火の中に夢を見る女

久寿川 龍美

第1話

 その日はクレア・ダナウェイにとって素晴らしい一日になるはずであった。敬虔なカトリック教徒である彼女は一日として信仰を忘れた日は無かった、彼女は神を愛し、神の名の下に結ばれた夫を誰よりも愛していた。

 十回目の結婚記念日になるはずだったその日の為に、彼女は腕によりをかけた料理を作るつもりだった。夫の好物であるトード・イン・ザ・ホールを作る為の新鮮な材料と夫へのプレゼントに空色のネクタイを用意しておいた。

 その日、クレアは酷い頭痛で目を覚ました。全身から強い酒の臭いがする。時計を見るともう昼の十一時だった。クレアは酷く痛む頭を抱えベッドから起きると、そこには夫の姿は無く代わりに枕元には銀色の拳銃が置いてあった。ジャーナリストである夫の銃だ。クレアは酷い嫌悪感に襲われて、夫を探しにリビングに向かい駆け出した。

 そこにクレアの夫、トーマス・ダナウェイは居た。眼を見開き、額に大きな穴を開け、血と脳味噌で溢れかえったフローリングの上に、大の字に寝ていた。土曜日の朝、決まってコーヒーを淹れてくれた、記念日には必ずプレゼントをくれた、心優しいトーマスはもう居ないのだ。

 その日クレアは信仰を失った。

 

 

「それは、どういう意味です?」クレア・ダナウェイは何を言ってるいるのか理解できないという表情で、その男に聞き返した。

「ええ、ですから裁判には司法取引制度というものがありまして。あなたが罪を認めさえすれば、恐らくは懲役七年程の刑に抑えることが出来るはずです。」弁護士であるロナルド・ウィンストンは落ち着き払ってそう答えたが、内心は今にも朝食を吐き出しそうな気分だった。この哀れな未亡人が夫を殺していないのは誰が見ても明らかだ、誰かがトーマス・ダナウェイを彼の拳銃で撃ち殺し、彼女に罪を着せたのだ。しかし、弁護士であるロナルドにその証拠を見つけ出す事は不可能であった。彼に出来ることは、少しでも彼女の罪を軽くすることだけなのだ。

「そんな事…出来るはずありません。私は夫を殺してなんていません。結婚してから喧嘩だってした事ないんです。あの日は結婚記念日だったんです。あの人は久しぶりに帰ってきて…それで…」そこまで話すと、クレアはすすり泣きながら机に伏せてしまった。

 薄暗く、狭い部屋に、パイプ椅子が二つと鉄の机、ブラインドが付いた窓に壊れたエアコン。そんな中に、泣きじゃくる未亡人と二人きり。ロナルドは一分だって長くここに居たくなかった。この仕事が片付いたら旅行に行こう、そして全て忘れるのだ。その為にも今はこの件を自分の満足がいくよう片付けなくてはならない。

「わかりました。それでは探偵を雇いましょう。口は悪いですが、腕は確かです。彼なら裁判が始まるまでにきっと貴方の無実を証明出来るはずです。」

 クレアはまた、何を言っているのかわからないといった例の表情になった。その後、ロナルドはエンフィールド探偵社に電話をかける前に胃薬を三錠飲む事にした。

 

 

 午前十一時の事務所の空気はべっとりと湿っていた。窓を閉め切って寝ていたので部屋の空気は年中続くイギリスの梅雨の湿気でジメジメと気持ちが悪かった。私はその日最初のコーヒーを味わいながら朝刊を眺めていた。

 どうやら世間では放火による火災が問題になっているらしいが、私の家も事務所も燃えちゃいないので気にする事はない。

 私が二杯目のコーヒーを汲みに行こうとした時、今の電話が鳴り響いた。私は電話が嫌いだ、私にかかってくる電話はいつだって面倒な仕事の依頼かくだらないセールスだけだった。無視しようかとも思ったが、この間シトロエンのブレーキを修理したせいで金がないことも思い出し、なくなく電話を取ることにした。きっと依頼の電話だろう、いっそのことあのオンボロを売っ払って日本製の安物に乗り換えてしまおうか。

「はい、エンフィールド探偵社ですが。」私は言った。

「エリオットかい?僕だ、ロナルドだ。良かったよ、今日はちゃんと起きてたな。実は頼みたい仕事があるんだ。」ロナルドの声からは疲れが感じられた、どうせまた寝ないで仕事をしてたんだろう。私には考えられない事だ。

「もう十一時だぞ大学生じゃあるまいし、そんなに寝てるわけないだろう。それで仕事というのは?」

「ああ、実はちょっと面倒な仕事でね、直接会って話したいから『ブルースキッチン』まで来てくれるかな。」ロナルドはその店が大層気に入っていた、彼はいつもそこで馬鹿でかいバーガーにジントニックを頼むのだ。私はそれにフライドポテトも付ける。「君の奢りか?」私は聞き返した。

「この間の仕事で少しは金が入ったんじゃないのかい?」彼は笑ってそう返したが、やはり声色から疲れが感じられた。「ブレーキの修理で消えたよ。」私はウンザリして答えた。

「まだあの化石に乗ってるのか君は、良い加減新しい車に乗り換えろよ。日本製は良いぞ、安いし壊れないし燃費も良いし。まぁとにかく来てくれ、今日の所は僕が払うよ。」

「オーケイ、すぐ向かうよ。」私は言った。車を買い替えるのはやめにしよう。私は事務所から出ると一階にあるガレージに向かった。そこで彼が化石と呼んだ七四年式シトロエン・DS21に乗り込んだ。修理したての磨き上げられた車体から心地の良いエンジン音が響いた。私はロナルドが待つレストランに向かった。

 『ブルースキッチン』はアーリントン・ロードを真っ直ぐ行った先にある。ロンドン・ユダヤ博物館の周りには多くの飲食店があり雨にも関わらず人々で溢れ返っており活気に満ちていた。私は駐車場に車を停め、ロナルドが待つ店内に向かった。

「やあ、エリオット。来てくれて助かったよ。」電話で感じた通り、彼は二、三日寝てない上に胃薬しか食べてないような不健康な顔をしていた。私は席に座るとバーガーとコーヒーを注文した。ポテトを頼もうとしたが、更年期に入ってから増え続ける体重を思い出し、やめにした。それからロナルドはトーマスというジャーナリストが何者かに拳銃で撃たれて殺された事、その罪を死んだトーマスの細君が着せられた事、そして自分が彼女の弁護人である事を私に話した。

「で、君には彼女が無実であるという証拠を集めてもらいたいんだよ。」ロナルドは言った。

「話はわかったが、そのクレアって女が本当に夫を撃ち殺したのかも知れないぞ、お前はその女に騙されただけで、クレアは名女優って可能性もあるじゃないか。」私は少し呆れてそう答えた。彼はかなりお人好しな所があるのだ。弁護士にはなれても検察官にはなれないだろう。

「いや、それは無いよ。僕だってもう二十年はこんな仕事をしてるんだ、依頼人が黒か白かぐらいわかるさ。それも含めて、君に調べて貰いたい。」

「金は誰が出すんだ?」私は彼に聞き返した。「それは勿論彼女が払うけど、僕だって少しは出すつもりだよ。」それを聞いて、私は大きくため息をついた。

「どこまでお人好しなんだロナルド。」

「エリオット、このままだと彼女は夫を殺された上に牢屋に二十年も入ることになるんだよ、僕はそんなの見過ごせないよ。君だってそうだろ?」ロナルドは真摯な目で私を見ながらそう言った。

「それじゃあ私はその会ったことすら無い哀れな未亡人の為に拳銃を持って警官達の管轄で走り回ってチャールズ・ブロンソンの真似事をすれば良いわけだ。」私は冗談のつもりでそう言ったが彼は表情を変えなかったし何も言わなかった。

「わかったよ、やるだけやってみよう。どっちにしろ私は金が貰えるならなんだって良いさ。」私はそう言って席を立った、勿論支払いはロナルドがした。

 その後私とロナルドは私のシトロエンで依頼人が居るという留置所に向かった。私はそこに行くのにあまり気が進まなかった。いつだって探偵と警官というのは相淹れない物だ。

 留置所にはレストランから三十分程で着いた。コンクリートの塀で囲まれた味気ない建物でますますそこに入る気を削ぐ外観だった。私はロナルドの案内で中に入ったが、その女に会う前に面倒な男に会った。コミッショナー(市警察委員長)のマードックである。

「一体探偵風情がここに何しに来たんだ。現場を荒らそうったってそうはいかんぞ!」マードックは精一杯の威厳を出そうと滑稽な剣幕で私に迫ったが、醜く出っ張ったその腹のせいで全く迫力が無かった。

「いつもそうなのか?」私は彼に尋ねてみる事にした。「何?」彼は顔を変えずに聞き返した。私は笑いを堪えることが出来なかった。「その顔だよ、ジョン・ウェインの真似をしてるんだろうが全然似てないぜ、まるでフォアグラにされてるガチョウみたいだ。」彼はサウナに一時間入ったみたいな真っ赤な顔になった。私はまた吹き出してしまった。

「エリオット、頼むよ。行儀良くしてくれ。」ロナルドは真っ青になって私に頼んだ。「オーケイ、依頼人に会いに行こうか。」ロナルドは私の背中を後ろから押した。留置所の警官達が私を睨みつけた。彼らはいつだって貫禄を出そうと必死だ。だから彼らは学生達からファシストと呼ばれるのだ。私も同感だ。

 私は薄暗い取調室で彼女と会った。建物の外観と同様に冷たくて無機質な部屋だった。部屋には見張りの警官が一人居て顔をコンクリートで固めたみたいに無表情だった。私はその男にブローニングを預けてから彼女に話しかけた。

「こんにちは、ミセス・クレア。私はエリオット。エンフィールド探偵社から来ました、私立探偵です。」私はお決まりの作り笑顔で彼女に挨拶した。

「初めまして、クレアです。来てくださって感謝していますわ。」彼女は私に握手を求め、私はそれに応じた。三十代半ばの黒髪の女性で、顔は三日間何も食べてないみたいにやつれていた。恐らく本当にここ数日ろくに食事も睡眠も取っていないのだろう。その目は何日も泣き通したせいでミドル級のボクサーに殴られたみたいにパンパンに腫れていた。コレでは美人が台無しである。

「辛いと思いますが事件があった日の事を詳しく教えて下さい。ご主人のご遺体を見つけた日の事です。どういった状況だったのか、ご主人やあなたに恨みを持つ人間がいたかどうか、最近ご主人におかしな様子がなかったかどうか。どんな些細な事でもかまいません。」私は出来るだけ丁寧な口調を心がけて彼女に聞いた。

「ええ、あの日は結婚記念日だったんです。結婚してから丁度十年でした。主人はとても誠実な人でした。記者として真面目に働いていて…人から恨みを買うよな事は無いはずです。あの朝私は酷い二日酔いでした。前日の事は何も覚えてません、ですが私はお酒なんて飲んでいませんし、主人の拳銃の場所なんて知りません。あのあさ起きたら酷い頭痛ががして…私の横には拳銃があって、主人は頭から血を流して…それで…」そこまで話すと彼女は泣き出してしまった。もし仮にコレが演技だとしたなら彼女は大した名女優だ。これでロナルドの言ってるいる意味がわかった。誰かが彼女を罠にはめたのだ、目的はわからないが彼女の夫を始末しなければいけない理由があったのだ。

「わかりました。ご安心下さい私とロナルドで必ずあなたの無実を証明してみせます。」彼女は頷くだけで何も言わなかった。私とロナルドは部屋から出た。するとまたマードックのデブが私に突っかかって来た。

「いいか、探偵。よく聞けよ。この事件はもう終わったんだ。ロンドンにはまだまだ犯罪者がウヨウヨいる、お前に仕事の邪魔をされちゃたまらん。いいか探偵俺は〜」私はがなり立てるデブを無視して留置所から出た。私とロナルドは駐車場に止めたシトロエンに戻った。

 車に乗り込むとロナルドは私に聞いた。

「さぁ、まず何から始めよう。あんまり時間が無いぞ裁判が始まるまでに証拠を見つけないと。」

「まずは彼女と殺された夫の自宅に行ってみる。恐らく警官が証拠は持ち出してしまっただろうが一度調べてみる必要がある。」私は言った。

「しかし入れるとは思えないぞ、見張りの警官がいるだろうし…。」彼は心配そうに答えた。

「ああ、だから夜中に行くつもりだ。私一人でいい、お前はトーマスが働いていたという新聞社に掛け合ってくれ。事件当初彼が追っていたヤマを知りたい。」私は言った。

「わかった。何か分かり次第連絡するよ。」彼は力強くそう答えた。私は彼を自宅まで送ってからクレアとトーマスの家に向かった。私は家の前を通り過ぎると人目が付かない所に車を止めて、夜になるのを待った。

 深夜の二時ごろ、警官達が居なくなったのを見計らって家の前に歩いて行った。家はテレビドラマで見るような黄色いテープで囲んであった。当然玄関には鍵がかかっているだろう。

 私は中庭にむかい、ウッドデッキに面している窓を調べた。窓には玄関同様鍵がかかっていた、私はトレンチコートのポケットからガムテープを出し、窓に十字に貼り付けた。ホルスターからブローニングを引き抜き逆さに構えてからグリップの部分で窓を殴った。貼り付けたテープのおかげでガラスは飛び散らず、大きな音も立たなかった。私はガラスを退けると鍵を開けて家に入った。

 私はまずトーマスの仕事部屋から調べてる事にしたが、やはり警官達が家中から証拠になりそうな物を持っていっており何も見つからなかった。私は次にリビングを調べてみることにした。それなりに広いリビングで調べるのに時間がかかってしまったが、結局何も見つからなかった。しかし暖炉を調べた時私は何か奇妙な物を見つけた。黒いビニールが溶けたような物で私はしばらくそれを手に取って眺めているうちにそれが写真のネガだということがわかった。

 恐らくジャーナリストであるトーマスは何か重大な秘密を写真に収めたのだ、しかしそれを面白く思わない連中がトーマスを殺し、その場でネガフィルムを処分した後クレアに殺人の罪を着せたのだ。全て私の憶測だがそれなら筋が通る。私は部屋を元通りに片付け、入ってきた窓から外へ出て車に戻った。

 事務所に戻りロナルドと連絡を取る必要がある。トーマスが追っていた事件は一体なんだったのか知る必要がある。

 ガレージに車を止め、私は事務所のドアに手を伸ばした。そこで私は鍵が閉まっていないことに気がついたが、遅かった。私は後ろから銃を突きつけられた。事務所の中には銃を持った男が二人と私のデスクにもう一人男が腰掛けていた。

 私に銃を向けた男は私のブローニングを奪うと銃身で私の首筋を思い切り殴った。私は前のめりに倒れ地面に両手を突いた。もう一人の男が硬いエンジニアブーツで私の顔を蹴り飛ばした。私は床に転がって壁に頭をぶつけた。

「そのぐらいにしておけ、話が出来なくなっちまうぞ。」デスクに座っていた男がそう言った。身長は百八十センチ程で髪が長く、黒いスーツに身を包んだガタイの良い男だった。

「こんばんはミスタ・エリオット。部下が無礼を働いて申し訳ない。私はビンセントという者だ。しがない金融業者だよ気軽にビンスって呼んでくれ。」男は無表情でそう言った。

「こんばんはビンス。次から部屋に来る時はインターホンぐらい押してくれ。」私は言った。

「良いかタフガイ、私はお前のジョークを聞くためにこんな時間まで待っていたわけじゃ無いぞ。単刀直入に言う、トーマス殺しの事件から手を引け。」彼にとって私をどうにかすることなど容易いと思っているのだろう。少しも表情を変えずに彼は私にそう言った。

「さぁ、何の事かわからないな。私はさっきまで靴屋に行ってたんだ。ちょうどアンタの部下が履いてるいるよなイカしたブーツを選んでたらこんな時間になってしまったわけだよ。」私は言った。彼が部下に顎で合図すると部下の一人が上着の下からブラックジャックを取り出して私はの喉を思い切り殴った。

「軽口を叩くのも良い加減にするんだなカウボーイ。私は健康には気を使っていてね、本当ならとっくに寝ている時間だしこんなホコリが浮いた部屋にむさ苦しい男四人といるなんてまっぴらごめんなんだよ。」彼はローファーで私の顔を蹴り飛ばした。私は鼻の骨が折れたのがわかった。

「今日はココで帰るとしよう。だが忘れるなよ、今度コソコソ嗅ぎ回っているのを見かけたら、トーマスと同じような目に合うぞ。」そう言ってビンセントと三人の部下は私の事務所から出て行った。部下の一人は私のブローニングを持ったまま行ってしまった。私はしばらく床の上に寝てから血がついたシャツを捨て顔を洗った。折れた鼻から鋭い痛みが走った。顔中に切り傷やアザがあり誰がみてもリンチにされた事がわかる。私は顔の手当てを済ませてから改めて鏡を見た。顔中絆創膏だらけで試合中のボクサーか何かに見えた。ハンサムが台無しだ。

 私は棚からコニャックとショットグラスを取り出して一杯飲んだ。傷の痛みが少しだけ和らいだ。それから私はベッドに行き、眠った。考えるのは明日にしよう。

 

 

 次の日の朝、私は電話が鳴る音で目を覚ました。ロナルドからだった。

「おはようエリオット。新聞社に掛け合ってわかったことがあるよ。」彼は私にそう言った。

「トーマスは何を追ってたんだ?」

「放火だよ、しばらく前に新聞に出ていただろ。あの記事を書いたのがトーマス・ダナウェイだったんだ。彼はあの後、あの放火事件に関わる何かを写真に収めたんだ。」

「そして証拠の隠滅を図った何者かに殺された。そんな所か。」私は続けた。

「そういえば昨日私の事務所に紳士が四人押しかけて来たよ。この件から手を引けってさ。」彼は心底驚いた声を上げた。「な、なに⁈一体どういうことだ、君は大丈夫なのかい?」

「トーマス・ダナウェイに比べたらマシさ。とにかくこれでますます手を引くわけには行かなくなったよ。それじゃあな。」私は受話器を耳から離した。

「ま、待て!もう少し詳しく…」私は受話器を置いた。

 それから私は別の所に電話をかけた。

「エンフィールド探偵社のエリオットだ。ゲイル・アンダーソン刑事を頼む。」私がそう告げてから二、三十秒後に、彼女が出た。

「おはようエリオット。今度は何やらかしたわけ?コミッショナーのマードックがカンカンに怒ってるわよ。」

「ああ、実は例のトーマス殺しの事件を追ってるんだ君にあの事件について知ってる事を話してほしい。」私は彼女にそう頼んだ。

「馬鹿言わないで頂戴。警察が部外者にそんな事話すわけないでしょう。」彼女は呆れたようにそう言った。

「ゲイル、頼む。このままだと罪も無い女性がオリの中に入ることになる。本当の悪が野放しになったままだ。私はそれを何としても止めたい。その為には君の力が必要なんだ。」彼女はしばらく考え込んだ。

「…わかったわ。今回だけよ、私もマードックの事はどうもキナ臭いと思っていたのよ。実はトーマスの部屋で住所が書いてあった妙なメモを見つけたのよ。きっとそこに何かあるわ。」 

「その住所を教えてくれ。」私は言った。

「だめ、私も一緒に行く。昼過ぎに迎えに行くわ。」彼女はそう言って電話を切ってしまった。

 私は洗い立てのシャツを着てコートを羽織った。クローゼットの引き出しからジュニア・コルトを取り出した。ブローニング・ハイパワーに比べれば頼りないがベストのポケットに入る程小型で反動も少ない銃だ。

 私はコルトに弾を込めてコートのポケットにしまった。それからしばらくして、私の事務所の前にグレーのシボレー・シルバラードが止まった。ゲイルの車だ。私は外に出て車に向かった。ゲイルと相棒の警官が車から降りてきた。

「おはよう、ゲイル。そちらは?」私はゲイルに尋ねた。

「彼はチャールズ・ノートン、私の相棒。事情は話してあるわ。何?その顔、タイソンと喧嘩でもしたわけ?」彼女は私の無様な顔を見てそう言った。

「アイススケートで転んだんだよ。」私はウンザリして答えたが、ゲイルは納得してない顔をした。ゲイルは私より少し年下で背の高い黒人女性で、私とゲイル、そしてロナルドは長年の友人だった。「よろしく、エリオット。俺はチャールズだ。」私はチャールズと握手をした。四十代半ばのガッシリした体格の男で腰にベレッタの九ミリを下げている。私とゲイル、チャールズの三人はゲイルのシルバラードに乗り込み、トーマスの部屋で見つけたというメモに書かれた住所に向かった。

「本当にここであってるのか?ここは何もないような空き地のはずだぞ。」私は二人に尋ねた。

「確かにそうだけど、都市部から離れた何も無い空き地こそ、何かを隠すにはピッタリの場所だとは思わない?」ゲイルは運転しながら後部座席に座る私にそう言った。

「なるほど、名探偵だな君は。」私がそう言うと助手席に座るチャールズは声を上げて笑った。

 

 

 それから一時間程車を走らせ、都市部から離れてくると私は二台の車に尾行されていることに気がついた。

「尾けられてるぞ。」私は二人にそう言った。

「何だって?どいつだい?」チャールズは驚いて私にそう言った。「少し離れた所からついて来てる、リンカーンの四駆が二台だ。」私は後ろを見ながらそう言った。

「一体何者かしら。」ゲイルはバックミラーを目で見ながら私に尋ねた。

「恐らくビンセントってギャングの部下だろう。昨日私の顔をこんなにした連中だよ。」私はポケットからコルトを引き抜き安全装置を外してからスライドを引いて薬室に弾を込めた。

「な、なに⁈スケートでコケたんじゃないのか?」チャールズは素っ頓狂な声を上げた。

「馬鹿ね皮肉に決まってるでしょ。」ゲイルは運転しながらコートに手を入れて銀色のコルトパイソン・三五七マグナムを取り出してダッシュボードに置いた。

「なんてこった。ついて来るんじゃなかったよ。」チャールズは腰のベレッタを引き抜こうとして床に落としてしまった。二台のリンカーンは少しづつ距離を縮めて来た、私が後ろを向くと先頭の車の助手席に座った男が身を乗り出してショットガンを撃ってきた。散弾はシルバラードの後輪に当たった。車は大きく道をそれて道路脇の原っぱに突っ込んだ。

「車から降りろ!」私が二人にそう言った時、後ろの連中のいっせい射撃が始まった。連中はM16アサルトライフルとイサカ・M37ショットガンで武装していた。まるでジャングルで追い詰められた北ベトナム兵の気分だった。私たちは何とか車から出てシルバラードを背に向けた。

「ち、ちくしょう!撃ってきたぞ!本部に応援を頼まないと!」チャールズが騒ぎ立てた。しかしダッシュボードの無線機は連中に撃たれて木っ端微塵になっていた。

「馬鹿言って無いで撃ち返しなさい!」ゲイルは身を乗り出してマグナムを二発撃った。連中の一人の胸に当たり、声を上げて地面に倒れた。私は車から少しだけ顔を覗かせてコルトを三発撃ったがこの三百グラムの豆鉄砲から放たれた弾丸は明後日の方向に飛んで行った。

「クソ、距離が遠すぎる。こんなオモチャじゃ当たらんぞ。」私は言った。

 ゲイルはまた身を乗り出して四発銃を撃った。弾は見事二人に命中した、コレで連中は残り六人になった。

「まったく、面倒に巻き込んでくれたわね。」ゲイルは弾を込めながら私にそう言った。

「済んだら一杯奢るよ。」私はそう言って、また銃を撃った。しかしさっぱり当たらなかった。私の撃った弾丸は連中の車のヘッドライトを砕いただけだった。

「車の中にショットガンがあるわ。」ゲイルはそう言いながらまた銃を撃った。マグナム弾は連中の一人に当たって男の体ごと吹き飛ばした。私はゲイルに惚れ直した。なんとか車の中にあるショットガンに手を伸ばし、私はショットガンのスライドを引いた。薬室に散弾が送り込まれたのを確かめて私はゲイルとチャールズに言った。

「連中の射撃が止んだら三人で身を乗り出して一斉に撃つぞ。」私がそう言うとゲイルは黙って頷き、チャールズはようやく銃の安全装置を外した所だった。「きっとこの間のミサを寝過ごしたのがいけないんだな。」チャールズはぼやいた。

 連中の射撃が少しやんだ、私は二人に合図して身を乗り出した。私は連中に向かって素早く四発銃を撃った。弾は一発外したが残りの三発は連中に当たった。こんなデカイ銃を撃つのは随分久しぶりだ。

 ゲイルが撃った弾は連中の一人に当たり、敵は残り一人になったが連中の撃ったライフルの弾がチャールズの肩に当たった。チャールズは声を上げてベレッタを地面に落とした。

「ああ!ちくしょう撃たれたぞ!何だって俺がこんな目に合わなきゃならないんだ!」私は弾切れのショットガンを地面に捨て、チャールズのベレッタを拾い車から飛び出した。男の驚いた顔が見えた。私は男の顔に向かって引き金を絞った。銃口から放たれた九ミリの鉛弾は男の顔を吹き飛ばした。私は地面に蹲るチャールズに銃を渡し、ゲイルにそこにいる様に伝えてから連中の死体に向かって歩いていった。連中のうち五人は知らない顔だったが残りの三人は昨日私の事務所にいた奴らだった。この中にビンセントはいなかった。

「昨日私の事務所に来た奴らだ、どうやらそのメモは当たりらしいぞ。」私は二人の所に戻ってそう言った。

「私は連中の車を使って町まで戻るわ。チャールズを病院に運ばないと。」ゲイルは私にそう言った。

「ああ、助かったよ。私は残った一台を使ってメモの所まで行って来る。」

「これは一つ貸しよ。」ゲイルはため息をついて私に言った。チャールズは地面でヒィヒィ言ってる。

「ああ、覚えておくよ。」私はゲイルに別れを告げて先を目指した。

 

 しばらく車を走らせると目的地についた。やはり何もない平凡な空き地だったが一台の車が止まっていた。恐らくトーマスの車だろう。私は車のガラスをコルトで殴って破り、中を調べた。後部座席に茶封筒が置いてあるのを見つけ中を調べた。

 中身は数枚の写真だった。あの家で見つけたネガを現像した物と見て間違い無いだろう。写真にはビンセントとマードックが写っていた。ビンセントが駐車場でマードックに封筒を渡している写真だった。写真にはマードックの太った顔がハッキリと写っている。

 コレで私は事件の真相がわかった。放火事件を追っていたトーマスがなぜビンセントの写真を撮ったのか。ビンセントの一味が今回の放火事件の犯人なのだ。恐らくこれは放火を使った保険金詐欺だろう。それを黙っている代わりにマードックは金を貰っている。「マードック…あのクソったれ野郎。」私は車の中で一人そう言った。このデブが私腹を肥やす為にトーマス・ダナウェイは殺され、哀れなクレアはオリの中に入ろうとしている。そしてマードックはこの俺すら殺そうとしたのだ。私は怒りで体中が燃えるように熱くなるのを感じた。私は写真をコートのポケットに入れ。街に戻った。

 連中の車を道に乗り捨て、タクシーを拾って事務所に戻った。長いドライブで当たりはすっかり暗くなっていた。私は事務所に入るとすぐにロナルドに電話をかけ、今日あった事を全て話した。そして、この後マードックの自宅に直接向かう事も伝えた。

「わかった。僕も一緒に行くよ、エリオット。」私は彼がそう言ったのに驚いた。

「ダメだ、危険すぎる。」私は彼にそう言った。

「わかってるよ。でもこれは僕が君に頼んだ仕事なんだ。君やゲイルにばっかり危険な目に合わせて僕だけ部屋でコーヒーを飲んでるなんて嫌だ。」ロナルドは私にはっきりとそう言った。私はもうそれ以上何も言わなかった。私は彼を迎えに行くよう伝え、電話を切った。

 私はゲイルに連絡してマードックの自宅の住所を聞いた。チャールズは病院に運ばれ弾を取り出したそうだ。それを聞いて私は安心した。彼にも一杯奢らないといけないな。私は抽斗からコルトの弾を取り出して弾を込めてから、車に乗り込んだ。

 ロナルドの家の前に来ると彼はもう玄関に出ており白い息を吐いて私を待っていた。後ろには心配そうな顔をした彼の細君とまだ四歳にもなってない娘がいた。

「なぁ、やっぱり…」私はロナルドを引き止めようとしたが、彼の目を見て言うのを止めた。

 ロナルドは黙って助手席に乗り込んだ。私は彼の細君にお辞儀をしてからアクセルを踏んだ。

 ロナルドは無表情だったが、彼の体を激しい怒りが支配しているのを感じた。私も同じ気持ちだった。マードックの家の前に車を止め、私たち二人は玄関のインターホンを押した。しばらくしてから心配そうな女の声が聞こえた。

「はい、どちら様でしょう。」恐らくはマードックの女房だろう。「市警察の者です。」私はそう言って扉が開くのを待った。

「一体こんな時間に何のようです?主人はもう寝てしまっていますが。」彼女は怯えながらそう言った。私はポケットからコルトを引き抜くと彼女に銃口を向けた。「どいてろ。」私が彼女にそう言うと、女は悲鳴を上げてマードックを呼びに行った。二階からパジャマを着たマードックが慌てて飛び出して来た。

「お、お前たち!一体なんのつもりだ!こんな事してタダで済むと思っているのか!」マードックは顔を真っ赤にしてそう言った。私は銃を構えたままコートのポケットから写真を取り出し床にばら撒いた。

「弁護士として忠告しておきます。貴方を弁護出来るほど腕の良い弁護士は国中探したって見つかりませんよ。」ロナルドは怒りに震えながらそう言った。

「な、何を馬鹿な!そんな写真が何だって…」マードックはまた何か言おうとしたが私は男の胸倉を掴んで銃を腹に押し付けた。

「いいか、デブ野郎よく聞け。お前なんか殺すのは簡単なんだ、お前の下らない小遣い稼ぎのせいで罪もない記者が死んだんだ。残された彼女は一生苦しみ続けるんだ。これ以上ふざけたこと言うようなら心臓をえぐりだしてやるぞ。」私はそう言って彼の腹を思い切り殴った。マードックは腹を抑えて地面に蹲った。

 パトカーのサイレンが聞こえて来た。恐らくゲイルが呼んだ応援だろう。ロナルドは眼鏡を外して大きくため息をついた。コレでようやくこの下らない騒ぎが終わったのだ。

 

 

 それから数日後、私とロナルドとゲイルは『ブルースキッチン』で食事をしていた。

「チャールズはもう大丈夫だそうだけど、全くとんだ騒ぎになっちゃったわね。」彼女は私にそう言った。

「ビンセントとマードックは逮捕されたよ。この国のどんな弁護士も彼らを弁護する事は出来ないだろうね。」ロナルドは苦い顔をしてそう言った。私は黙って考えていた。これで事件は終わったのだ。しかし、クレアの苦しみが癒えるわけでは無い。彼女は毎晩焼かれるような苦しみの火の中で、もう戻ることはない夫の夢を見続けるのだ。

「まぁいいわ、とにかく飲んで食べましょう。なんたって今日はエリオットのおごりですからね。」ゲイルは笑顔でそう言った。ロナルドも笑っていた。私はため息を一つついてからラッキーストライクに火をつけた。

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火の中に夢を見る女 久寿川 龍美 @Kusugawa_Tatumi

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