第15話
「大変です、ワトソンさん、モリアーティーさん。蛇のラダーちゃんと遊んでいたホームズさんが、そのラダーちゃんにかまれてしまいました。何度もさいころを降らされてラダーちゃんは頭に来たのかもしれません」
なんだって、それは本当かハドソン夫人。ホームズのやつ。本来おまえが解決するはずだった『まだらの紐』の凶器である蛇のラダーに自分がかまれるなんてなんて間抜けなんだ。
ホームズがラダーにかみつかれて顔を真っ青にしている。これはまずい。
サットン、ブリドル、ヘイワード、モファットの四人のことが片付いたらと思ったらこれだ。まったくホームズめ。いったいどこまで俺に面倒をかけたら気が済むんだ。
ホームズ、死ぬんじゃないぞ。お前をけして死なせはしないからな、俺の復讐のために。それにしても、ここが病院で良かった。すぐに治療を始められる。
「うーんうーん。助けてくれ。このまま僕は死んでしまうのか、ワトソン君」
「よしきた。モリアーティー、手伝え!」
「わ、わかった」
モリアーティーの姿をしたワトソンに俺は助手をさせる。やつも仮にももと軍医。少しは俺の役に立つだろう。
とりあえずモルヒネだ。痛み止めをさせねば。ホームズが薬物中毒者であるのは原作であるシャーロックホームズシリーズを読めば簡単にわかることだ。
二度目の人生をワトソンとして過ごすうちに、ホームズをらりらりにさせるのは復讐として生ぬるいと思うようになり薬物からは距離を置かせるようにしていたのだが……
まさかこんな形でホームズに薬物を投与する形になるなんて。百年もすれば、ホームズのリメイク作品ではいかにして薬物描写をぼやかすかに制作者の誰もが頭を悩ませているってのに。
「ううん、ワトソン君、モリアーティー君。僕はもうだめだ。だんだん意識が遠のいてきたよ」
「いかんぞ、ホームズ。死ぬんじゃない。俺の復讐はまだまだこれからなんだからな。おい、モリアーティー。ここにはどんな薬があるんだ?」
「メタンフェタミンがあるぞ」
メタンフェタミンか。覚せい剤、いわゆるシャブの主成分。百年後には違法にされているが、この時代なら全く問題ない合法なしろもの。病院にならひとつやふたつあったって不思議ではないだろう。
「いますぐ注入しろ、モリアーティー」
「了解だ。いいかい、ホームズ。こいつをやればあっという間にシャキッとするからな。なにしろこいつはとにかく効くからな。ぼくだってアフガニスタンでは軍に支給されたんだ。使い方は心得ている」
「なんだこれは? ワトソン君、モリアーティー君。僕は今までにない多幸感と恍惚感を感じているぞ。いくら眠らなくても疲れることはなさそうだ。いまならいくらでも華麗な名推理ができそうな気がするぞ」
とりあえず意識は回復したか。まずは消毒だ。
「ハドソン夫人! 紅茶をお願いします!」
「えっ、ワトソンさん。ホームズさんが生きるか死ぬかの一大事にティータイムと言うのはいくら英国紳士でありましても……」
「違います! 紅茶にはタンニンという成分が含まれ消毒作用があるんです。さあ、早く。紅茶をお願いします、ハドソン夫人!」
「消毒なら病院に消毒薬がいくらでもあるんじゃないんですか、ワトソンさん」
「いいえ、我々の世界では蛇にかまれた時の消毒にはお茶のタンニンを使うのが常識なんです。さあ、一刻を争うんです」
「わ、わかりました」
さて、消毒を終えたら血清治療だ。蛇の毒の治療には馬に弱毒化した蛇毒を注射して作らせた抗体を使用する。いまはビクトリア朝のイギリス。馬車はそこらじゅうで走っている。
ホームズにかみついていたラダーを手なずけ、毒を搾り取る。こいつを馬に注射して……
ヒヒ―ン!
馬が悲鳴を上げる。大丈夫だ。死にはしない程度に加減してあるから。多少の痛みは医療のためと思って我慢してくれ。そして本来ならば十分な量の血清ができるまで二か月程度待つのだが……今はそんなことを言っていられない。
世界で初めて血清療法を始めたカルメットはベトナムのサイゴンにいた時に津波に襲われ、地元民が押し流されてしまいコブラにかまれている最中に悠々とワクチンを開発していたそうだ。俺にだってやれるはずだ。
待てよ、カルメットが世界で初めて血清療法を行ったのは1890年後半。今は西暦何年だ? 1888年? 1887年? 1886年? ああ、ワトソンの野郎が小説であやふやに年代を書いているから今が西暦何年かシャーロキアンの間でも議論になっているんだ。
ホームズもワトソンもどこまで俺を困らせれば気が済むんだ。このままではタイムパラドックスが起きてしまうではないか。いや、ホームズへの復讐のために殺人事件を防止している時点ですでにタイムパラドックスは起きているんだ。
この際のことだから多少の歴史改変は仕方あるまい。待ってろよ、ホームズ。いま医療の歴史を改変してやるからな。
ホームズに殺されたモリアーティーですが、ワトソンとして二度目の人生を送ることになったので殺人事件を阻止します。 @rakugohanakosan
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