最終話「いってらっしゃい、世界」

 雲一つない、青空。

 吹き渡る風はまだ夜の冷たさが残るが、徐々に熱せられてゆくのが感じられる。

 アセットは簡素な荷物をズタ袋にまとめて、早朝のアルケー村をあとにした。まだ、昨夜の騒ぎで村はバタバタしてて忙しい。その中で、人目を忍ぶように出てゆくのは心苦しい。

 けど、もう決めた。

 王都に戻って、なすべきことをなすと。

 いな……やりたいことができたのだ。

 だが、村を出たところでアセットは呼び止められた。


「少年、行くのかい?」


 そこには、一人の女性が待っていた。

 マスティは今日も、だらしなく胸元をはだけている。朝から酒瓶さかびん片手で、背にはアセットとは反対に大荷物である。

 唖然あぜんとするアセットの視線に、彼女は自分の荷物を振り返る。


「ああ、これかい? 人間の世界には面白い物が沢山ある。お土産みやげを買い過ぎて、村長の家に預かってもらってたのさ」


 ニシシと笑うマスティは、どこか少年の無邪気さがにじんでいた。

 とても、王国が恐れる魔王とは思えない。

 そして彼女は今、魔王の象徴たるひたいの角を隠していなかった。


「マスティさんも、村を出るんですね」

「そうさ、まだまだ旅は続く。私には、人間の社会を知る必要があるからね。ついでに戦争なんかもまあ、止めてみせるさ」


 気負わず気張らず、お気楽なマスティが笑っている。

 自然とアセットも、ほおほころんだ。

 そして、別れを感じた。

 この夏、アルケー村は危機を迎えた。あるいは、そこに王国の存亡が同居していたかもしれない。けど、アセットたちは故郷のために戦った。

 出会いと別れとが済んで、また日常が始まるのだ。


「君はいいのかい? 少年。村の復興はこれからみたいだけど」

「大丈夫ですよ。ここにはもう、この村の人間が動き出してる」

「君の生まれ故郷だろうに」

「安心して任せられる、そういう人がいる。次期領主様も立派になるだろうしね」


 フム、とマスティは腕組み頷いた。

 あえて友には、声をかけずに出てきた。アスティは母親にだけ別れを告げ、王都に戻る。そこで話したい事、語らいたい事ができた。大義を叫んで戦いへはやる同級生たちと、言葉を交わしたかった。

 以前は、なにも言えなかった。

 自分のわだかまりを、言葉にできなかった。

 今は、違う……伝えたいことがあって、言葉に想いを乗せられる気がした。


「マスティさん。マスティさんは……戦うのは好きですか?」

「うん? ああ、結構好きよん? たぎるっしょ、なんかこぉ」

「でも、戦争を止めたがってる。それって、なんの矛盾むじゅんもないなって」

「……戦争はほら、一対一タイマンじゃないからさ」


 マスティの部族は、古来より北の寒冷地に暮らす少数民族だ。多くの亜人と共同生活を送り、雑多な多民族社会を構成している。

 はからずもそれは、人間だけで暮らしているアセットたちには魔物の群れに見えたのだ。

 同時に、向こう側にも戦う意味を見出した一部の民がいる。

 この戦争は実は、わかっていないことの方が多い。

 知らないことが多過ぎるということを、アセットは知ったのだ。

 アセットはマスティに歩み寄り、その屈託くったくない笑顔を見上げる。


「僕は、戦うこと自体を全て否定してた。でも、生きてくそこかしこに戦いがあると知りましたよ」

「ほほー、例えば?」

「森で動物を狩らないと、僕たちは食事にも困る。でも、動物が勝つこともあるんです。畑仕事だって、天気と土との戦いかもしれない」

「……なんにでも対立構造を見出さなくてもいいんだよ? 調和と融和の世界もある」

「それでも、人間は戦い勝者となって生きている。敗者に生かされてると感じました」


 マスティは鼻から溜息ためいきこぼして、やれやれとアセットを抱き締めてきた。

 突然のことでびっくりしたし、亜人のマスティはひんやりと冷たかった。それが、徐々に暑くなり始めた中で気持ちいい。


「あんまりさかしいことを言いなさんなよ? 君はほんと、優等生だなあ」

「頭でっかちで貧弱で、なにもできない子供でしたよ、僕は」

「でも、やれることをやったじゃん? そうしたいのはいつも、誰でも一緒だよん」

「……もっと勉強して、強くなりたい。生きることが戦いなら、戦い方とその終え方をもっと学びたい」

「君ってやつは、もぉ……優等生体質なんだなあ」


 わしゃわしゃとマスティは、アセットの頭を撫でてくれる。

 見上げるアセットは、ニヤニヤしまらない笑顔のマスティの、その額の角を見詰めていた。大理石の彫刻みたいに、白い角には無数の紋様もんようが刻まれている。その全てが、呼吸するように明滅していた。

 その淡い光に照らされながら、はたとアセットは気付く。


「マスティさん! あの! こ、この角」

「ああ、そろそろ魔法で消そうか。魔法は私たちの世界でも、生活に欠かせない技術で」

「角に細かい彫刻というか、なにか刻まれてますよね、これ」

「ああ、うん。これはね、私たちの氏族の血脈、血縁を表すものでもあって」

「ちょっと、触ってもいいですか!」


 突然のことで、戸惑いながらも赤面に頷くマスティ。

 手を伸ばせば、不思議と熱くて硬さに弾力がある。マスティの角は、今まで触ったことがない感触で瑞々みずみずしく、じんわり広がる光は温かい。


「やっぱり……この紋様のパターン!」

「ちょっと、少年っ! あ、あのさ、その……お姉さん、ちょっと困るぜー?」

「以前、遺跡のあちこちで見た紋様に酷似こくじしてます。この角のパターン」

「ほへ? そ、そなの? ……でもさあ、少年」


 アセットは気付いた……マスティの角に光る紋様は、その全てに見覚えがあった。それは、鎮守ちんじゅの森にある遺跡に残った、自分たちではない人類が刻んだものと法則性が一致している。

 もしかしたら、アルケー村がある場所は大昔、今とは違う人間が住んでいたのかもしれない。そこに生きていた人たちの営みは、マスティたち北の少数種族と関係があるように思えた。


「しょ、少年……その辺で、勘弁かんべんしてよねえ」

「あっ、ご、ごめんなさい! 痛かったですか?」

「いや、まあ……私の氏族では、角を触らせることには大きな意味があってだね。ま、そゆのは別にどうでもいいんだけど」


 アセットから放れると、背の荷物の重さも感じさせずにマスティは足踏みしだす。

 そろそろ、旅立ちの時だとアセットも察した。

 そして、意外な言葉が浴びせられる。


「私、王都には初めて行くんだけど……案内を頼むぞ? 少年! 責任とれよん?」

「えっ……マスティさんも王都に?」

「そそ、旅は道連れ、は情けねえ……なんてね。氏族を統べてく立場だしさ、一応。私はもっと見識を広めて、人間を知りたい。って訳で、ヨロシクゥ!」


 マスティはアセットの背をバシバシ叩いて、歩き出す。

 どうやら、これから少しだけ一緒のようだ。そして、このグータラなお姉さんをアセットは案内して面倒を見る必要があるらしい。

 それもいいかなと、大荷物の背を追ってアセットも歩き出した。

 そしてふと、振り返る。


「ん? どうしたんだい、少年」

「今、声がした気がしました。呼ばれたような……?」


 目を細めると、ぼんやりと見えた。

 生い茂る枝葉を天へと伸ばした、大樹の上に人影がある。

 その少女は再度、叫んだ……そう、同年代の女の子だ。

 声は音となって広がり、そこに込めた言葉の輪郭がほどけてしまっている。それでも、声を限りに叫ぶ少女の声を、その想いを確かにアセットは受け取った。


「ありがとう、ロレッタ。じゃあ、また……またね」


 またね、とつぶやく。

 その言葉に、曖昧あいまいさはない。

 ミルフィにも言ったのだ、またねと。

 またいつか、必ず……それは明日でもなく、来年でも百年後でもない。でも、明日でも来年でもいいし、千年後だって構わない。

 いつかまた、必ず出会う。

 その再会の約束を、世界に残すのがこれからのアセットの仕事でもあるのだ。


「行きましょうか、マスティさん」

「おや、いいのかい? あれは」

「いいんですよ。また会うために分かれて、再会は約束ですから」


 そう言ってアセットは、歩き出す。

 一度は自分が逃げた、王都の学び舎を目指す。

 もう、はっきりと進む道が見えていたし、その過程でぶつけて戦う言葉を得ていた。それを伝えたい人もいて、その人も自分も世界の一部なのだ。

 過去を知りたいし、未来を探りたい。

 そう思うから、魔王と共に歩む少年の旅路は、軽やかに進んでゆくのだった。

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カントリークエスト ながやん @nagamono

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