第2話 謀り事

謀り事

「起きられましたか。一の皇子(みこ)。賢瑛(けんえい)様。」

いつもとは違う、見慣れぬ光景だった。

いつも起こしてくれる乳兄弟(ちきょうだい)の賢誠(けんせい)がいない。

「・・・。」

「ご安心をなさって下さい。此所には貴方様のお命を狙うものも、邪険(じゃけん)に思うものも居(お)りませぬ。今一度お眠り下さいませ。」

ああ。そうか。

私は毒を盛られたのだ。あの、最も信頼できる乳兄弟に。

「これから宴会ですから、命を狙われて毒を盛られても大丈夫なよう、神殿から薬を頂いてきました。」

そう言われて。


杯を空にした。

その瞬間、激しい痛みが喉と頭を襲った。あまりの痛さに呼吸は苦しく、視界がぼやけた。

「賢瑛様!」

慌てふためく声とは裏腹に、彼の顔は笑っていた。

彼に毒を盛られたのだとわかった瞬間、彼を問答無用で殺した。

「やめてください!」

そういう言葉を押しのけて。

剣を振るった。


耐えられなかった。

悔しかった。

悲しかった。

苦しかった。

憎かった。


あんなに信頼していた賢誠に裏切られたことが。

幼い頃から命を狙われ、己の母を亡くし、彼の母を亡くしたあの日から、互いだけが唯一の家族で、唯一信頼し合える。

そんな関係を築き、彼以外を居室に近づかせなかったのに。

その彼が……。


だから殺した。


そして、そのまま助けを求めて神殿に向かった。

もう助からないと思ったのに。

「あの子は?」

 自分に無理やり薬を飲ませた幼子を探す。

「薬を取りに行っております。ずっと貴方様(あなた)の側に付いておりました。」

どうやら、かなり頭の動きが鈍っているらしく、今になって目の前にいる彼は、神殿の一切を取り仕切る神太師(しんたいし)だと気付いた。


つまり。


「此所(ここ)は神殿か。」

「はい。左様(さよう)でございます。」

 安心する。ここなら誰からも危害を加えられることはない。

 例え、皇帝でさえ神殿や神に仕える神子(かみこ)に手を出すことはできない。

それほど神殿は神聖であり、絶対的不可侵が約束されている。

「そうか。成る程、女児か男児かわからなかったわけだ。あのものが此所まで私を運んだのだな。」


神子は皆、一様に見目麗しい。そして、神子には性別がないといわれている。性別のない神に仕えるからだ。


「影の支配者。全てを傀儡(かいらい)とする傀儡師(かいらいし)、か。」

思わず呟(つぶや)いた神子の別名に、目の前の神太師は何も言わず微笑んだ。

相も変わらず、何を考えているのかわからない。


「太師(たいし)。お薬を持って参りました。」

まだ子供なのによく通る落ち着いた声が部屋に響いた。いや、神子は美しく才があるが、多くが薄命で実年齢より幼く見えるという。きっとこの子ももう少し上の年なのだろう。

「そなた、神殿名は?」

帝国では七歳までの子どもは皆、神の子だと言われている。純真無垢で神に近く、神の声が聞こえやすいから。だから子どもたちは七歳まで神殿に様々な事を習いに行く。神の教え、読み書き、算数……親の愛情を受け、神の愛情を受けて。でも、神子は違う。年齢は関係なく、産まれた時から神子だ。性別がないからすぐにわかるのだという。神子は産まれたらすぐに神殿に連れていかれる。ゆえに名前がない。でもそれだと支障をきたすから、神太師や神殿長に通り名を貰う。

礼を言うためにその通り名を尋ねる。

「荒子(あらこ)でございます。ところで、宜しければ神子から御付きのものをお選びになるのがよろしいかと存じます。」


神子は文武両道だ。護衛には彼らほど頼もしいものはいない。そんな神に仕える神子を御付きの護衛にすることが出来るのは皇族だけだ。


「礼を言おう。荒子。そなたの提案の神御付きだがいらぬ。私はそこまでして生きていたいとは思わぬ。」

信頼する者に裏切られた。それが大きな影を落としていることを痛感する。

「そうですか。差し出がましいことを言いました。幼子の申したことでございます。どうぞお許し下さいませ。」

はっきりとした丁寧な受け答えだ。やはり見た目よりも上の年齢なのだろう。

それにしてもあっさり引き下がるところが気になる……大抵の者はここで押し問答を始めそうなものだが、こういう性格なのだろうか。荒子と呼ばれる理由がわかる気がする。少し、他の者とは違うようだ。

「構わぬ。この私の態度が今の状態を生み出したのだ。何とかせねば・・・そのうち身内だけでなく、国土さえも血肉にまみれてしまう。」

「ならば、そうならないようにすればよろしいのでは?」

いかにもそうだ。でも、何と短絡的で、いかにも子供らしい発想なのだろう。

「それができれば苦労はせぬ。」

にっこりと笑いながら、目の前の神子(かみこ)のふわりとした頭を撫でる。すると、照れくさそうにし、頬を赤らめた。その姿はとても愛くるしい。

そして、頬を赤らめたまま、恐ろしい言葉を口にした。

「亡き者にすればいいのです。皇位を継ぐ方をお一人にすれば争いなど起きません。そうでしょう?」

「なっ……!

驚いた。本当に驚いた。

こんな小さな、見た目よりかは大人びているだろうが、それでも幼いであろうこの子から。この美しい顔(かんばせ)の、美しい花びらからおぞましい言葉が出てくるとは思わなかった。

「短絡的だな。それこそ国土が血に濡れることになるぞ。」

驚きを隠しつつ言う。

「何故?貴方がその手で今から宮中を回り、一人一人葬り去ればよいのです。それこそ、四代皇帝のように。それが嫌なら吾(あ)が毒でも使いましょうか。」

「吾子君(あこぎみ)!やめなさい。滅相(めっそう)なことを言ってはいけない。」

「吾子?吾子だと?」

神大師がしまったという顔をする。

吾子は皇族から産まれる神子の呼び名のことで、その存在は瑞兆(ずいちょう)や災厄(さいやく)を呼び寄せるという。

「吾子がいるとは聞いていないぞ。」

思わず顔をしかめる。吾子は忌み嫌われる存在にして、最も神に近い絶対的存在でもある。故に吾子の皇位継承指名権は絶対的だ。


だから腹が立った。

猛烈に腹が立った。


吾子が皇位継承指名をしっかりしていれば今までの政争はなかった。そして。そして、裏切りさえもなかっただろう。

「殿下。吾子君がいると分ければ、自らを聖君であると主張するために吾子君をめぐって争いが起きましょう。」

気持ちを察してか神太師が慰(なぐさ)めるように諭してくる。だが吾子はけろりと言う。

「太師。吾は誰に下ろうとも、意思を曲げたりはしない。皇帝に相応しき者でなければ指名をしない。」

だから、争いなど知らぬとでも言いたげだ。

「何だと?では、今まで指名していないのは何故だ。相応しい者がいないと?」

さあ?というような表情をする。

「殿下は誰よりも民に慕われております。それにお優しいだけではない。新しくできた富める者に追加で税を納めさせる貴民税(きみんぜい)を制定されたのは殿下でございます。それに、民に施しだけでなく魚の釣りかた、食料、保存食の作り方を教えました。それでもなお、何もせずすがって来るものには罰をお与えになりました。」

にこりと幼子らしい笑みを浮かべる。だか、その笑みが孤狸(こり)にしか見えなかった。

「吾はずっと待っておりました。皇帝になるに相応しき方が成長するのを・・・。」

嫌な予感がする。こんな奴らを今までに何度も見てきた。

「……。誰なのだ。」

「お分かりのはずです。誰よりも民に帝位を継ぐことを求められていた貴方様ならば。」

「吾子。そなたは何もしなかったからという理由で民草を傷付けた私が皇帝にふさわしいと?」

嘲笑(あざわら)うかのように、馬鹿にするかのように言ってやる。それほど気に食わないから。

「皇族や王族は支配者ではなく、民の父であり、母であります。それをまさしく体現なさった出来事かと。」


“父母は子に対して常に優しいだけでなく、時には厳しくあらなければならない。そして誰よりも子の手本でなければならない。皇帝、皇族、王族はまさしく民に対してそうでなければならない。”


この帝国の帝王学の書に書かれていることだ。吾子は帝王学も学ぶらしい。

「吾子。そなたが現れるのは瑞兆(ずいちょう)もしくは災厄(さいやく)の前触れらしいな。つまり、私が皇帝になるのは災厄ではないのか?」

「瑞兆の前に災厄があるのでございます。」

「成る程。では、私は皇帝にはならぬ。災厄が引き起こされるのは御免だ。それに、これは陛下から見れば謀反でもある。」

それを聞くと吾子は少し顔を伏せる。目を細めたためか長い睫毛が微(かす)かにふるふると動く。

「吾子君(あこぎみ)。お下がり下さいませ。殿下はお休みにならねばいけません。」

そう神太師に促され、吾子は渋々扉に向かう。

そのまま去っていくのかと思えば一言。

「……殿下。吾が弟を王にお据えになり、王職を与えて下さい。必ずやお役にたちましょう。」

そう言って微笑む吾子の顔に不思議と魅せられる。

「待て。」

気付くと呼び止めていた。


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聖霊帝国 氏姫漆莵 @Shiki-Nanato

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