プロローグ2 二人は出会い、物語が始まる

 青年は冷静に見えた。

 巨大な山椒魚の死骸の傍らにいるというのに。

 雪華と母親はコンクリート塀から川の中に立つ少年を見下ろした。

 年の頃は20歳ぐらい。ポケットがたくさんついたベストに穴のあいたジーンズ。ボサボサの前髪の奥には剣呑とした瞳が見えた。そして何より目を引いたのは、右手に握られた抜身の日本刀。

 凶器を持った青年に母親の冴子は警戒したが、雪華は

「すごい!すごいね!」

と、すごい、を連発している。その声に反応してか青年はちらりと雪華を見た。

「お兄ちゃん、雪華を助けてくれてありがとう!」

 雪華は青年に満面の笑みを向ける。

「危ないところを助けて頂き、ありがとうございました」

 冴子も慌てて頭を下げる。

「まだだ」

と、青年は呟いた。

「え?」

 冴子は青年が何を言ったのか分からなかった。青年は巨大山椒魚を凝視している。

巨大山椒魚を見るとすっぱりと切られた首の切り口が、うねうねと蠢いている。

 突然ドバっと切り口から肉塊が飛び出したかと思うと、みるみるうちに山椒魚の頭を形作った。しかも2つも。

「ひっ!」

 冴子は雪華の手を握って、後ずさった。そして、先ほど切り落とされた頭に視線をやると、もぞもぞと動き出そうとしていた。

 死んでない!

「お母さん、見て!」

 雪華に促されて川の中を見ると、再生された巨大山椒魚の2つの頭から伸びてきた舌を、青年がバックステップで躱すところだった。くねくねと伸びてくる舌を軽やかに躱していく。青年は下から日本刀を切り上げると、舌が一本、宙を飛んだ。青年はベストのポケットから複雑な漢字と模様が描かれた札を一枚取り出した。

「皐月火花(さつきひばな)」

 青年がそう言うと、札が花火のような鮮やかな赤い火花に変化し、巨大山椒魚の頭の舌を切ってない方に飛んで行った。

 バチバチバチと音がして、赤い火花は巨大山椒魚の頭に命中した。

 その隙に青年はバンっと踏み込むと、巨大山椒魚の頭と頭の中央に日本刀を振り下ろした。

 ズバァ!と音を立てて巨大山椒魚の胴体の半ばまでが切られた。そして、ブシュと血飛沫が飛んだ。

 巨大山椒魚の体は切られたところから左右に開いて倒れた。

「清火乃桜吹雪(きよびのさくらふぶき)」

 青年は別の札を取り出して、そう言うと、札から桜吹雪が舞い出た。桜の花びらは風に吹かれて、くるくると舞った。それは、得体の知れない怪物を倒しているとは思えないほど、幻想的な風景だった。

桜吹雪は巨大山椒魚の体の周囲を取り巻くと、炎に変化して巨大山椒魚の体を焼き尽くしていった。そして、焼き尽くされた体は灰になって崩れていった。

雪華も冴子もその現実離れした風景に見とれていた。

が不意に、もぞもぞと動いているものが視界に入った。まだ、切り落とされた頭が残っているのを忘れていた。ぐぐぐっと口を開こうとしている。

冴子は雪華を自分の背後に庇い、そのまま後ろに下がろうとした。

青年はコンクリートの塀をひょいと登ってくると、刀と札を構え、

「刀火彼岸花(とうかひがんばな)」

と言った。すると、刀が真っ赤な炎を纏った。刀を切り落とされたの頭に振り下ろすと、巨大山椒魚の頭がボウっと激しく燃えた。そして、あっけなく燃え尽きた。

青年は刀を持っていた手の平を上に向けて開いた。すると、刀はすうっと手のひらに吸い込まれていくように消えた。

「怪我はないか?」

 青年は冴子と雪華に向き直って聞いた。冴子は自分に発せられた言葉だと気づくのに数秒かかった。

「あっ、はい、大丈夫です」

 幸い、雪華も自分も擦り傷程度で大きな怪我はない。

「そうか」

 青年はそう呟くと、雪華のすぐ近くにしゃがんだ。そして、ベストのポケットから一枚の札を取り出すと雪華に渡した。

「魔除けの札だ。持っているといい」

 雪華は素直に受け取ると、青年に話しかけた。

「お兄ちゃん、だあれ?」

「俺は妖怪退治なんかをしている」

「お兄ちゃんはスーパーヒーローなの?」

「違う」

「違うの?でも、すっごくかっこよかったよ!」

「そうか」

 青年の返事はそっけないが、表情が僅かに綻ぶ。

「お兄ちゃんのお名前なあに?」

「神崎琉輝(かんざきりゅうき)」

「私は三和坂雪華(みわさかせつか)だよ。お兄ちゃん、私のヒーローになってよ!」

 雪華の言葉に青年は戸惑う。なんと返事をしたものか。

「俺はもう行かないといけないんだ」

「どこに行くの?」

「遠くへ。悪い妖怪を退治しに」

「そうなの?また会える?」

「分からない」

 そう言うと、青年は立ち上がった。

「あの、娘を助けて頂き本当にありがとうございました」

 冴子が慌ててお礼を言う。

「無事でよかった」

 青年はそう言うと、歩き出した。

「琉輝お兄ちゃん、ありがとう!」

 雪華が大声でお礼を言ったが、青年は振り返ることなく歩き去った。


 気が付くと、辺りは夕焼けに包まれていた。さっきまでは、薄闇の中のようだったのに。

 冴子が娘の顔を見ると、夕焼けに照らされてキラキラしていた。

 あんなに恐ろしい目に会ったというのに。

 自分のストッキングは大きく電線しているし、スーツのスカートは破けている。髪はボサボサだし、あちこち擦りむいている。娘も体はべとべとだし、やっぱり擦りむいているし、髪に付けていたリボンはどこかへいってしまったらしい。

 冴子は一つ大きく嘆息した。

 無事を感謝した。

「雪華、家に帰ろうか」

「うん」

「チーズハンバーグ作ろうね」

「うん」

「お守り、大事にしないとね」

 さっき琉輝からもらった札のことだ。

「うん!」

 冴子と雪華はお互いの手を握って、家に帰った。


 そして、琉輝と雪華が再会するのは、この10年後になる。

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華を愛した鬼は何故死を望むのか 渡邉 実心 @MIKOTO_WATANABE

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