いいかげん頭で考えるのはやめにしませんか?

ちびまるフォイ

心のありか

「ったく! おめぇはシャリもにぎれねぇのか!」


「大将、すみません!」


「ほんと、おめぇほど物覚えが悪いやつははじめてだよ」


寿司屋の大将に飽きられてしまった。

もうしばらく練習しているのにまるで体が覚えられない。


憧れだったお寿司屋さんへ弟子入りするところまではよかったが

好きなことと才能というのは一致しないらしい。


「はぁ……どうしよう……もうやめようかな」


これ以上は迷惑がかかると思って職場を離れようかと考えた時、

ふとネットで見つけた広告に目が止まった。


「液体……脳みそ……?」


心が追い込まれていたのもあり、わずかな希望にもすがってしまった。

後日、液体脳みそ病院へ行くことに。


「あの広告を見たんですけど、液体濃溝を入れれば

 あらゆる苦手を克服できてモテモテハッピーライフというのは本当ですか」


「どこかのゼミの漫画でも読んできたんですか?

 間違ってはいないですが、それは結果論です」


「はあ」


「液体脳みそを入れれば、全身に脳みそが回ります。

 これまで頭だけで考えていっぱいいっぱいだったことも

 全身に分散されるので効率的かつ素早くできるんですよ」


「……難しいことはよくわからないんで、

 とりあえず液体脳みそを入れてモテモテにしてください」


「あなた詐欺に騙されるタイプですね。まあいいです」


液体脳みそといっても体との相性があるらしい。

まずは自分の脳みその大脳皮質を取ってクローンを作る。

それをミキサーに入れてぐちゃぐちゃにしたあと、注射器で再度入れ直す。


「いかがですか?」


「……あんまり変わった気がしません」


「まあそうでしょうね。まだまっさらな脳ですから」


術後すぐに変化が出ることはなかったが、

日を追うごとに明らかな効果が出始めていた。


「新入り。おめぇ、この短期間でずいぶんと上達したじゃねぇか」


「本当ですか大将!」


「ああ。まるで別人じゃねぇか」


「なんか体が勝手に動くような感じなんですよ」


「生意気いうんじゃねぇ。そりゃ職人になってからのセリフだ」


大将には軽く笑われたものの、その言葉に嘘はなかった。

これまでは頭であれこれ考えながら包丁を握っていたが、

今は体が覚えて、腕が勝手に動いているような感覚。


自転車に乗れる人がいちいち「右のペダルをこぐ」などと考えないように体が覚え動く。


「これが……液体脳みそか!! すごいじゃないか!」


体に回った液体脳みそは、固体脳みその司令を待たずして行動してくれる。

固体脳みそで覚えきれないことも液体側でフォローできてしまう。


「ああ、この英会話の答えはこうだよ」


「すごっ……え? お前、いったいどうしたんだ!?

 こないだまで、ちょっとした単語も"アレがアレする"って言ってたくらい忘れっぽかったのに」


「フッ。いつの話を言ってるんだ。人間は日を追うごとに進化できるんだよ」


「でもなんでこの答えになるんだ?」


「さあ? なんかよくわからないけどわかる」


液体脳側で判断できるので"理解した"という実感はないものの、

スポーツや勉強、ひいてはコミュニケーションまで液体脳で効率化して便利になった。


どんなことも子供のような吸収力で習得し、けして忘れない。

もはや固体脳だけで生活していた自分が信じられない。


ある日のこと、目を覚ますとベッドの隣に知らない人が寝ていた。


「え!? 誰!?」


「誰って……どうしたの? 昨日、あなたが誘ったんじゃない」


「誘った? 俺が!?」


酒は飲めないので酔って記憶をなくすわけがない。


「あんなにストレートな告白、驚いちゃった。

 でもすごく嬉しかった。これからよろしくね」


「い、いや……俺は……」


「え? まさか覚えてないの!?

 あなたが話しかけて、あなたが触って、あなたが見たんでしょう!?」


「ち、ちがう! たしかに俺の行動かもしれないが

 俺の体はそれぞれ自立して動いてしまうんだ!」


「はぁ!? ほんと男って最低!!」


液体脳みそが経験値を溜め続けた結果、どんどん活動を侵略していった。


買った覚えのないものが部屋に溜まっていたり、

知らない人といつの間にか知り合いになっていたりする。


固体脳を経由しないために何一つ覚えがない。


「まずいぞ……完全に体の主従関係がおかしくなってる……!」


固体脳でイメージできたのは体が自立思考して犯罪を起こした末路。

警察の調べに対して「覚えてない。体が勝手にやった」と供述する自分が見えた。


危機感に駆られあわてて液体脳みそ病院へと駆け込んだ。


「なんですって? 液体脳みそを抜きたい?」


「はい。体が勝手に動くのがこんなにも怖いと思わなかったんです」


「あのですね、一度注入した液体脳みそはすでに全身に回ってます。

 同時に全員も液体脳みそありきで生活するように変化しているんですよ。

 抜き取りでもしたら、これまでできたこともできなくなるんですよ」


「不便になっても今よりはいいです!」


「根を張った植物をむりやりぶっこ抜くのと同じで、

 周りに後遺症が残ることもあるんですよ」


「かまいません!!」


「……わかりました。そこまで言うのなら」


液体脳みその摘出手術がはじまった。

注入するのはあんなに楽だったのに、摘出するのは時間がかかった。


「手術が終わりました。これで液体脳みそはなくなりました」


「……本当ですか? あんまり実感ないなぁ」


「注入時と同じですよ。実感は固体脳の記憶でしかないから、

 これからいろいろ不便なことが起きると思います」


「そっか……そうですよね……」


「抽出した液体脳はどうしますか?

 また入れたくなるときように、冷蔵庫で凍らせておきますか」


「いいえ、もう戻らないように捨てちゃってください」


「わかりました。どっかに流しておきます」


液体脳が失われてもとの体での生活が戻った。


あれほどうまく出来ていたスポーツも下手くそになり、

体が覚えていた女性にモテる振る舞いもできなくなってしまった。


それでも残るものはあった。


「おめぇ、シャリの握りもだいぶサマになってきたじゃねぇか」


「ほんとうですか! よかった!」


液体脳で記憶されていたことも数を重ねることによって

固体脳側にも刻まれて再現できるようになっていた。

ちゃんと覚えるべきことは残ったんだ。


「どうだ? 今度は魚をさばいてみるか?」


「いいんですか!? やったぁ!!」


「いけすから魚をもってこい。さばきかたを教えてやる」


「はい!!」


今朝、海で取れた魚を入れているいけすへと向かった。

いけすには新鮮な魚が泳いでいた。


網ですくってまな板に置くと、大将がさばき方を教えてくれた。


「ようし、それじゃさばいてみろ」

「はい!」


包丁を入れようとしたときだった。

魚はまな板から首を持ち上げて話しかけた。


「やめてくれ、助けてくれよ。

 たしかに女を連れ込んだのは悪かったよ、許しておくれよ!」



俺から抽出された液体脳みそがどこに捨てられたのか。

わかったときにはもう回収できない状態だった。

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