次回11月5日更新予定

迷路 秋田犬 ダージリン

 向かい側から、苦く苦く淹れたダージリンのような色をした犬が歩いてくる。たった一匹、飼い主なしで。夕日に照らされた妙にきりっとした顔は、まるで孤独が当然であるかのようで、私もつい反応が遅れた。ほほう、と見惚れてしまった。


「タルオー! タルオ、どこだー!」


 一本か二本くらい隣の道からそんな声が聞こえて、ハッとした。同じように犬もハッとしたようだった。

 何故だか目が合った。


「たるお……?」


 そう呼びかけると犬は、目を合わせたまま無邪気そうに尻尾を振った。少し迷って、近寄らずにその場にかがみ込み、手をのばしてみる。もう一度「タルオ」と呼びかけると、犬はとことことこと、手の届く場所まで歩いてきて、おすわりした。

 野犬ではない。薄々分かっていたそのことを改めて胸に落とし込んで、そっと頭を撫でた。


「飼い主さん、置いてきちゃったの? タルオ」


 タルオは微笑んでいるとしか思えない顔をしている。

 タルオと呼びかける飼い主の声は、どうやら遠ざかっていくようだった。周りは住宅で、大声を出すのはかなり緊張したけれど、タルオを抱えて届けることもできない。


「タルオの! 飼い主さぁん! ここにいます! たぶん……本当にタルオなんだよね?」


 最後はタルオに向かって問いかける。初めて「くぅ」と返事らしき鳴き声が返ってきたけれど、それだけでは合ってるんだか分からない。


「た……タルオの飼い主さーん! 聞こえてるのかな。犬! わんちゃん! ここにいまーすよー!」

「マジ? そっちいます? 秋田犬、茶色い奴なんすけど!」

「秋田犬かは分かんないけど。茶色い犬、います」


 駆け出しながら喋っているだろう弾みのついた声が聞こえてきた。ものの数分で道の先に姿が現れた。小学生くらいの男の子だ。タルオを見た目の輝きが、飼い主のそれだった。


「タルオ~! 勝手にどっか行くんじゃねえよ! すんません、うまくつけられてなかったぽくて、散歩中に首輪取れちゃって。犬苦手じゃなかったすか」


 犬よりも人の方が苦手だ。私も逃げ出したい。


「大丈夫です」

「ありがとうございます! 良かったな~優しい人に見つけてもらえて。お前もありがとうございますって言っとけ」


 ぶるぶると飼い主の手を振り払うように体を震わせる。まるでお礼を言うような態度ではないけれど、私にとってはその方が気楽だ。適当に扱われるくらいが一番気楽。

 タルオは首輪をつけ直して、飼い主のいる安心感からか、心なしかさっきよりも能天気な顔をして私を見上げる。

 飼い主はひと仕事終えたように手を払い、リードを握って去っていく――かと思いきや。


「あともう一個すんませんなんですけど、ここからコンビニ行く道って分かります? 何か似たような家ばっかりで、道も迷路みたいだし、分かんなくなっちゃって」

「え?」

「友達と遊ぶ予定だったんだけど、途中でタルオ逃げるし、散々だわー」


 そんなことを私に言われても。



 けれど、残念なことに、私の目的地もコンビニだった。


「タルオって、ケツから見た時に樽みたいだからタルオなんすよー。こいつ茶色いし寸胴っしょ。コッペパンっておっさんは言ってたけど、なげぇよね」

「う……ん……」


 かわいいと思うけど、と内心では思いながらも、あまり会話をしたくないので、適当に相槌を打つ。

 引きこもりにいきなり小学生の相手は荷が重い。コンビニまで大した距離がないことだけが幸いだった。


「タルオもタルオって名前で良かったよな」

「……」

「良かったって」

「そっか……」

「オレが赤ちゃんの頃から一緒だから分かるんだよ」

「それは長いね」

「兄弟だよ兄弟。タルオ、メスだけど」

「そうなんだ……」

「お、コンビニ!」


 益体もない会話のうちに、目的地にたどり着く。


「あんがとね!」


 明るい飼い主の声と、微笑みに似たタルオの顔に、知らず微笑んでいた。コンビニは単なる目印だったようで、一人と一匹はコンビニの横にある道を駆けていった。

 特に買いたいものはなく、ただ外へ出るためだけにコンビニを目的地にしていたのだけど、気づけばパンコーナーへ向かっていた。

 コッペパンはなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

鳩の三題噺ワンライ 早瀬史田 @gya_suke

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ