第1章 高花高校のブッとんだ人びと(13)

 気象通報のお天気は、日本列島を順調に北上し、函館までやってきた。

 そろそろ、天気図記号を描くのにも慣れてきた気がする。

 というか、わたし、けっこう素質あるんじゃない?

 天気図作成という、かなり限定的な自分の隠れた才能に気づいてしまったわたし。

 自分の潜在能力のすごさに、おどろきを隠せないわ。

 北海道中の天気図記号を描きながらも、思わず顔がにやけてしまう。

「気象予報士という、難しい資格があるんです」

 ふいに、ユウ先輩が口を開いた。

「ニュースの天気予報や、スマホの天気予報アプリに気象予報士は欠かせません。わたしの憧れのお仕事です」

「どれくらい難しいんですか?」

「気象予報士試験の合格率は、毎回五パーセント未満くらいと言われてます」

 百人が試験を受けたら、合格するのは五人もいないわけだ。

「天気図の作成は、気象予報士の勉強の第一歩です。だからわたしは、機会があるとこうして気象通報を聞いています」

 わたしの向かいの席に座っているユウ先輩は、まっすぐな瞳でわたしを見つめて、そしてにっこり笑った。

 ちょろちょろっと天気図が描けて浮かれていたわたし、すごく恥ずかしい。

 気象通報は北海道の北のはしっこ、稚内の天気を伝え終えた。

 地図の中の日本列島に、わたしが描いた天気図記号がならんでいる。

 ようやく天気図の作成は終わり。

 やれやれ、つかれた。

 わたしが満足して鉛筆を置こうとすると、ラジオからさらにお天気の続きが流れてきた。

「ポロナイスクでは、南東の風、風力2――」

 は? ポロ……どこ?

「ポロナイスクは、ロシアのサハリンにある都市です」

 灰色の瞳のユウ先輩が、すごくきれいな発音で教えてくれた。

 ああ、やっぱりユウ先輩って、そっちあたりの出身なのかもしれない。

 いや、そんなことより、なに?

 気象通報って、日本のお天気だけじゃないの?

「日本のお天気を予報するには、そのまわりの国や地域の天気もわかっていないとだめなんです。ロシアだけじゃなく、中国、韓国、台湾、フィリピンの天気も読み上げられますから、ちゃんと天気図に描いてくださいね」

 さらっと、大変なことを言うユウ先輩。

 わたしは、ひいひい言いながら、天気図の続きを作成することになった。


 気象通報は、わたしが想像していたよりもワールドワイドに、日本周辺の国々を一巡し、最後に日本の富士山の天気を伝えて、ようやく終わった――かに思えた。

「いやいや、まだ終わりませんよ。さっきまでは、地上のお天気です。いわば前半戦です。ここからの後半戦は、日本周辺の海上のお天気を伝えますよ」

「まだあるんですか⁉」

「ここからが、気象通報の一番盛りあがるところです!」

 ユウ先輩の謎のテンションと圧力に、わたしはもうどうにでもなれー、な気分だった。


 海上のお天気は、さっきまでの地上のお天気とちがって、北緯と東経で読み上げられる場所を、自分で探すことから始めなければならない。

「ひいい。ユウ先輩、描くのが追いつきません!」

「佐藤さん、あきらめちゃだめです!」

さらに、容赦のないお天気の読み上げは続く。


「日本の東の北緯37度、東経149度には、1008ヘクトパスカル発達中の低気圧があって、東北東へ毎時35キロで進んでいます。

中心から温暖前線が北緯35度、東経152度を通って、北緯33度、東経154度にのび、

寒冷前線が北緯34度、東経148度、北緯32度、東経145度を通って、北緯31度、東経139度に達しています――」


気象通報、海上のお天気になってから、情報量が三倍以上に増えている。

今思えば、前半戦のまったりとしたペースが嘘のようだ。

後半戦に入って、こんなにも怒涛の追い上げをみせるラジオ番組を、わたしは知らない。


「ユウ先輩、描くのも理解するのも追いつきません!」

「佐藤さん、手を止めちゃだめです。とりあえず、なんでもいいから紙にメモしておくんです!」

「でも、もうこれ以上は――」

「ここが、気象通報の修羅場――お天気最前線です。前線は、いつも戦場なんです‼」

 すでに心が死にかけているわたしに、鬼軍曹と化したユウ先輩の檄が飛ぶ。

 

        ***


「ただいま。あ、天気図描いてる」

 谷川先輩、満月のような満面の笑みで、職員室から堂々の帰還。

 先生から、今夜の天体観測の許可をもらってきたようだ。

「で、おたけさん。あれはいったいなあに?」

 谷川先輩は松浦先輩をつかまえて、こそこそと聞く。

 谷川先輩が指さす先は、真っ白に燃えつきて、さらさらの灰になったわたしだ。

「気象通報の洗礼をうけた佐藤さんです。彼女は精一杯がんばってました」

 松浦先輩は、おじいちゃんのお通夜に集まった親戚のおじさん連中のように、伏し目がちにしんみりと語った。

 わたしの前には、描きかけの天気図が広がっている。

 波乱万丈の気象通報が終わり、ユウ先輩と松浦先輩は、温暖前線や寒冷前線を清書したり、同じ気圧の地点をむすんで等圧線を描いたりと、気象通報の聞き取り以上に高度なテクニックを駆使して、天気図をきれいに見やすく仕上げている。

 つい数分前に、「天気図の作成、よゆー」とほくそ笑んでいた自分自身を思い出し、穴があったら、さらにマントルまで掘り下げて入りたい気分だ。

「そんなに気を落とさないことね。お天気なんて、スマホに聞けば、賢いAIが答えてくれるんだから」

 身もふたもない谷川先輩のなぐさめに、そばで聞いていたユウ先輩は、ほっぺたをふくらませて、抗議のアピールをする。

「でも、初めてのわりには、すごくよく描けてますよ。わたしが栞先輩に教えてもらって、初めて天気図を描いたときなんか、佐藤さんの半分も描けませんでしたから」

 ユウ先輩がにっこり笑って、やさしくフォローしてくれた。

 と言うか、ユウ先輩のお天気の先生は、谷川先輩だったのか。

「ユウさんの天気図は、どんな感じに描けたの」

 谷川先輩にせがまれて、ユウ先輩は恥ずかしそうに、さっきまで描いていた天気図を見せてくれた。

 天気図記号や数値を見やすい大きさで、整然と描きこんである。

 寒冷前線は青色、温暖前線は赤色の色鉛筆で描き分けてあり、とてもわかりやすい。

 そして、各地のお天気の横には、太陽や傘のかわいいイラストが描きたしてある。

 このまま、夕方のニュースの天気予報で仕えそうな、センスのいい天気図だと思った。

「あいかわらず、かわいい天気図を描くわね」

「そんなことないです。なんだかすごくハズカシイ……」

 谷川先輩にほめられて、ユウ先輩は顔を真っ赤にしている。

「佐藤さん、ふつう天気図にはイラストは描かないんですよ。わたしの天気図をお手本にしちゃだめですよ」

「え、でもユウ先輩の天気図、とってもすてきですよ」

「もう、佐藤さんまで……」

 ユウ先輩をちょっとほめると、こちらが思っていた以上に、恥ずかしがったり困ったりしてくれる。

 ユウ先輩の反応に、小さな快感を覚えてしまったわたし。

 見ると、谷川先輩もワルイ笑みを浮かべていた。

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