同時にどこか情けなさも感じていた。


 結局、この子を救ってくれたのは件のヴェヘイルモットだ。

 だから大きな口を叩いていたカイルには会わす顔がないというもの。


 それでもやはり、純粋にこの子の無事な姿を見れて良かったという思いの方が強いのも事実。


「――やあ、とくに大きな怪我もないようで良かった」

「うん……。でも……わたしのことを守ってくれたせいで、お兄ちゃんがいっぱいケガしたって聞いた」


 少女が今にも泣き出しそうな声を上げる。

 あの森での一件を、あの黒尽くめはどう説明したのだろうか。ともかく概要だけは伝わっているようだった。


 まわりの子供たちもカイル達の雰囲気に、それまでの楽しそうだった歓声を潜ませた。


 そんな少女の様子を困ったような顔で見守っていたカイルは、ぽんとその頭に手を乗せる。

 そして本当になんでも無いことのような、この上ない陽気な笑顔を向けたのだった。



「気に病むことなんてないさ。君がこうして無事でいてくれて、俺もこの通りピンピンしてる……とはまるで言えないが……まあともかく、この通り生きてるんだ。過ぎたことを悔やむのは無しにして、今こうしてここに居られることを喜ぶ方がもっとずっと素敵なことだと俺は思うよ」


 何気ない言葉の片隅に刻まれたその強い思い――

 それを幼い少女はまだ汲み取れないだろう。


 それでも大きく頷いた後、見せてくれたそのとびきりの笑顔は、全身をさいなむ鈍痛を倍増しにしたってお釣りがくる程のものだと思える。


 カイルは手を腰に付けて伸ばし、遥か上空を仰ぎ見る。


 雲の少ない快晴な空と照らし合わせるようなその青色の瞳が、その端に映った風になびく黒い外套がいとうを捉えた。


 これだけ大騒ぎしていて、カイルの存在に気づいてない訳がないだろう。

 しかしそこから一切として動こうとしないのは、やはり周りに子供達がいるからだろうか。

 ここから声を張り上げて呼んだとしても、素直に降りてくれるたちではないのは予想できた。


「さあさあ、ちょっとあそこの黒い変ちくりんと話さなきゃならんから、キミたちはその辺で遊んでなさい。もしくはお家に帰って、たまには父ちゃん母ちゃんのお手伝いでもしてきなさい」


「兄ちゃん、アイツ一体何者だよ?! 俺たちが全員でとっ掴みかかっても、服のすそ一枚にも取り付けやしねぇよ!!」

「ははぁ、それでアイツはあんなとこにまで逃げ追い込まれたってわけか」


 カイルの頭の中に、とんでもない身体能力を武器に子供らの追撃を次から次へとかわしていく男の姿が容易に思い描かれる。

 だが流石にキリがなくなって、あんな所まで退避していったのだろう。


 カイルの考察は半ば的中していたようだ。


「仮に、もしもだぞ? あれがちまたで噂を持ちきりにしている件のヴェヘイルモットだって言ったら、お前ら信じるか?」


「なーに言ってんだよ、兄ちゃん。アイツがヴェヘイルモットなわけないだろ? 

ヴェヘイルモットは角とか牙とか羽根が何本も生えてて、一歩で山を越すドラゴンよりもでっかい化け物だぞ? あと口から光線も吐くし」

「いやいや……、ヴェヘイルモットはいつ傭兵から大怪獣に進化したんだよ」


 噂について来るのは尾ひれだけでなく、角も牙も羽根も怪光線もそうだったらしい。

 それを知れたカイルはまた一つ賢くなったねとかそんなのどうでもよく――まったく降りてくる気配のない大怪獣の手前、その痛む体をさらに酷使して木登りなどに打ち込まなければならないのだった。



 骨の髄からぴしぴしと伝わってくる鈍い痛みを我慢して、ほとんど垂直のその大きなみきを登っていく。

 その速度はとても褒められたものでないが、それだけの怪我をしている身でよくもやると言えた。 



 途中で何度も激痛に動きを止めながらも、下から聞こえてくる健気で――そしてこの上ない他人事のような無責任な声援を頼りの綱に、カイルはその頂上となる水平に伐り割れた台座のような部分へとようやく腰を置かすことができた。



「お、おまえな……病み上がりの俺を……と、途中でも良いから……心配して降りてきてくれるとか……一切しないのな……」


 荒い呼気と脂汗で彩ったその様相は、何処からどう見ても死にかけのそれだ。

 そんな必死の形相のカイルを振り返りもせずにその場で悠々と立ち尽している男は、ただそこからの勇壮な景色を眺めている。


「……にしても、まさかお前さんの方から俺に用があって残っていたとはね。てっきり何の前触れもなく消えちまってると思ってたが」


 息を整えて体を伸ばすように横になったカイルは、その黒い後ろ頭へと視線を投げた。


「それで、一体俺にどんな用があって似合いもしない子守までしてたんだい?」


 ようやく息を落ち着かせたカイルもまた、あお向けの状態で辺りを見渡す。地上よりも空が近くなった分、周りの景色もより澄んで映るようだった。



「どしたー? さすがのお前も、あの活力の塊みたいな子供達の相手で気力を根こそぎ持ってかれたか。というかアレだな、流石は英雄サマ、子供には優しいのな」


 さっきから一向に返事をしない相手にあまりも気安い笑みを浮かべて軽口を叩くと、その掌をひらひらと振った。


 しかしそんな能天気なカイルは刺し貫かれるような鋭すぎる眼光で釘をさされ、表情を強張らせる。


「いや、はははっ……冗談だよ、冗談。……というかお前さん、自分が思っている十倍は眼つき悪いからな? 気をつけないと心臓の弱い人なら一発で昇天だ」


 鋭く相手を射抜く眼光。それはカイルの祖父であるレヴァンスのものとは、また違った部類のものだ。

 レヴァンスの全て見透かすような、深い部分までをも切り裂く眼光ではない。ひたすら真正面から相手を圧するかのような――そんな暴力的この上ない眼光だった。


 それでもカイルはめげないというか、軽口が吐いてでるのは性分という事にしてみてもあまりにも根深いもののように思える。

 それが長所であり短所であるとしても、そのへこたれなさはある意味で賛辞を贈れるほどだった。


「まあ、いいか。そっちから話す気がないんだってんなら、俺からも訊きたいことは山程あるんだ。先にこっちの質問に答えてもらうぜ?」


 ほんの少しだけ表情を引き締めたカイルが体を起こすと、胡坐あぐらをかいてその膝に手を置いた。


 そんな相手を捉えていた鋭い瞳は、まるで無感動にその色をすぼめた。


「始めに断わっておくが、時間の無駄だ」


 先を制するように、カイルの発言を待たずに男は口を開いた。


「俺の質問には何一つ答える気がないってか?」

「無論、親切丁寧に受け答えてやるつもりもないがな。だが貴様が望んでいる問いの答えを、俺は何一つ持ち合わせてはいない」


「えーっと、つまり詳しくは何も知らないと言いたいのか……? まあ、それでもいいさ。知ってることだけでも教えてくれよ」


 そう言って一呼吸を空けると、カイルは後に続けて質問を連続させようとする。

 だがその次の瞬間にはそれ先んじ、低く抑揚のない声が被せるように発せられた。


「――同じ事を二度も言わせるな。俺は何一つとして知らん。自分自身の事すらな」


「妙な言い方だな、どういう意味だよそりゃ?」

「言葉通りの意味でしかない。俺は俺自身を知らんと言った」


 顔半分だけを晒していた男がカイルの正面へと向き返る。その無機質とも取れる冷たい色をした深緑の瞳が正面に。

 一方の空色の瞳は思案気な揺らめきを見せて、相手に彩られた僅かな感情の端をすくい取ろうとしている。


「自分を知らない……? 自分が誰だかわからない……? ――記憶が無いってことか?」


 頭の中の思考をそのまま段階を追った呟きで表わして、カイルは相手を見遣った。


 男はその視線に頷きもしなければ首を振りもしない。しかしその冷たい双眸のまま、言葉を続ける。


「俺は自身がそう気づいた時から、俺でしかなかった。何一つの目的も欠片の記憶さえ持たずに、いまこうしてこの世界に居続けている。自らの感じる事と思う事だけが、俺という存在の証明だ」


 吹きつける風に真っ向から立ち臨むように、黒色の外套がはためくだけで、重厚と構えているその身はまるでぶれる気配もなかった。


 改めて観察すると、歳若いと取れるその人相はしかし、よりずっと精悍で奥深いものだ。

 以前、滞りながら腐り果てない大沼とそうたとえたが、それらはおよそ間違っていないと感じる。

 早熟な青年、というよりはもっと年季の入ったもの――

 例えば、外面だけ成長を止めたそれに、何年、何十年、あるいはもっと多くの年月を経た内面を合わせたようなものと言えたろうか。



「……あの女は、そんな俺の前に姿を見せ、そして俺の知らない”俺”という人間の事をべらべらと喋りたくりやがった。自分自身でさえ知らぬものを、まるで得意げに話す奴の姿がこの上なくしゃくに思え……遂には斬り殺してやった」


 危うげな輝きが再来したかのような瞳をうかがわせ、陽気な空の下とは不釣合いな乾いた微笑を形作る男。 

 そんな相手を正面に捉えているカイルの肝は冷える一方だ。


「だが貴様もその目で見ただろう。あれは人ではない、人外の類だ。そして何度も何度も、同じ姿で俺の行く先々に姿を現す。その度に斬り捨ておいても、また気味の悪いあの微笑で現れては、この俺を『ユリスヴェリア』などと呼ぶ」


 彼のその憎々しげに吐き連ねる言葉を繋ぎ合わせるまでもなく、カイル自身、あの女から受けた印象はおおよそ似通ったものだ。

 おそらくこの世の理の外側にいるような、そんな恐ろしい存在であると本能的な何かが告げていた。


「それはともかく、自分が誰だかわからないって……それじゃあ、お前は自分がヴェヘイルモットであるという自覚もないのか? いやそうか、お前さんがヴェヘイルモットであるという確証すら無い事になるか」

「聞き慣れぬ名だと言ったろうが」


「そうだな。確かにそうだとしたら辻褄は合ってくる。ヴェヘイルモットの噂――その活躍は、100年続いた大戦の中程から囁かれていたそうだ。換算すりゃ、五十年以上も昔の話だ。記憶がないとは言え、見た感じの容姿でいえば、俺と同じ年齢くらいの現在のお前が、当時のその戦場で活躍できるハズもないわな」


 言ってしまえば、彼は生まれる前から戦場にいた事になるのだ。


 そして、正に”黒き死の風”のその伝承が眉唾たる証左として、その年数のちぐはぐさがあった。単純な話、一人の人間が継続して50年間も戦場で活躍はできまい。



「……もしくはさ、本当にお前は『不老不死』かなんかなのか……?」


 恐る恐るといった口調で、カイルが引き攣った笑みを見せながらそんな懸念を言葉にする。


「さあ、な。幸いと言うべきか、意識が始まってからのこれまで、死ぬ程の経験などはしたことがない。わざわざ試すような馬鹿な気も起きんが……存外に、――そうであるのかもな」


「えぇー……? いやぁお前、あんな戦い方繰り広げてみせて、死ぬ程の経験がないって……」

「事実そうなだけだ。あんな程度ではくたばる気などさらさら無い」

「それにしたって、無茶苦茶な強さだっただろう。目の前であんなもん見せられ、そこで伝説の存在であると言われりゃ大いに納得もするんだがなぁ……」


 頭をかたむけた渋い顔のカイルが腕を組んでいる。


 無感情にそれを眺めていた男だが、ふっと何か遠い思いを探るように目をしばたたいた。


「……戦いの記憶ならば、微かに残ってはいる。どんな戦場で何と敵対していたかさえもまるで思いだせんが、五体の隅々にまで……膨大な量の闘争の感触が……刻み込まれているような……。あるいはそう考えれば、俺はそのヴェヘイルモットとやらであるのかも知れん」


「まるで憶えが無いのに、戦いの経験だけはしっかりと体に染み付いているって? 記憶を失くした凄腕の戦士ねぇ……実年齢も定かではないわけだし、なにやら曰く有り気な匂いが立ち込めてきたなぁ」


「もっとも、他人が俺をどう呼ぼうと係わりはない。俺は、俺が思うままの存在でしかないのだからな」

「ははは、気味が良いくらい剛毅だな。まあ、自分の意義なんて他人から決められるもんではないから、それで正解なんだろうけど」

「知ったような口を利くな」


「ん? そういやさお前、確か自分のこと名乗ってたよな? えっと……シノン・ハーティアだっけか」


 そのカイルの問いに、今まで見せなかった複雑な相を形作る男。


「自分の名前だけは憶えてたのか?」


「……それが……俺の名であるという確証などない。ただ、その名前を憶えていたというだけの話だ」

「そうか、ならこの名前は誰か違う人のものである可能性も……。そういや、心なしか名前の響きからして女性のものっぽくもあるよな」


 情報は一欠片ずつではあるが、何かが明瞭になり始めていきそうなその予感にカイルの胸は僅かにざわめき立った。

 そういった思考を表には出すことなく暢気のんきな顔で居られるというのも、この芝居がかった口調と相成った特技の一つだ。


 その様を看破するように捉えていた鋭い眼光の主が、おもむろにその口を開く。


「それで、そういう貴様は何なんだ? 何故あの場所に居た? ――いや、ただ通り掛かっただけという訳ではあるまい。何か貴様も関係している筈だ。あの女とも……あるいは憶えがないだけで、もしやこの俺自身とさえもか?」


「いんや、悪いがお前さんの事はまるでといった所だぜ。しかしまあ、こう見えてもいろいろと厄介な事情があるといえばあるんだが……その前にもう一つだけ訊かせてくれ。あの青白い肌をした化け物のことを。知っていることだけでいい、教えておいてくれないか?」


 ころころと陽気な面を広げていたカイルだったが、そこに来て初めてその双眸を引き締め、深く真剣なものとする。


 尋ねなければならない事の中で、最も重要な質問をカイルは切り出していた。


「あの図体ばかりの魔物どもの事か? あれは厳密に言えば、おそらく魔物という分類からは外れるだろうな」


「というと……?」


「あいつらもあの女と同様の部類だ。原理はまるで知らん。だが人間の屍肉と泥を血で固めて造りだされた操り人形だということは、何度も見てきて把握している。貴様も見たろう? あの魔物どもは自立した行動を取っていなかった事を。あれはあの女の指示が無ければ、指先一つとして動かそうとせん。生物としての本能的な生存欲望すらないのか」


 男が語った内容から、カイルは一つの推察をなす。


「魔術の一種……と、捉えていいんだろうか?」

「可能性の域からすれば、それが一番近いのだろうな。とは言っても、詳述できるほどの知識など持ち合わせていないが」


 この世界で唯一として、奇跡に近い存在とされる魔術。

 少なくともあの女はそれに類するもの使用できた。

 魔術士と呼ばれる人間達のことはその存在が公となった今でさえ未だ多くの謎に包まれており、一般の人間には想像もつかぬ境地だ。


 だが予測の方向性としては的を射ていると思える。


「そうか、……やっぱり」


 漏れ出る息と一緒に、胸につかえていた形容しがたい思いも僅かに吐き出される。

 その話は整理してみるまでもなく、あの出来事の起因となるものが、あの奇妙な女の存在と重なっていることを示している。


 この世界に蔓延はびこる魔物たちはもちろん人間に害をもたらす。

 だがそこには、罪悪の観念などは存在していない。

 罪悪とは人間達が作り上げた社会基準の上に生じるものだ。

 そんなことわりの外にいる魔物たちのその凶行の理由とは只一つ、自らの生存を賭してのものだった。


 だがあの日のあの怪物達に宿っていたのはそれらではない。


 罪悪――善と悪を知る何者かに付け与えられた命令という名の行動理念で、あの怪物共はカイルの掛け代えのない人々を奪っていった。


 魔科学の力によって誕生した兵器をカイルも多少なりとは知っていた。

 あるいはあの化け物達も、むしろ魔物と呼ぶよりはそうした派生の一つである可能性も否めなく感じる。


 魔物に対抗するために編み出された魔導兵器、しかしそれらが必ずしも人に利するものでないという事は容易に考え至れる。

 武器や兵器など、運用する人間によってどうとも変わる。


「あの魔物たちは、その材料というか……人間を元にして作られるのか。なんともおぞましい話だな。あの森にはそれなりの数の野盗達が隠れていたらしいけど、そういう事か……」


「今回のなどはまだ小規模な方だ。四ヶ月ほど前のは――あの女、憲兵が駐留している国境の街を標的として堂々とやってのけやがった」

「国境の街? それってこのハーレィとイザンカの境にあった街の事か?」

「さすがにあの時は、規模が規模なだけに相当骨が折れた」


「なんてこった……。あの魔物達を使って、本当に街一つを一晩で廃墟にしたのか……」


 脳裏に描かれたその凄惨な光景を頭を振るって誤魔化すカイル。


 話からすれば、その人間の屍を元にして増えていく怪物達の性質上――いきなり街全員の人間を殺害する必要もなかったのだろう。

 ゆっくりと侵食するように、魔物が人を喰らい殺し、その肉片を集めてまた新たな魔物を誕生させる。

 倍々的に怪物の数は上昇し、いずれは街全部を飲み込む。


「俺が釣られて足を踏み入れたときはもう、街の大半は死んでいた。動き回っていたのは、命の概念も持ち合わせていないようなあの木偶の坊共だけだった」


 特に何の感慨もなく淡白に語る目の前の男。

 男はその後を語らなかったが、彼一人の力で街に蔓延る人間の成れ果てのその怪物達を蹴散らしたのは訊くまでもない事だったろう。


 そんな男を眺めていたカイルは、あの恐ろしい女が一体何を目的としてそんな行為を繰り返しているのかという疑問を強く生じさせた。

 そして同時に、これまでの経緯からおよその結論めいたものは浮かび上がってくる。


 あの女は目の前の男の為に「用意した」と言っていた。

 つまりはそういう事なのだろう。


 その本人がそれを自覚してるかは判別できない。

 しかしあの女の行為の念頭には、このヴェヘイルモットが居ることに間違いはない。

 あの奇妙なまでに親愛の情が篭った目の色は一体どんな理由を以ってしてなのか、少なくともそれを掴むためにはこの男の事からまず知らねばならぬだろう。


 またそれだけではなく、あの女は何故、わざわざこんな場所まで呼び寄せるような回りくどい方法を選んだのだろうかともカイルは思索する。


 この男との邂逅かいこうがあの森でなければならなかった理由というのも、随分と不自然なものに感じられる。

 カイルとこの黒尽くめの男がすれ違っただけとはいえ、一度顔を合わしていることにどこか由来しているのか。

 人間を媒体にするというのであれば、あのトトリアヌの町で事を起こしていても良かったのではないか。

 あるいはそれが出来ない理由が存在していたのか。

 いや、そもそも―――


 などと、今ここでは埒の明かない考えを展開はしてみたものの、まるで成果が感じられないカイル。

 ともかく手掛かりとなるのは、この目の前で不遜に構えている男だけ。


 しかし、おあつらえ向きな程に、記憶を無くしている今のこの男からは何の手掛かりも見出せないのだ。



「それともう一つ質問なんだけど……いや、質問っていうよりあくまで確認みたいなもんで、馬鹿げた話かとは思うんだが……」

「今度は何だ?」

「んー、何て言葉にすればいいか……。人の言葉を話す、黄金の狼のような……獣みたいな何か……なんてそんな類に心当たりないよな?」


 無駄な事とは知りながら、カイルは自分の記憶の中にある特異点――特にその繋がりが一番強いと考えられる事についての質問をした。

 言うまでもなく、相手の反応はすこぶる悪い。


「要領を得ない問い方だ。魔物の一種かそれは?」


「いやまあ、何て言うかさ……。うん、そうだな――」


 カイルはふと目を閉じてみた。


 忘れたくても忘れられない光景がその目蓋の裏には、繰り返し流れていく。

 慣れる事など決してなく、その胸裏に宿る痛みと冷たさはカイルを過去から縛りつける。


 忘れる気など元からない、背負い続けてこそ初めてそれは意味を持つ。


 そんな感慨を――これまであった事全てを、どうして目の前の存在に話してみたくなったのか、実はよく分かっていなかった。

 それでもその記憶を失くしたという相手にどうしても話しておきたかった。


 きっと、そんな不明瞭で些細な思いだけがあったのだろう。




 カイルは、自分がこれまで経験してきた長いようで短い物語を語って聞かせた。




 秋空の下、相変わらずのそのどこか不機嫌そうな相手の反応をまるで面白がるよう――カイルは自らの胸の内を、その明確に言葉にすらできないほど長く絡みついた思いを形にした。


 興味がなさそうに耳を傾けていた相手。

 だがカイルの口をついてでた言葉の連なりが途切れたのを見計らうと、不敵さを醸し出す相貌は変わらず、それでも幾許かを思い至るような素振りを見せていた。


「なるほど。十年も前に既にあいつらが存在をあらわにしていたというのであれば、いくらか調べるだけでも凡その手掛かりが浮かび上がってこようと言うものだな」


 そう獣のように口の端を吊り上げてわらうと、言葉にするよりも素早く、青い空の下ではこれ見よがしに色が浮くその外套をひるがえしてみせた。


「おいおい、何処行こうってんだよ?」


「決まっているだろう。――奴らの手掛かりを探す。お前の話が真実そうならば、奴らは俺に直接関り合いが無くとも何らしかの活動を行っていた事になる。とするなら、外郭のその足跡を辿たどっていった方が答えには近かろう。

 いつまでも気味悪く唐突に姿を現し、罠と知りながらその手中へと釣られていくのもいい加減に飽き飽きしている。正体を突き止めて、今度こそ確実に息の根を止める方法をあばいてくれる」


 どこまでも好戦的な貌つきで吐き捨てるのを引きった笑いで受け流すカイル。

 相手はもちろん冗談などで言っていないのは、その危うげに輝く双眸を見て取れば一目瞭然だった。



「物騒なことを平然とした顔で言うよなぁ。まあ、それはしゃーないとしても、こっちは大怪我してる身なんだぜ。移動するペースは落としてくれよな」


「……あぁ?」


 カイルの発言に、黒尽くめの男の動きが止まる。

 それはなんとも場違いな冗談で空気を固めてしまった時のそれに酷似していた。


「いや、だからな、只でさえ脚の速そうなお前さんなんだ。それに加えてこっちは動くのでさえがやっとな状態なわけだ。重々念を押して、歩く速さは合わせてくれよって話してるんだ」


「……なんで貴様と歩く速度を合わせねばならんのだ、気色の悪い」

「え? だってほら、俺たちこれから旅を共にするんだろ?」

「ふざけてるのか、一体いつそんな話の流れになった」


 ドスの利いた声で牙を剥かんとするかのように喰ってかかる相手。

 それをカイルはさも不思議そうな間抜け面で眺める。


「え? あれ? 違うのか? ……いや、でもだってさ、俺ら二人の目的とせんとするところは、差異はあれども結局は同じようなもんだろ。それに何だかんだで、今さっきこうしてお互いの事を腹を割って話し合った仲じゃないか。

 そんなこんなで、こう二人の間に熱い友情めいたものが湧き上がってさ、なんかもう、『俺の背中はお前に預けるぜ!!』的な流れになっても全然おかしくはないと思うんだよね。――うん」


「……コイツはなにを言ってやがる……」


「おい、どうした? そんなに取り乱して」

「そうか、わかった――よくわかった。貴様、ドのつく阿呆だろう?」


 怒りに震えてなのか、それとも全身が脱力したせいで舌が上手く回らないのか、これまで見たこともない間の抜けな雰囲気を垣間見せた黒色が後ずさりを繰り返す。


「まあまあ、細かいことはこの際どうでもいいじゃないか。いやなに、真面目な話、俺という人間になのかそれともまるで別次元での話なのか、あの女が俺とお前と会わせようとしていたのだけは事実だぜ? そこにはやっぱり何らかの思惑あってのことだと考えられる。そういう点を含めてみても、どうも俺とお前さんは共にある方が何かと都合が良さそうだって話よ」


 真剣な顔つきで話を戻したカイルだったが、またその言葉の最後だけおどけたような仕草を見せる。

 自分のペースをこれまでに無いほど掻き乱された相手は、何とも不快そうな貌で睨みつけてくる。

 そしてそんな視線にはまるで堪えてないと言うようなカイルが、白い歯を見せてもう一度ニカッと笑うのだった。


「そういや、正式な自己紹介をまだしてなかったな。カイルだ、カイル・クロード。当ても終わりもない旅を続けてる、しがない流浪雲るろうぐもさ」


 ニヤニヤとからかうように――しかし、それでもどこか爽涼とした感で――カイルは自身をそう名乗って、その右手を相手に向けて差し出した。


「そっちはシノンって呼べばいいかい? それとも“黒き死の風”ヴェヘイルモット様って呼ぼうか? いや、やっぱ長くなるからシノンでいいよな? まあその名前に確証がないつったって、便宜的にでもそう名乗っておけば良いだろ。どうせ、誰の物かも思いだせないんだ」


 しかし、差し出したその手が受け取られることはなかった。

 得意気な顔のカイルが何やらを色々まくし立てている間に、相手の男――シノンはさっさと荷物を担ぎ上げると、付き合っていられんといった一瞥いちべつを向けてその5メートル近くはある高さの切り株から身を投げ出した。


「――って、こら!! 親交を深めようとしている端から置いて行くなよ兄弟ィ?!」


 カイルの絶叫が見送る中、飛び降りたその身体はあっという間に地面まで落下していく。

 下で取り囲んだままだった子供達の口からは、悲鳴のようでいて歓声のようでもあるそんなどよめきが湧き起こった。


 草が生い茂った地面とはいえ、その高さからの跳躍で何事もないように着地した体はどんな造りになっているのだろうか。

 上に取り残されたカイルが呆けたように見遣っていた。


 だが取り囲む子供達を決然と押しのけて歩を進めるその背中を見て、慌てて声を張り上げながら自身もその場から降りるべく再びその太い幹に取り付いた。


 不恰好な様でずりずりと幹を滑り落ちていくカイルがその根元まで至った時、同じように子供達は周りを取り囲んで迎えてくれた。

 ただ先程とは違い、あまりにも無様な格好のカイルを揶揄する声しか聞こえてこなかったが。


「おーしお前ら、まあ色々と世話かけたな」


 気負った風もなく、ほんとうに揺れる草花のたおやかさで辺り囲う顔を順々に見渡していった。


 すると、その内の一人の胸に抱かれた黄緑色の丸い刺々を見つけた。

 その丸まった体から見える黒く円らな瞳が、何の感慨も無さ気にカイルを捉えていた。


「おお! こいつめ、前よりも随分と人に懐いてやがるなぁ」


 そのハウリザードの子供があまりにも無警戒にいるもので、ついつい手が伸びそうになるカイルだったが、直前に大欠伸あくびをかましたその小さな口を見て、同じてつは踏まんぞとさっと腕を引っ込めた。


 そんな一連の動作さえこの上なく滑稽こっけいなものに見えて、声を立てて笑う子供たちの輪が広がっていった。


「兄ちゃんは、まーたすぐに行っちまうのかよ?」


 年嵩の男の子が不満げな声を上げると、それに続けとばかりの声が合唱となってカイルを襲い来る。


 しかし皆不満を言葉にしてぶつけてはくるが、一向に引き留めの言葉を口にしない。

 それはどうやら彼らの内で思う所があったのだろう。

 そのわずかな変化がカイルにとってはこそばゆいものに感じられて、薄く素の笑みを漏らした。


「まあ、色々とやらなきゃならない事が見つかりそうなのさー。お前らも元気でやれよな」


 そんな短い言葉だけで締めくくると、カイルは痛む背骨をピンと伸ばして片手を掲げた。

 その半面にお得意の笑み携えたまま、別れを切り出すのだ。


 残念そうな子供たちの面持ちだったが、すぐにカイルのその底抜けの陽気な笑顔につられて自ずから大きく手を広げだした。

 あの幼い少女も、自らの体を目一杯広げて手を振っている。



 やっぱり、別れの際にはお互い笑顔でいるほうが良い。

 それはカイルがいつも感じてきたことだ。

 寂しさや悲しさはいつまでも後を曳くが、楽しさや嬉しさはほんの瞬きの間に過ぎ去ってしまう。

 そんな一瞬一瞬でしかない笑顔ならばきっと、お互いが見えなくなるその最後の時にまでとって置いた方が後で大きな意味を持つ事になる。



 そんな事を思い馳せながらも、カイルは決して歩みを止めない。



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