第6話 栗駒山の白虎





「ったく、どこだ? ここ」



 悪態を吐きながら、山道を歩いていた。


 あたりはもうすっかり暗くなっていた。また強盗のような輩に会うことのないよう、人目を避けて移動するうちに、結局山の方に来てしまったらしい。

「こんなくれーとこ、火もねえのに、襲われたら一発アウトだな」

 復活してもどこか具合の悪そうな連れ合いが、虚勢を張ってへらりと笑う。

「気をしっかり持てよ。お前らしくもない」

「いやいや、これが俺さ。愚痴吐いて、暇さえあればお隣さんのうわさして、ワイドショーで頭毒されて、味濃いもん食べて、アホみたいに鬱屈してるんだよ、四六時中」

 冗談の体を保ってはいるが、相当きつそうな秋田の様子に、俺はやれやれとしゃがみこみ、背を差し出した。

「ほら」

「え?」

「いいから」

「いやー、でも……」

「いいから早くせっつってんだろ」

 半ば脅すくらいに言ってやると、やっと大人しくおぶさってきた。

「わりな」

「お前が謝ることじゃねぇべ」

「まあ聞いてけれで。今は、なんか、色んなことに対して謝りたい気分でよ」

「色んなって?」

「わからね。わからねけど、みんなにだ……」

 急に弱気になるものだ、と俺は歩きながら息を吐く。こういうところが「面倒臭い」と言われる所以なのだ。普段からそうやって、素直に話していればいいものを。意地を張ってなんでも抱え込むから、誰にもわからない。何世紀前の感覚を引きずってるのか知らないが、そんなことをしたって、メリットなんてないのはわかっているはずだろうに。

 この腐れ縁の知り合いは、時々本当に頑固で困る。


「にしても……寒ぃな」


 夜の山道を歩くのは久しぶりだった。


 昼間の見回りは時々していたが、夜に出歩くことはほぼなかったことに、今更気づく。国産野菜や米は、外国産作物の輸入増によって、年々売れにくくなっている。俺はその事態を改善するため、そして元々研究が性に合っていたというのもあったので、夜はいつも部屋で机に向かってばかりいたのだ。


「……星、か」


 銀河を走る列車の物語を描いた男がいたっけな。


 夜空を見上げ、そこに瞬く星を見た。その圧倒的な数の多さに、美しいと思うのと同時に、なぜか悲しくなった。星は……今届いているその星の光は、綺麗ではあるが、過去のものなのだ。ある星が今ごろは、とっくに爆発で消えていたとしても、こちら側には知る術も、直す術もない。他の星が変わらず煌めき続けるなか、一つの星が消えても、ほとんどの者は気づかない。誰も、気にも留めない。

 人口が少ないために夜も照明が少なく、上空の大気も汚染度の低い地方の夜の空が、綺麗な光景であることは間違いない。けれど今の俺には、綺麗すぎることが、やはりつらいのだった。


「……ダメだ」


 センチになりすぎている。

 きっと、寒さと、山道の疲労のせいだ。この暗さでは、人をおぶって歩くのも、そろそろ限界が来そうだ。だが、こんな森の中では夜を明かせば、危険なのは目に見えている。

 どこかに隠れられそうな洞窟か大木かないか、と足を止めて見回した時だった。


「……ん?」


 何か、木陰で光っている。

 車のヘッドライト、それとも懐中電灯か。うっすらとだが光源がある。青みがかっているそれが、少しずつこちらに近づいてくる。


 まずい。


 足を早め、距離を取るように逃げる。しかし、ふと違和感を覚えて、その場に立ち止まる。俺のほうは、歩くたびに草を踏む音がする。それなのに後ろのやつは、こっちに近づいてきているのは確かなのに、なんの音も聞こえてこない。


「……火の玉?」


 まさかな、と思いつつも、変な汗が首元に流れる。ひやっとするのは、夜の寒さのせいか。光がゆっくりと回り込んで、俺の前に来る。


 それは、だった。



「と、」



 ついに足が止まる。眼力に圧され、動けない。動けないながらも、小声で秋田に向かって言う。

「起き、起きろ。と、虎が。白虎が」

「白虎……? あんなぁ岩手。ここまだ、宮城だべった。白虎隊は、福島の……」

 やっと目を開けた隣人は、虎を見て呆気に取られた顔になる。そりゃあ当然だ。いくら生まれて長いとはいえ、こんな心霊現象には慣れていない。

「何——だと思う?」

「何って、おめ、虎でしょうよ」

「それは見た目の話だろ。どういう性質のものか、って話だ。幽霊とか、悪霊とか」

「関係ねぇよ。虎は虎だべ」

「さすが、全国学力テスト一位常連様の言うことは違うな。俺にはさっぱり理解できん」

 なんでこんな大雑把なやつが一位を取れるのか、俺には文字通り永遠の謎なのだが、それはさておき。せっかくの優れた知能も、こういう時に使ってもらわなければ意味がない。このいかにも霊的なやつは、物理的に戦ってどうにかなる相手なのか、それとも何か……法華経とか念じた方がいいのか? 

 そんなことをぐるぐる考えていると、ふと、秋田のつぶやく声が聞こえた。


「山師は山で果てる、か」


 え、と振り返る間もなく、秋田は俺の背から降りる。

「いいがら。岩手。こいつは俺を迎えに来たんだ」

「おめを? なんで、迎えって?」

 俺の問いかける声など聞こえないかのように、秋田は虎の方へふらふら歩み寄ると、祈るように手を組み、膝をついた。



「ああ……あの時は、本当に……」



 ただならぬ秋田の様子と、さっきの「白虎隊」という言葉で、俺もようやく思い出した。戊辰戦争の頃、秋田から撤退した白虎隊が、夜を徹して山道を進んだという話を聞いたことがある。しかも今よりずっと寒い、晩秋の山を、だ。


「……」


 あの頃のことは、あまり思い出さないようにしている。他のやつはどうだか知らないが、少なくとも俺はそうだ。慰霊の催しには必ず顔を出すが、でも、やっぱりそれくらいしかしていない。


 自分の身体を、あちこち継いで、組まれる感覚。


 あの、自分の事なのに他人事のような、ヒトで言う離人感に似た感覚は、そう頻繁に思い出したくなるものではない。まるで機械のパーツ……終わらないジグソーパズルみたいに、忙しなくこの体を弄られるなんて、一度体験すれば十分すぎる。


 秋田は一時期、裏切り者と言われた。

 

 新政府軍についたからというのも当然だが、やはり仙台からの使者を無惨に殺したことが大きかったのだろう。らしくないことだった。と俺は思う。

 結果的に秋田は勝ち、俺は負けた。

 でも、勝っても負けても、実質得たものなど何もなかった。地は荒れ、民は飢え、誉もない。それでも何もしないよりはよかった、のだろうか。今となってはそれもわからない。ただ、粛々と、命なき生を生きてゆくほかない。



 気づけば、虎は幻のように消え失せていた。



 虎が消えた後も、手を組んだままの彼の方に近寄って、その背をさする。呆然とした顔で、秋田が力なく呟くのが聞こえた。なんだ。連れてってもくれないのか。


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