第2話 祖父と孫

「あれ、今日は苑さん居ないんすね」


 そう言ったのは、暁の店に現れたお決まりの4人。


「ああ、昨日から西園寺の家に帰ってる」


 飲み物の用意をしながら暁が珍しそうにする彼らに答えると、明らかに安堵している男が目について、暁は人の悪い笑みを浮かべた。


「安心したか、望夢」


 そう、それは高羽望夢たかばねのぞむ。この店の常連の一人であり、暁の娘空と付き合っている彼だった。


「え、い、いやっ……別に!」


「束の間の天国を味わえ」


「ちょっと、暁さん……っ!」


 真っ赤な顔で否定するが、肯定しているようなものだ。


 暁の親友で彼らよりも昔からこの店の常連である苑は、娘の空を、自分と同じく小さいころから見守ってきたために非常に溺愛している。


 つい最近この望夢と付き合い始めたことを知るなり、苑は空のいないところで望夢に大人げなく圧をかけていた。暁が見かけたときは止めてはいるが、見えないところでまだ続けているということは知っている。


「どうしたの? 何の話……?」


 そこへ当人の空が現れたので、望夢は何でもないと必死に隠しており、背を向けた裏で暁は笑わずにはいられなかった。


「けど、ずっと気になっていたんですけど、苑さんってハーフですか……?」


 そう暁に訊ねてきたのは久遠紫くおんゆかり。ウチは代々医者の家系で、彼自身頭もよく、メンバーの中でも一際大人びている。


「ああ、あいつは日本人の父親とイギリス人の母親との間に生まれたハーフだ」


 簡単に説明すると、紫に次いで落ち着いた雰囲気をもつ青年、鳴瀬海なるせかいがやっぱり……と驚きつつも納得の表情を浮かべた。


 実は彼らは苑のことが気になっていたらしい。


 そりゃそうだろう。明らかに日本人離れした容姿で職業はカメラマン。いつもどこか読めない雰囲気を醸し出しているくせに、お家はあの西園寺だ。


 もし自分も学生時代からの古い仲などではなく初対面の相手なら、きっと何だこいつ?と、謎に包まれた男を不思議に思わずにはいられないだろうなんて、心の中で暁は一人そんな風に思った。


「おじいさま、きっと今頃すごく喜んでいるだろうね! すごく苑ちゃんに会いたがってたから」


「そうだな。お前に感謝しているだろうぜ」


 暁は嬉しそうに駆け寄ってきて言う空に微笑みながらそう返す。


 すると、その言葉を聞いた金髪の鋭い目つきをした青年立谷飛鳥たちやあすかが声を発した。


「空に感謝してるって何? どういうことだ?」


 一見強面で空とは相いれそうにないように思うかもしれないが、これで意外と心根は真っ直ぐで温かく、空もすっかり彼に心を許している。その証拠に笑顔で応じる。


「苑ちゃんがなかなか家へ帰ってこないから私から一度帰るように言ってほしいって、前に西園寺のおじいさまに頼まれてたの」


「え、マジ?」


「て言っても、私は、栄吉さんは待っていると思うよって、ただ本当に言うだけなんだけどね」


 驚く飛鳥の表情を見て思わずそう口にする空に、すかさず暁は言葉をかける。


「その、言っているときのお前の表情を見たら、あいつは行かないわけにはいかねえんだよ。苑はほんとお前に弱いんだからな」


「そうかな……? でも、お役に立てたなら嬉しい。だっておじいさまが苑ちゃんのことすっごく大切に想っているのが伝わるから、会えないと凄く寂しいと思うんだよね。実際、寂しがってたし」


「へ~……でも、なんで苑さん帰らないんですか? 仕事、そんな忙しいんですかね?」


「……それも嘘じゃねえけどな、一番は照れ臭いんだと思うぜ。俺は親がいねえから分からねえが、親父さんと一対一だと、何話していいかわからない時があるみたいだからな」


「「「親父さん?」」」


 暁の言葉に不思議がる声がそろった。


 そうか、彼らは知らなかったか。それを暁はこのとき初めて思い出したように告げた。


「言ってなかったか? ――あいつも空と一緒で養子だから、西園寺の栄吉じーさんとは親子関係なんだ」


「「「えっ!?」」」


 暁の発言はよっぽど彼らを驚かせたらしく、前に栄吉のいる場に居合わせ、空から少しだけ事情を聞いていた紫以外は暫くそのままの表情で固まっていた。



***



 「西園寺家之墓」そう刻まれた立派な墓石の前で、栄吉とともに苑は静かに手を合わせていた。


 お線香の香が鼻を掠めると、苑の脳裏には古く懐かしい記憶が蘇る。


『お前がたけるの息子の苑か?』


 初めて栄吉に声をかけられたときのことは、どんな声音だったかさえ直ぐ思い出せるほど色濃く印象に残っている。


 それほどに、苑の前に突然現れた渋い和装の老人はイギリスの街とミスマッチで、まるで昔の時代からタイムスリップしてきたかのようだった。


『あんた侍……っ?』


『侍だと? ……ふっはははははは。面白いやつだな!』


 当時8歳。生まれてこの方実際に日本人を目にしたことなどなく、何かの本で侍が出る本を読み日本人イコール侍と思っていたので、もうそれ以外のことが思いつかなかった。


 それなのに、大いに馬鹿にしたような笑い声を上げられ、苑は子供ながらに羞恥心を抱いた。


『なっ……なんだよこのクソじじー!』


 恥ずかしさを振り払うように怒りに任せ声を上げると、笑っていたと思った男性は途端に眉間にしわを寄せ瞳を鋭くした。


『クソじじーじゃと……?』


『え……っ』


『誰を前にしてそんな口叩いとるんじゃ、このがきんちょがー!!』


『な……くっ、くんなー……っ!!』


 60は超えているように見えるが、彼はただでさえ動きづらそうな恰好をしながら、あろうことか逃げる苑を鬼の形相で追いかけてきたのである。


『ぎゃー!!』


『待たんかこらー!!』


 イギリスの街を小さい子供と和装の老人が全力で走り抜ける光景はさぞシュールだったことだろう。


『……はあ……はあ』


『ゼェ……ゼェ』


 やがて行き止まりに差し掛かり、苑は肩で息をしながら目の前で同じく、いや、それ以上に息を上げている様子の男性を睨みつけた。


『おいっ……なんなんだよ、あんた!』


 すると、老人はふらふらになりながら歩み寄ってきて、苑の両肩をがしっとつかんだ瞬間、眉を吊り上げ言い放った。


『ワシはな……っ、お前のじーちゃんじゃ!!』



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