第1章 高花高校のブッとんだ人びと(11)

 谷川栞先輩、ユウ先輩、それにわたしが天文部の部室で、大黒屋特製酒蒸しまんじゅうを堪能していると、松浦武一先輩も部室に現れた。

「あ、いいもの食べてますね」

「おつかれさまです。おたけ先輩も良かったらどうぞ」

 ユウ先輩がもぐもぐしている口を左手で隠しながら、松浦先輩におまんじゅうをすすめる。

「どうもすみません。佐藤さんも、また来てくれたんですね」

 松浦先輩の会釈に、わたしも「おじゃましています」と笑顔で軽くうなずいた。

「おかえりなさい。お茶入れるわね」

 谷川先輩は席を立つと、萩焼の湯飲みに手早くお茶を入れてもどってきた。

 わたしたちはしばし、ほどよい甘さのあんこと、お酒の香りがほのかにただよう、ふっくらした皮のおまんじゅうに舌鼓をうちながら、他愛もない井戸端会議を楽しんだ。

「そう言えば、今日は湿度も低いですし、空に雲もないですから、夜は星がきれいに見えそうですよ」

 何気ない松浦先輩の一言に、「ほう」と谷川先輩、ユウ先輩が反応する。

「今夜、星見るんですか?」

 三つめのおまんじゅうを食べながら、わたしはきく。

「星、見たい?」

 谷川先輩が逆にききかえす。

「見られるなら、見たいです。星のことってあまり知らないですけど、知らないから、いろいろ教えてほしいです」

 わたしは正直、星にすごく興味を持っているわけではない。

でも、天文部の先輩たちと過ごすのは、とても楽しい。

 だから、先輩たちが星を見るというのなら、いっしょに見てみたい。

 わたしの心情をあえて言葉で説明するなら、こんな感じだ。

「ぜひ、やりましょう。せっかく佐藤さんが来てくれてるんですから」

 ユウ先輩が両手を胸の前に合わせて、谷川先輩と松浦先輩に話す。

「いいんじゃないですか。新学期最初の天体観測です」

 松浦先輩がお茶をすすりながらこたえる。

「それじゃあ、全員賛成で決まりね。急だけれど、今夜天体観測をしましょう」

 谷川先輩は、わたしたちを見わたす。

「わたしは先生に許可をもらってくるから、みんなは親御さんに帰りが遅くなる旨を連絡しておいてね」

 谷川先輩は、てきぱきと指示を出すと、自分の湯飲みのお茶をくいっと飲み干して、職員室に行ってしまった。

「今日の日の入りは十八時半ですから、星が見えるのは、十九時半ごろからですね。二十一時には観測を終了しましょう。あまり遅くなるのもいけないから」

 松浦先輩の言葉に、ユウ先輩とわたしはうなずいた。

 お母さんにメッセージアプリで、帰りが遅くなることを伝えて、スマホの時間を確認したら、まだ十六時前。観測開始まで、けっこう時間がある。

「そうだ。天体観測までの時間つぶしに、天気図を作りませんか」

 わたしの心の中を見透かしたのか、ユウ先輩がなんとも不思議な提案をした。


        ***


「天気図って、テレビの天気予報に出てくるやつですか」

 聞いたことはあるような、でも日常生活で使ったことのない言葉。

「イメージはそれで合ってますよ」

 ユウ先輩はうなずく。

 天気図――

 日本列島を中心にした地図に、晴れマークや雨マークや、高気圧、低気圧なんかが標示されているあれを、思いうかべたのだけれど、果たしてそれで正解のようだった。

「中学の理科の時間に習った、天気図記号って覚えてますか」

 ユウ先輩は、「こういうのです」と言って、カバンから生物・地学の資料集を取りだす。

 ユウ先輩がぱらぱらと開いたのは、気象分野に関係するページで、様々な形の雲の写真といっしょに、『天気図記号』という欄があった。

「テレビの天気予報では、お天気をわかりやすいイラストで表してますね。晴れなら太陽のマークとか、雨なら傘のマークとか。でも、天気図ではそれらを、もっとシンプルな記号で表します」

 ユウ先輩はそう言って、資料集の天気図記号の一つを指さす。それは、丸を黒く塗りつぶした記号だった。

「例えばこの『●』は、雨を表す天気図記号です。ただの『○』なら快晴。『○』に縦線を一本描いたら晴れ。ちなみに曇りは『◎』です。こんなふうに、天気を表すのに、○にいろいろ描きくわえた記号を使うんですよ」

 優しい声で、丁寧に説明してくれるユウ先輩。

「あと、風の向き――風向と、風の強さ――風力をアルファベットの『F』のような線を描いていくことで表します。Fの縦の線は風向き、横の線は風力です。Fは縦の線が真上を向いているので、風向は北。横の線が二本なので、風力は2ですね」

 ユウ先輩は、資料集のすみっこの余白に、アルファベットのFのような縦線と横線を、大きく描いた。

 ユウ先輩の説明がわかりやすいから、中学の理科の時間で習った記憶が、だんだんとよみがえってきた。

そして今度は、そのFの下に、○をくっつけて描きくわえた。

おとぎ話やロールプレイングゲームに出てくる、宝箱のカギのような形になった。

「さっきの『○』と『F』を組み合わせて、一つの天気図記号になります。この場合、天気は『快晴』、風向は『北』、風力は『2』ということですね」

 ユウ先輩は、ここでわたしの顔を見て、「こんな説明で、だいじょうぶですか」とたずねる。。

「ちょっと覚えきれないかもですけど、よくわかりました。先輩、人に教えるの上手ですね」

「照れますよ」

 ユウ先輩は、嬉しそうにほほえんだ。

「最後に、この天気図記号の右側に気圧の数字と、左側に気温の数字を書いたら完成です。こうすれば、ある場所の天気の様子を、簡単にきゅっとまとめて表すことができる、というわけですよ」

 最後に松浦先輩が、説明を付けくわえる。

「じゃ、さっそく実践ですね」

 ユウ先輩はそう言って、おもむろに机の上に古いラジカセを置く。

 ラジオも音楽も、スマホ一台で事足りる時代にあえて逆行するスタイル。

なんとも年代物の家電を取り出して、いったいなにをする気なんだろう。

「なにが始まるんです?」

 思わず質問したわたしに、ユウ先輩は、にっこり笑って答えた。

「気象通報ですよ」

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