物語は、親知らずの痛みに耐えきれず、歯科医を訪ね、診療台に乗せられているところから始まります。
それ以前に、場所と時間と状況の描写がなされてはおりますが、そこを素通りされるのか、感じ取られて立ち止まるのかは、読者さまに委ねられているのです……。
あ、ダメだ! わたしに太宰治風の文章は書けなかった。
と、言うように、主人公の葛藤が、歯科医の困惑が、ふたりの壮絶なやりとりが、文豪作品の体をなして綴られています。これほど、全編が古い分体で綴られているのに、どうして、こんなにも笑えるのだろう……。
この言い回しのおかげなのだろう、主人公のささやかな抵抗はかわいらしく写り、歯科医の説得は虚しく響いてくる。
歯が痛い! 本来は悲劇のはずのこの騒動が、わたしには喜劇に思えて仕方ない……。
それは、太宰治にも謝りたくなることだろう。謝る先は違うと思うけど……。
太宰治にごめんなさいするよりも
歯科医の先生にごめんなさいするべきでは?笑
太宰治の独特の表現が
抜歯への恐怖の際に咄嗟に出てくる程の
太宰好き。そんな作者が地獄へ足を踏み入れました。
恐怖に対する太宰の表現、考え方。
僕の個人的な感想なんですけど、
彼は嫌な目に遭えば遭うほど、逃げ、葛藤、苦しみ、昇華、諦め、先延ばし、正当化……。なんとかして人間くさくもがいて、結果生き生きと見えるんです。生き生きとは正反対っぽいですけど。
歯が痛い時の歯医者って、虫歯が出来たことの無い人以外は皆、経験があると思います。
あの恐怖。抜かなければ改善はしない。それが分かっていても、分かっているからこそ、あの独特の恐怖への対処は流れに身を任せるしかありません。
でも太宰、彼は違います。
流れに身を任せる? いいえ。彼の周りに流れが出来るのです。逃げも葛藤も無様さも、全てが彼の生き様なのですから。
長くなりましたが、この『患者失格』も、とても読み応えがあります。
僕は彼や、この作者のように、流れを作り出すことはできません。
ただ、その作り出されたハチャメチャな流れに巻き込まれてみたい。
キケンな『恐ろしさ』がこの作品にはあると思うのです。