【エピローグ】

「マ、マームに会った!?」

 青い海をゆく客船にて。

 甲板に立ったシャルは、UMAでも見つけたかのような表情で俺の方を振り向いた。

「ああ、あいつがいなけりゃ今ごろ俺たちは海のくずだ」

 あれから……昨日すべての片がついてから、俺たちはさいかわ家が用意した新しい客船に乗り換え、帰路を辿たどっていた。

 予定されていたツアーは中止。あれだけの事故、いや事件が起きたのだ、その判断は当然だろう。幸いだったのは、乗員乗客がみな無事だったこと。ヘリに乗っていたシャルもふうさんも墜落寸前のところで脱出できたらしく、全員が無事この船に乗っている。

 ただし、たった一人を除いて。

 カメレオンは、海に沈んだ。

 かつてシエスタの命を奪った、その罪を抱いて。

「そう……。またワタシたちは、マームに救われたのね」

 潮風にシャルの金色の髪の毛が流れる。

 かいえた横顔には、さびしそうな微笑ほほえみがたたえられていた。

「もしかしたらマームは」

 ふと、なんの気もなしに、シャルが言う。

「あの日、自分が死ぬことすら分かってたのかもしれないわね」

 ……ああ。そうかもな。

 自分の死すらも計算のうちだったと、今さらそんなことに気づいたのかと、あのクールな顔で言ってのける名探偵の顔が、まぶたの裏に映った。

 でも、仮にそうだったとしても。

「生きててほしかったな」

 俺が飲み込んだ台詞せりふを、小さな器からこぼれるような声でシャルが代弁した。

「でも、あの子の中にマームがね」

 それから、少しトーンを上げてシャルが言った。

「ああ。……だけど、もう出てこないよ、あいつは」

 二度はない。そうシエスタ本人が言っていた。

「……もし今ここでワタシがキミヅカに銃口を向けたら、マームが助けに駆けつけてきたりしないかしら?」

「俺の命を犠牲にするな」

「ジョークよ、ジョーク」

 シャルはふっと表情を緩めながら、ぐっと伸びをする。

 そしてそのままきびすを返し、デッキから立ち去ろうとして、

「……マームは、なにか言ってた?」

 背中越しに、そう投げかけた。

 シャルの表情は見えない。どんな顔でこの質問をしているのだろうか。

「──仲良くしてくれ、だとさ」

 俺は後ろを向いたブロンドの少女に告げる。

 俺にできるのは、シエスタの言葉を紡ぐことだけだ。

「そう」

 シャルは小さくそうつぶやくと、やがて半身で振り返り、俺に向かってこう言った。

「今度、花屋に行くのに付き合ってくれる? なにを買ったらいいか教えてほしいから」

 ああ、アメリカでは墓参りの文化が薄いんだったか。

 なら近いうちに一緒に行くことにしよう。

 まあ、そこにあいつが眠っているかは分からないが。

「じゃあ、また」

「ああ、またな」

 昨日の敵は今日も敵。

 だけど明日は、あるいは──シエスタが、それを望むのならば。


 夜になり、俺は客船に入っているバーに向かった。

 船が違うため、当然この前とは別の店だが、造りは非常によく似ているようだ。今日は、そう聞かれて困る話をするわけでもない。俺はカウンターに座ってドリンクを注文する。

 ……と、しばらくして待ち合わせの人物がやってきた。

「お待たせ」

 言いながら、その人物──なつなぎなぎさが隣の席に座る。

 飲み物をオーダーしている彼女を横目で見ると……以前の派手な格好ではなく、いつも通り大きめのTシャツに、ショートパンツ姿だった。

 まあ、よくよく考えたらそれも当然か。あの胸元の開いたワンピースは今ごろ海の底に沈んでいるだろう。

 やがてドリンクがそろい、俺たちは軽くグラスを合わせる。

「てか、あんた、なにその格好」

 ……くそ、突っ込まれたか。あえて描写しなかったんだが。

「なかなか揃わないもんだな」

 てっきりお前もまた、洒落しやれた格好で来ると思ったんだよ。

「その似合ってないジャケット、どうしたの?」

さいかわに買ってもらった」

「うわあ、引く。普通に引く」

 こら、正論を言うな。言い返せないだろ。

 ……とまあ、いつもの夏凪だ。今の彼女に、シエスタの面影は見られない。

 あの後──カメレオンを倒した後。

 命からがら、沈没寸前の船から海に身を投げ出した俺と夏凪シエスタは、木片につかまって漂流しているところを、救助船によって助け出されたらしい。

 らしい、というのは、助け出されたとき、俺たちは二人とも意識を失っており、気づいた時にはこの客船に乗っていたのだ。

 そして目が覚めた時、夏凪はもう……夏凪だった。

 尋ねてみたが、シエスタの人格が表出していた際の記憶は一切ないらしい。

 シエスタはまた、得意の昼寝をはじめたのだ。

「なあ、夏凪」

「なに?」

 いつまでも引っ張っていても仕方がない。

 俺は意を決して、彼女をここに呼び出した理由を告げる。

「これからも名探偵、続けてもらえるか?」

 こんな事件に巻き込まれてもなお、シエスタの遺志を継いでくれるのか。

 ごとじゃない、本当の意味で名探偵になるつもりはあるのか。

 きっとこれからは、また《SPESスペース》と事を構えることも増えるだろう。

 断られても仕方ない。だがその確認だけは、しておかなければならなかった。

「……正直、やっぱり自信はないんだけどね」

 なつなぎは、グラスの縁を細い指ででながら言う。

「あたしは今回、なにも活躍できてない。むしろ迷惑ばっかりかけて、あんたやゆいちゃんに助けられっぱなしだった。それに最後は──この心臓かのじよに頼っちゃった」

 やっぱり私は。

 そう漏らして、夏凪は苦笑する。

 そんな彼女に対して俺は、

「そんなことないだろ」

「……きみづか?」

「あのアラーム音、助かったぞ」

 カメレオンとの戦いで、最後にやつの居場所を割るのに役立ったアラーム音。あの正体は、夏凪がカメレオンに連れ去られていたときに、こっそり奴の服に忍ばせていたスマートフォンだった。視覚で太刀打ちできない敵に対抗するためのとつのアイデアだ。

「……そっか。でもあれは唯ちゃん達も協力してくれてはじめて成功したことだから」

 後から聞いた話によれば──俺とシエスタがカメレオンと戦っている間、シャルが操縦する小型ボートにさいかわが乗り、その《ひだり》で海の上から船の中の戦況を見続けていたらしい。そしてカメレオンの姿が消えたタイミングを見計らって、その居場所を俺たちに知らせるために夏凪のスマートフォンに電話をかけて、アラーム音を鳴らせたというからくりがあったようだった。そして当のシエスタもそれをすべて見越していたと──また何も知らないの俺だけじゃねえか。

 ……でもまあ、いいか。俺は助手だし。

 大事なのは夏凪だ。

 夏凪が、名探偵でいられるかどうか。

「それに夏凪、。お前が自分の意思でシエスタに身体からだを貸したって。お前の言葉がシエスタを動かし、それが俺の命を救った」

 その激情がなければ、俺はあのまま死んでいた。夏凪が、俺を助けてくれたんだ。

 それに、夏凪には本人ですら気づいていない資質がある。

 最初の心臓の一件では、俺が自分でも気づいていなかった……あるいは蓋をしていた感情に夏凪が火をつけ、もう一度果たすべき使命を思い出させてくれた。

 サファイアの事件の時にも、なつなぎさいかわが本当に欲しているものを俺より早く見抜いてみせ、武力を用いず問題を解決へと導いた。

 そして今回もまたそのおもいと言葉で、俺やシャルを、果てはあのシエスタさえも動かしてみせた。きっと夏凪は、人がそのとき最も欲しいと望むを与えることができる……そんな能力を、持っている。

 だったら──

「ありがとう。お前は最高の名探偵だよ」

 だって、そうだろ?

《探偵》は、依頼人の願いをかなえる存在なんだから。

「……ずるいよ」

 夏凪が小さくつぶやいた。

 それが何に対する評価かは分からなかったが、わずかに緩んだ口元を見れば、どうやら交渉決裂という事態は避けられたらしかった。

「でも……うん。やるよ、あたし」

 それに、と夏凪は続ける。

「あたしも、頼まれちゃったからね」

「頼まれた? まさか、シエスタに?」

「うん、それが彼女に一度だけ働いてもらう条件だった」

 そうして夏凪は、シエスタとひそかに交わしていたという契約を告げる。


「夏凪なぎさ、斎川ゆい、シャーロット・ありさか・アンダーソン、そしてきみづかきみひこ──四人で《SPESスペース》を倒してほしい」


 君たち四人こそが私の残したで──最後の希望。

 そう言ってた、と夏凪は柔らかく微笑ほほえんだ。

「そうか」

 俺は一言、うなずいた。

 きっと、今、この瞬間。

 ようやく俺も、本当の意味で名探偵の遺志を継げたのだと、そう思った。

「まあ、それでも自信がないことには変わりないんだけどね」

 夏凪は苦笑しつつグラスに口をつける。

「大丈夫だ、自信のなさにかけては俺の右に出る者はいない」

「そんな嫌な相対評価の上げ方ある?」

「それにお前は、自分と違ってシエスタは完璧超人だったとでも思ってるかもしれないが、案外そうでもないぞ?」

「そうなの?」

 そうだとも。

 悪いな、シエスタ。死人に口なしだ。

「いつだったか、あいつは飲めもしない酒を浴びるほど飲んで、ベロベロになって、そんで……」

 と、そこまで言ったところで急になつなぎが、手元のドリンクを一気に飲み干した。

「ん? おい、夏凪?」

 店内の照明は暗いが、よく顔を見るとその頬は赤く染まっているように見える。

 そして──

「これ、実はアルコール入ってるのよね」

 そう言いながら夏凪は、俺の顎を指で、くいっと持ち上げた。

 突然の出来事に抵抗ができない……まるでそれは、最初に放課後の教室で出会ったあの日の再現のようだった。

「う、ぐ……」

「ねえ。今日は部屋、来るでしょ?」

「……はあ? お前、なに言って……」

 ……いや待て。はこういうことを言えるやつだったか?

 だとしたら、これは……いや、でもまさか……。


「どっちだと、思う?」


 ……はあ、その笑顔は、反則だ。

 と、俺が答えに窮していた時だった。

『えー、お客様にお知らせがございます』

 それは船内放送だった。

 この前の犯行声明とは違って、船長による正式なものらしい。

 そしてそのアナウンスは「詳細を明かすことはできないのですが」と謎の前置きを挟んで、こう続いた。


『お客様の中に、探偵の方はいらっしゃいませんか?』


 俺は、隣のと目を合わせ、うなずき合う。

 エピローグには、まだ早い。

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探偵はもう、死んでいる。 二語十/MF文庫J編集部 @mfbunkoj

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