第28話「さよなら、大切な人」

 アセットは驚愕きょうがくに目を見開いた。

 咄嗟とっさに背にミルフィを庇いつつ、信じられない光景に唖然あぜんとする。

 闇夜を照らす星空の下、局所的に嵐が吹き荒れる。

 逆巻く空気は竜巻のようで、王国の屈強な兵士たちが次々と吹き飛ばされた。そして現れた人物が、緊迫感の中で不自然なほどにゆるい笑みを浮かべている。


「やあやあ、少年! 元気かい? お姉さんが助けに来ましたよ、っと」


 そこには、ボサボサの赤い蓬髪ほうはつを掻き上げる女の姿があった。

 締まりのない笑顔は、間違いない……マスティだ。遺跡の地下でドラゴンと戦い、そのまま帰らぬ人となったあのマスティである。

 それは夢でも幻でもなく、なんとも緊張感がない姿は現実だ。

 確かにそこに、マスティは立っていた。


「なっ……マスティさん!」

「はいはーい、強くて美人のマスティお姉さんですよー?」

「生きてたんですね! ……今までいったいどこに」

「いやあ、流石さすがの私も生き埋めにされちゃー、敵わないですよん」


 彼女はそう言って、襲い掛かってくる兵士を片手でいなした。筋骨隆々きんこつりゅうりゅうたる巨漢の兵士が、まるで赤子の手をひねるようにひっくり返る。

 マスティに力を込めたような素振りはなかった。

 だが、彼女は次々と襲い来る兵士を吹き飛ばした。

 剣を持たなくても、恐るべき強さである。

 突然のマスティの登場に、ヴォルケンもほおをひくつかせるほどだ。


「なにかな? 君は……ああ、村長の言ってた客人かね」

「ま、そんなとこかなあ。少年、ここは私が引き受けた。……君は非常に興味深い。私はね、アセット君。君のような人間が好きだし、興味が湧いてきたんだよねえ」

「誰か! この女性に剣を! 生憎あいにくと俺は、丸腰を相手にするようにはできてなくてね」

「そっか、なるほど。……うわさの勇者君も大変だねえ」


 どこまでも人を食ったような、のほほんとした言葉にヴォルケンは苛立いらだちを隠せない。

 マスティは、びくびくしながら兵士が差し出す剣を手に取った。

 彼女が強い人間であることは、すでにあの洞窟での戦闘で立証済みである。ドラゴンを相手に果敢に戦い、超人的な力でアセットたちを助けてくれたのである。

 そんな記憶に、なにかが引っ掛かっている。

 ほんの数日前の、忘れられない光景に違和感がある。

 あの時確かに、アセットはなにかを見たような気がした。

 けど、思い出すより先にシャルフリーデの声が駆け寄ってくる。


「アセット! ミルフィ! ごめんなさい……わたくし、なんてことを」


 今まさに、マスティとヴォルケンの一騎討ちが始まろうとしていた。

 そんな中、涙ながらにシャルフリーデが許しを懇願してくる。


貴方あなたたちは、本当に仲がよくて……そして、カイルはロレッタを大切に想っているんですの。だから、わたくし」

「シャル、もういいんだ」

「よくありませんっ! わたくし、あの日……村でカイルと二人きりになれば、もっと親密になれると思ったの。でも、全然違ったわ」

「でも、カイルは優しい奴だよ。それはわかるだろう?」

「ええ、嫌ってほど。ずるいくらいに優しくて、眩しくて……もう、眩し過ぎて直視できない。そう思ったら、一緒にいられない気がして」


 カイルは誰もが認める、いい奴だ。そして、彼がいつかロレッタと家族になることは、なにも小さな田舎いなかの村だからじゃない。親同士が決めたのもあるだろうけど、それだけじゃないとアセットにはわかっていた。

 それをシャルフリーデは、カイルに近付けば近付く程に思い知ったのだ。

 まるで太陽のようなカイルに向かって飛んで、自分を焼いてしまったのである。


「シャル、僕は怒ってないし、ミルフィもロレッタも同じさ。勿論もちろん、カイルも」

「でも、取り返しのつかないことを」

「だけど、この腕輪は君が取り戻してくれたじゃないか。何事も、手遅れってことはないよ。少なくとも僕らにはさ」


 ミルフィも、泣きじゃくるシャルフリーデの手を取る。

 彼女なりに不器用にだが、言葉を選んで優しく微笑んだ。


「シャルフリーデ、お前の勇気に感謝を。このデバイスを持ち出すのは、大変だったのではと思う。でも、お前はやってくれた」

「だって、もとあと言えばわたくしが」

「それを自分でつぐなおうとした、それだけでアタシには十分だ」


 そう言ってミルフィは、魔法の腕輪を腕にはめる。

 継ぎ目も金具もない不思議な腕輪は、静かに広がり大きくなって、腕を通したミルフィの手首にピタリと収まる。

 そして、苛立ちも露わなヴォルケンの声が響いた。


「ええい、まともに立ち会え! 俺を愚弄ぐろうする気か!」


 見れば、ヴォルケンが激昂に声を荒げている。その剣筋は鋭く、空気を切り裂く風鳴りがアセットにもはっきり聞こえた。

 一方で、マスティはなんだか防戦一方に見える。

 というか、まともに刃を交えるのを避けているようだ。

 そのくせ、顔には余裕の表情が浮かんでいる。

 そして、アセットと目が合うと……あっけらかんと笑った。


「おっ、少年! 話は終わったかにゃー?」


 上段から振り下ろされた一撃を、マスティはゆらりと最小限の動きで避ける。

 わずかに揺れた髪の先が、細切れになって夜風に舞った。

 ヴォルケンは既にかなりの運動量だが、疲れは微塵みじんも見て取れない。それどころか、その剣技はますます鋭くなってゆく。一方で、マスティの動きはどこか緩慢だ。

 そして、生と死の狭間に晒されながらも、こちらを気遣う素振りまで見せている。


「マスティさん! 真面目にやってくださいよ! あと、僕たちはもう大丈夫です。僕たち、ちゃんと友達ですから!」

「おっ、いいねそれ。あと……真面目にやったら、勇者様がかわいそうなことになるよん?」


 言うが早いか、マスティが消えた。

 離れた場所から見ていたアセットの視界から、完全に消えたのである。

 周囲で見守る兵士たちは勿論、直接戦っていたヴォルケンも見失ったようだ。

 ミルフィだけがすぐに空を指さし叫ぶ。


「上だ!」


 誰もがミルフィの声を目で追った。

 そして、満月の空に笑う影を見る。

 そう、跳躍したマスティは笑っていた。

 そのまま剣を引き絞り、落下のスピードに重さを乗せる。

 電光石火の一撃を、ヴォルケンもまた瞬時の閃撃せんげきで受け止めた。

 かに、見えた。


「……見事。貴公きこう、それ程の腕を持ちながら」


 ヴォルケンが、ぐらりと大きくよろけた。それでも倒れぬように踏み止まり、ひざに手を突く。そんな彼を他所よそに、マスティはヒュンとひるがえした剣を地に突き立てた。

 どうやら彼女は、ヴォルケンにトドメを刺したりはしないようだ。

 マスティはそのままカイルに歩み寄り、肩を貸して彼を立たせた。

 もはや、周囲の兵士たちは戦意を喪失し、武器を捨てて逃げ始める。

 ヴォルケンも、言葉を絞り出すのがやっとといった雰囲気だった。


「貴公、何者だ……」

「謎の超絶美人ちょうぜつびじんお姉さんです。……ってんじゃ、納得してもらえないかー」

「フッ、どこまでも食えん奴だ」

「ならば名乗るよ、いいかい? 私はマスティマス。


 誰もが耳を疑った。

 だが、マスティは「おっと、魔法が切れる」と夜風に髪を抑える。

 そのひたいには、ゆっくりと一本の角が現れていた。

 まるで、絵草子えぞうしの物語に出てくる伝説の一角獣ユニコーンだ。

 アセットは、その美しさに思わず息を飲む。刃渡りの短いナイフ程の長さで、その角には無数の紋様もんようが光っていた。まるでそれ自体が、別個の生き物のようである。


「私はね、人間。なんで戦争になったか不思議だったんだ。私たちは北方の果て、氷に閉ざされた世界に住んでいる。過酷な極寒の世界では、野鬼ゴブリン狗人コボルト猪人オークと協力しないと生き残れないんだ」


 ――つまり、私たちはそういう亜人、

 確かにマスティはそう言った。

 彼女の話では、氷原の民の一部がどうやらトラブルを起こしたらしい。それで、人間の世界との間にいさかいが生じたのだ。どちらに非があるかはいまだわからず、身分を隠して調査するマスティにも疑念が膨らんでいたという。


「ま、少年たちに出会って色々わかった。もう少し人間を知らないといけないし、まだまだ戦争を止めるための手段を調べてみるつもり、だけど……これメガリスをぶつけられたらたまらないなあ。お姉さん、魔王をやっててもか弱い女の子だからさ」


 悪びれずにマスティは、ぺろりと舌を出して笑う。

 彼女が指さす先に、メガリスが無言でたたずんでいた。

 そしてアセットは悟った……別れの時が来たのだと。それはミルフィも同様で、腕輪へ指を走らせる。小さな音が何度か鳴って、ビルラが現れた。


「いやあ、意外と時間がかかりましたね。ミルフィ、もう色々あれこれ済みましたか?」

「……ああ。これよりメガリスに搭乗、この惑星から退去する」

「それがいいでしょう。今回の事件はできれば、謎の鉄巨人と美少女妖精の物語にでもして、吟遊詩人ぎんゆうしじんに歌ってもらう程度にとどめてもらえれば……それに、話しても信じられないことばかりでしょうしね」

「美少女妖精? ビルラ、お前は冗談が言えたのか。アタシはこの惑星で、冗談というものを知ったぞ。他にも、沢山のことを学んだ」

「それはよかった。それと、私は割とマジで美少女なのでそこはよろしくお願いします」


 最後にアセットたちに一礼して、ビルラは消えた。

 同時に、轟音を響かせメガリスが動き出す。立ち上がったその巨体は、水をかき分け上陸するや、片膝を突いて手を差し出してきた。

 その手に飛び乗ったミルフィは、振り返って一瞬目元を抑える。

 だが。すぐに笑顔を見せてくれた。


「アセット、それにシャルフリーデ……いや、シャル。お別れだ。マスティもカイルも、世話になったな。ロレッタにもよろしくと伝えてくれ」

「気を付けて、ミルフィ。……また、会えるかな?」

「お前たちの文明が進歩すれば、いつか星の海を生活の場とする時がくる……その時、宇宙には人類同盟じんるいどうめいとは違う、もっと優しくて温かい仕組みが必要だとアタシは思った」

「じゃあ、僕の子か、そうでなくても教え子か、友達の子か……そのずっとずっとあとの子孫が、会いに行くよ」

「アタシも、自分の遺伝子を受け継ぐ者たちに再会をたくす。では、またな! また……いつか、また!」


 重々しい金属音を響かせ、夜空に鉄の巨神が屹立する。その背に白炎が集えば、ゆっくりと巨体は天へと吸い込まれていった。その姿が見えなくなるまで、アセットはずっと見上げて立ち尽くした。

 マスティもカイルも、 勿論シャルフリーデも同じだ。

 全身の各所に光を点滅させるメガリスは、ゆっくりと小さくなり、ただの光点となって

星々に溶け消えた。

 ――また、いつか。

 繰り返し何度も、アセットは希望の言葉を胸の奥に反芻はんすうするのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る