千咲と早苗 2 -休日の話-

やまめ亥留鹿

休日の話


 早苗です。今日から連休です。

 本日のわたしはというと、千咲とウキウキでお出かけ!などというわけはなく、千咲の部屋で宿題を猛烈に頑張っています。


 千咲と同じ高校に通いたいがために必死に勉強して身の丈の合わない進学校に合格したまでは良かったものの、正直取り残されている気がします。

 何ともまあ授業スピードが速すぎて、わたしの頭がついていけていないのですね。

 笑い事ではありません!

 泣き言を言っている場合でもありません!


 そもそもの動機がどうであれ、わたしの決断で入学した高校です、中途半端に自分の能力を見限ってしまうわけにはいかないのです。

 わたしなりに一生懸命、努力を続けるのですよ。

 何よりわたしには、千咲という心強い先生が付いているのですから。

 数学でも化学でもどこからでもかかってこいってもんですよ。


「ちぃちゃん先生、言われたところまで数学の問題集できました!」


 右手を挙げて千咲にアピールします。

 千咲が指示するところまで自力で解けば、答え合わせをしてくれます。

 そして、間違っているところや分からなかったところは解説をしてくれるのです。

 

 ベッドでうつ伏せになって読書をしていた千咲が顔をあげました。

 目が合ったので、自信があるという意味も込めてうんうんと頷きます。

 すると、千咲は本をぱたりと閉じ、「よっこらせ」と言ってベッドから降りてきました。

 そのままわたしの隣に腰を下ろします。

 折りたたみ式の小さなローテーブルなので、体が触れ合うほどのかなりの近距離です。

 千咲がわたしの手元の問題集を前のめりになって覗き込みます。

 後ろから体を覆いかぶせるように千咲の頭に顎を乗っけると、千咲はかすれた唸り声をあげました。


「……重い」

「重くないよ」

「いや超重いから……全部解いたね」

「うん、完璧である」

「ほんとかよ。じゃあ別なことやってて、答え合わせしてくる」


 そう言いながら千咲が頭を上下に動かしました。

 顔をどけろということみたいです。

 仕方がないので、千咲から体を離して敬礼のポーズをとります。


「了解であります」


 千咲がすっくと立ちあがり、壁際の勉強机についてわたしの回答のチェックを始めました。

 さて、わたしは何をしましょうか。

 と言っても、数学以外の宿題は大した量ではないので、もはや敵なしといって差し支えないでしょう。

 この連休、わたしにとってはとにかく数学の宿題だけが鬼門なのです。

 そしてその数学の宿題も、千咲がついていればどうってことはないのです。

 

「このペースだったら今日中には全部終わりそうだな」


 千咲がペンを走らせながらつぶやくように言いました。


「全部って、全部?」

「数学以外もな」

「まじですか」

「まじです」


 開いた口がふさがらないとはこのことです。

 まさか千咲がスパルタ指導にシフトしていたとは。今までにこんなことがあったでしょうか。

 答えはイエス、つい数か月ほど前に魔の受験勉強ちぃちゃんスペシャルを経験したばかりです。

 思い出すだけで恐ろしい。


 今日は朝から始めて今は午後一時ですが、一体何時までかかってしまうのでしょう。

 実際千咲自身すでに全く同じ宿題を終わらせてしまっているわけですが、あの子とわたしを一緒にしてはいけないと思います。

 わたしはそんなにスピーディーに問題をこなす脳みそを持ち合わせてはいないのです。

 このままではわたしの脳みそが沸騰して溶けてしまいます。

 危険です、危険すぎます。

 

「よし、ちぃちゃん休憩しよう」

「さっきしたじゃん」

「一時間前だよおー、オーバーワークだよーオーバーヒートだよー」


 床に大の字になって寝転ぶと、ちょうど椅子に座る千咲を斜め下から見上げるかたちになりました。

 千咲は無表情で黙々と手を動かしています。

 

「どうして宿題なんてあるんですか?」


 なんとなしにそんなことを聞くと、千咲が背もたれに背中を預けてくるりと向きを変え、わたしを見下ろしました。


「まあ生徒本位に考えれば、家で勉強をする時間てのを作る必要があるだろ。でもやる必要がなければやらない、やりたくない、それが多くの子供にとっての勉強だ。そこで宿題だよ、宿題によって一定の勉強量が与えられるわけだな」

「学校での勉強だけじゃダメなんですか?」

「普通の人には絶対に復習が必要なの、私だってそうだし。授業だけでことたります、なんていうのは一部の特別な人だけだよ。それに、早苗は学校の授業だけでちゃんと理解できてるの?」

「できてましぇん」


 痛いところを突かれ、両手で顔を覆い隠します。

 すると千咲が、ん、と言ってわたしに問題集を渡してきました。


「でもほら、今はちゃんとできたじゃん」


 千咲にそう言われて開かれていたページを見ると、先程解いていた問題には全て丸がつけられていました。


「うおおおお、ちぃちゃん大好き!」


 寝転んだまま、思わず叫んでしまいました。

 ついさっきまでチンプンカンプンだったはずなのに、少なくとも今は自力でしっかりと解けたのです。

 さすがはわたし専属のちぃちゃん先生、頭が下がります。

 千咲が机に肘をついて、呆れたようにため息を吐きました。


「なんでそうなるんだよ」

「ちぃちゃんのおかげだから、ありがとうちぃちゃん」


 千咲に向かって両腕を伸ばすと、千咲はそっぽを向いて机に突っ伏してしまいました。


「まあ、やる気がなくなったんなら休憩するか」

「あ、ちぃちゃんが照れた」

「照れてねえよ」

「デレた?」

「ねえよ」


 さっと起き上がって千咲の座る椅子の端に無理やりに腰かけ、横から千咲の腰に腕をまわして抱き着きます。

 すると、千咲が何とも言い難いよくわからない甲高い声を出しました。

 

「いきなりやめろ、びっくりするだろ」

「いきなりじゃなかったらいいんだ」

「そういうことじゃない」


 両腕を振り回してわたしの拘束を解こうともがきますが、お生憎さま、力はわたしの方がはるかに強いのです。


「ちぃちゃん、明日どこか行こうよ」

「いやだ、離せ」


 そう言って、今度は両足も動かし始めました。

 力は弱いとはいえ、こうもバタバタと暴れられては一苦労です。

 これはさらなる攻めに転じるしかなさそうです。

 右腕で千咲の体を引き寄せて固定し、残った左腕で千咲の暴れる両腕をなんとか押さえつけます。

 そして、安全になった耳元に口を限りなく近づけて小声で囁きます。


「ねえ、一緒にお出かけしようよ」


 すると千咲は、びくりと体を震わせて首をすくめ、気の抜けた変な笑い声を出しました。


「ごめんなさいごめんなさい、行くからそれはやめて」

「よろしい」


 拘束を解くと、ぐったりとした様子で椅子から逃れた千咲は、床にへたり込んでしまいました。

 そのまま横たわって、上目づかいにわたしを睨みつけてきます。

 

「ちぃちゃん顔赤いよ、どうしたの」

「うるさい、ちょっと体動かしたから疲れたの」

「えー、ほんとかなあ、体力ないなあ」

「したり顔やめろ、ムカつく」


 顔を紅潮させた千咲が、ふん、と言って寝返りをうち、わたしに背中を向けました。


「というかさ、最初からそのつもりだったんだけど」

「え?」

 

 思わず聞き返すと、千咲はわたしに背中を向けたまま続けます。


「まあせっかくの連休だし、早苗もたぶんそう言うだろうなと思って……で、出かけたいって」

「デート?」

「ちょっと言葉につまっただけだ」


 まさか千咲がそんなことを考えていてくれたなんて、感激です。


「あー、だから今日中に宿題を終わらせようとしてたわけか」

 

 わたしの言葉に千咲がこくりと頷きます。


「宿題なんてさっさと終わらせた方がいいだろ、気分的にも]


 わたしも椅子をおりて、千咲のそばにしゃがみます。

 上から千咲の顔を覗くと、それに気づいた千咲がうつ伏せになって腕で顔を隠しました。


「もう、そうならそうと言ってくれたらよかったのに」


 頭を撫でると、腕の隙間からちらりと目をのぞかせました。

 

「終わったら言おうと思ってた。というかその前に早苗が言ってくるかと思ってた」

「えーわたし頼み?」

「私は別に行きたい場所とかないし、私には荷が重いし」

「なにそれ」


 千咲の言うことに、ついつい笑いが漏れてしまいます。


「笑うな」

「ごめんごめん。じゃあいつも通りわたしに付き合ってくれる?」


 千咲が顔を隠したまま頷きます。

 千咲のこういうところがかわいくてたまりません。

 さて、いい具合に息抜きもできたことですし、もう少し頑張りましょうか。

 明日のことを考えれば、力も湧いてくるってもんですよ。



*****



 ——朝、九時半過ぎ。

 自室で出かける支度をしていると、窓の外から母と早苗が談笑している声が聞こえてきた。

 昨日約束した通り、今日は早苗と外出することになっている。

 早苗の宿題はというと、思いのほか余裕をもって昨晩のうちに終わらせることができた。

 その後ダラダラと喋ったり何やらしたりしていたら、なし崩し的に早苗が泊っていくことになった。

 家はすぐそばなのでそんな必要はないのだとは思うが、まあ幼いころからの癖とでも言おうか、私たちにとってはなんら不思議のないごく当たり前のことだ。


 そしてつい一時間ほど前、早苗も外出の準備をするために一時帰宅したのだった。

 今は聞こえなくなったが、外から早苗の声が聞こえたということは準備を終えて私のところに戻ってきたのだろう。

 ピンを二本さして前髪をまとめたところで、不意に部屋のドアが叩かれた。


「はいよ」


 ピンの花飾りを指先でいじりながら返事をする。

 花飾りを固定している糸が少々痛んできているようで、そろそろ補修しなければならない。

 ついでに土台のヘアピンも買い替えようか。

 鏡を見ながらそんなことを考えていると、ドアをノックしたのであろう早苗が一向に入ってこないことに気づいた。

 入り口を見遣ると、僅かに開かれたドアの隙間から白い顔が覗いていた。

 その目が何度か瞬きを繰り返す。

 あいつ、一体何がしたいのだろうか。


 何も言わずにただ彼女をじっと見つめていると、何事もなかったかのように澄ました顔をした早苗が部屋に入ってきた。

 後ろ手にそっとドアを閉め、こちらに二歩近づいたところで立ち止まった。


「ショートパンツに黒タイツ、いいね」


 そう言って、彼女は真顔のまま親指を立てた。

 眉一つ動かさずにそんな発言をする彼女は、何と言うべきか……非常に不審である。


「黙れ変質者」


 いつもの戯れ程度に言い放つと、次の瞬間には彼女が破顔して小走りで駆け寄ってきた。


「ちぃちゃんかわいいよー」


 あっという間に私のそばまでくると、逃げる間もなく思いきり抱き着かれた。

 どうやら今日は少しだけテンションが高めのようだ。

 私を抱きしめながら、頭に頬ずりをしてくる。

 なんともまあ朝っぱらから抵抗するのも面倒である。

 しばらくの間されるがままになっていると、ようやく満足したのか密着していた体を離してくれた。


「あ、ごめん、髪の毛乱れちゃったね」


 頬ずりのせいで乱れたらしい髪の毛を、彼女が手櫛で整える。

 早苗に頭を撫でられたり髪の毛を触られたりするのは、正直なところすごく心地がよくて昔から好きだ。


「もう仕度は済んだ?」

「うん。ところで今日はどこに行くの」

「まずは映画を観よう」


 彼女がどこか得意げな顔をして言った。


「へえ、珍しい。何の映画?」

「えっ? えーっとねえ……えい、映画だよ映画」


 宙に視線を泳がせて、彼女は後ろ暗そうに頬を引きつらせる。


 彼女がこういう風に適当なことを口走る時は、何か企み事があるのが常だ。

 適当なことを言って誤魔化そうとか、気を逸らそうとか、そんな魂胆は見え透いている。


「で、本当はどこに行くの?」


 呆れ気味に再度聞くと、彼女が間抜けな笑いを漏らした。


「えへへ、わたし映画ってあんまり興味ない」

「知ってる」

「さすが千咲」

「わかってる」

「おお」


 そこで彼女が押し黙り、沈黙が流れる。

 彼女の眼を見つめても、逆にじっと見返されるだけだった。

 これには私の方が耐え切れない。


「言えよ」


 私が沈黙を破ると、彼女は即座に背中を向けた。


「あはは、秘密だよー」


 そう言い残し、実に楽しそうにして足早に部屋を出て行ってしまった。

 まったく、一体何を企んでいるのやら……。

 


 私は蜘蛛が大嫌いで、小指の先くらいのハエトリグモを見かけるだけで身のすくむ思いがする。

 例えばの話である、「この部屋を通って向こう側へ行きつけばおいしいケーキを差し上げますよ」と言われたとしよう。

 その部屋には大小様々な蜘蛛がはびこり、天井からも無数の蜘蛛が垂れ下がっている。

 ただし、こちらへの直接的な接触はないことが保証され、あくまでも視覚的に認知するだけだ。

 おいしいケーキを口にするには、その部屋を通りさえすればいいのである。

 ついでに、誰かひとりお供を連れて行っても良いことにしよう。

 そこで問題だ、私はそれに挑戦するだろうか、しないだろうか。

 

 実際にそんなバカバカしい場面に直面したとしても、数秒だって迷いはしないだろう。

 答えは当然、「しない」である。


 そんなことを、激しく全身を震わせる彼女を左腕に感じながら考えるわけだ。

 

「ねえ早苗、掴むのはいいけどもう少し緩めて、痛い」


 私の左腕を両腕と上半身で力の限り抱き込む早苗が、今にも泣き出しそうな悲痛な声を漏らしながら首をぶるぶると横に振る。

 喋る事もままならない極限状態である。

 私のひじ関節も悲鳴をあげそうだ。

 どうしたものか、早く脱却したいのになかなか前に進まない。

 早苗のやつ、まるで杖をつくおばあちゃんのようだ。

 むしろこの震えと歩行スピードはさらに酷いかもわからない。

 

 事はほんの数分前に遡る。

 早苗が私を連れてきたのは駅前だった。

 私はてっきり、駅に併設されたショッピングモールで買い物をするものだと思った。

 だから、駅前の多目的広場に特設された期間限定巨大お化け屋敷を遠目から見据えて覚悟の表情をする彼女を目の当たりにした時は、あまりに信じがたく虚をつかれたものだった。

 なぜなら、私は早苗がお化けや幽霊の類が大の苦手だということをよく知っているからだ。


「ねえ、もしかして入るの?」


 まさかと思って聞くと、彼女は口辺を引きつらせて口を開いた。


「だだだ大丈夫大丈夫……うん、こんなの子供騙しだし、こここ怖くない怖くない」


 いや、外観からしてどう見ても子供騙しなどではないのだが……なにを血迷ったのだろうか。

 どもりも酷いし、声も震えているし、さりげなく握ってきた手も冷や汗で湿っている。

 もし本当に入るつもりなら、ものすごく心配だ、主に精神面が。

 しかしあの早苗がお化け屋敷なんぞに入ろうなどと考えるとは、間違いなく何か理由があるのだ。


「何かあるの?」


 彼女の手を軽く握り返して聞くと、多少落ち着いた表情を見せた。


「うん、なんかね、ペアでお化け屋敷を出たら景品がもらえるんだって」

「景品?」

「ふたりが末永く仲睦まじくいられるチャームらしい」

「それが欲しいの?」

「欲しい」


 彼女が力強く頷く。

 正直こんなイベントで配布されているものに有難みは感じないし、早苗が死ぬほど怖い思いまでして手に入れるほどの価値があるとも思えない。

 それに私達にはあまり必要のないものだと思うのだが……まあ早苗らしいといえばそうかもしれない。

 これが彼女の言うところのある種の乙女心というやつだろうか。

 私にはよく理解できないが、彼女もすでに決意を固めていることだし、自ら恐怖に突っ込んでまでそれが欲しいのなら付き合うことにしよう。

 

 そうしてふたりでお化け屋敷に入って今に至るわけだ。

 あとどれくらいで出口なのかはわからないが、早苗の怯えようを見ていると一刻も早く外へ出してやりたい。

 しかしこの足取りだ、無理やり引っ張って転ばせるわけにもいかない。

 こういう時に、せいぜい腕を貸してやることしかできない自分の体の小ささと非力さが恨めしい。

 

「リタイアしてもいいんだぞ」


 わかりきっていたことだが、彼女は首を振って私の提案を拒絶した。

 頑固者め。

 だがこのままではらちが明かない。

 いつまでもこの薄暗い通路で立ち往生しているわけにもいかない。

 もはや早苗には最後まで目を瞑ってもらうしかなさそうだ。

 私にしがみつく早苗の腕に右手でそっと触れると、彼女は肩を跳ね上がらせた。


「早苗、ちょっと私を後ろから抱きしめてみて」


 彼女が素直に応じ、後ろから私の首に腕を回した。

 少し力が入っているが、先程に比べると大分マシだ。


「よし、早苗は目を閉じて私がいいって言うまで開けるなよ。そのまま歩くからな」


 頭のすぐ横で、彼女が頷くのがわかった。

 多少の恐怖は緩和されたのだろうか、心なしか震えもおさまっている気がする。

 回された彼女の腕に両手をかけて軽く握った時、彼女がようやく言葉を発した。


「ちぃちゃんの匂いだ」

「嗅ぐな」

 

 まったく、世話をかけさせる。


「じゃあゆっくり歩くぞ、何か音がしても目は開けるなよ」

「うん」


 その後は実にスムーズに……いくわけもなかったのだが、確実に安定して歩を進めることができた。

 ただ、仕掛けが発動して音がするたびに私の身体を両腕で締め付け圧迫し、体重をかけてくるのだけは勘弁してほしかった。

 明日は筋肉痛かもしれない。

 お化け屋敷で筋肉痛、まったくもって笑えない。

 ようやく見えた出口を抜けると、そこは明るい電気が灯る小部屋だった。

 小さなデスクの横に立つお姉さんが「お疲れさまでした」と笑顔で迎えてくれた。


「早苗、終わったぞ」


 声をかけると、早苗が背中にもたれかかってきた。


「怖かったよー、死ぬかと思った」

「わかりきってたことだろ、こんな無謀なことをした早苗が悪い。あと重い」

「うう、おっしゃる通りです」


 申し訳なさそうにそう言って、彼女はゆっくりと腕を解いた。

 肩がすっかり軽くなったのも束の間、今度は再び左腕をとられた。

 今日一日これが続くのだろうが、まあ仕方ないか。

 先程のように痛くされなければどうということはない。


「こちら景品です、よろしかったらどうぞ」

 

 微笑を浮かべたスタッフのお姉さんが、透明の小袋に入ったストラップのようなものを私に手渡してきた。

 

「あ、すみません、ありがとうございます」


 それを受け取ると、私の腕を抱き締めたまま、早苗も続いてお礼を述べた。

 すこし言葉を訂正しておこう。

 どうということはないと言ったが、こうして密着している姿を他人に見られるのは少々恥ずかしい。

 私が受け取ったそれを、早苗が横から覗き込む。

 

「ふたつ入ってる」

「みたいだな。ひとまず出るか」

「はーい」

 

 早苗を促して外に出る。

 広場の空いていたベンチに腰を下ろして時間を確認すると、意外にもそれほど時間は経っていなかった。

 体感的には一時間程もお化け屋敷にいたつもりだったのだが、気のせいだったらしい。


「ちぃちゃん迷惑かけてごめんねえ」


 隣に座る早苗が、私の腕を弄びながら言った。


「別に、最初からわかってて付き合ったし予想の範囲内だったからいいよ」

「あはは、ありがとう」


 この気の抜けた顔である。

 思わずこちらの力も抜けてくる。

 

「ところでこれ、朝顔?」

 

 私が持っていた景品に、早苗が指をかけた。

 その景品は、赤と青の朝顔をモチーフにした二つのストラップだった。

 やはり何の有難みも感じない。


「なんかね、チャームは数種類あってランダムでもらえるんだってさ」

「へえ、他にもあるのか」

「うんうん。どんな種類があるのかは公開されてなかったけど」


 早苗にそれを手渡すと、興味津々といった様子で観察をし始めた。

 そして、次第に笑いを漏らし始める。


「なんか普通のストラップだね」

「まあそういうのは手にする人の気持ち次第だからな。神社で売ってるお守りなんかも人によっては只のストラップ以上にはならないだろ」

「おお、確かに」


 妙に納得した顔で頷いたが、すぐに小首を傾げた。


「でもなんで朝顔なんだろ」

「さあねえ……」

「テーマは全部同じはずだけど」

「テーマ? ずっと仲良くってやつか」

「そうそう」

「そうだなあ……」


 雲を眺めながら適当に思考を巡らせていると、思い当たることがあった。

 

「朝顔といえば彦星だな」


 早苗が、ん、と言って顔を近づけてくる。


「なにそれ」

「朝顔って牽牛花<けんぎゅうか>とも呼ばれるんだよ。牽牛っていうのはわし座のアルタイル、つまり彦星」

「おおー、さすがちぃちゃん。七夕かあ」

「時代によってはそこから転じて織姫にちなんで朝顔姫と呼ぶこともあったそうだし、たぶんそういうことだろ」


 少し考える素振りをみせた彼女が、唐突にハッとして表情を変えた。

 

「でもそれだと離れ離れにならない?」


 勢い込んだ早苗が詰め寄ってくる。

 ついついたじろいでしまったが、これは……なんと答えるのが正解なのだろうか。


「まあ、確かに疑いようなく仲は良いわけだしさ、少なくともその点では縁起の良い花として扱われてるわけだから大丈夫……だと思う」

「だと思う?」

「はい」

「そっか、ちぃちゃんがそう言うなら大丈夫だ」


 早苗がにっこりと微笑んで肩を寄せる。

 納得してくれたようで一安心だ。


「それにこういうのは気持ちだしね」


 彼女が得意顔で先ほど私の言ったことを繰り返した。

 それに対して、私はこれ見よがしに深く頷いてみせる。


「その通り」

「でも他のも気になるね」

「もう一回入るか?」


 すると、彼女が私の腕をきつく抱きしめた。


「また今度ね」

「今度って、あれ期間限定だろ?」

「また今度ね」


 真顔を装って同じことを繰り返す彼女を見ていると、自然と笑いがこぼれた。

 さて、早苗のお供はまだまだこれからだ。

 彼女の気が済むまで付き合ってやらねば。

 

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