かみやま、しもやま(2)
ウォーキングマップを隅から隅まで読んでみたが、地名についてそれ以上詳しいことは書いていない。ちょうど初老の男性が通りかかったので、呼び止めてこれらの疑問を尋ねてみた。
元山口市民が所沢の山口の地名の由来を調べている、というのは改めて考えると滑稽な話だったが、住民の男性は真摯に対応してくださった。
「山口の山は狭山丘陵のことですね」
男性はあっさり答えた。
一帯は狭く険しい起伏と小山が続く地形だったことから、狭山丘陵と昔から呼ばれている。そう言えば、公民館に来るまでの道も坂続きだった。
ただ、開発が進んだ今ではなだらかに切り崩され「狭く険しい」とは言えなくなっている。かつて椿峰と呼ばれていた小高い山も慣らされて集合団地になったと男性は話していた。
山口氏については、この地に移り住んできた武士が地名にあやかり苗字をつけたのが始まりだとのことだった。卵が先か鶏が先かという問題だったらしい。
一旦道を間違えかけたが、この土地にまつわる流れがどうにか理解できた。まず狭山丘陵があり、地域に山口と名付けられた。そして一帯を治める武蔵武士が地名から苗字を取り山口氏が生まれた。この日知ったことがすっと一本線に繋がり、自分の足で土地を歩く面白さを実感した。
「山のない山口とはなんぞや?」という謎への答えは狭山丘陵だった。時代の変遷に伴い丘陵自体が郊外型の都市に姿を変えてはいたが、ここも立派に山の口だったのだ。
「国木田独歩は山口に来たのでしょうか」
私は地名の由来が明らかになったら聞いてみようと思っていた質問を投げかけてみた。
唐突な問いかけだったからか、男性は首を傾げる。幼少期を山口県で過ごした独歩が、地名に惹かれてこの土地にも足を運んでいるのではないかと考えを話すと、意図を理解したのか男性が笑った。
「そういう話は聞いたことがないけれど、来ていたら面白いね」
一緒にウォーキングマップを読み返したり、ゆかりの史跡はないかと資料を探したりしていただいたが、独歩が山口に来た足跡を見つけることはできなかった。
男性にお礼を告げて別れると、公民館の裏手から続く狭山丘陵の自然を残した緑道を歩いてみた。
新緑に包まれた木陰の道は、夏の暑さを忘れる心地よさだった。濃淡の違う緑の葉が風に揺れ、隙間から差し込んでくる陽光が美しい。
さらに歩を進めてみると道は急な傾斜に変わる。なるほど、山登りをしているようにも思えなくはない。さすがに東鳳翩山を思い出すというほどではないが。
独歩の『武蔵野』には山口はおろか狭山丘陵も登場しない。もしかしたら山口の地に何かが伝わっているかもしれないと期待したが、結局足跡は見つからなかった。今でこそ西武池袋線が都心と所沢を結んでいるが、当時は足を運ぶことも難しかったに違いない。
独歩を通じて二つの山口を繋ぐというもう一つの目的は、残念ながら達成することができなかった。
もしも独歩が武蔵野の山口を歩いたなら何を感じただろうかと想像するのは、私の浅い知識と思慮では難しい。ここは「来ていたら面白い」と考えるにとどめるのがいいのかもしれない。
全ての用は終わったが、今度は下山口駅へ続く道とは逆方向に向かってみることにした。
もしかしたら起伏に富んだ道のどこかで、狭山丘陵の昔の面影を残す場所があるかもしれない。地名一つ探るのにも、これほど発見と驚きがあったのだから。
ふと、「武蔵野ではどの道を行ってもそこに見るべく、聞くべく、感ずべき獲物がある」との先人の言葉を思い出す。彼がここに来ていても、来ていなくても、やはりこの場所も武蔵野らしい。
内心なんだか楽しくなり、夏の日差しが照らす坂道を再び歩き始めた。
かみやま、しもやま 三ツ葉 @ken0520
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
トトロの森の迷い道/三ツ葉
★10 エッセイ・ノンフィクション 完結済 1話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます