第2話 依頼料
事務所を飛び出した僕は、急いで駅前に向かって走り出した。
冷たい空気が、ノドに飛び込んでくる。
走れば間に合うハズ…クレープ代くらいなら財布に入ってるお小遣いで足りる。
兎に角、急がないと。
駅の地下街にあるクレープハウスは、雑誌やテレビなんかでも何回も紹介されてるお店だ。
いつも行列が出来てるけど、そんなに長く待たされた記憶はない。
夕方のこの時間、混んでいないことを願いながら、全速力で走った。
痛いくらい冷たかった空気は、地下街の階段を下りるころには、気持ちがいいくらいになっていた。
確か、こっちから行った方が近道だったはずだ。
迷わないように、人混みを縫うように地下街を走る。
クレープハウスの前には、学校帰りの高校生の列が出来ていた。
こんなに並んでるなんて…腕時計を見る。
4時40分、間に合うだろうか?
「ボスからのお使いは君かい?って、健太じゃんか」
「えっ?」列に並ぼうとした僕に声をかけてきたのは、
シュウ兄さんと、同じようにおもちゃ屋でよく見るタケシさんだった。
「タケシさん、なんで?ボスの事知ってるの?」
「さっき連絡があって、汗かきながら列に並ぶ少年が来たら、バナチョコ2つ渡してくれってな」
「ここで働いてるの?」
「働く?言ってなかったか?ここの店長やってんだぞ俺。お代はボスから貰う事になってるからいいよ、ほれ、急いで持っていきな」財布を取り出そうとする僕に、クレープの入った袋を渡しながら、タケシさんは笑う。
「えっ!?」
「ボスに、子供いじめんなって言っといてくれ。それと、また勝負しような、新しいデッキ持って行くから」
「うん!ありがとう」タケシさんにお礼を言うと、僕はボスの元へと急いだ。
息を切らせながら、階段を駆け上がる。
急いで飛び出てきた扉を、もう一度ノックする。
「そのまま入ればよかったのに、お疲れさま」リンさんが優しく、タオルで汗を拭いてくれる。
「ボス、受け取ってきたよ。間に合った?」
「時計を見てみればいい」
振り返って時計を見る。
…4時35分。なんで?
腕時計を見る。5時になったところだ。
「間に合ったようだな」ボスがニヤニヤ笑いながら、僕の手からクレープの袋を持っていく。
「あの時計…」
「あぁ、登坂がどうも苦手らしくてな」ボスの両手にはクレープが1つずつ「うん、武志の奴、バナナはちゃんと完熟したのを使ってるな」
改めて時計を見てみると、35分から36分になったと思うと、また35分に戻った。
「…5時になるの?」
「何日か、かけてな。モグモグ」
美味しそうにクレープを食べながら、ボスは答える。
口の周りには、今度は生クリームがいっぱいついてる。
「汗を流すくらい全力で走って行かなかったら、武志からこのクレープ貰えなかっただろ?」
そうだ、タケシさんは言ってた。
「汗かきながら列に並ぶ少年に」って。
「少年が手を抜いてたら、すぐにわかったってことだ。カイの事が本当に大切かどうかがな」格好つけてるみたいだけど、口の周りは生クリームで白いままだ。
「じゃぁ」
「あぁ、依頼内容を聞かせてもらおうか?まずは、少年の名前から聞こう。少年と呼ばれたままでいいなら、聞く必要はないがな」そう言いながら、口の周りの生クリームを舐め取る。
リンさんは、そんな様子を楽しそうに見ていた。
「二人とも立ってないで、ソファーに座って話の続きをしない?新しい飲み物を用意するわ。何がいいかしら?」
「じゃぁ、何か冷たいものを」
「少年にはオレンジジュース、俺にはバナナミルクを」
「ボスは、ああ言ってるけど、オレンジジュースでいい?大体の飲み物は揃ってるわよ」
「じゃあ、僕もボスと同じバナナミルクを」
「少年、お前とは美味いバナナが食べれそうだな」なんだか嬉しそうにボスが笑う。
「ボスにタケシさんから伝言。子供いじめんなって伝えてくれって」
「子供?俺の前には少年しかいないぞ?そもそも、いじめなんてのはクソガキのする事だ」心外だとでも言いたそうだ。
「少年じゃなくて、僕は健太。菰池健太だよ」
「それに健太は子供じゃないだろ?俺の事務所まで大切な依頼をしに来たんだ。そんな事は子供には出来ない。そうだろ?」ニヤリと笑うと、どこから取り出したのか、バナナを頬張りながら、ソファーに腰を下ろす。
「モグモグ。カイを探し出せばいいんだな」
「うん」慌ててソファーに腰を下ろすと、写真を手渡す。
「これがさっき言ってた写真。二日前、雷の音に驚いて、家を飛び出したままなんだ。保健所にも連絡したし、マイクロチップの番号も父さんが伝えてた。シュウ兄さんにも探すの手伝ってもらったんだ」散歩コースをカイの名前を呼びながら探してる時にシュウ兄さんに偶然会った。探すのを手伝ってくれて、見つからないまま帰ろうとした僕にこの事務所の事を教えてくれたのもシュウ兄さんだ。
「臆病な奴なんだな。モグモグ」写真を手に取りながら、バナナを食べる事はやめない。
「雷を知らなかっただけだよ」
「ふむ、って事は、まだ若いんだな」
僕はカイがいなくなった時の事を話す。
カイは夏休みの終わりに家族の一員になったこと。激しい雨や台風はあったけど、雷は未体験だったこと。
2日前の季節外れの冬の雷は、初めての体験だった。
散歩の途中、急に降りだした雨に僕とカイは公園のベンチで雨宿りしていた。
やみそうもない空模様だったから、母さんに迎えに来てもらえないか連絡をしようとスマホを取り出した時だった。
雷の光と音にカイは驚いて走り出してしまった。
リードを慌てて握ろうとしたけど、カイはもう遠くを走っていて、呼んでも聞こえていないようだった。
「はい、どうぞ」リンさんはグラスをテーブルに置くと、ボスの隣に腰を下ろした。
「いただきます」置かれたグラスを手に取る。
バナナミルク、実は飲むの初めてだ。
「リンの作るバナナミルクは最高だぞ」そう言いながら、ボスの右手にはグラス、左手にはバナナ。気がつくと写真はリンさんの手にあった。
「可愛いわね」リンさんは、写真を見るとそう言ってくれた。
「うん、カイはね。すっごく可愛いんだよ。それだけじゃなくて頭も良いしね」
「健太、明後日のこの時間に来れるか?それまでには探し出す」
「そんなに早く?」
「明日と言いたいところだが、もう1日、一応貰っておこう。ゴクゴク、モグモグ」飲んだり食べたり忙しないボスの口の周りは、バナナミルクで白くなってる。
「じゃあ、報酬を用意しないといけないよね」ボスはお金は要らないって言ってたけど…。
「健太。バナナ二房だ」
「えっ!?」
「明後日来る時に、バナナ二房だ。完熟バナナじゃないと受け取らないからな。モグモグ」
バナナ?
「ボスの報酬よ、健太君」
「それだけ?」
「最初に言ったはずだ。俺は金はいらないってな。バナナミルク、飲まないなら貰うぞ」ボスのグラスはもう空になっていた。
「いただきます」慌ててグラスに口をつける。
美味しい。甘すぎないし、バナナの味もしっかりしてる。
「美味しいだろ?モグモグ」グラスを持ってた手には、いつの間にか新しいバナナがあった。
サル探偵 ピート @peat_wizard
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