七星目
「──あ、三木さん!」
駅の改札を出た瞬間、ななかの声が聞こえた。彼女は小さな身体で手を懸命に振り、僕に笑いかけてくれる。
やっぱり可愛い。庇護欲をかき立てられるようなその可憐さに、少しくらりとなる。
「ええと、待った?」
「いいえ、今来たところですよ? あ、でもこれって今思ったんですけど、何だかデートの始まりみたいでちょっといいですよね」
ななかはそう言って、やっぱりにこりと笑ってくれる。他愛ないやりとり。変にくすぐったくて、僕は思わず笑顔になる。
待ち合わせは、僕の地元から電車で一時間ほど離れた街だった。僕の町に比べてはるかに都会と言えるその場所は、小洒落たカフェなんかがひしめきあっている所。男とばかりつるんでいる僕にとっては完全なるアウェイである。
でも今日は、目の前にななかがいる。彼女の言うとおり、傍から見ればデートに映ってもおかしくないかも知れない。
こうして顔が緩むのは、つまりは仕方のないことだった。
「今日は私の地元まで来てもらって、ありがとうございます。三木さんから連絡が来た時、とっても嬉しかったんですよ。それこそ、飛び上がりそうなくらいに」
「そんな、大袈裟だよ。僕なんか取るに足らない人間だし」
「いいえ、そんなことありませんよ。それに三木さんがたとえ、ご自身のことをそう思っていたとしても。私は、あなたともっとお話ししてみたいと思っていたんです。だから私にとって三木さんは、とても価値のあるお方なんですよ」
「いや、そう言ってくれるのは嬉しいけどさ」
「はい、だから嬉しがって下さい。その方が私も、嬉しいですから」
僕と目を合わせて、ななかはまた爽やかに笑った。それは透き通るような夏空を思わせる表情で。彼女にとても似合っていた。
「さてと。それではそろそろ行きましょうか。オススメのパンケーキを出すカフェがあるんです。三木さんは甘いもの、お好きですか?」
「まぁ、それなりにね。僕の家、ケーキ屋だからさ」
「あ、そうでしたね! それじゃあ三木さんの舌で、私のオススメが美味しいかどうか、判断して下さいね? もちろん、ちょっと甘めな判断で」
鼻歌でも歌いそうな表情で、ななかが先に歩き始めた。
日差しが暑い、夏の昼下がり。満点の星の下のななかも可愛いけれど、太陽の下でもその可愛さは変わらない。
僕は何かが始まりそうな期待を胸に、ななかの後を追った。
────────────
「……そんなことがあったんですか。本当、面白いお二人ですよね、名塩さんと加西さんって。なんていうか、心に芯を持っている。そんな印象を受けますね!」
二杯目のアイスコーヒーを一口飲んだ後、ななかは笑いながら言った。
彼女に連れられて行ったカフェのパンケーキは確かに美味しくて、おまけにコーヒーもとても美味しくて。
だからこんなにも会話が弾むのだろうか。女の子とこんなに会話が続くのは、いったいいつ振りだろう。
会話が楽しい。ななかは驚くほど聞き上手で、それに反応も新鮮で。だから僕はいい気になってしまう。
「いやいや、心に芯だなんて、そんな良いもんじゃないよ。強いて言うなら、心が死んでるんだ、あいつら」
「やっぱり、本当に仲がいいんですね、みなさんは」
「どうかな。腐れ縁には違いないと思うけどね」
クスクスと楽しそうに笑ってくれるななかを見て、僕は少しだけ、ほんの少しだけアホ二人に感謝する。
話のネタになってるぞ、お前たち。いつも僕はお前らの世話で非常に迷惑を被っているけど、今日だけは役に立っていると言えなくもない。
「でも素敵なお友達だと思います。だから羨ましいです、三木さんが。私、友達少ないから」
「それ、この前も言ってたよね。僕には信じられないんだけどな」
「私、友達が多そうに見えます?」
「そりゃもちろん。とても、魅力的な人だから」
僕のセリフを聞いた彼女は、少し恥ずかしそうに目を伏せて。そしてアイスコーヒーに口をつけた。その仕草が、僕にはたまらなく可愛く映る。どうしてこんなに可愛い子が、僕と楽しくお茶なんてしてくれてるのだろう。ひょっとして僕は明日にでも死ぬのだろうか、とさえ思う。それくらい僕には不釣り合いなイベントだ。
「三木さん、ありがとうございます。魅力的だなんて言ってもらえて、お世辞でも私は嬉しいですよ」
「いや、ほんとに正直にそう思っただけだよ」
「でもね、私は本当に友達が少ないんです。あのペンションにも一人で行っていたくらいなんですから」
ちょっとだけ苦笑いになる彼女。胸元に光る、例の薄緑色のペンダントを指で撫でていた。それは彼女の癖。まだ二時間も話していないけど、彼女は苦笑いになると決まってそのペンダントを撫でていた。
ななかの友達の話は、あんまりしない方がいいのかも知れない。誰にだって聞かれたくないことはあるのだから。だから僕は話題を変えることにする。
「……そう言えばさ。あのペンションにはよく行っているって言ってたよね。あそこまでどうやって通ってるの? まさか歩きで?」
「いいえ、歩きでは無理ですよ。私、バイクの免許を持ってるんです。と言っても、小さな原付なのですが」
「あぁ、なるほど。いやさ、名塩が言うんだよ。あの子はどうやってあのペンションまで行ったんだ、幽霊じゃなくても不思議な存在なんじゃないか、って」
「不思議な存在……?」
「いやまぁ、僕らも最初は、その『織姫』が幽霊なんじゃないかって聞いてたからさ。だからきっと、名塩も加西も不思議に思ってたんだと思うんだ」
「私もそれ、詳しく聞きたかったんです。どうしてあそこに『織姫』という幽霊がいるって、そんな噂が立ったのか」
「聞いた話によると、願いを叶えてくれるらしいんだよ、その織姫って存在は。それで僕たち──、いや、名塩と加西は躍起になって、その織姫に会いに行こうとしてたってわけ」
「願いを叶えてくれる存在……?」
「ただの噂話だよ。でもあの二人はアホだからさ、藁にもすがる思いで願いを叶えてもらおうとしてたってことさ」
「ちなみに、その存在にどんな願いを叶えてもらおうとしてたんです?」
「どうしても彼女がほしい。そういう願い」
「あはは、お二人らしいですね!」
今度こそ吹き出して。ななかは声を上げて笑ってくれた。僕はそれだけであの二人に感謝してしまう。持つべきものは、アホの友達なのかも知れないと。
ありがとう、名塩に加西。お前らが底抜けにアホだったおかげで、僕はななかの笑顔を見られている。この笑顔を見続けられるのなら。僕は、二人とずっと友達でいようと真剣に思える。
ななかはその素敵すぎる笑顔のまま、僕に言葉を続けてくれた。
「あはは、本当におかしいです。でも、私はちょっと納得できました。いろいろ話が混ざり合って、そういう噂になってたんですね」
「話が混ざってる? どういうこと?」
「あぁ、それはですね。願いを叶えてくれる存在があるっていうのは、真実だからです」
「えと、それってどういう……?」
僕の問いを受けたななかは、例のペンダントを指で撫でながら答えた。とても、可愛らしい笑顔で。
「──このペンダントが願いを叶えてくれる存在だって言ったら、三木さんは信じますか?」
「……はい?」
「このペンダント、実はちょっと特殊な素材でできているものでして。大宇宙パワーってものがあってですね、それを集めることができる稀有な隕石なんですよ。持っているだけで幸せになれる、つまりは願いを叶えてくれる、これはそういう石なんです」
……えーと、ちょっと待ってくれ。これはかなり雲行きが怪しい。いや本当に待って欲しい。そんな兆し、一ミリもなかったじゃないか。
じんわりと額に汗が出てくる。喉がなぜか渇く。僕の苦笑いともとれない微妙な表情を受けて、ななかは朗らかに続けた。
「これ、綺麗な薄緑色をしているでしょう? 大宇宙パワーを一定量集めれば、これは紺碧色に変化するんです。その時こそ、願いが叶う時なんですよ、三木さん!」
「ちょ、ちょっと待って、」
「これは本当に貴重なものなんです。一般にはまず流通していません。私はあのペンションで、つまり宇宙に一番近い場所でパワーを集める日々を送っています。そこで出会えた人達に、特別にこの石をご紹介している──、それが私のライフワークです。幸せは独り占めするものではなく、分かち合うものですからね」
ななかは自分のカバンに手を入れて、ごそごそした後にそれを取り出した。例の薄緑色に輝く石を。
「三木さんには特別に、ご友人価格でお譲りしましょう。普通の方なら五十万円ほど頂いているのですが、三木さんならその半額で構いませんよ。確かに学生の身では少し値が張るかも知れませんが、それでも。自分の願いがお金で買えるのなら、安いものだと思いませんか?」
──嘘だ。嘘だと言ってくれ。
はっきり言って、目の前のななか全くの別人に見えるうえに、何を言っているのか理解できない。いや、これはきっと理解したくないのだろう。これはまずい。まずいぞ、これは。
あれだけ名塩と加西をバカにしていたのに、これは……。
「さぁ三木さん。ぜひこのペンダントを手に取って、私と大宇宙パワーを感じましょう。大丈夫、なにも心配することなんてありません。力を抜いて、あなたはただ願うだけでいい。感じるだけでいい。宇宙からパワーがあなたに降りてくるのですよ。さぁ、共に参りましょう? 宇宙の深淵、その向こう側。願いが叶う場所まで、一緒に──」
【終】
七夕ラプソディ 薮坂 @yabusaka
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