幸せの瞬間

怜 一

幸せの瞬間


 10/23

 am 2:11


 月明かりが照らす、薄暗い森の中。そこに掘られた穴の中に、首を撥ねられた死体が捨てられていた。切断面から溢れ出る血液は、冷えた土を伝い、無軌道に流れる。

その光景を、ジッと見下ろす女性がいた。その女性の右手には、おそらく首を切り落としたと思われる斧が握られており、左手は、切り落とした生首を抱えていた。


 「さようなら」


 女性は、穏やかな声でそう呟き、手に抱えていた生首を穴へ放り投げた。



+



 10/22

 pm 7:28


 都内某所にある撮影スタジオ。


 「早瀬さん!お疲れ様ですっ!」


 モデル撮影の終了後、スタッフの女の子が、休憩をしていた私に水の入ったペットボトルを差し入れにきてくれた。


 「ありがとう」


 女の子は、ペットボトルを笑顔で受け取る私の顔をまじまじと見て、顔を赤らめる。


 「どうかしたの?」


 私が問いかけると、女の子の身体はビクッと跳ね、顔がさらに赤くなっていく。


 「す、すみませんっ!あの、私、早瀬さんのファンで、あまりにも綺麗だったんで、つい」


 女の子のたどたどしくも分かりやすい反応に、私は思わず笑ってしまった。


 「フフッ、嬉しい。…それじゃ、この水のお礼に」


 私は女の子の顎を軽くつまみ、顔の距離を縮めた。


 「もっと、近くで見せてあげる」


 すると、女の子は言葉にならない声を出し、瞳からは大粒の涙をボロボロと流しはじめた。


 「うーん…」

 

 困ったわ。こういう反応をされるとは思ってなかったし、どうしよう。などと、呑気に考えていたら、誰かが私の後頭部を軽く叩いた。振り向くと、そこには、ビジネススーツをオシャレに着こなした、ブロンドヘアの女性が、私を睨んでいた。


 「仕事相手を泣かせないでって、前に言わなかったっけ?」

 「別に泣かせるつもりはなかったのよ、サラ。それより、私のハンカチとメモ帳を貸して」

 「ハァ。はいはい」


 私のマネージャーであるサラは、片手に持っていたバッグから黒いハンカチとメモ帳を取り出して、私に差し出す。それを受け取った私は、女の子からは見えないように背中を向けた。間もなく、女の子の方へ振り向き、女の子の涙をハンカチで拭う。


 「いきなり驚かせちゃってごめんなさい。まさか、泣くとは思わなくて」

 「私こそ、すみません。泣くつもりなんてなかったのに。ハンカチまで汚してしまって」


 私は、震える女の子の手を取り、ハンカチを握らせた。


 「気にしないで。このハンカチは、貴女にあげるから」

 「えっ?は、早瀬さんのハンカチ…えっ、えぇぇぇ!?」

 「フフッ。それじゃ、次の現場があるから失礼するわね。また、会えるのを楽しみにしてるわ」


 私はそう言い残すと、サラと共に撮影スタジオから出て行った。


 「夢、みたいだったな」


 大ファンだった早瀬と会話が出来ただけじゃなく、私物のハンカチまで貰えるという奇跡の連続に、女の子は放心状態でハンカチを眺めていた。


 「おいっ!いつまでボーっとしてんだ!とっととバラし手伝えっ!」


 その一部始終を見ていた先輩からの怒号で、女の子は現実に引き戻された。


 「はっ、はいっ!すみません!いま、いきますっ!」


 女の子が慌てて仕事に戻ろうとハンカチをポケットに仕舞うと、ハンカチの間から一枚の折り畳まれた紙切れが落ちてきた。それに気付いた女の子は、不思議そうに紙を拾い、開いてみる。


 「えっ?これって…」


 10/22

 pm 11:32


 車もまばらな高速道路。私は、そこを軽く流すように愛車のBMWを走らせていた。


 「どう?夜のドライブもいいものでしょ?」


 助手席に乗せた女の子は、どこか居心地が悪そうに俯いていた。


 「もしかして、車は苦手?それとも、お酒のせい?ごめんね。無理に付き合わせちゃって」


 それを聞いた女の子は、首を横に大きく振って否定する。


 「違いますっ!苦手とか、そういうんじゃなくて!まさか、早瀬さんと連絡先を交換できただけじゃなくて、お食事とドライブに誘っていただけるなんて、ほんと、今でも信じられなくて」


 女の子の手には、昼間に私から貰ったハンカチと私の連絡先が書かれた紙切れが握られていた。


 「たしかに信じられないわよね。まさか、女にナンパされるなんて思わないもんね、普通」


 私は、自嘲気味に笑う。


 「でも、貴女に連絡先を教えてよかった。こうやって会いにきてくれたんだから」


 女の子は、少し後ろめたそうに、私から目を背ける。


 「正直、これ、本当なのかなって疑っちゃいました。それに、怖かった。でも、早瀬さんとお近づきになれるチャンスなんだって思って、勇気を出して連絡しちゃいました」


 車はトンネルに入り、周りの景色が濃いオレンジ色に染まる。この辺りから、まばらだった走行車がさらに数を減らし、段々と人気が無くなっていった。その光景に、少し不安を覚えた女の子は、おそるおそる質問する。


 「あの、早瀬さん。これから、どこに向かうんですか?」


 私は構わず車の速度を上げて、トンネルの出口へと急ぐ。


 「そろそろね」


 トンネルを抜けると同時に、車のルーフを徐々に開く。そして、夜空一面に輝く星々が、私達の頭上に一気に広がった。


 「わぁ…」


 呆気に取られた女の子を横目に、私は満足気な表情で微笑んだ。


 「この夜景を貴女に見せたかったの。とっても綺麗でしょ?」

 「はい…。とっても、綺麗です。綺麗すぎて…」


 いつしか車は高速を降り、夜景を楽しみながら、ゆっくりとした速度で人気のない道を進んでいく。そのまま林道を通り、道が少し外れた場所で、車を停めた。


 私は、ボトルストラップに入れていた水のペットボトルを取り出し、運転で渇いた喉を潤す。


 「んっ…。貴女、喉、渇いてない?」

 「あっ、はい。渇いてます」

 「じゃあ、はい」


 私は、自分が口をつけたペットボトルを女の子に差し出す。


 「そ、それ、早瀬さんが飲んだお水じゃ」

 「私は気にしないけど、貴女、そういうの気にするタイプ?」

 「そ、そういうことじゃなくて!気にしないですけど、気にします!」


 なかなか飲んでくれない女の子に、私は顔を近づけ、詰め寄った。


 「飲むの?飲まないの?」


 女の子は昼間以上に顔を赤らめながらも、なにかを決心したかのように私の顔を見た。


 「飲みますっ!飲ませてください!」


 私は満足げにうんうんと頷き、再び、ペットボトルを差し出す。女の子が手を伸ばすと、私は女の子が取れないギリギリの所で、ペットボトルを引き下げた。唐突なことに女の子は驚くと、私は意地悪な笑みを浮かべて、自分の口に少量の水を含んだ。


 「ッ!!」


 私は、昼間のように女の子の顎を軽くつまみ、強引に顔をこちらに向けさせる。二人は自然と見つめ合い、その距離は私の手によって、徐々に近づいていく。静寂に包まれた暗闇に、女の子の乱れていく呼吸音と、強く脈打つ心音が響く。そして、ついに女の子の震える唇に、潤いを帯びた私の唇が軽く添えられた。


 「ぁ…」


 私が唇を離すと、女の子から吐息と共に喘ぎ声にも似たなにかが溢れる。女の子の表情からは動揺が消え去り、代わりに、火照りと切なさに塗り替えられていた。

 もう一度、私は啄むようなキスをする。それから、二度、三度と繰り返すうちに、女の子の唇は、私からのキスを強請るように自然と尖っていった。


 二人の唇が血で滲んだように真っ赤に染まった頃、私が唐突な質問を女の子に投げかける。


 「ねぇ、いま幸せ?」


 蕩けた表情の女の子は、うわ言のように答える。


 「幸せ。幸せです。とっても、幸せ」


 私は、さらに畳み掛けるように質問する。


 「いま、死んでもいいくらい、幸せ?」


 あまりにも変な質問に、女の子も一瞬だけ答えに詰まった。しかし、熱に浮かされた脳では、もはや、その質問の意図に気付ける冷静さなど持ち合わせてはいなかった。


 「いい。死んでもいいです。死んでもいいくらい、とっても幸せです」


 その返答を聞いた私は、満面の笑みを浮かべた。そして、私は、キスをしている間に座席に隠しておいたナイフを振りかぶり、女の子の喉を突き刺した。


 「えっ?」


 あまりのことに呆然としている女の子の喉元を、さらに、数回ほど突き刺した。


 「カッ、カッヒュ…」


 最期まで呆気に取られていた女の子は、裂かれた喉から漏れる断末魔を上げ、ついに動かなくなった。死んだことを確認した私は、女の子を自分の膝へ倒れさせ、血に塗れた頭をそっと撫ではじめる。


 「フフッ。こんなに目を一生懸命見開いて。可愛いわね」


 髪を丁寧に撫でている表情は、まるで最愛の我が子を寝かしつける母親のような、慈愛に満ちた微笑みだった。


 「ゆーりかごーのうーたを、かーなりあーがうーたうよ」


 私は、囁くような声で子守唄を歌いはじめる。この子が、安らかに眠れるように、と。

 一通り歌い終わった頃に、一台のワゴン車が私の元へとやってきた。その車から降りてきたのは、黒尽くめの作業着に身を包んだサラだった。


 「流石、サラ。タイミング良いわね」


 サラはワゴン車のトランクから、バケツや雑巾などの掃除用具を取り出してきた。


 「何年もやってれば、嫌でも慣れるわ」


 サラの嫌味を他所に、私は、手のひらを女の子の目蓋を乗せ、ゆっくりと下げ、名残惜しそうに呟いた。


 「おやすみなさい」



+


 10/23

 am 2:49


 死体処理と車の清掃を終えた早瀬とサラは、死体を埋めた土の前に立っていた。


 「この辺りも、そろそろ埋められるところがなくなってきたわね」

 「アンタが、この悪趣味を止めてくれれば困ることはないんだけど」

 「それは無理ね。止めるくらいなら、死んだ方がマシよ」

 「そしたら、世界が平和になる」

 「私が死んでしまったら、幸せなまま死んでいける子が少なくなる。それは、不幸なことだわ」

 「生きてたら幸せになれたかもしれないのに?」

 「そんな曖昧な可能性より、死んでもいいと思えるくらい幸せな瞬間に死ねたほうが、確実に幸せよ」


 それに、と早瀬は続ける。


 「私が死んだら、誰が貴女にお給料を払うの?」


 サラは次に返す言葉を失い、バツが悪そうにワゴン車へ戻ろうとした。しかし、何かに気がついたように、その足をピタッと止め、早瀬の方に向き直る。


 「そういえば、今日の女の子は、なんていう名前だったの?」


 早瀬は、降り注ぐように光る星空を見上げ、こう言った。


 「名前聞くの、忘れちゃった」



end

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幸せの瞬間 怜 一 @Kz01

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