二人家族~Paradise番外編~
香澄るか
第1話 懐かしい家
『苑、お前はワシの息子だ』
あの日のことは、景色も匂いも、何もかもが、あの言葉と共に鮮明にいつでも思い起こせる。
******
朝目覚めると、一番最初に目に入ったのは染み一つない高い天井だった。次に、豪華な照明、陽が名一杯差し込む大きな窓、装飾が細かい煌びやかな家具、質の良い生地に美しい刺繍が施された絨毯。最後は、自分の今居る空間、つまり、だだっ広いこの部屋だ。
ふかふかな白いシーツの寝台から身を起こして改めて全体を見回すと、
「……相変らず無駄に広い家だな。此処は」
そんな時、扉の向こうでノックのあと声が掛かった。
「苑坊ちゃん、起きました?」
「ああ、うん」
苑が返事を返すと少しして遠慮がちに扉が開けられ、一人の人物が入って来た。
「失礼しますね。坊ちゃん、朝食の支度が出来ました」
白髪の多い黒髪を頭の後ろでぴっちりまとめた、朗らかな顔に小柄で少しふっくらした60代のエプロン姿の女性だった。彼女の名前は木村
「貴恵さん、おはよう」
「おはようございます。苑坊ちゃん」
「……貴恵さん、もうその呼び方止めてよ。俺、もう28だからさ、流石に坊ちゃんじゃないって」
顔を掻きながら苦笑交じりに訴えてみるも、貴恵は背筋を伸ばし微笑みながら、首を横へ振るなりはきはきとした口調で言い切った。
「いいえ。苑坊ちゃんは私にとって、ずっとかわいい坊ちゃんです!」
「もう……分かったよ」
「ふふっ」
貴恵は観念した苑に嬉しそうに皺を深くして笑みを浮かべてみせた。
その後、苑は身支度を済ませ、一階へ足を運んだ。
全体的に和モダンな雰囲気の内装で、畳み十畳ほどのスペースに丸い大きなテーブルと椅子が真ん中にどんと置かれた一室に入ると、良い香りが立ち込め、たちまちお腹が空いてくる。食事は貴恵が腕をふるってくれたらしく、美味しそうな料理が朝から豪勢に並んでいたが、洋食セットの苑に対し、対面の席には身体に良さそうな和食が並ぶ。
そのまま目で追っていくと、そこには既に着席している人物が居た。
「——ようやっと起きて来たか」
やせ形で、その歳には珍しい高身長の和装が非常に似合う男性。彼は、西園寺
「……はよ」
「おう」
挨拶を交わし苑が席に着くと、貴恵が側にやって来て空のティーカップへコーヒーを注いでくれた。栄吉には湯呑へお代わりのお茶を注いでいる。
すると、朝食を食べ始めた苑から時計に視線を移した栄吉が、時刻を確認して声を発する。
「9時になったら出るからな。わかっていると思うが、苑、お前の父親の墓参りだぞ」
「その為に帰ってきているんだから言わなくても大丈夫だって。……でも、俺の‘‘親父”はアンタだろう」
苑が栄吉の言葉に食事の手を止めてそう言うと、彼も驚いた様子で、湯呑を口元へ運んでいた手を止めた。
「苑……」
「何驚いているんだよ? 自分で言ったくせに」
「……そうだ。そうだが、うん……」
口を引き結ぶ栄吉を見て、苑は視線を逸らし食事を再開した。
食卓は静かに時を刻み、その様子を貴恵は、無言で切ない表情を浮かべながら見守っていた。
***
「苑さん、ご無沙汰しております」
食事を終え予定時刻に家の外へ出ると、門の前に車が停まっていて、車の前に立つ40代くらいの男性が苑を見なり懐かしそうに目を細めた。
彼は、この家の運転手の坂下
「……坂下さん、久しぶり」
「坊ちゃんと呼びたいところでしたが、会わない間にすっかり立派になられましたね」
「……坂下さんありがとう。でも、貴恵さんには坊ちゃんだって言われちゃったんだけどね」
「はは、そうですか。……でもそれはしょうがないでしょうね。貴恵さんは、苑さんがこの家へ来た当時からいらっしゃる方で、まだ小さかったあなたを、まるで実の母親のように大層大事にお世話してらしたんですから」
「……そうだよなぁ。確かに、今思えば俺は、あの人が居なかったらこの家なんてとっくに出て、どっかで野たれ死んでいてもおかしくなかったもんな~」
懐かしく思いながら苑がそう零した直後、突然後ろから拳骨が飛んできた。
「いって! 何すんだよ!」
振り向かなくても解ることだったが頭を抑えながら振り向けば、そこには当然仁王立ちする栄吉の姿が在った。
「こんな処でだらだら喋ってるからだ! はよ乗れ!」
「……ったく、分かったよ」
口を尖らせながら苑が車へ乗り込むと、栄吉もその隣へ乗り込んだ。
2人の様子に微笑みを浮かべながら、坂下も運転席へ着くと、それでは出発しますとミラー越しに言って静かに車を走らせた。
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