最終話 聖人
朝に告白されて、放課後に振られるという体験をした。
相手の男子とは日中、言葉の一つも交わしていないのに、だ。
夕日でもあれば雰囲気が出るものだが、普通に昼間みたいな空だった。
代わり映えのしない景色の中で、それじゃあ……、と去って行く野球部男子の背中を見送る際に、結花千が声をかけた。
「近過ぎて分からない事もあるから、もっとちゃんと周りを見てみた方がいいかも」
男子は曖昧に、……ああ、うん、と頷いて屋上から去って行く。
あれはよく分かっていない者の態度だった。
今分からなくてもいつか分かればいいかな、と結花千はヒントを出した満足感に浸る。
振られたというのに彼女は晴れた表情だった。
これが望んだ恋愛ならばまだしも思う事はあるが、結花千にとってはただの厄介事だ。
重荷が下ろせた事がとにかく嬉しかった。
野球部男子と一緒に屋上から出ると勘違いされそうなので、数分遅れて校舎の中へ。
すると廊下でばったり……、偶然とはとても思えなかった。
待ち伏せていただろう、クラスメイトの三人がいた。
今、結花千が振られたばかりの野球部男子に好意を寄せる、真面目な背の低い少女だ。
そんな彼女の後ろには、対照的に長身の少女……。
で、スマホ片手に知らん顔をしながらもちゃっかりと全てを把握している少女がいる。
クラスではいつも決まって三人でいるグループである。
「…………」
なにか言うのかと思って構えていたが、彼女たちはなにも言わない。
なので結花千から。きっと切り出したいだろう話題を選んで差し出してみる。
「野球部の……、ええっと……くん、には振られたから、安心していいよ」
「相手の名前すら覚えてないのか」
長身の少女が威圧的に言う。
一応クラスメイトだ、覚えていないのは確かに失礼だ。
しかし覚えられないものは仕方がない。
だって呼ぶ機会なんてないし、興味もないし。
「噂」
と、スマホ少女が目線を下に向けながら、
「当たっている部分もあるけど確実に違うって部分も多い噂が流れてるよ。ほとんどが、帆中を悪く言うものばかり。これを耳にして告白を思い直したのかもね、彼……」
結花千も噂については知っている。
無駄に大きな声で言う生徒が多いのだ。
聞こうと思っていなくとも聞こえてくる。
目立たない嫌がらせも増えてきている。
今のところ、困った害があるわけではなかったので問題視してはいないが。
「思い直したんだから、もうあたしの事は好きじゃないよ、……くんはね」
「名前が分からないなら誤魔化してまで言おうとしなくていいのに……」
――くんだよ、とスマホ少女が野球部の彼の名前を教えてくれたが、覚える気がないので結花千の脳には入らなかった。
完全に耳から反対側へと抜けている。
「でさ、その彼はもうあたしには構わないでしょ。大して喋ったわけでもないんだし、好きな人なんてすぐに変わるよ。――だから真面目ちゃん、今がチャンスだよ!」
結花千は、なぜか申し訳なさそうに目を逸らす真面目そうな少女の手を掴む。
彼女はなんだか、罪悪感を持っているようにも見えた。
「そう、だね……チャンスだね、あはは……」
「どうしたの? まるでここまで事が大きくなるなんて予想外だった、みたいな顔して」
結花千はただ見た目の印象を言っているだけで、真面目な彼女が真面目ではない事をしたという裏工作を見抜いたわけではない。
というか、結花千はとある理由から絶対に見抜けないのだ。
だから罪悪感を持つ彼女が、まるで結花千本人から断罪されているかのように感じているのはただの思い込みだ。
勝手に責め立てられていると勘違いしているだけである。
「あの……帆中、さん」
「なになに?」
「今度、班行動があったら、誘う、から。一応、この前の仲直り、って事で……」
この前、というのがいつの事か、正直結花千には思い出せない。
こっちの世界の時間の経過に加えて、向こうの世界の時間経過も体感しているのだ。
比率で言えば向こうで過ごす事の方が多い結花千は、こっちの世界での出来事は忘れやすい。
重要性が低いせいもあり、全然覚えられないのだ。
なので一瞬、ぽかんとした結花千だが、こういう場面にはもはや慣れている。
分かっていなくともとりあえず頷いておけば誰も困ったりはしない。
「うん! じゃあ、仲直りねっ」
仲違いした三人とも、日々を重ねればこうして仲直りができる。
意外となんとかなる。
方法はどうあれ、結花千の言葉通りに事態は転がるらしい。
奇妙な転がり方だったが、結果だけを見れば結花千にとってはプラスなのだから、彼女として
は良しとしている。
仲直りした事が嬉しくて、廊下をスキップする結花千。
そんな彼女の後姿を見ながら、真面目ぶった少女が呟く。
「な、仲良く、できるかな……?」
彼女に自覚はないが、こういう言葉がある。
――類は友を呼ぶ。
下駄箱で待ち伏せをしている者がいた。
結花千は彼女を見て、おっ、と声を上げる。
「彩乃だ!」
「ゆかちー、遅いよー」
待ち合わせをした覚えはない。
忘れているだけかもしれない、と思って結花千は謝ったが、約束したわけじゃないし、と彩乃が言った。
「え、じゃあなんでいるの?」
「結果を聞く権利はあると思うけどねー。朝にいきなり呼び出されて、ゆかちーの悪評を広めてほしいって言われたわたしの活躍のおかげで、厄介事は消えたわけ?」
「ばっちり!」
結花千は親指を立てる。
真面目ぶった少女が広めた悪評に加え、彩乃が広めた悪評が、たった一日にも満たない期間で結花千の印象を悪くするその速さを実現している。
野球部男子の耳に入り、結花千への告白を思い直す事ができたのも、偶然にも二人の行動が重なったから、と言える。
結花千は知る由もないが、もしも真面目ちゃんが悪評を広めていなければ、結花千から野球部男子を振るしかなかったのだ。
それでも別に良かったのだが、できれば振られたかった。
その方が、あの三人組も納得するだろうと思って。
現に仲直りができたわけだし、これ以上の結果はないだろう。
「でも、わたしが広めたから一年生はみんな、ゆかちーの事を最低だと思ってるよ」
昼休みに一年生の視線が多いと思ったらそういう事か。
中には怯えている後輩もいた。
ただ実姫だけは妙に嬉しそうに結花千に絡んできたものだったが。
「あいつからしたら嬉しいだろうねえ。みんなが嫌っているゆかちーの魅力を知ってるのは自分だけ、とでも思って、優越感に浸っているんだろうねー」
「そう思ってくれる実姫がいるし、彩乃だってこうして話しかけてくれたじゃん。だから誰にどう思われていようがどうでもいいかな」
「ゆかちーならそう言うと思った。……ニャオがいるから、わたしたちがもしも見る目を変えても平気って?」
「そうだよ」
「うっわー、普通は空気を読んでそうは言わないんだけどね。でも面白いからいいや」
たくさん友達がいる彩乃にとっては、結花千はその中でも異端過ぎる。
だけど中でも一番接しやすいのも結花千である。
他の子の誘いを断って放課後に結花千に会いに来ているのがその証拠だ。
「ゆかちーの魅力はそうそう分かるものじゃないしね」
「そうそう。で、彩乃はいつになったらあたしを先輩って呼んで敬ってくれるの?」
結花千はたまにそう指摘する。
彩乃から先輩呼びされるのが一つの目標でもあるのだ。
「? ないよー。ゆかちーを先輩呼びとか、あり得ないから」
「あ、あり得ない……」
「してほしかったら呼ばれるような先輩になる事だねー」
生意気な後輩らしく、彩乃は上から目線で言う。
彩乃としては、先輩呼びにすると実姫と被るのであまりしたくはないのだった。
結花千は靴を履き替えて、すぐに一年生の下駄箱へ移動し、実姫の靴を見る。
上履きが置いてあるのでもう帰ってしまったらしい。
一緒に帰ろうと思ったのに……、彼女の家の事情を知っているので、仕方ないかと諦める。
歩いていると、校門に和歌がいた。
生徒会長でも待っているのかと思ったら、結花千と彩乃を待っていたらしい。
「先輩。今日の人助けはいいの?」
「昼休みに倍働いて終わらせた……だから疲れた。喫茶店でも寄らないか? コーヒーを飲まないとこれ以上は頑張れそうにない……」
結花千と彩乃が顔を見合わせた。
先輩の立場を上手く使う方法が二人の中で一致した。
「「じゃあ、先輩のおごりで!」」
「そのつもりだよ。実姫もいれば良かったんだけどな……用事があるなら仕方ない。向こうで話せばいいだけだしな」
和歌が二人を喫茶店に誘ったのは、なんとなくではない。
彼女たちを繋ぐのは同じ学校の顔見知りよりも、向こうの世界での神同士である方が強い。
喫茶店で話す事も当然決まっているのだ。
最近はそればかりだ。
一刻も早くどうにかしなければならない事がある。
和歌も今は、学校の人助けよりも、四つの大陸の人々を助ける方が重要なのだ。
彼女たちは考え、思いついたのだ。
不満が出ないようにするにはどうすればいいのか。
一つの大陸を、一人の神が全て担っているから偏りが出る。
であれば、一つの大陸を四分割し、それぞれが担当すればいい、と。
そうすれば、大陸の一部分が乱れても、別の部分がきちんと機能していれば、そちらに移動できる。
その間に、乱れた部分を直せばいい。
四人の神が助け合い、世界を復旧させている。
無神論者が暴れ回った以前の世界に戻るまで、そう長くはかからないだろう。
「難しい事は全部先輩に任せてるから、細かい事は分からないけどね」
「だから、それを説明するために喫茶店でも行こうって……そう言えば、ゆか。ニャオが志願してたぞ、例の件」
「例の件?」
首を傾げる結花千に、和歌はそれ以上の説明をする気はなかった。
「ま、それは直接本人から聞きな」
ニャオはにの島のお墓の前で、両手を合わせて拝んでいた。
施設長の名が石に刻まれている。
かつて、ニャオと多くの子供たちが慕っていた女性がいたのだ。
しかし、無神論者たちの暴動がきっかけで、命を落とした。
まだ二十代の若い命だった。
「……神様たちのおかげで、世界は前みたいに戻ってるよ。失った子もたくさんいたけど生きている子はみんな、今も元気に過ごしてる。……先生の後釜はね、実は私じゃないんだよ。まだ小さい女の子だけど、誰よりもしっかりしてる。私なんかよりも、ね。だから任せたの。じゃあ、私はなにをしてるのか、って? 私はね、やりたい事がやっと見つかったの――」
やりたい事なんて一つもなかった。
だから困っている人を見ればすぐに助けていたし、誰かの手助けになればいいと思って行動してきた。
施設長の手伝いだって、結花千の傍にずっといたのも、そうだ。
なにがしたいのか分からないからとにかく動いていたのだ。
だから、やりたい事だらけでなんでもすぐにやってしまう結花千に惹かれたのかもしれなかった。
彼女の傍にいれば、変われるかもと思って――。
結局、ニャオの本質は変わらない。
やりたい事が見つかっても、それは彼女の原点である、人助けであったのだから。
「ニャオってば、こんなところにいた」
後ろを振り向けば、海賊服ではない結花千がいた。
動きやすそうな、ラフな格好だ。
とても神様とは思えないくらい、人混みに溶け込みそうだった。
「あ……っ」
「聞いたよ。ニャオは、聖人になりたいんだって?」
神様の最も近くにいられ、人々の模範となる存在――それが聖人。
なりたくてなれるものではない。
簡単になれるものでもない。
けれどニャオにとって、これが見つけたやりたい事だった。
結花千の傍にいて、多くの人々を正しい道へと導き、助けになりたいと思って。
なによりも、結花千の隣に立ちたかったのだ。
「……はい。それが、私が目指す、場所ですから!」
拳を胸に当て、声を大にして叫ぶ。
結花千の重荷にならないように、強く、強く。
神様を守れるように、心も体も、強く――。
「もうじゅうぶん、支えになってるよ……」
「神様……?」
「いいよ、あたしの聖人になる事を、認める」
なんともあっさりとした決定だったが、和歌からも言われていたので驚きは少ない。
結花千の事だからきっと一言返事で許可してくれるよ、と……まさにその通りになった。
ただしッ、と結花千が一つだけ、条件を突き付けてきた。
ニャオはごくりと唾を飲み、次の言葉を待つ。
どんな条件だろうとも、決して逃げは、
「――あたしの事を、ゆかちゃん、と呼ぶ事!」
それは……。
忘れかけていた、彩乃との約束を思い出す。
結花千は彼女から聞いたのかもしれない。
ニャオは一瞬、息が詰まった。
自分なんかが神様をそんな親しい呼び方で呼ぶなんて……、と自分を下げる物言いはしなかったが、それでも照れ臭さは残っている。
顔をほんのり赤く染めながら、ニャオは長めに悪戦苦闘していたが、彼女は聖人として、結花千の隣に立つ事になる。
その『ゆかちゃん』が相棒の如く『ゆか』になるのは、まだまだ先の話である。
Land 渡貫とゐち @josho
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