第3話 西園寺家へ

『ワシはな……っ、お前のじーちゃんじゃ!!』


 街中に轟くんじゃないかと思うような大声に、苑は思わずその場に尻餅を着いた。


『……ウソだよ。あんたが、俺のじーちゃんだって……?』


『嘘なんて吐いてどうする。本当だ』


『だって……っ、俺の母さんはイギリス人で、イギリスのじーちゃんだってちゃんといたんだぞ!』


 そう、この街には母親の実家があり、苑は生まれてこれまでずっとその家で暮らしてきた。そこには、自分とよく似た見た目の祖父も居たのだ。

 

 この一週間ほど前までは、だが。


『そうだろうとも、だから、ワシはお前の日本のじーちゃんじゃ!』


『え……?』


『何だ、何も聞いておらんのか? お前は、日本人の親父とイギリス人の母親の間に生まれた子供、つまりハーフというやつで、この街のお前のじーさんは母親側の父親、イギリスのじーさんだったんだ。それでワシが、日本人の親父の父親、日本のじーさん。——つまり、お前には2人じーさんがいるということじゃ』


 驚いて放心状態の子供に向かって、この男性は小難しい話を長々と語ると、突然苑の手を掴んできた。


『な……っ、何だよ?』


『ほら、いつまでもこんな所で座ってないで行くぞ。ワシは追いかけっこはもう疲れた』


『へ……? 行くってどこに……っ!?』


 これって誘拐ってやつじゃないのかと、苑は大人たちに助けを求めようとしたが、男性の気迫が凄まじく、周りの大人たちは迂闊に近づけなかった。


 自分はこれからどうなるのだろうか、見知らぬこの日本人にもしや売られるのだろうか?


 齢8歳にして人生の終わりを悟りながら大人しく引きづられるまま歩いていくと、驚くべきことに、辿り着いた先は苑が出てきた場所、母親の実家だった。


『なんで……っ?』


『なんでも何も、ワシはお前のじーちゃんだと言っただろう。家へ来てみたら肝心のお前が飛び出して行ったきり戻らないと、この家の家政婦が言うんでな。捜しておったんじゃよ』


『……そうだった……のか』


 初めて納得したのも束の間、男性はホレ行くぞと、再びずるずる苑を引きづりながら、今度は家の中へと入って行った。


『——あ……っ! 苑坊ちゃん!!』


 戻って来た苑を見るなり家政婦は心底安堵したように胸を摩っていた。


『西園寺様、よく見付けて下さいました……っ!』


『なに、かくれんぼは得意なんじゃ』


 頭を下げる家政婦に、男性はへらりと笑いながらそう言った。そしてこの時、苑は初めて、この男性の名前を知った。


『さいおんじ……?』


『名乗っておらんかったか? 西園寺栄吉、これがワシのフルネームじゃ。憶えておけよ』


『……さいおんじ、えいきち』


 ‘‘さいおんじ”その名前には聞き覚えがあった。


『苑、貴方のお父様の名前はね、西園寺たけるっていうのよ』


 生前母が一度だけ、自分の旦那であり苑の父親のことを話してくれた。


 何故一度かというと、イギリス人の祖父は父親のことを嫌っていたらしく、目の前で話すと不機嫌になってしまうからだったようなのだ。過去に何があったかは知らないが、そのために苑はその特別な一度の話を大事に憶えていた。


『……じゃあ、ほんとうに、あんたは俺の……』


『ああ、じーちゃんだ。よろしくな、孫』


 まさか、自分自身で目の前の男性を祖父だと証明する形になってしまうとは思わなかった。



***



 暫く、苑は栄吉と二人きりの時間を過ごした。


 その間は、栄吉が日本のどのあたりに住んでいるとか聞かされたり、苑は何が好きだとか、色々質問された。


 確かに自分達は長いこと赤の他人と変わらない時間を過ごしてきた。互いを知る時間はあっても良いとは思うけれど、これは一体何の時間なのか? どう関係しているのかと思っていると、やがて栄吉がこう告げて来た。


『——苑……お前、ワシと日本で暮らさんか』


『え……?』


『こっちの唯一の肉親のじーさんも亡くなって、もうここには居られんだろう』


『知ってたのかよ……?』


 確かに、母親が病で一年前に亡くなってからは、苑にとって頼りは母方の祖父のみだった。この家に居る家政婦も、雇用主の祖父が居なくなっては去るほかないに違いない。


『そもそもワシがはるばる遠い地へ赴いたのも、お前のイギリスのじーさんから報せがあって、お前を迎えにきたからなんじゃからな』


『え……?』


 聞けば、イギリスの祖父はこの日本の祖父栄吉と、数えるほどだがやり取りがあったらしい。その間に、もし自分の身に何かあればその時は栄吉に苑を任せたいと頼まれていたという。


『……じーちゃんがそんなことを……。あ、でも……俺の父さんは?』


 まずこの場合先に父親が来るのが順当ではないのか? そう思って訊ねてみたが栄吉の表情に影が落ちた。


『……お前の親父は……父親もこの世には居らん。ワシもお前も、お互い独りもん同士というわけじゃ』


『……そうなのか』


 本当は文句でも言ってやりたかったが、栄吉の無理矢理笑って見せるその顔が返って切なく儚げで、それ以上は何も言えなかった。父親までももう居ないという悲しさと喪失感よりも、何故だかその表情の方が、苑の胸にはズドンと重くのしかかるものがあった。


 その所為かは分からないが、気が付けば苑は自分でも驚く程大人しく、栄吉と共に日本行の飛行機に乗っていたのである。



***



 長らくして漸く日本の地を踏んだ頃には、へとへとで歩く気力すらぎりぎりあるかといったところだった。


『苑、大丈夫かお前』


『……うぅ、これが大丈夫にみえるかよ?』


『……ったく、仕方がないのう』


 そう言うと、溜息交じりに栄吉は苑の前に背を向けてしゃがむ。


 最初は突然の行動にわけが分からずきょとんとする苑だったが、側を通りかかる人が「あら、お爺ちゃまにおんぶ、いいわね~」と言い去っていく言葉を聞き顔を真っ赤にした。


『な、おんぶ!?』


『そうじゃ、早くせい。腰が痛くなるは』


『けど……っ』


『ったく、誰に似たんだか、ちっとも素直じゃないの~』


 そう言ったかと思えば、栄吉は苑の腕を引っぱった。勢いついて前に倒れた苑の小さい身体が広い背中に張り付く。そしてそのまま栄吉は後ろに手を回し、苑のお尻を持ち上げるようにしながら立ち上がった。おんぶの出来上がりだ。


 苑は真っ赤になったままジタバタしようとするが、意外と骨ばった腕に見えて栄吉には力があった。びくともしないのだ。


『な……っ!?』


『たった数えるほどしか生きとらんがきんちょが、一丁前に恥ずかしがっとるんじゃないわい』


 たじろぐ苑に、栄吉は首だけ後ろへ動かしながらニッと笑った。


 そして、そのままタクシー乗り場まで行くのかと思いきや、歩いて暫く黒塗りの大きな車が停まっている前で足を止めた。一瞬苑は栄吉がボケでもしたのかと心配したが、そうではなかったらしい。


 車の前に立った運転手らしき格好の男性が栄吉を見るなり笑顔で頭を下げたからだ。


『栄吉様』


『待たせて済まなかったな』


『いえ。ご無事のお戻り、何よりです。——……そちらがもしや?』


『ああ、孫の苑じゃよ。ほら苑、挨拶せい』


 男性が栄吉に背負われた苑を見て目を大きくした。驚いたというよりは目を輝かせている様子だった。少し黙りすぎたようで再び栄吉に今度は身体を揺らして促される。


『苑!』


『わーかったよ、もう! ……苑です。こんにちは』


『はい、こんにちは。わたしは、栄吉様の運転手をしております、柴田といいます。どうぞよろしくお願いします。坊ちゃん』


『……う、うん』


 何とか頷くと、柴田から笑みが零れた。目元に皺が寄って、喜びがにじみ出ているのが子供の苑にすら十分伝わった。苑の少し不安だった心が、この柴田のお陰で軽くなった。そして、この人物は信用していいかもしれないと思えた。


 それを栄吉も悟ったらしく、柴田を見て笑顔を浮かべながら一つ頷いた。


 その後、栄吉と苑は柴田の運転する車で栄吉の住まいへ向かった。


 空港から30分程走ると、車は門構えの立派な瓦屋根の広い屋敷の前で停車した。


『着いたぞ、苑』


『……え? 此処……?』


 栄吉の‘‘住まい’’は想像を遙かに超えていた。


 動揺を露わにしながら栄吉の後を付いて門を潜ると、玄関扉までは石畳が続いて、両脇には広い緑の庭と小池があったりと、何とも風情があった。しかし、子供の苑にとっては本で見た武家屋敷のようにしか見えず、やっぱりこの栄吉は侍なのか!?と振り出しに戻ったのだった。







 


 


 

















  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

二人家族~Paradise番外編~ 香澄るか @rukasum1

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ