第25話

 『ごめんなさい』


 当時の私は、その言葉をどれ程繰り返して、悠へ告げたか覚えていない。

 それ程に、私は悠のことを拒み続けた。


   *


「咲菜、今日の宿題、一緒にやらない?」

「ごめんなさい」


「咲菜、今日お母さんもお父さんも帰りが遅いみたいだから、私たちで夕飯作ろうよ」

「ごめんなさい」


「咲菜、いつも本読んでるよね。面白いのあったら私にも紹介してよ」

「ごめんなさい」


「咲菜、今日の帰りなんだけど、友達と遊びに行くからさ……その、咲菜も一緒に……」

「ごめんなさい……」

「……………………」


 尽く、悠の誘いを、私は『ごめんなさい』と断った。

 悠へ送る意思表示をすべて、『ごめんなさい』で済ませてしまっていた。

 

 彼女と決定的に亀裂が走ったのは、『ごめんなさい』と言い続けて、三週間程経った頃だった。


「悠、咲菜とお風呂入ってきちゃって。私とお父さんはその後入るから」


 継母ははのその一言に、悠が初めてこう返した。


「私、咲菜と一緒は嫌だ」


 そう言われた瞬間だった。

 私の胸がキュウっと縮み上がる様に痛み出した。心臓の鼓動が早鐘のように波打って、動機が収まる気配を見せなかった。

 私のことを睨んでくるその眼光は、猛禽類のそれを凌駕する程に鋭く、小学五年生が醸し出す雰囲気ではまるでなかった。

 痛かった。本当に、心が苦しかった。

 本当に自分勝手な話だ。理由も告げずに、私情で遠ざけていたのは私の方だったというのに。

 彼女に距離を置かれることが、悲しいなんて。


 それからは、お互い口を開くことはなくなった。

 クラスでは、彼女の周りがいつも笑い声で溢れるのに対し、そのすぐ前の席の私の周りからは一切そんな雰囲気はなかった。木の根の張り巡らされた壁にでも覆われているように、隔絶されていた。当然、その根っこは私から伸びていた。


「悠!ちょっと何しているの!」


 ある日の朝、学校に登校する直前だった。悠がそう継母ははに怒られているのを見た。


「なんであんた、咲菜の弁当をぐちゃぐちゃにしたりするの!」


 言い訳もせず何も答えないでいる悠は、むくれた様にそっぽを向いた。


「ちゃんと謝りなさい」


 しかし、彼女はひったくるようにして彼女用の弁当を継母ははから取り上げると、「行ってきます」すら言わずに、家を出て行ってしまった。


「ごめんね、咲菜。あの子、咲菜と仲良くしたいのに、できないものだからたぶん強情になっているんだと思うの」

「……うん」


 そうだろうと、私も思う。それをわかっていながら何もできないでいる自分が、何をすれば良いのかわからない自分が、心底に情けなかった。

 継母ははは続けざまに尋ねてきた。


「咲菜は、どうしてあの子を避けるの?」

「それは……」

「たぶん、あの子もそれを話してもらえれば納得できると思うのよ。だから、あの子にもう少しだけでいいから寄り添ってあげて。悠、今は強がっているけど、咲菜に嫌われたって私に何度も泣きついてきたのよ」

「……………………」

「せめて理由だけでもいいのよ。あの子に向き合ってあげて欲しいの。これが、新しくあなたのお母さんになった、私からのお願い」

 

 そう言って、継母ははは悠に乱された弁当を直すと、私の頭を撫でながら渡してくれた。


「でも、どうすればいいかわからなくて……」

「話すだけでいいのよ。ゆっくりと、でも具体的に。もし、二人きりで話すのが難しいって言うなら、私もお父さんも付き合うから」

「……うん。わかったわ」

「お願いね」


 私は弁当をランドセルに入れると、「行ってきます」を告げて、家を出たのだった。

 



   *




「あの……ね、悠。話したいことがあって……」


 継母にお願いされた日の昼休み。私は悠が一人になるのを見計らって、そう声を掛けた。


「私には、あなたと話したいことなんてない」

「そうかもしれないけど……」

「そんなの知らない。だって、私の話は全然聞いてくれなかったじゃん。当然でしょ?」


 私が悠にしてきたことと同じ。悠が私の目を見て話してくれることはなかった。


「なら、学校終わって一緒に帰りながらとか……」

「今日は佐久間さんと遊ぶから無理」


 そう聞いて、二重の意味でショックを受けた。

 一つは、一緒に帰れないということ。もう一つは、その遊び相手が佐久間さんだということだ。


「……わかった」


 私には頷くしかなかった。

 トボトボと一人帰宅する私は、これからのことを考えて頭が混乱状態にあった。

 帰ると、鍵が開いていた。いつもならば、私が家に着く頃は継母ははも父も仕事から帰ってはきておらず、本を読んだりして一人で家族の帰りを待つのが当たり前だった。

 

「おかえり」


 そう優しく声を掛けてくれたのは父だった。

 

「お父さん、今日の仕事はもう終わったの?」

「今日はもともと休みだったんだけどね。急用が入って、午前中だけ仕事に行っていたんだよ」

「……そうなんだ」


 やはり親とは、娘の感情の機微に敏感なのだろうか。

 「今日は何かあったのかい?」と微笑みかけながら聞いてきた。

 何でもないと返すのは簡単だった。普段なら、まず間違いなくそう返事していただろう。

 けれども、その時の私は大分気が滅入っていた。半分無意識に、悩みを口にしていた。


「実は私、悠と仲違いしちゃって」

「そうなのかい。咲菜は、それで落ち込んでいるんだね」

「うん……」


 優しい父の声に、私の中の溜め込み続けて言葉にできなかった感情が、今になってようやく溢れ出るように言葉になった。


「私が悠のことを遠ざけたから、悠が怒っちゃって。でも、仲良くするのは私には辛くて」

「それはどうしてなんだい?」

「私と友達でいると、いじめられるって皆に言われたから……」


 父は驚いてはいないようだった。

 娘の言葉にただ耳を傾けて、『今は咲菜の話を聞く時間』と割り切っているような、そんな雰囲気を醸し出していた。


「そっか。友達がいじめられるのが嫌だから、悠とは仲良くしたくてもできないってことかな?」


 その気持ちもあるにはあった。

 ただ、私は。


「それよりも友達に『私といることが嫌だ』と思われることの方が嫌で、悠にもそう思われたらと考えると私は辛くて」

「そうだったんだね。咲菜もできるなら悠と仲良くしたいのかな」

「うん……」


 それはズルい部分だと私は思った。友達のことよりも自己保身に走ってしまう。それをわかっていて避けていたことを告白するのは、たとえ父と言えど私には辛かった。

 怒られるかと身構えていると、父は私の予想外の言葉を口にした。


「でもね、咲菜。家族なんだよ」

「……え?」


 私には最初、父の言いたいことがわからなかった。


「友達は遠ざければ、それでいいのかもしれないけれど、悠は咲菜の家族でもあるんだよ。まだ出会ってあまり時間が経っていないから、そう言われても難しいだろうけどね。でもね、最初から決めつけないで、何か迷ったり困ったりしたら相談して、悠とは互いに支え合っていって欲しいんだ」

「……………………」

「今すぐそれを実現出来ないのはわかっているよ。一度に全てやろうとしなくていいんだ。少しずつでいい。例えば、今日の宿題でわからないことがあったなら、それを教え合うのでもいいと思うし、夕飯を一緒に作るところから始めたっていいだろうし、面白い本があったら紹介してあげるのでもいいんだよ。そうやって段々距離を縮められて、いつか楽しく笑い合えるようになれば、それは素晴らしいことなんじゃないかな」


 刹那、私はハッとした。

 家族だから支えあっていく。その考えが私の中にはなかった。

 私には同い年の友達と仲良くするのが難しい。それは誰にも言ってはいないし、私が一人で解決しなければいけないことだと自覚している。

 けれども、家族にならば相談するくらいしてもいいのではないかと、私はふと思った。


「悠にね。この間、私と母さんはこう言われたんだ。『咲菜に嫌われた』って。『咲菜は私といることがきっと嫌なんだ』って」


 父の顔が少し曇る。

 言いたくないことというよりも、本人がいない前で言うことに躊躇いがあったのだろう。

 父はそれでも、「お父さんからのお願いだよ」と話を続けた。


「悠もね、ここに来る前、友達と喧嘩しちゃったみたいなんだ。それでも、咲菜と仲良くなろうと思って、勇気を振り絞って咲菜に話しかけてくれたんだと思うよ。だから咲菜もさ、もう少し悠に歩み寄ってみてあげて欲しいんだ。友達を失うことの辛さをわかっている二人なら、絶対仲良くなれるから」

 

 父の言葉を聞き終わる頃には、もう私の気持ちは定まっていた。


「私、悠のところに行ってくる」


 「夕食までには帰ってくるんだよ」と、父さんが声を掛けてくるのを背中越しに聞ききながら、私は家を出た。出ていく時に、玄関の壁に掛けられているカレンダーが目に入った。

 継母ははも父も休みの日があると、私と悠にわかるようにカレンダーに書き込んでくれている。

 けれども、今日の日付のところには父は『休み』とは書いていなかった。


「(お父さん、ありがとう)」


 私は心の中で父に感謝すると、街中に向かって走り出した。

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ラブコメは青春な訳がない 吉城ムラ @murayoshi

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