第1章 高花高校のブッとんだ人びと(14)

 放課後の西館は、独特の熱気にあふれていた。

 高花高校にある文科系の部活を、とりあえず詰めこめるだけ詰めこんだ校舎なだけある。

 青春の熱すぎる情念を、体を動かすことでさわやかに発散させているのが、体育会系の部活。

 一方、文章や音楽や漫画や数式や電車の時刻表や、ともかくよくわからんもので、遠回りにリビドーを燃やそうとして、けっきょく上手くいっていないのが、おおかたの文科系の部活。

 だから、なんと言うかともかく、キャンプファイヤーみたいなぼうぼうの炎ではなく、湿気た生木にかろうじて点火してぶすぶすくすぶっているような熱を帯びているのが、文科系の人々だ。

 そんなわけで、高花高校の西館は、文科系部員のやり場のない熱気を内包して、一階から五階まで、ぎっしりたっぷりクセが詰まっている。


 ユウ先輩とわたしは、天体観測が始まるまでの時間を、五階のちょうど真ん中にある教室で過ごすことにした。

 この教室は、その名も「空き教室」と呼ばれていて、西館の教室で唯一、どこの部活にも属していない中立地帯だそうだ。

 椅子と机しか置かれていない何もない教室だが、西館の住民が部活を離れて自由に時を過ごす、憩いの場所となっている。

 わたしたちが空き教室に入ると、男の子たちが四人固まって、水道管をつなげるカードゲームに興じていた。

 他の場所では、女の子が二人向かい合って座っていて、静かに文庫本のページを繰っている。

 ユウ先輩とわたしは、窓際の席を陣取ると、徐々に夕闇に染まっていく校舎を眺めながら、各々の時間を過ごした。

 わたしは、数学Ⅰの青い表紙の問題集を開いて、宿題になっている範囲を解いていく。

 ユウ先輩は、ここに来る途中で文芸部の書棚から拝借してきた、小さな雑誌のページをめくっていた。

 どこか下の階で、軽音楽部が練習をしているらしい。

 廊下の喧騒に混じって、ギターとドラムの音色が途切れ途切れに聞こえてくる。

 開けはなった窓から吹きこむ風が、教室のカーテンを揺らす。

 校舎を照らす夕陽の光が、朱色から藍色に変化していく。

 日没まで、もうすぐだ――


「天文部はこれから天体観測?」

 文庫本を読んでいた女の子たちが、こちらに来てユウ先輩に話しかけてきた。

「はい。文芸部はもう帰りですか」

 ユウ先輩は読んでいた雑誌から顔をあげると、にっこり笑って答えた。

「ええ、もう暗くなるから。部室に寄ってから帰るわね」

 女の子たちは、かばんを肩に担ぎなおすと、わたしにも「観測がんばってね」と手を振って行ってしまった。

「お知り合いなんですか」

 わたしは、ユウ先輩にたずねる。

「おとなりの文芸部さんです。お名前まではわからないですけどね」

 そう言えば、天文部のとなりの部室は、文芸部だったと思いだした。

 西館の文科系部員たちは、こんな感じでゆる~くつながりあっているのかもしれない。

 気がつけば、カードゲームをしていた所属部活不明の男の子たちも、いつのまにか姿を消していた。

 空き教室には、ユウ先輩とわたしの二人だけ。

 窓の外は、暗闇に沈んでいた。


        ***

 

 真夜中の校舎は、昼間とはかけ離れた別世界だった。

 西館にある文科系部員は、わたしたちを除いて全員下校した後。

 昼間の喧騒がうそのように、静寂と暗闇が、校舎を支配する。

 いや、どこかでまだひっそりと活動している生徒たちがいるのだろうか。

 かすかに聴こえる物音、ささやき声、廊下に漏れる明かり――

 屋上へつづく階段は闇に塗りつぶされ、非常口の表示灯の明かりが、足元を緑色に照らす。

 そして、少し肌寒い――

 わたしはブレザーの下に一枚、カーディガンを着込むことにした。


 夜空の下の西館屋上には、四人の高校生が集まっている。

 谷川栞先輩。

 松浦武一先輩。

 大黒屋・アーダ。ユウ先輩。

 そしてわたし、佐藤和歌。

 天文部はこれから、活動を開始する。


「今夜は佐藤さんもいることだし、天体観測入門編でいきましょう」

 屋上のフェンスを背にして立つ谷川先輩が、天体観測の解説の口火を切った。

 どうやら、超初心者のわたしのために、だいぶ敷居を低くして、天体観測のなんたるかを教えてくれるらしい。

「まずは、北極星の確認からね」

「ホッキョクセイ……」

 なんだっけな。中学校の理科で習った気がする。

 たしか、真北の方角にある星だったような。

「おおむね正解。正確には、天の北極からいちばん近い位置にある明るい星ね。今は、こぐま座のポラリスが、北極星になっているわ」

「今は?」

 北極星って、ころころ代替わりするようなものなのかな。

 わたしの疑問に気づいているのかいないのか、谷川先輩は「ふふん」と笑って言葉を続けた。

「なにはともあれ、北極星を見つけましょう。有名な見つけ方が二通りあるんだけどね」

 谷川先輩は、ユウ先輩に視線を向けた。

「北斗七星とカシオペア座です」

 ユウ先輩が説明を引き継いだ。

 北斗七星はおおぐま座の一部で、ひしゃくの形をした大きな星座。

 そのひしゃくの先端を五倍した距離のところが、北極星だ。

 もうひとつ、カシオペア座は、アルファベットのWの形をした星座。

 Wの真ん中の山の高さを二倍して、その距離を五倍した距離でも、北極星が見つけられる。

「今の時間は、北斗七星の方が、空の高い位置にあるので見つけやすいですね」

 わたしは、ユウ先輩に教えてもらいながら、まずは北斗七星を探す。

 北の夜空にある大きくてわかりやすい、ひしゃく形の星座は、すぐに見つかった。

 教えてもらったとおりに、ひしゃくの先端を五倍するように視線を動かしていくと、たしかに周りより少しだけ明るい星が、ひとつある。

「正解ですよ。あれが北極星です」

 わたしが指さす先の星を、ユウ先輩に確認してもらった。

「なかなか優秀じゃない」

 谷川先輩は、満足気だった。

 ふと、松浦先輩の様子をうかがう。

 彼は北極星に向けて両腕をまっすぐのばして、げんこつ山のたぬきさんみたいな珍妙な動きをしていた。

「なんの遊びですか」

「遊びに見えちゃいましたか。北極星のおおまかな位置の見当をつけていたんです。」

 松浦先輩は、複雑な笑みをうかべながらも、ていねいに教えてくれた。

「腕を地面と平行にまっすぐのばしたら、こぶしを握ってください。その上にもうひとつ握りこぶしを重ねてみてください。その握りこぶしの位置が、地平線から約十度の高さになるんです」

 わたしは、言われたとおりに握りこぶしを重ねてみた。

 これが地平線から十度の高さだそうだ。

 試しに、握りこぶしを九回重ねてみることにした。

 松浦先輩式高度測定法が正確なら、高さは九十度――握りこぶしは、自分の頭の真上にくるはずだ。

「――本当だ」

「北極星は、日本のほとんどの地域では、地平線からだいたい三十五度の高さにあります。北の方角がだいたいわかっているなら、握りこぶしを三回重ねた高さの少し上に、北極星が見つけられるはずですよ」

 さっき見つけた北極星の方を向いて、こぶしを三回重ねた高さで視線を動かしてみる。

 たしかに、北極星を見つけることができた。


 北極星――

 北斗七星――

 今まで、ただ漫然とながめていた夜空に、たった二つだけれど、名前が書きこまれた。

 それだけで、少し前の自分から、星の世界へ大きく一歩近づけた気がする。

 これが、天体観測――


「それじゃあ、春の星座を見ていきましょうか」

 わたしを静かに見守っていた谷川先輩が、満を持して口を開いた。

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