第52話 自贄

 ラースを残し三人は鬱蒼とした森林に入る。

 それからほんの2~3分で投石は止んだ。


 投石が止んだ事で、フィリがラースを助けに戻ろうと言い出す。

 そんなフィリの言葉を背中で聞いてもコナーは無言で歩みを進める。

「コナーさん!今なら直ぐラースさんの所に戻れます」先程よりも大きな声で訴える。

「フィリ!静かに……」ヤーンは小さな声で諫める。

「腕が折れただけです!!今なら治療も出来る!助け合えば……ヤーン兄も行こう」ヤーンの静止も聞かず、最早フィリの懇願は叫び声。

 フィリの話を聴きながらも歩を進めるコナーは静かに「死にたいのか?」とだけ言った。

 フィリの身体が膠着。しかしそれでも「まだ、数分です!ラースさんはあそこで待ってる!」

「なら、お前一人で行くがよい」コナーは歩き続ける。

「……コナーさん、そんな……ヒドイ……」自分だけでは行けない。二人が来るからこそ……

 初めてコナーは振り返り、フィリを観る。

「投石が止んだ。さすればどうなる?何が来る?投石の距離約200m程度、平坦な平地、橋を落としたとて、胴鎧と片手剣程度の武装の民兵は何分でトスカに到着する?」

「だからこそ今直ぐに行けば!」フィリが懇願。

 コナーは無表情。

「何故にラース殿は先に行け!と我等に言われたのか?」詰問する。

「何故だ!?」再度フィリに尋ねる。

「フィリ……考えるのだ、お前は大将の話を正しく理解したのか?」

「あっ……いえ、そんな、でも……」フィリは拳を握り、その後の言葉が出ない。


「フィリ……我はラース殿とは旧知の仲、我が父の旧友でもある。私もラース殿も、目標はトスカの機能を死守する事!!しかし君の目標はラース殿を助ける事か!?」

 コナー眉間に、少しほんの少しだけ皺が寄る。

「いえ、ですが今ラースさんを助けたら、貴重な戦力を……」

「利き手を骨折し、剣も持てない剣匠を??恐らくこの戦中、ラース殿の骨折が治る事など無い……仮にラース殿の傷が治るまで、この戦争が長期化するなら、我等19人の方が耐えられ無い」

 コナーの言う通りだ。長期戦になればいくらゲリラ戦を行おうが、たった19人はジリ貧だ。ラースもそれ故に自分を残して逃げろ!と言ったのだ。

「……そ、それは、でも……」フィリは食い下がる。

「それでも助けに行きたいなら行くが良い。今こうして立ち止まって有る間にも、周囲に敵軍の斥候や先発隊が、我等に感付かぬとも限らぬ。任務の遂行を妨げる隊員ならば居なくて良い」コナーはにべも無く言う。

『そうなのだ……それがラースの意志』ヤーンは思う。助けに行き、4人諸共、敵軍に見つかる等有ってはならない。

『我らの作戦は、相手の怪我人を増やし、そして敵軍に悪影響を与えようとしている。なら我軍に同じ事が起きた場合、どうすれば良いのか?それが答え』ヤーンは想う。

「す、すいません……僕は……何も判っていませんでした」フィリは下を向いて答える。あまり納得はしていない。もしかしたら彼はラースと何かしら懇意な関係なのかも知れない。

 フィリの脳内では理屈では判っていても感情がそれを許さないのだろう。

 コナーは下を向いたままのフィリの肩を叩き「行くぞ!」と言い。

 そして「ドンッ」と背中を押した。

 押し出されたフィリは少しつんのめった挙句、走り出した。コナーはヤーンを見て微笑し、ヤーンは頷いた。

『とりあえずコレで良い』

 敵軍は既にトスカに入り駐屯の準備を進めているだろう。8,000人ならば、街周囲を警戒の為の巡回兵も潤沢に用意出来よう。我等の仕組んだ罠に掛かる迄、我等は敵軍の状況を監視せねばならぬ。勝機を逃さぬ為に。


 ヤーンはトスカに来た時を思い出す。

 その時と同じ道を今度は王都に向かい走る。

 直ぐに最初トスカを見た高台に辿り着く。

 

 木に隠れてトスカを見下ろす。月明りに篝火で街内を巡回しているのが良く見える。自分達の周囲に現在敵軍は見当たらない。恐らく敵軍はトスカ駐屯の準備と街内に敵が潜んでないか索敵中だろう。街内の安全が確保されれば、瓦礫で外壁を補修して駐屯する準備を進める筈。


「投石機であまり外壁が壊れていないです。もしかして策術?騙されたのか?」ヤーンがコナーに言う。

「結果論だが、そうかもしれない……トスカ外壁がほぼ残っているな」横で見ているコナーの言。

「外壁の補修に要する時間は数日も無いかも?」

「そうだな。破壊された瓦礫を外壁の穴に詰めれば、1日有れば完了だな」

「あまり良い状況でじゃないようですね」

「初陣の割りに統率が取れている。食堂のつまみ食いもしそうにないかな?」

「寸胴に居れた薬剤とやらですか?」

「あぁ、私が食堂の飯に毒を入れておいた……」

「まぁ只の下剤みたいなモンだ」

 コナーがあっけらかんと言う。

「……下痢は水分を必要とするな……飲まねば脱水症状……海水など直には飲めぬ。街井戸しか無いな」笑みが消えたコナー。

「コナーさんがしたんですね」フィリが目を白黒。

「あぁ、井戸にも下剤を仕込んだ。あと死体の破片も……重しを付けて……」

「だから、敵をトスカに縛り付けるのだよフィリ。そうすれば敵がどの様に苦しむか今のお前なら嫌という程判るだろう?」コナーがフィリを見る。

「……はい」フィリはそう答え。

「お前が今感じたラース殿への想い。我等はソレを敵軍に嫌という程、感じさる為に動く」

「今……解りました」フィリは悲しい顔で頷く。そうだこの見殺しにするかも……という想い。コレこそがこの作戦の肝。いま自分が感じた後悔、慚愧。


『この人もラースさんと同じ……』想う。そしてフィリは変な話だが少し安堵する。


「フィリ……ラース殿は只では死なぬ。いやどれだけ殺そうと願っても、そうそう死なん。片腕無かろうが、あの御仁には些細な事」先程、ラースの事を「役に立たぬ」と言ったコナーからこんな発言。

「そうですねラースさんはあの程度……乗り越える」フィリは自分に言い聞かせる様に答える。

「俺は奥の森林地帯に向かいます。コナーさんはどうします?」元々単独行動班のコナーだが、同行するフィリも出来た。どうするのだろう?ヤーンは訊いてみた。

「あぁ、そう言えば訊いていなかったな。フィリ、君の得意は?」

「あっ、僕は……あの……隠密と半棒術……です」

「あぁ?!故にラース殿と……ふむ君は伺見うかみの者か?」

「えぇ、未だ認可も受けていない……修練者です」

伺見うかみって何ですか??」ヤーンは尋ねる。

「我が国の中枢部直轄の諜報部隊。その隊員の名称だ……鍛錬武技は剣匠と似たようなもの。主に片手直刀と小太刀等が多い……半棒術は稀だな。故に判った」コナーは答える。

「そんな部隊聴いた事有りませんでした」ヤーンは首を傾げる。

「だろうな。そうでなければ隠密にならぬ」

「しかし今は戦時下、猫の手でも借りたい故に隠密部隊も表に出るか?」

「いえ、恐らく他の方は通常任務中かと、僕を含めた若輩者だけが表の戦に派遣されました」

「なるほど……」コナーが夜空を仰ぎ見て考えている。

「フィリ!我等も山に入るぞ」コナーはフィリの方を向いて答える。

「判りました」フィリの元気の良い返事。

「では、行きましょうか」ヤーンが先導して山中に進む。

 辛うじて歩道に整備された土道。

 勾配を緩和する石畳の類も無くなり、倒木や落石の除去されていない獣道の如き山道を登る。

 隠密が得意と言ったフィリの発言は嘘では無いようだ。夜道で障害物の多い山道を遅れずに追いて来る。夜目も効いている。


 3人は歩きながら作戦を練る。

 周囲には人の気配は無い。

「山中なんで、やっぱり高地を利用し待ち伏せ、罠、という感じですか?」フィリは尋ねる。

「まぁ、それも有るが、本来の我等の目的はトスカに敵軍を縛り付ける事と増援を遮る事」

「それが、敵軍の焦りと諦めを拡大させる」ヤーンが追加する。

「今、お前が言った地形効果を生かしての待ち伏せ、罠の設置、何れも『待ち』」なんだよ。我等は先手で仕掛けないといけない」

「実の所、我等には余り時間は無い」

「我等以外にこちらに来た仲間は見当たりませんね」ヤーンは、周囲を見る。

「恐らく数名は泳いでガゼイラ領地内へ入ったな」

「へっ?本当ですか?」ヤーンは変な声が出る。

「泳ぐならな。地理上でも明白だがトスカはキルシュナの最南端でガゼイラの最北端だ。陸沿いに200m程泳げばガゼイラ領地内だ。夜なら敵軍の索敵からも逃れよう」

「成程、陸から行けない事は無いが、敵軍の巡回警備に見つかる可能が有る」ヤーンが補足する。

「トスカ内の駐屯の整備に忙しい今なら、トスカ外壁から陸地にてガゼイラに侵入可能かも知れんが、まぁ念の為だな」

「ガゼイラ侵入はトスカへの増援の断絶ですか?」

「そうだ……確実に……」

「ですが……たった数名で数千人を止めれるモノなんですか?」フィリの素直な疑問。

「我等は我等だけで戦っている訳ではあるまい」コナーはフィリの頭をポンポン叩く。

「視野狭窄というか?想像力欠如というか?」コナーはフィリを追撃。

「どういうことですか?!」フィリは頬を膨らませている。

「自分で考えなさいフィリ。例え今その推察が間違っていても、その思考は必ず君の役に立つ」

 ヤーンは無言で笑っている。

「ヤーン兄ぃは判っているの?」フィリはヤーンを見上げる。

「いや、どうなのだろう?自分でも正解か否か?だけど、ここ数日のローレン大将の行動から想像出来る事は少しは有る」ヤーンは頭を掻く。

「そっかぁ、自分も考えます」フィリは眉をハの字にしている。

「そろそろ着いたかな」コナーが指を指す。その指の先には高木の少ない日中なら日当たりのよさそうな土地が拡がる。

「えっ?まだ山頂には程遠いですが?」ヤーンが訊く。それは地形上高所に位置したいという戦力上基本的な事を考えての発言だった。コナーならてっきり低所(トスカ)を見渡しやすい山頂を拠点にすると思ったからだ。

「ああ、我等の行先はその先だな」コナーはヤーンに同意して数瞬、山頂を見上げる。

「あっコレ?ウルシですか?」周囲を見回したフィリの呑気な声が会話に加わる。

「おおフィリ!正解!よしよし」コナーの嬉しそうな声。

「ウルシ?あのカブれたりする植物ですか?」ヤーンはコナーの指差す植物を見る。

「そうだ。あと漆器の塗料にも使うな」

「ココ。赤いんですよね」フィリが指差す茎は赤く染まっているのが月夜に辛うじて見える。

「正確にはヤマウルシ。秋にかけて茎が赤く染まるのだ」コナーが補足。

「……で、コレが何でしょうか?」

「ヤーン。そなたもせっかちだな?話は一度腹に入れて嚙み砕いてみてから考えるのだ」コナーが片眉を顰める。

「す、すいません」そう言いヤーンはもう一度考えて答える。

「罠ですか……」これ位しか思いつかない。

「……もしかして焼きますか?」フィリがコナーを見詰める。

「ならどうなる?」コナーが即時訊く。

「ええっと、ウルシオールが煙と共に拡がります」

「その効果は?」

「呼吸困難でしたっけ?」

「よしよしその通り。流石、修練者でも伺見の末席に居る者だな」

「フィリ!凄いな!良く知ってる」ヤーンは目を丸くしてフィリを褒める。

「ヤーン兄ぃ、そんな隠密授業中に老師から教えて貰っただけ……」フィリは小さくなる。

「それでも実戦で思い付くなんて!凄い事だよ!」ヤーンはフィリの肩をポンポン叩く。フィリの顔がどんどん赤くなる。

 コナーはヤーンを観る。

 ヤーンに思う所がある。コナーは彼とは面識が余り無い。

 アルテ峡谷でも会話していない。

 峡谷の戦いぶりから良き戦士で在る事は承知している。

 しかしそれだけでは無い……この男……将の器なのだ……恐らく……

「この地形……」ヤーンへの推察を止め、ボソリと話す。

「数ヶ月でモノになった……付与魔法のお陰だな」

「???……どういう意味ですか?」

「ウルシの成長は通常年間100センチ程度だが、3月に植えてよく育ったもんだ。」そう言いながら珍しく笑みを浮かべるコナー。

「植物の生育を促す付与魔法?ですか……」ヤーンはコナーの顔を見る。

「そうだ……あぁ、しかし植物は良い……」コナーはウルシの根元を指差し微笑む。根元には、小瓶が逆さまに地面に刺さっており、瓶の中には色の付いた液体が微かに残っていた。多分これが草木の成長を促していたのだろう。

「えらく嬉しそうですね」ヤーンは今までの険しい表情が草木を見た途端、柔和に変わったコナーの顔を覗き込む。

「早く……庭木の手入れが出来れば良いなぁ」優しい……山中の草木を眺め呟く。

「……。。。……」ヤーンは想う。この人の本質はコチラなのだろう。


 ウルシを慎重に避けて山頂を目指す。山頂と言っても低山だ。海抜400mも無い。それでも獣道とも言えぬ微かな足跡をトレースして登る。と思いきや登らない……なんだ?「あの〜コナーさんわざわざ歩き難い。道に戻って……」

「言い忘れていた……そこには夾竹桃を植えている」コナーが獣道の周囲を指差す。そこには赤と白の綺麗な花が咲いている。

「キョウチクトウ??」ヤーンは、綺麗な花を見て思わず一歩近付く。

「そうだ、だから迂回した。獣道に植えた。先ほどのヤマウルシと同じ」

「……と言いますと又毒ですか?」ヤーンの足が止まる。

「夾竹桃は触ると被れます。けど……」フィリがヤーンに説明してくれる。

「…けど?」ヤーンが返答を催促する。

「燃やすと有毒な煙が発生します。吸い込むと嘔吐、吐気、倦怠感、四肢の脱力、下痢etcが現れるそうです。老師の受け売りですが……」またフィリの訊き伝え。

 ヤーンが夾竹桃から静かに後退る。

「なんてモン植えてんですか!」

「おいおいヤーン。夾竹桃など町中にも生えておる」コナーが嗤う。

「へっ……そうなんですか?じゃあそんなに毒性は強くないとか?」

「そうだな〜オレアンドリンという毒で、青酸カリよりちょい強い位だ」コナーは平然。

「あぁ〜成る程、青酸カリよりちょっと強い……」思わず納得しかけるヤーン。

「へぇ〜はぁぁぁぁ!!青酸カリ!ダメじゃ無いですか!」ビックリ大声になる。

「まぁ、経口摂取する事が無いなら多分死なんぞ」コナーは相変わらず。横でフィリは青くなっている。

「コナーさん?コナーさんて剣匠なんですよね??」フィリが困惑した顔で尋ねる。

「如何にも!」コナーは『何を今更』と言った風。

「でなければ、こんな激戦地に来たく無いわ。そうだろう?」

「そりゃーご尤も」ヤーンは頷く。

「コナーさんは毒に詳しいのですか?」

「詳しいと言う程では無い。植物系の毒しか知らぬ。動物系は全くの門外漢だ」

「剣匠ってそんな知識必要?なんですか……」フィリは怪訝。そんな剣匠をフィリは今まで知らなかった。ヤーンにしてもそうだ。毒への摂取しない為の危険予知や事前予防、最悪混入した際の体外へ毒を可能な限り排出する方法や、身体全体に毒が回らぬ様に止血或いは最悪切断する方法ついては粗方学んでいる。つまり予防知識は十分に学ぶ。しかし毒を使う方は学んでいない。

「ヤーン、そなたの街での相棒、ヴィンスが居ったろう」コナーは突然話が変わる。

「あ奴の腕知っておろう」

「……え、ええ知ってます。毒で変色……」

「……私だ」

「へっ?」訳が判らない。

「うん、いや……まぁ……あれは私だ。私がヤッた」ばつの悪そうなコナー。

「えっぇぇぇぇぇぇ!!」ヤーンとフィリが思わず大声。そして次の言葉が出ない。

「いやいや、憎くてした訳では無いぞ。仕事故、仕方無し」コナーが弁解する。

「お互い敵同士だったのですか?」

「そうだな、そんなトコだ。当時、私達の雇い主は対立していて、各々の用心棒が私とヴィンスだった訳だ」

「敵同士だったと……」

「あぁ、ヴィンスの事は知らなんだ。手強いと聞いていたのでな、仕留めるに有利に成ればと思い毒を仕込んだ。それ故だ」悪怯れず話すコナー。

「……ひでぇ……」思わずヤーン。

「……」フィリは無言。

「まぁ、酷いな」コナーはヤーンを否定しない。

「酷い方がよく効く」コナーそう言い立ち上がる。

「だから良く考えろ……」とだけ言い。振り返り歩き始めた。ヤーンとフィリが後に続く。

 獣道に戻る。

 快適な道。

 黙々と歩く。

「さぁ、そろそろ山頂だ。」コナーが言う。急激に斜度が上がる。45度位の斜面。四つ足の方が気楽に登れそう。

 前方の視界が開ける。山頂に設置された物見櫓が天に向かって屹立している。何故かこの辺りには低木しか無く、それ故に木々より突き出た物見櫓の視界は、トスカを超え、大海を超え、もし快晴ならばガゼイラ領地も索敵出来そうな程。三人は梯子を登り物見櫓に立つ。既に整備や清掃が疎かになっており、大小の石や、落ち葉が床に放置されている。三人は落下防止の柵を掴み眼下を望む。

「綺麗」フィリが思わず口にする。

「……」ヤーンは無言。

「後方は崖だ。登れぬ事も無いが、岩登りの技量が必要だろう。鎧を着た兵ではまず無理だろう」ヤーンとフィリは振り返る。青空しか無い。地面は遥か下。10mは有ろうか……ほぼ垂直の岩石の崖が地面まで伸びている。つまり、この物見櫓は斜面に建設されており、前面、左右は45度程度の斜面、後方は先程の崖という事になる。柵から少し手を出せば崖の上部に触れる。

「確かに……岩登りの技術が無いと……死ねるな、コレは」ヤーンが呟く。

「ヤーン兄ぃなら登れる?」フィリが訊いてくる。

「あぁ、邪魔が入らなければ登れるが……出来れば……」ヤーンはそう言い崖を見下ろす。

「あっ、いや!駄目!登らない。絶対!」直ぐに前言撤回。

「えっ?けど傾斜壁でしょ?」フィリはヤーンの指の力と岩登りの技量を知っている。傾斜壁だし凹凸も多い。故に登らないと言うヤーンを不思議に思った。

「その方が良い……」コナーが横から忠告する。

「承知しています。脆すぎる」ヤーンは真顔。

「良い地形だろう……」コナーの笑顔。

「……」ヤーンは無言で頷く。

「??どういう事?」フィリが首を傾げる。

 ヤーンは足下に在った拳大の石を掴み上げ、その石で石崖を叩いた。

 ボロリと石崖の上部が砕けた。

「砂岩だと思う。脆いんだ……とても、風雨に晒されている部分は特に……コレに命を預けられない」ヤーンは、真顔でフィリを見る。

「ごめんなさい」フィリは短慮を悔いた。

「いいんだ、しかしこれを敵が登ろうとしたら……」

「登っても、登らずとも、どちらでも良い……」コナーがヤーンの言葉を追って言う。

「でしょうね」ヤーンも同意する。周囲を見る。何故が低木しかない見晴らしの良い風景。トスカ迄、果ては海岸までも見渡せる。好都合。非常に。

「どうかしたか?」

「いえ、少し怖くなりまして……」ヤーンの視線はコナーから離れない。

「そうか、敵軍を前に恐怖を感じるのは判るが……」

「いえ……アハハ、まぁそういう訳ではないですが……」

「なんだ?笑って。其方、真に怖いのか?」

「ええ、怖いです」ヤーンはそう言うと振り返り、物見櫓から降りた。

 物見櫓の周囲を見る。ヤーンも知る植物が至る所生えている。

 茨だった。ノイバラ。

 鋭利な棘。大きい棘。

 ヤーンが知るモノより明らかに大きい棘。

 5センチは有ろうかと……


 物見櫓から落ちて、棘に体を裂かれる……そんな妄想をする。



 ………………あの朝………………


「園芸」とローレン大将。

「ガーデニング」とアリー。

 言葉は違うが意味は同じ……

「へっ……あの……お年寄りがよく庭先でやっている。あれですか?」俺は余りに呑気そうな二人に軽く殺意を覚え……

 いやいや、おかしいぞ。深夜に疲れているにも関わらず、植物を育てている等と……そんな訳ある筈ない。


 ………………


 先日の徹夜のローレン大将とアリーを思い出す。恐らく、この元ネタはコナーだ。

 そしてこの舞台設定……低木……毒草……


『あの人は何時からこの準備を……』

 物見櫓を見上げると、コナーがニコニコとフィリにノイバラの説明をしていた。

 今までの様々な事象がヤーンの意識上で組み合わさる。

『何が怖いかって……そりゃ……』 

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